第1回
タンゴでプロポーズ
[ 更新 ] 2022.08.01
東京・神田神保町〈ミロンガ・ヌオーバ〉
ぼくが大学生の頃だったか、あがた森魚のレコード『噫無情』を家で聴いていたら、母が唐突に昔話を始めた。母は若い頃に〈紅屋(あかいや)〉という喫茶店に勤めていた。クラシックやコンチネンタル・タンゴのレコードをかける、夕張市内の喫茶店の中ではとびきり洒落た店だったという。ぼくも連れていってもらったことがある気がするが、記憶違いかもしれない。
毎晩そこに閉店間際に現れてはコーヒーを飲んで帰る客がいて、ある夜、その青年は大きな黒いケースを大事そうに抱えて席に着き、いつものようにコーヒーを注文した。そして他の客が会計を済ませて店を出ていった後に、意を決したように若き日の母にこう切り出した。
「ぼくの弾くアコーディオンを聴いてください」
彼は黒いケースからアコーディオンを取り出してタンゴを奏で始め、弾き終えると最後に「ぼくと結婚してください」と言ったそうだ。その青年とは、ぼくの父である。そして父がその時に弾いたのは「小さな喫茶店」という曲だったそうだ(あがた森魚のレコードでは「モンテカルロ喫茶店」というタイトルに変えられているが)。
あがた森魚『噫無情』1974年
母は戦前、樺太(サハリン)に渡っていた。帰国はたいへんだったというような話を、最近になってようやく断片的に聞いたのだが、ぼくが若い頃は、樺太時代の話をすることはなかった。だから、この父のプロポーズのエピソードにはとても驚いた。「小さな喫茶店」とともに父がプロポーズしなければ、ぼくはこの世にいなかったのだ。
小さな喫茶店は1928年にフレッド・レイモンドが、ヴァイマル共和政下のベルリンで作曲したものだそうだ。
「小さな喫茶店にはいった時も二人は/お茶とお菓子を前にしてひと言もしゃべらぬ/そばでラジオがあまい歌をやさしくうたってたが/二人はただだまってむきあっていたっけね」
父が生前にうたを歌うところは見たことがないから、プロポーズの時もただアコーディオンを弾いたのだと思う。でも、きっと父の演奏を聴きながら、当時、ヒットしていたというこの日本語の歌詞を、母は頭に思い浮かべていたのだろう。
ほら、やっぱりコーヒーブレイクは大切ですね。