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第4回

電線分類考――南国系・ツタ系・屋根系etc.

[ 更新 ] 2021.09.22
 日がな電線を見上げていると、夢の中にも電線が出てくる。眠りから覚めたあと、まぶたを閉じればまだおぼろげに、撮ったはずの電線の像が見える。現実で現像できないのが悔しい。

 電柱に架かっている電線の中で一番地面に近く、細く、比較的ぱらぱらとした感じに布設されやすいのが通信線だ。
 通信線は「余長」という、一度布設された後でも伸ばせる余地を持たせられることがしばしばある。この余長はよく丸められていて(電気工事士の方の間では「巻きだめ」と呼ばれることもあるらしい)、さながら電柱の上にヤシの実が実ったようになっている。
 私はこの余長が丸められている様子を「南国」と名付けて愛でている。先述した通り、丸まった電線がヤシの実っぽいからでもあるけれど、電線が丸まっていることに初めて気付いたのがベトナムだったのも由来だ。それからというもの、私は丸められた形の電線を見ると、ひっそりと南国の生暖かい風を思い浮かべるようになった。


ベトナムで初めて「南国」の存在に気づいて撮った写真(2014年撮影)。巻いた輪の直径にばらつきがあり、素朴さと元気さを感じる。

 けさ、私は丸められた「南国」系の電線をフレームがわりにして、遠くの雪山に建つラブホテルのネオンがけぶって見えるファンシーな写真を撮った。雪山、ネオン、南国。今日もまた夢だった。片想いの相手といい感じになって、起きてから「夢か……」となるあの感じは、相手が電線であっても起こりうる。

 電線の形の違いには合理的な理由があり、それは布設方法の違いでもある。
 そもそも建物や看板と電線の距離、地面から電線までの高さ、配電線同士の距離などには「電気設備の技術基準」というルールがあり、国内の電線たちはおしなべてこのルールに則って取り付けられている。
 だから基本的には、国内どこであっても電線の見た目や機能に大きな違いはない。はずなのに、見れば見るほど味わい深く、個性がにじみ出るのが電線の魅力だ。

 電線は、機能の追求の結果がそのまま形となっている。しかもその形は橋や道路など一度完成したら長期間不変のものとは違い、街の新陳代謝とともに変化する。電線はその時々の状態を楽しめる稀有なインフラなのだ。
 そして、街の電線はどれも「送電」を目的として取り付けられているので、「この一帯の電線は野に咲く花をイメージして布設しました」とか「電線の描く曲線によって親しみやすさを表現しています」というように、美しさを優先してデザインされたものではない。

 国内で脈々と受け継がれてきた民藝品は、機能の中にこそ美しさが宿るという。
 街中で見かける電線の美しさには、民藝とも通じるところがあるのではないかと思っている。電線はどれも規格をくぐり抜けた工業製品なので、機能面に違いはあれど、電線それ自体にパッと見て分かる違いはあまりない。まず細長い線の形をしていて、被覆の色は紫外線による劣化を防ぐためにたいてい黒やグレーの色をしている。
 そうした電線は、どれも電気工事士さんの手で布設される。電線の形の個性は、この布設の過程で生まれるのだ。街中の電線には電気工事士さんの作家性というか、手仕事らしい個性や人間味がにじみ出ている。
 この魅力をより味わうためには、布設の形により分類するのが手っ取り早い。

・南国系
 まず、先に紹介した南国系は設置した職人さんの手仕事の違いが一番に出る形だ。
 布設して余ってしまった電線(余長)を、きっちりと正円に近づけて巻くか、ざっくりと巻くか、あるいはリボン形など独自の巻き方で収めるかにはその人の性格がにじみ出るような気がしている。
 子犬の目、りんご、赤ちゃん、丸いものはかわいいと言われている。特にそれが無機質なイメージを持つ電線なら、ヤンキーが雨に濡れた子犬を拾ったときのような意外性も相まってさらにかわいらしさが引き立つはずだ。
 なにより、南国系は見つけやすい。街をぶらぶら歩いていて一番サクッと遭遇できるのが南国系だろう。



きっちり正円に近い「南国系」。以前、「有吉反省会」の禊(みそぎ)としてケーブルの8の字巻きに挑戦したことがあるが、ケーブルをきれいに巻くのは見た目以上に難易度が高い。


南国系の亜種。かなり自由だが、これはこれで味わいがある。ケーブルに巻きぐせが付いているので、布設されてから何かの拍子に円形から自由形になってしまったのだろうか。美術館にあったら「ほーん」と言いながら眺めてしまいそうないい形。

