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第3回

今まで語られなかった側のストーリーを、これからのわれわれは語っていくのだ。

[ 更新 ] 2024.03.29
 夫とは2012年にロンドンで出会いました。
 たまたまお互いが日本から引っ越したてホヤホヤのタイミングで知り合ったので、2人で一緒にロンドン生活をスタートさせたような感覚があります。

 その頃の私は今と比べたら社会的イシューに非常に疎くて、当時のイギリス首相が誰かも知らないくらいだった。大学院生だった夫も、やっぱりまだまだ知らないことがたくさんあって、そんな2人にとって政治や宗教やジェンダーのことをみんなが普通に議論するようなロンドンでの日々は、つねに新しい学びや発見に満ちあふれていました。

 これは結婚10年以上たった今でもそうなのですが、出会った日から私たちはずーっと会話をし続けているような気がします。
 その日に起きたこと、感じたこと、読んだ本や聴いたPodcastの内容など、ほんとうに何から何まで報告しあって、お互いに感想を言ったり議論をしたりしている。特に私はとてもおしゃべりなので、目についたものはなんでも報告せずにいられない。夫もちゃんと聞く耳をもってくれていて、一緒に会話してくれる。ありがたい。

 「ほうれん草って最高においしい」「あのカフェの店員さんが新しい人になった」から「わたしたち、こういうジェンダー規範にとらわれていたね」とか、はたまた「なんで大英帝国が過去にあんなに栄えたのか」とかとか、とにかくなんでもひたすら話し続けているのです。

 2012年から2024年の10年ほどですごく変化した世の中の価値観に比例するように、われわれも2人で一緒に知識や意識を学んで吸収していって、夫も私も、出会った頃と今の自分たちを比べたら世界の見方がめちゃくちゃ変わったと思う。

 フェミニズム的なイシューでも、一緒に学んできたしいつも同じページに立っている、と思っていました。

 人よりも快適に過ごせていることに気がつかない特権。

 2021年、ロンドンで帰宅途中の女性が車で連れ去られ性的暴行をされ殺されるという非常に痛ましい事件がおきました。犯人の男性が現役の警察官だったこともあり、イギリス中に衝撃が走り、多くの女性たちは「われわれは友人の家から安全に帰宅することも、警察を信用することすらできないのか!」と大きな怒りを表明しました。

 被害にあった女性はまだ車通りの多い時間帯の夜8時に、大通りを、露出のない格好で歩き、連れ去られる直前までパートナーと通話もしており、ある意味完璧なまでに社会の求める「自衛」をしていました。それでもなお殺されてしまった。

 Reclaim the Streets(ストリートを取り戻そう)というスローガンとともに、「社会はいつも女性に自衛をしろと注意してくるけれど、これ以上何ができるのだ! 自衛をしてもなにしても、加害者が犯行を起こそうと思えば起こせるのだ」「私たちには安全に道を歩く権利がある!」と、今まで女性やジェンダーマイノリティの人々がどれだけ夜道におびえてきたか、変わるのは被害者ではなく加害者の側で、なにより男性の暴力を許してきた家父長制社会を壊していかないといけない、という主張がSNSなどを通して広まり、大きな社会的ムーブメントになりました。

 この事件はうちの近くのエリアで発生したこともあり、まったく他人事と思えなかったし、当然私と夫の間でもたくさん話題にあがりました。

 タクシーの中で寝ないでください。

 その会話の中でハッ‼ としたモーメントがあったのです。

 私が、「夜道は怖いよね。特に夜遅く帰宅する時はいつも早歩きでまわりを警戒してる。夜道が怖いならタクシーに乗れみたいな意見を見かけたりるするけれどさ、金銭的に厳しい時もあるし、そもそも私は見ず知らずの男性と車内で2人きりになることに恐怖を感じちゃうからタクシーも1人では利用しづらい」と夫に言ったところ、「えっ? そうだったの⁉」と、とても驚かれたのです。なぜなら夫は、夜道を怖いと感じたこともなかったし、なんならタクシーの中では寝ちゃう時もあるくらい、ぜんぜん警戒をしたことがなかったそうです。
 なんというリラックス感! 寝ないで!

 お互いの夜道に対するあまりの感覚の違いに驚いたし、なにより、こんなになんでも共有していると思っていた2人の間で、すごく初歩的な感情が共有されていなかったことに一番の衝撃を受けたのです。

 思えば女性である私は、例えば漫画やドラマの登場人物が「女の子の夜道の1人歩きなんて!」のようなセリフを発しているのをよく見てきたし、親や学校の先生などからもずっと「夜道はあぶない。警戒しないといけない」と教えられてきました。実際にすれ違いざまに体を触られたり車で追いかけられたり、夜の人気のない電車で男性に陰部を見せつけられたり、などの被害にもあってきました(といっても、朝でも昼でも同じような被害にはあったことはある)。
 「女性に加害しようとしている男性が夜の街に潜んでいるかもしれないから、女性は自分を守るために1人で出歩かないほうがいい」、そんな社会的言説と自分の数々の実体験が相まって、夜道は恐ろしいもので、もはや人間なら誰でも怖いものなのかと思っていたくらいでした。
 この恐怖心はあまりにも当たり前に自分の中にあったもので、わざわざ話題にすら出さなかったのかもしれない。
 だからこそ、夜道がぜんぜん怖くないという夫の感覚が、「まってくれ。そんな心地よい世界に生きているの?」と羨ましく感じたのです。夫は夫で、「自分が今までいかに恵まれた夜道ライフを送っていたのか知らなかった」とショックを受けていました。
 夜道の快適さジェンダーギャップを初めてありありと実感した出来事でした。

 快適に過ごせる特権性は、快適じゃない側のストーリーを知るまで気がつきにくい。

 ふと視点を自分自身の特権性に向けてみると、例えば、「トランスジェンダーの人や、社会が勝手にさだめたジェンダーステレオタイプに当てはまらない人にとっては、トイレや更衣室を利用しづらいと感じる場合がよくある」という話を聞くまで、女子トイレや更衣室を利用する時に一瞬の迷いもなく利用できている自分の恵まれた快適さに気がつかなかった。
 他にも、異性愛者である私は当たり前に日本で結婚ができた。でも、結婚を望む同性愛者の人々はいまだにその権利が奪われたままだ。
 こういったことも、恥ずかしながらこの数年で気がついた自分の特権です。

 こうやって、社会の不公平や偏見によって押しやられている立場にいる人々が、つらい中でも声をあげてくれたからこそ気がつくことのできた自分の特権性がいっぱいある。

 逆に自分自身がマイノリティの立場である時に、勇気を出してストーリーを語ったことで気がついてもらえたこともたくさんある。

 そして、今まで社会のマジョリティに踏まれてきた側の世界の話が、あまりにも語られなさすぎだったと感じます。
 重要じゃない、取るに足らないものとして扱われてきたからこそ、語るに語れなかった、という側面もあると思うのです。

 後日談。

 この出来事以来、夫は男性との会話の中などで、相手が夜道のジェンダー格差にあまり知識がなさそうな時は「多くの女性やセクシャルマイノリティの人々がいかに夜道を恐れているか」のストーリーを話したりするようになりました。

 そんな夫の姿を見るたびに、「よっ! ナイス・アライシップ!」と心で拍手をしています。

 そして、私も自分が直接困っていないイシューに対して、その快適さを当たり前だとは思わずに、困っている側の声にきちんと耳を傾け、必要とあらば一緒に声をあげていける人になろう、とシャキッとした気持ちになるのです。

 今まで語られなかった側のストーリーを、これからのわれわれは語っていこうよ。

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