プロローグ
私は料理が下手だ。ビギナー向け大人気料理本『作ってあげたい彼ごはん』(SHIORI著、宝島社)のレシピですら恋人との関係を悪化させたほどの腕の持ち主だ。桃にナイフを当てればグチャグチャに。チーズはたちまち丸焦げに。ゴムベラで野菜を炒めるうちにヘラのサイズが2分の1になっていたこともある。なんて有害、私が台所に立てば誰かが傷つく悪循環。自分の手で美味しいものをこしらえるなんて夢のまた夢。だから私は外食する。夢はお金で買うものだ。そう思って生きてきた人生がわりと長く続いた26歳の秋、私はキッチンの前で立ちすくんでいる。
ずっと料理をしてこなかった。小さい頃、母とキッチンに立った記憶が無いわけではないが、習慣にはならなかった。中学3年生でアメリカに留学してからますますキッチンは遠のいて、寮生活の嘘みたいにマズいカレー(腐りかけの野菜が煮込まれているから食べてはダメ、と保健室のナースに忠告された)や偽物のOYAKODON(スクランブルエッグにセロリと鶏肉を和えてソイソースをかけたもの)に辟易し、ピザとフライドポテトばかり食べて10キロ増量した。日本に帰国して大学生になる頃には外食のファンタジーに目覚めてしまい、誰かと一緒だろうが一人だろうがとにかく毎日外でごはんを食べた。そんな日々を記したブログが本になって、食べ歩きが趣味のような仕事になってしまった社会人生活で、なおさらキッチンは影を潜め、自炊は遠きにありて思ふものになってしまった。
「料理もされるんですか?」。その質問を初対面の会話で投げかけられると、途端に私は小さくなる。お願いだから、それを聞くな。今まで何度そう思ったかわからない。さっきまであの店があのシェフが、とぺらぺらグルメトークを繰り広げた勢いはいずこ、たちまち歯切れが悪くなって「まあパスタ茹でたりとか・・・します・・・けど・・・」と言い淀む。「食べる方が楽しいんです」。そんな風に言い切ってしまうこともある。「なかなか、忙しくて」。それも嘘ではない。でも、「とにかく料理が下手なんです」。これが私の真実だ。自炊が私の盲点だ。台所に立っても惨憺たる結果しか得られないこと。食べるばかりで作れないこと。受け取るばかりで与えられないこと。とにかく早くこの話題が終わってほしいこと。
そんな自分を変えたいと思ったきっかけはいろいろある。最近、発酵文化に関する仕事をするようになってハイグレードな味噌や醤油がキッチンに押し寄せたり(未開封状態が長く続いたが)、知り合いの料理家さんのお宅でごはんをいただく機会が増えたり(もてなされるばかりで何もできない自分を憂う契機となった)。それからまあなんというか、ライフステージの変化だったり。
こうして気づけば遠くにいたはずの自炊が至近距離までやってきて、今、私の隣にそっと座って「なあ、やってみないか」と、おたまを手渡してくれている。私はそれをしかと受け取って、キッチンに向き合ってみることにした。勇気を持って、ホームクッキングに突撃するのである。痛い目にも遭うだろうがきっと大丈夫。あまりに底辺なので伸びしろしかないからだ。0点を取ったのび太をドラえもんもこう励ましていた。「でも、これ以上下がることはないじゃない」。
『底辺料理記』は、底辺料理人・平野紗季子が、自らの手で味わいを獲得するまでの日々の記録だ。私の人生に現れた食の世界の新大陸。その冒険の過程で何を得て何を失うのか。今はまだわからないが、たくさん作りたくさん食べながら、発見も挫折も重ねながら、恥も本性も晒しながら、違った自分に出会っていけるといい。そしていつかこの道の先で、いい感じのホームパーティーを開きたい。