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第八章 空港──不幸な死すべき者ども

[ 更新 ] 2022.05.02
俺が俺であるために
俺が俺になるために
俺が俺でなくなるために
俺にできることはなんなのか
仕事が欲しい 生まれてきたからには
これが仕事だと言えるような何かがあるはずだ
それを天職と名づけるならば
俺に天から与えられた仕事とはなんなのか
書くことでも読むことでも学ぶことでもない何か
書かせ読ませ学ばせ、願わくは思い知らしめる
そういうことのできる何かだ
何かってなんだ
行動だろう行為だろう働くということだろう
なんのために でもなく
誰のために でもなく
それなのに 誰のためでもある仕事
誰もやったことがない
だからこそ誰かがやらなくてはならない
俺は俺を残したいのではない
俺は俺の仕事を残したい
人生とは一瞬の生に過ぎない
その一瞬に俺は賭ける
そこに天から与えられた仕事を残せるならば
そこが俺の死に場所だ
そこで仕事をして俺は死ぬ
生まれてきたからには 生まれてきたからこそ
詩よ残れ死よ残れ志よ残れ
──『カイエ──名も無い革命家の残した断章』より


 一九七二年五月二十三日。
 渡良瀬千尋と岡部洋三は、決死部隊から離脱していた丸茂淳に見送られて、ベイルート空港を飛び立った。
 安元友也は、これよりも前に出国していた。
 「先に行って、オリオンの三つ星になって待っている。あとから来いよ」
 と、岡部は丸茂に別れの言葉を告げた。
 千尋と岡部はパリ経由で、フランクフルトへと向かった。
 予定通り、フランクフルトで安元友也と合流すると、三人は鉄道を使ってローマへと向かった。彼らはフランクフルトで、PFLPのある人物から、偽造パスポートを手渡されている。
 スイス経由でミラノへ、ミラノで乗り換えてローマへ。
 列車がローマに到着したのは、二十四日の夜だった。
 駅からタクシーに乗ってホテルを探し、空き部屋のあったアングロ・アメリカーノ・ホテルに二泊した。
 二十六日に別のホテル、ペンシオーネ・スカリーゲラに移動し、ここで四泊した。
 ローマで過ごした六日間。
 三人は、まるで日本から訪れた無邪気な観光客のように、バチカン市国を訪ねたり、観光バスでローマ市内を巡るツアーに参加したりした。
 千尋が空のトランクを携えて、ひとりで外出したのは、二十九日のことだった。
 数時間後、千尋は、ずしりと重いトランクと共に戻ってきた。千尋はこのトランクを部屋であけて、中身をふたりに見せたりすることもなく、そのままクローゼットの奥に収めた。それがゲリラの仕事のやり方であるということを、彼は学んでいたからだ。武器を手に取ったり、検分したりしているときの、万が一の暴発ぼうはつ事故などを避けるためである。
 この日、ベイルートのアパートで、沢開風里は、千尋からの手紙を受け取っている。消印はローマで押されていた。

この手紙をあなたが読んでいる頃には、われわれはあの世へ向かってひた走っていることでしょう。作戦は何もかも、スムーズに進んでいます。ローマは静かで、穏やかです。美しい五月の陽射しが降り注いでいます。ここは平和です。いえ、平和を装っているのです。この数日間、時の流れが止まったかのようでもあり、反面、一瞬にして流れ去ったようでもあります。僕のやるべき仕事を、天職を見つけるきっかけを与えてくれたあなたに感謝しています。われわれには失敗はありません。だから悲しまないでください。あの世でも革命をやりましょう。僕らは先に行って、そこであなたを待っています。きっと来いよ。どんなに遅くなってもいいから(なるべく遅く、と願う気持ちもありますが)必ず来いよ。また会おう。ローマの大聖堂の窓辺にて。千の海

