第2回
クリスマスケーキの落ち着きどころ
[ 更新 ] 2023.12.28
それらの多くは、11月から始まる一定の期間に申し込むなど多少の努力がいる。また、遠くまで足を伸ばしても、予約のケーキ優先のため、当日分はとうに売り切れということもあった。残念なのは、そうまでして手に入れたケーキは、想像を裏切らない繊細で個性的な味なのに、子どもたちにはあまりありがたみが伝わらない点である。彼らにとってクリスマスケーキはそれ以上でもそれ以下でもない。大きくて丸くてクリームたっぷりならそれでいいのだ。
そんな我が家が一周回って3年前から落ち着いているのは、デイリーヤマザキのホールケーキである。生クリームに苺がのった、ごくごくふつうの、幼い子どもにケーキを描かせたらみんなこの形になるだろうというオーソドックスなスタイル。
我が子はもうケーキを喜ぶ年齢でもないし、そもそもクリスマスは大事な誰かと過ごすので、どこかに足を伸ばしてまでこだわるほどのイベントではなくなって何年も経つ。
3年前に越してきた家の近所に、気のいいお母さんと息子さんがやっているデイリーヤマザキがある。こんな言い方は申し訳ないのだが、こだわっていない私と夫は、レジに置かれたチラシを見て買い物のついでに注文。「とってもおいしいんですよ」という息子さんの言葉に押され、いちばん小さいサイズのホールケーキにした。
当日、取りに行くと、店のお母さんから「これおまけ」と、パンまつりのお皿やら大きな保冷バッグやらクラッカーやら、ケーキの箱より大きな紙袋を手渡された。ノベルティであれ何であれ、この歳になってクリスマス当日、予期せぬ人からプレゼントをもらうというのは嬉しいものだなと気分良く帰宅した。
大きな苺は別添えで、真っ白なクリームに、息を止めるようにしてのせる。ナイフをあてると、刃が自然に沈んでしまいそうなほど柔らかい。
ワンピースずつ皿にのせて、慎重にフォークですくい一口食べたとたん、夫とほぼ同時に「おお」とか「わあ」とかいう声が漏れた。
ふわふわの倒れてしまいそうな卵味のスポンジに、コクがありすぎでも、軽すぎでも、安っぽくもない上品な風味の生クリームが口の中で溶ける。ふわっと淡雪のように消えてなくなる。なんなんだろうこれは。食べたことのないクリームの味だ。
フォークの上でゆらゆらふるえる小さな塊を、これはひょっとしたら、自分が知る今年いちばん柔らかな物体ではないかとさえ思った。スポンジは2段で、上の段の間には角切り苺と刻んだピーチが入っている。二段目の苺は甘酸っぱいプレザーブだ。ピーチは缶詰のような甘いシロップ風味。懐かしくて、気取っていなくて、でもちゃんとおいしい。しつこくない。夫がつぶやく。
「俺、来年もこれでいいや」
これで、という言い方に問題はあるが、私も同じことを考えていた。
去年も予想を裏切らない変わらぬおいしさだった。
今年の予約時に、息子さんにしみじみと感激を伝えると、「ヤマザキの中でもクリームにグレードがあって、このケーキはいちばん上等なのを使っているんですよ」。
3、4年前、料理編集者・文筆家のツレヅレハナコさんと食をテーマに対談したとき、キッコーマンの「しぼりたて生しょうゆ」について意気投合した。
彼女は、「あれは本当においしい。火入れをしていないしぼりたてを、あんなに安く提供できるのは大きなメーカーだからこそです」と絶賛した。
醤油が空気に触れない特殊な構造のボトルで、鮮度を保つ。ボトルから開発し、安価で大量生産できるのはたしかに大手だからできたこと。
食についての対談はとかく、私はこんな珍しい調味料を知っている、丁寧に作られた秘伝のあれを使っているという話にいきがちだが、今さら説明するまでもないポピュラーなブランドの、どんなスーパーにも売っている製品に、食通の彼女が注目していたことを興味深く思った。
安かろう悪かろうの時代は過ぎた。ひとつひとつ丁寧に手作りしている職人には職人の、全国どこでも同じ味のチェーン店にはチェーン店の意地と研鑽がある。
手放しで前者だけを尊いものとして絶賛しながら原稿を書いていた若い頃の自分を、今は半分懐かしくも思う。
あのときはあのときで、自分の信じるものを精一杯書いていた。ただ視野が狭く、思い込みが強すぎただけ。
この連載が公開される頃には、デイリーヤマザキのケーキを夫と食べ終えているはずだ。今年は、万一娘が家にいることも考え、ひと回り大きなサイズで予約してある。彼女が大事な人と過ごせればそれに越したことはないし、なにかあって仮にそうならなくても、ケーキだけはとびきりおいしいのがあるよと言うために。
余って、カレーのように翌日も翌々日も食べたいような、その日に3人で食べきりたいような。
私が結婚した年齢に、娘がそろそろ近づいている。