
第291回
切干大根の呪い。
[ 更新 ] 2025.07.10
昨年、京都駅構内でおみやげを買おうと思い、うろうろしているうちに見つけた「練七味」という香辛料が、この一年ほどの間の、我が家のはやりとなっている。
ふりかける七味でもなく、柚子胡椒とも違う、なんと表現すればいいのだろう、「七味唐辛子の味のするねりねりしたもの」であり、柚子胡椒よりも味はずっとマイルドで、たとえば、かけそばなどには七味唐辛子をふりかけるのがいいが、肉や魚を焼いたものなどに七味味を加えたい時に、七味唐辛子よりも粘り腰のあるこの「練七味」をつけて食べると、いわゆる「味変」をじっくり楽しめるし、かといって柚子胡椒ほど強烈な辛味はないので、しばらく舌がしびれたまま、ということもなく、その中庸感とほんのわずかなしぶとさに、すっかりやられているのである。
小さな瓶に入っているので、すぐに消費してしまうため、何個かまとめて、製造しているお店から通信販売で買っているのだが、食べきってしまったのでまた買おうと、先々月お店のホームページを見ると、
「在庫切れ」
との表示が。
一カ月ほどすれば、ふたたび登場するかと、先月またホームページを見るも、在庫切れ状態が続行中。
今日また見ると、やはり品切れ。
しびれを切らし、類似のものがないかどうか、ネットを調べる。
いくつか見つけるも、微妙に異なるそれら——味噌が入っていたり、原料の配合が違っていたり、いやに安価だったり、いやに高価だったり——を眺めつつ、悩みまくる。
結局買う決意を固められず、ネットを閉じる。
夜中、寝つきが悪く、煩悶。鳥の夢ばかりみる。

五月某日 晴
近所の公園で、今年初の糸トンボを見る。
その細くてかそけき姿を追っているうちに、練七味についての執着が、みるみる薄まる。
何かを一つ克服した! と、いい気分で帰宅。
五月某日 雨のち曇
冬から春にかけて、野菜がたいへんに高騰していたのが、このところ少し落ち着いてきている。
野菜高騰期、買い置きの乾物にはたいへんに世話になった。使いきってしまった切干大根を補充しようと、スーパーマーケット中をさがすが、ない。店員さんに聞くと、
「入ってこないんですよ」
とのこと。なぜですか、と聞くと、
「なぜだか今年は入ってこないんです、入ってきても、ものすごく高いんです」
とのこと。
なぜだろう……。
五月某日 曇
スーパーではなく、専門の乾物屋さんまで行き、切干大根の大きめの袋を買う。高い。いつもの二倍以上の値段である。
「なぜ高いんですか」
と、ここでも聞いてみる。
「今年の冬は大根がばか高かったでしょ。大根と連動して、切干大根もいまだに値上がりしたままなのよ。ほら、今商品になってるのは、ばか高かったころの大根で作った切干大根だし」
とのこと。乾物屋さんの簡潔で要を得た説明に感動すると共に、野菜高騰に苦しんだこの冬と春のことを、しみじみ思い返す。ようやく手に入ったこの切干大根の大袋、惜しんで惜しんで使わなくては。

五月某日 晴
一週間ほどの外国旅から帰ってくる。
同居人が、ものすごく嬉しそうに、
「疲れてるでしょ。おかず、作っといたよ」
と言うので、荷ほどきをして、食卓に行くと、どっさりの切干大根の煮たものが盛られている。
「そ、それ、どうしたの?」
おののきながら聞くと、
「ちょっと多かったけど、一袋ぶん、煮つけといたよ。常備菜作っとくと、楽でしょ」
と、にこにこしている。
その一袋、いくらすると思ってるの〜、八回に分けて使う予定だったのよ〜
という、心の叫びを押し殺し、
「そっか、うん、ありがとう」
と、しおしお答える。
ただでさえいつも時差ボケがひどいのだけれど、その日から、今までなかったくらいの激しい時差ボケに。おそらく、切干大根の呪いである。