 作戦決行当日の三十日、彼らはトランクをあけて武器を確認し、点検し、分配した。
 六つあった弾倉は、各自に二個ずつ。弾倉に装塡した弾丸は、三十発ずつ。
 千尋と安元は、武器を収めたトランクの、すきまを埋めるためのタオルなどを買いに町に出た。昼ごろ、散歩から戻ってきた岡部が確認した、彼の旅行鞄には、クラシンコフ自動小銃と、二個の手榴弾が入っていた。
 安元は、岡部に言った。
 「あとは、機械のようにやるだけやな。地獄へ向かってひとっ走りや」
 千尋は寡黙で、武器の点検に余念がなかった。
 午後三時過ぎ、三人はタクシーに乗って、ホテルからレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ向かった。
 空港に着くと、チェックインカウンターで、武器の入ったトランクを預けた。
 当時は金属探知機すら置かれておらず、それらは、ベルトコンベアーに乗って、するすると進み、機内に運び込まれていった。
 預けた手荷物に武器を忍ばせておき、到着した空港で乱射に及ぶなど、前例もなく、もとより人々の想像の域を超えており、誰も事態を予想することはできなかった。これは、日本人三人が世界で初めて起こした、空港無差別テロ事件だったのである。
 渡良瀬千尋は当時、二十七歳、安元友也と岡部洋三は二十五歳だった。


 虚偽の片鱗すらない真なるものは、知性では確定できない。かかる存在じたいが矛盾である。したがって信仰の神秘は存在する。
 同様に、悪の片鱗すらない善を欲することはできない。
 善と悪の客体的な相関性リエゾンは他に帰することができない。主体的な相関性であれば、追求する善と、この追求が要請する行動や遂行に必然的にむすびつく条件と結果に付随する悪との相関性を、はっきりと構想することで、意向をもっぱら善にのみ方向づけられよう。
 ただ善のみを願うならば、照射された事物を闇にむすびつけるように、真の善を悪にむすびつける法則に逆らう。そして世界の普遍的法則に逆らうならば、不可避的に不幸のなかに落ちこんでしまう。
 あらゆる善は悪に貼りついているので、善を望み、善に対応する悪を周囲に拡散させたくないならば、悪を避けることができぬ以上、悪を自分の身に集中させるしかない。
 したがって、完全に純粋で可能なかぎり最大の善を欲するとは、おのれの身に最悪の不幸をひきうけることを含意する。これが十字架である。
──『ヴェイユの言葉』より
 
