第301回
「あ」から始めない。
[ 更新 ] 2026.05.10
先月の楽しかった対談のゲラが送られてくる。
読みながら、当日のことをありありと思いだす。
楽しかった、ということのほかに、記憶の中にあるはずの多くの言葉が、とっさには口に出来なかった、ということも、ありありと思いだす。
そして、思いだせない時、いつも自分はその言葉が必ず「あ」から始まるものだと決めこんでいる、ということも。

例。
①「ポリフェノール」という言葉が思いだせないのだが、それはきっと「ア」から始まるはずだ、そうだ、「アントシアン」だった!
②「シンボルスカ」という詩人の名が思いだせないのだが、「ア」から始まるはず、「アイスキュロス」か?
③「屋上屋を重ねる」という表現が思いだせないのだが、「ア」から始まったような気がする、「愛及屋烏」は違うか、違うな……。
① は、いちおう共に植物に含まれる物質だけれど、間違っている。
② は、時代も国も性別も作風も、まったく間違っている。詩人だ、ということだけが共通してはいるが、でも、まったくの方向違い。
③ は、「屋」という文字が共通しているうえに、意味がかすかに呼び合うところもあるが、それでも違う。「屋上屋を重ねる」は、無駄な積み重ねをする、という意味であるし、「愛及屋烏」は、愛がきわまってしまい、相手の家の屋根の上にいるカラスまで愛してしまう、という、行きすぎた愛をあらわす言葉。行きすぎた愛が、無駄な積み重ねなのかもしれない、という意味では、多少は呼び合っているのかもしれないが。
ゲラ直しを終えてのち、「人の名前や言葉が思いだせない時は、『あ』から始めないこと」と、手帳にしっかりと書きこむ。
三月某日 晴
窓の外から、突然笛と太鼓の音が聞こえてくる。
しばらく聞き入ってから窓を開け、あたりを見回すが、誰もいない。
笛太鼓の音も、止んでいる。
春先には、こういう日が、ときどきある。

三月某日 晴
浅草で金魚屋をひらくという友だちがいるので、お祝いに羊羹を買って訪ねる。友だちはお茶を淹れてくれ、羊羹を厚く切って出してくれたが、羊羹がすぐに皿から逃げだしてしまうので、食べることができない。黄色いカナリアが、並んだ金魚の水槽の横の鳥籠の中で、ずっと鳴きつづけている。
という夢をみるが、夢の中で音が聞こえているのは、珍しい。手帳に記録しておく。
三月某日 晴
お風呂場の天井に、換気扇があることは知っていたのだけれど、その換気扇を掃除するという発想が今日までなかったことに、突然気がつく。
はずして掃除をする。
層になったほこり、というものを、生まれてはじめて見る。乾いたものや、粘度の高いものや、ふわふわしたものや、実直な感じのものを、すべて、まじまじと観察する。それぞれに名前をつけそうになるが、自分をいさめて押しとどまらせる。名前をつけたら、可愛くなってしまい、一生掃除をしないでそのまま置いておくに違いないからである。
夜、自分をいさめきれず、層になったほこりに、あらためて名前をつけ、手帳に記録する。今ごろは、どこかの暗い排水管の中を流れているだろうかれらを、遠く思いながら、就寝。

