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第2回

可愛くいようとするとうまく怒れない問題。

[ 更新 ] 2024.02.29
 あれは去年の春、同い年の友人の40歳のバースデーパーティーに参加した時のこと。
 おしゃれにドレスアップした参加者たちを眺めながら、ふと、「あれ、この中で前髪あるのって、もしかして私だけ?」と思ったのです。そういえばイギリスの30代~40代くらいの女性で重め前髪を作っている人ってあまりいないということに気がついた瞬間でした。オールバックとかワンレンスタイルが多い。

 「だからどうした」と思われるかもしれませんが、この日の発見がきっかけで、「私はもしかして、カワイイにへばりつこうとしている? というか、カワイイにがんじがらめになっているのでは?」と考えるようになったのです。

 イギリスの友人たちは、普段どんなにキュートなファッションをしていても、ナイトアウトでめかしこむ時は真っ赤なリップ、シャキンとしたヒール、露出ドカンなドレスアップをしたりします。ちょっと戦闘力が高そうな感じ。もし道端でキャットコールされたら「Fuck Off!」とピシャっと言えそうな感じ。

 もう10年以上もイギリスに住んでいる私はと言えば、めかしこむ時に真っ赤な口紅はぎりぎり塗れるけど、セクシーなイメージと自分を結びつけるのが苦手というのもあり、露出ドカンスタイルはなんだか抵抗があるままです。
 セクシーで強い女性よりも、できればいくつになっても可愛らしい人と言われたい。
 そんな願望が自分の中にすごくあるみたいです。

 なぜそんなに若く可愛くあることを目指すのだ。

 20代の前半くらいから、私はほぼずっと前髪ありのボブスタイルで過ごしています。
 理由は簡単。前髪のない自分の見た目がどうしてもしっくりこないのです。
 「こんな感じの自分でありたい」というルックスに一番近づける髪型が、前髪ありスタイルなのです。
 
 一般的に前髪があるほうが幼く見えると言われますよね。
 私も自分の深層心理に話しかけてみたら、「いつまでも幼い見た目の自分でいたいから、前髪を作るのだ」と答えるかもしれない。もしくは、「幼いとまでは言わないけれど、20代前半の時の己のルックスを維持するために踏ん張っているのです」と答えるかもしれない。
 でも、年齢を重ねるとともに私の顔はどんどん変わっていっている。当たり前のことだ。それは悪いことでもなんでもない。そして実を言うと40歳になったここ最近は「このヘアスタイルの自分、なんだかしっくりこない」と感じはじめてもいたのです。

 もちろん、いくつになろうが誰だって好きな髪型をしていいと思います。スーパーロングでも坊主でもピンクヘアでもグリーンヘアでも、自分がハッピーになれるなら、なんだっていいよねと常々思っています。

 けれど「いつまでも変わらない見た目」を追い求めていた私にとって、前髪ありボブのスタイルは特別に好きな髪型というわけではなく、消去法で決めたと言うか、もはや、外出前に鏡を見て「おやおや? 自分こんな顔だったっけ?」とクエスチョンマークを抱かせる犯人になっていたのかもしれない。

 だって「これを目指そう」と思う自分の見た目の理想像が、20代前半の姿で止まっているのだから、そりゃどうしたってしっくりこないですよね。

 怒っていない。淡々と話しているだけなのだ。

 そしてこれもまた最近の発見なのですが、「私は人と会話をする時に、必要以上にニコニコと笑っている」ということにも気がついたのです。会話中どころか、道で盛大に転んだ後ですらヘラヘラと笑顔を振りまいたりしている。

 イギリスに引っ越してきた時に、メディアに出る女性が常に笑顔でないことに驚いた、と前回のエッセイで書きましたが、イギリス生活の最初のころは「この人、怒っているのかな?」と思うのだけど、実は全然怒っていなくてただ単に淡々と要件を話しているだけだった、という経験をよくしました。最後にニコッと笑顔を見せられて、「あ、普通に話していただけなんだ」とようやく気がつくのです。特に女性が無表情で話している時にそう感じることが多かった。
 女の人が笑顔なく話すことに対して、どうも落ち着かない気持ちになっている自分がいたのです。

 これって日本で育った私の中に、「女性なら可愛く柔らかい雰囲気であることが大切」という感覚が根付いてしまっているということなのかも。
 成人してもなお、女性である私にとって「カワイイ」は社会からの最高の褒め言葉として使われていたように感じます。そして同時に「可愛くない女性」が冷たい目で見られるような雰囲気も感じていました。そりゃ、常にニコニコと可愛い雰囲気でいなくてはと思うようになるよね。


 カワイイとフェミニズムは相性が悪い?