 荷物を預けたあと、三人は、搭乗ロビーへと向かった。
 搭乗まで少し時間があったので、自動販売機でオレンジジュースを買い求め、飲みながら、三人で他愛ない世間話をした。
 千尋は岡部に言った。
 「おまえ、好きな子、おるんか」
 岡部はにやりと笑って、
 「さっちゃん」
 と答えた。
 「誰やそれは」
 「大学時代の彼女」
 「なんや、そんなもん、おったんか」
 「はい」
 「生意気やで」
 そばでふたりの会話を聞いていた安元が声を上げて笑った。
 「俺は小川知子がええな。越路吹雪もええけどな」
 安元がそう言うと、千尋は鼻先でふふんと笑った。
 「彼女がおるんか、おらんかの話やで、これは」
 搭乗が始まると、三人の余裕と笑顔は、ブラックホールに吸い込まれるようにして消えた。
 彼らの座席は機内の後方部にあり、千尋と岡部が隣同士に、安元はふたりのすぐ前の席に座った。やがて、機内食が出た。千尋と安元の最後の晩餐となった。
 機内では、彼らは無言だった。
 窓の外は暗く、何も見えなかった。眼下にあるはずの海も、無限に広がっているはずの空も、白い雲でさえ、ただの闇に過ぎない。不幸な死すべき者たちにとって、風景は最早この世のものではなかった。
 三人を乗せたエール・フランス機はローマを飛び立ち、午後十時過ぎに、テルアビブ空港に到着した。
 最初に入国手続きを済ませて、手荷物受け取りロビーに出たのは、岡部だった。
 岡部は、手荷物が出てくるまでの待ち時間に洗面所へ行き、パスポートを引き裂いて、トイレに流した。続いて、千尋と安元も手荷物受け取りロビーに姿を現し、彼らも同様に洗面所でパスポートを捨てた。
 合流した三人は、短い打ち合わせをした。
 イスラエル航空機が空港ビルの近くに駐機されているのを目にした千尋が急きょ、当初の計画には含まれていなかった、飛行機の爆破を作戦に加えたためだった。
 「おまえがやれ。あれに手榴弾を投げろ」
 この爆破作戦の実行者として、千尋は岡部を指名した。
 その後、三人は出てきた手荷物を順次、受け取り、トランクをあけ、銃に弾倉を装着し、手榴弾二個をズボンの両方のポケットに押し込んだ。
 千尋はふと、不安を感じた。迷い、だったのかもしれない。
 不安あるいは迷いと呼んでいい種類の感情なのかどうか、千尋にはわからなかったけれど、あたりを見回してみると、そこには、武装したイスラエルの警備兵などひとりもいないではないか。つまり、自分たちが標的としているはずの「敵」の姿がない。このような場所で、われわれの仕事は、完遂できるのだろうか。
 次の瞬間、安元の声を耳にして、千尋は我に返った。
 「ほんじゃあ、行ってくるわ」
 銃の安全装置を外し、引き金に指をかけた安元はそう言うと、くぐり抜けてきたばかりの入国審査所に向かって走っていった。
 安元が銃を撃ち始めると、岡部も撃った。入国審査所を抜けて出てくる乗客たちに向けて。決して狙いを定めたわけではない。無節操に、無差別に撃った。
 千尋も撃った。税関の警備員詰所に向かって。それから、到着ロビーと警備員詰所を仕切っているガラスの扉を撃った。
 あわてふためき、逃げ惑っている人々の群れの、前の方に弾が飛ぶと、人々は仰向けに、将棋倒しのように倒れて、うしろへ、そのまたうしろへと、波のように崩れ落ちていく。その波に向かって、彼らは撃ちまくった。そして、最後の仕上げをするかのようにして、安元と千尋は手榴弾を投げた。
 侵略国家であるイスラエルの空港を利用している者たちは、すなわち、殺戮されるべき敵である、革命のために倒すべき存在である、というPFLPの理屈を、血の海のなかで彼らは、信じていたのだろうか。
 到着ロビーにいた人々がほとんど倒れてしまったのを見届けると、岡部はビルの外に飛び出した。千尋の命令に従い、イスラエル機に向かって、手榴弾を投げるために。
 岡部は投げた。しかし二個とも不発だった。岡部は捕らえられた。安元は自身の顔を破壊して自死し、千尋は銃弾を全身に浴びて倒れた。岡部だけが生き残った。彼は三つ星のひとつになれなかった。それは千尋が望んでいたことだったのだろうか。


