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第5話

守り人

[ 更新 ] 2023.11.20
 眠れない夜は、ここに来るといいですよ。
 ええ、わたくし以外、誰もおりません。この遊園地も眠っていますし、わたくしは守衛ではありませんからね、時間外だの入園料だのと小煩こうるさいことは申しませんよ。
 ただ、危ないですから遊具には触れないでくださいね。遊具といっても公園の鉄棒や滑り台とはわけが違いますから。そう、遊具を囲む柵の中には入らないようお願い申し上げます。お静かに園内を散歩されるだけなら、時折訪れる野良猫のようなものだと目をつぶって差し上げます。
 肝試しかなにかなのでしょうか、若者たちが入り込むこともありますが、わたくしが話しかけると、それはもうすごい声をあげて逃げていきますね。騒々しいのは困ります。
 あなたのような人は稀にいらっしゃいますね。目の下にくまをおつくりになって、眠りたいのに眠れない方が。いいのですよ、そういう晩はここで過ごしても。音楽は流れていませんが、月明かりの遊園地も美しいものでしょう。
 わたくし?
 わたくしは……そうですね、便利屋とでも申しましょうか。この遊園地は、わたくしと同じで年寄りですからね、あちこちガタがきていましてね。もちろん、安全面は保証されております。専門の整備士の方が点検されていますから。でなくては、人をね、回したり、落としたり、なんてできないでしょう。
 申し訳ありません、つい恐ろしい言い方をしてしまって。実はわたくし自身が苦手なのです。どの遊具も、わたくしにとっては怪獣の背に乗るようなものでして。ここのジェットコースターは木造の、ささやかなものですが、それでも非常な速さで走りますからね、わたくしは若い時分に乗って腰が立たなくなりまして、それっきりですよ。ええ、臆病者なのです。なので、話を変えましょう。知っています? ジェットコースターは炭鉱車から発案されたそうで、ですから待合にツルハシやシャベルなんかが飾ってあるのですよ。あれ、わたくしの発案です。
 そんなように細々としたことをやっております。回転木馬の耳が取れればくっつけて、ティーカップの縁が擦り減ればヤスリをかけてペンキを塗りなおす。チケット売場の看板を作ったのもわたくしですね。電球替えも、柵の補強も、園のことならなんでも致します。
 園の者は「営繕えいぜんさん」と呼んでくれますが、建築などかじってもいませんからね、そんな大層な者ではありません。わたくしの前任者は、「営繕さん、営繕さん」と呼ばれる度に「俺がいなきゃなんもならねえのよ」と鼻を膨らませておりましたが、わたくしは修理に呼ばれることは恥だと思っております。
 ここは小さいなりに夢の場所ですから。ほころびがあってはなりません。直しているところをお客様に見られてもいけません。誰かに気付かれる前に直す。遊具に付着した手垢や機械油を拭き取り、塗料が剥げかけた箇所に色を施し、常に新品のように整えます。特に、中央のシノワズリ風の東屋あずまや 、あそこがなんとも手がかかります。彫りの入った支柱も、天井近くのステンドグラスも、たびたび手を入れていますが、そうと悟られないように古いものと色を合わせるのが、なかなか骨が折れるのです。特にこんな夜では。小さな違和感がここでは命取りなのです。お客様を夢から覚めさせてしまいます。
 浮きかけた床板を張り替え、歩道のひびをモルタルで埋めるのも大切な仕事ですね。小さなお子様がつまずくといけませんから。小さい人の目線で園内をぐるりと見まわるのも忘れてはなりません。するとね、掃除の者が見落とした物にも気付けるのですよ。人形の靴とか、ビーズを連ねた指輪とかね。ああ、そうですか、あなたも子供の頃に落とし物をされましたか。虹色のビー玉ですか。見つかったでしょう? ええ、それは良かった。ビー玉は何個も拾った覚えがありますからね。
 ここでは、誰もが日常の心配事を忘れて、楽しんでいただきたいのです。ですから、わたくしは影でいたい。日暮れ前、夕陽で笑顔を輝かせて帰っていくお客様と入れ違いに園に入ります。ずだ袋一杯に工具を詰めていても、誰もわたくしには気付きません。お客様の目にはわたくしの姿は映りません。そう心がけておりますから。最近は園の者にも声をかけられなくなりました。
 人がいなくなった園は静かです。掃除は行き届いているので、ポップコーン一粒たりとも落ちていません。わたくしは園をくまなく歩き、遊具のひとつひとつに手を触れます。遊具からは砂糖が焦げたような甘い香りがします。傷んだ場所を直していると、かすかに人々の歓声が聞こえます。遊具に残る記憶でしょうか。ぱちぱちと火花のように夜闇に散ります。それが、なんとも良いものでしてね、遊具たちが愛おしくなります。
 昼間は人を乗せ意気揚々と回ったり走ったりする遊具たちですが、夜はひどく従順にわたくしに身を委ねます。自分で自分を直せない彼らは、わたくしの手が頼りなのです。昼の遊園地を楽しむことができないわたくしですが、夜は誰より彼らと親しくなります。少しでも長く、彼らの時間を止められたらいいのですが。
 もう止まっている? どういうことでしょうか。
 とっくの昔に廃園になっている、ですって? まさか、冗談を言ってはいけません。回転木馬もティーカップも観覧車もまだまだ動きますよ。ジェットコースターも回転ブランコも元気いっぱいです。東屋のベンチもきしむものはひとつもありません。遊具が皆、月の光を吸ったように輝いているのが見えるでしょう。わたくしが毎夜、磨き上げていますから。
 遊園地を囲むフェンスがつただらけ、ですって? 鉄条網もすっかりびているのですか。申し訳ありません。わたくしは外のことは存じ上げませんので。
 もう、ずっと前からここに居るものですから。この夜の遊園地に。
 いつから? そういえば、いつからここにいるのでしょう。
 ずっと、ずっと、昔からということはわかるのですが、不思議ですね、日付が思いだせません。園の夜は果てしなく長いものでして。
 はて、最後に太陽を見たのはいつだったでしょうか。



*本連載に書き下ろしを加えた単行本を2024年秋に刊行予定です。
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