 考えてみると、「可愛らしくありたい」と「自分の意見をはっきり伝えたり、きちんと怒りを表明すること」の相性ってけっこう悪い気がするのです。

 だって、可愛らしいオーラをまといつつバシバシと意見を言うことってなかなか至難のわざでは? ポリティカルだったり社会的な意見を述べたとたん、可愛らしい存在から癖のあるめんどくさい存在にスライドされてしまいそうな気がするし、もしくは、なんとか上手く可愛いイメージのままキリリと意見を述べたとしても、可愛い存在とみなされているがゆえに、その意見を100%真剣に受け止めてもらえないのでは? そんな不安も感じます。

 逆に大人の女性に対して「カワイイ」とはあまり言わないイギリスでは、バシバシと政治的な意見を言って怒りの感情も前面に出すセクシー&ビューティフルなセレブリティをよく見かけます。彼女たちを見ていると、はっきりとした物言いをしてもセクシー&ビューティフルさは減点されなくて、むしろ「意志のある女性」としてさらに美しさがアップすると捉えられているように感じます。

 だから、女性も必要なタイミングでちゃんと意見が言いやすいのでは?

 もちろん、ここで私が述べている「カワイイ」の概念はなかなか大雑把だなとも思います。
 一般的にイメージされる「カワイイ」は、可憐で幼げで無害っぽい存在。
 だけど本当は「カワイイ」には多角的な側面があって、毒も持てるしトリッキーな存在にもなれるし、イノセントと見せかけて安心させたところでズバッと核心的なことが言えたり、家父長制社会を覆うゴリゴリのマッチョイズムから遠く離れたところで優しい連帯ができたりとかもする。そもそも可愛いなと感じる人や世界にふれると、心がキラキラ楽しくなったりもする。
 実はとってもパワフルだと思うのです。

 魔女っ子アニメシリーズや少女漫画で育った私も、可愛い世界は大好きだし、ほんわかしたオーラのある人って素敵だとも思う。イギリスにいると、セクシーであることが美の最大の評価基準と捉えられている気がして、その雰囲気にたまに疲れちゃう自分もいたりします。
 何度も言うけど露出ドカンはムリなの。

 そして私はイラストレーターとしても、ピンクとか紫とかお菓子とかお花とか、そんな「カワイイ」世界を描き続けていきたいと思うのです。楽しくキュートなイラストの中で、どれだけポリティカルなメッセージを込められるのかが自分のテーマだったりもします。
 そうすることでメッセージを受け取ってもらいやすい場合があると思うし、そもそもカワイイだって十分に政治と繋がっているとも思うからです。
 平和な日々の中で可愛らしいファッションやお菓子をエンジョイできるかどうかって、政治状況に左右される。
 「カワイイ」の世界に包まれていたいなら、平和がやっぱり必要で、だから政治も大切にしないといけない。同時に「カワイイ」世界を作るために起きているかもしれない労働力の搾取などについても目をそらさずにいたい。

 「カワイイ」は奥深い。

 だからこそ、自分の手に取り戻したいのです。
 社会からずっと押し付けられていた「女性は可愛く無害でいるべき」の圧はブワッと吹き飛ばして、自分の意思で自由自在に「カワイイ」を操りたい。
 可愛いしかっこいいしクールだしフェミニストだし優しいし、みたいな人に私はなりたい。

 と、そんなかっこいい締めくくりをしようとしている私ですが、じゃあこの前髪をどうしていくかは、今日もまだ全然決まっていないのだ。

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