 お父さん、お母さん
 日頃のご無沙汰と、親不孝をお許しください。
 今、ローマに滞在しています。これから大きな仕事に挑みます。日本を出てきた時から、生きて祖国の土を踏むことはないだろうと覚悟を決めておりました。
 これまで、好き放題にさせてくださったことに、ただただ感謝の気持ちで胸をいっぱいにしています。本当は、生きている時にお目にかかって、具体的な言葉でおふたりにお礼を述べたかったのですが、それが許されないことになった今、ここに感謝の気持ちを綴っておきたいと思い、ペンをとりました。
 われわれ革命家は、不幸な死すべき者たちではありません。幸福の絶頂にあって、死する者であると言えるでしょう。僕にとって、高潔な思想のために命を投げ出すことは苦しみではなく、それどころか、それはまばゆいばかりの光に包まれた、己の仕事を成し遂げる喜びに他なりません。
 ただ、あなたたちの嘆きと悲しみだけが無念です。
 ヴェトナムで、世界のあちこちで、革命のために命を捧げようとしている同志たちがいます。弱者が住みやすい、真の意味での平和で平等な世界を創り上げていくためには、革命兵士の献身と犠牲は避けられないものです。僕もまたそのひとりであったとご理解ください。僕らの流した血、それだけが価値のある社会を生み出すことのできる正当な武器なのです。
 あなたたちと同様に、涙を流す人々は、世界各地にいるでしょう。あなたたちはそのような多くの方々のひとりである、ということを忘れないでください。
 これまでのこと、すべてに感謝しています。
 ローマの空は青く澄み切っています。風は甘い花の香りを運んできます。街には光と笑顔があふれています。おそらく海もまた穏やかに、凪いでいることでしょう。まるでわれわれを祝福しているかのように。このような場所から旅立っていけることを、光栄で、幸せなことだと感じています。
 この仕事を完遂したら、まっさきに、おふたりのもとへ戻ります。
 ありがとうございました。
 どうかお元気で。
 では、行ってきます。
 
 1972年5月29日。ローマにて
千尋



 記者は走った。
 暗闇の中を全力疾走で。
 あのビルの中で、何かが起こっている。
 今までに目にしたことのないような何かが。
 二十八歳の新聞記者の暮らすアパートメントに通報があったのは、午後十時五十分。
「大変なことが起こっている! ただちに空港へ行け」
 通報者は叫ぶようにそう言うと、電話を切ってしまった。
 会社の上司だったのか、同僚だったのか、それとも、どこかで連絡先を交換し合った知人なのか、電話回線の調子が悪くて、確かめることもできなかった。相手がそれ以上、話すことのできない状況に置かれているのは、火を見るよりも明らかだった。
 記者は部屋を飛び出した。
 市内のアパートメントから空港までは、高速道路に乗って十八キロほど。
 走行中、彼は数え切れないほどの救急車とすれ違った。空港内で大事故が起こったに違いないと思った。
 着陸に失敗した飛行機が炎上したのか?
 それとも、墜落?
 空港まであと一キロほど、という地点で、道路は封鎖され、彼の車は停車を命じられた。警察官ではなくて、物々しい国境警備隊員たちの姿が見える。
 彼はそこで車を乗り捨てた。あとは自分の足で走っていくしかない。
 空港ビルの近くまでたどり着いたとき、腕時計の針は、十一時半を指していた。通報から、四十分ほどが経過している。泣き叫ぶ人、逃げ惑う人、呆然としている人、右往左往している報道陣、なんとかして、人々の流れをコントロールしようとしている警察官。あたりは騒然としている。
 人々をかき分けて進んでいるさなかに、記者はひとりの男に追いついた。五、六歳くらいの子どもを連れている。
「あなたはなぜ、ビルに向かっているのか?」
 と、記者はたずねてみた。
 ふたりは、空港ビルから逃げようとしている多数の人たちとは逆方向を目指していたからだ。
「空港へ、ロンドンからもどってくる予定の私の母を迎えに来た。夢中でここまで逃げてきたが、母の安否を確かめるために、引き返している」
 記者はさらに問いかけた。
「あなたはなぜ、夢中で逃げてきたんだ? あそこで、何があった?」
「私たちはついさっき、死から、わずか一メートルのところにいた」
 記者にはその言葉の意味がわからなかった。
 問い詰めるように、彼は言った。
「もっと、わかるように話してくれないか」
 はっと我に返って、男は記者の顔をまじまじと見た。そうか、こいつは何も知らないんだな。そんな表情が見て取れる。
「つまり、われわれは日本人から一メートルしか離れていないところに立っていた。そういうことだ。ああ、本当に、なんてことが起こったんだ!」
 日本人?
 この仕事をするようになって以来、記者が現場で「日本人」という単語を耳にしたのは、それが初めてのことだった。
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