・ツタ系
 電線にツタなどの植物が巻きついた形のものを「ツタ系」と呼んでいる。
 ツタ系、もとい電線と共生する植物は、季節によって花を咲かせたり紅葉したりする。頑丈な工業製品である電線と、移ろいゆく四季を一緒に楽しめるのが素晴らしい。「電線なんか見ても季節感がない」と思ったことのある人がどれほどいるのか分からないけれど、季節は良い人にも悪い人にも、電線にも等しく巡るということだ。
 枯れて細くなったツタは、細い電線のように堅いくねり方をしていて、電線と植物は兄弟っぽいなあと思うとまた味わい深い。


代々木で遭遇した「ツタ系」。花も咲いていてかわいい。

・空中木立
 電線と植物の組み合わせでも、「空中木立」はよりレア度が高い。
 電線に接触した街路樹などが、長い時間をかけて電線を巻き込み、一体化することがある。どちらがロミオでどちらがジュリエットかは分からないけれど、工業製品と街路樹という、人によって設置されたものが種を超えて合体している様子には、なんとなく愛めいたものを感じる。でもあくまでそこに愛はない。ただ私にはそう見えて、もしかすると私にしかそう見えていないかもしれないと思うとより興奮するのだ。
 ただ、葉が繁っている状態では、周りから見ることはできない。なんらかの理由で木の方が切られ、木と電線の共生が終わって初めて、私たちは空中木立を見ることができる。頭上の電線に切り株がぶら下がっている光景はシュールで面白いだけでなく、ちょっと切ない遺構でもあるのだ。


かなりレア度が高い「空中木立」。1年以上このままだったが、ある日見に行ったらなくなっていた。袖振りあうもいい電線。

・光学迷彩
 建物と配電線の引き込み部分に布設された屋側配線は、漫画・アニメシリーズ『攻殻機動隊』に出てくる「光学迷彩」を使ったように周りの環境にすっと溶け込んでいる。
 光学迷彩とは、背後の景色を投影することで対象物をカモフラージュする技術のことだ。
 被膜された電線を「絶縁電線」と呼ぶが、壁と同じ色のペンキで塗られた光学迷彩の電線は、一見すると絶縁電線とは思えない。外側を塗り固めて擬態し、周囲に馴染もうとする佇まいはいじらしいし、親近感がある。すべすべの被覆がペンキによって厚みを増した風合いになっているのも面白い。ものによっては経年変化も楽しめる。


周囲の壁に擬態して馴染もうとする「光学迷彩」。ペンキのでこぼこした質感も、光学迷彩を使って背景に溶け込むあの一瞬を思い出させる。

・デコ系
 でこぼこした電線のヒューズや、大きな経年変化の見られる光学迷彩でも特に、「デコってる」と感じたものを「デコ系」と呼んでいる。Decorative(装飾的な)という言葉から派生して、ギャルの間で流行っていた「デコ電」(携帯電話にキラキラしたアクリルなどを貼って派手に飾り立てること)と、物理的にでこぼこしているところからふんわりと想起し、一番感覚的に決めているのが「デコ系」である。鳥除けのギザギザ(“鳥チク”と呼ぶとポップ)などもここに分類できるなと、いま書きながら気付いた。


「デコ系」の一例、電線を覆う鳥除けのパンクなギザギザ。こういった鳥除けには「トリケード」や「トリパス」などちょっと気になる商品名が付けられている。

・屋根系
 電線が通りを屋根のように覆って見える様子を「屋根系」と呼んでいる。
「電線や電柱が景観の邪魔になっている」と槍玉に挙げられるニュースで使われている写真に写っているのは、たいていが私にとって「屋根系」に分類される電線だ。
 以前は、「身長161cmの私が両手を広げ、仁王立ちになり、左右に揺れたときなんとなくちょうどいい狭さを感じるくらいの幅」の路地を撮影すると屋根系が撮れると思っていたけれど、カメラのズーム機能によってどうにでも撮れることに気付いた。
 電線そのものというよりは、電線の撮り方の一つに「屋根系」があるというのが正しい。


路地を覆いつくす「屋根系」。顕微鏡で見る繊維のように、細い線がみっしりしている。

 分類の楽しさは、観察による形の発見と名付けにある。
 南国系や光学迷彩など、布設のルールを知らなかったからこそ観察によって形の違いが際立って見え、謎めいた存在として輝いて見えた。一粒で二度美味しい。
 何も知らないところから観察し、自分で気になるところを見つけ、後からひとつひとつに技術的な理由があると知るのはとても面白い。仕事や試験のためなど、知識を土台にして形を見ることは対象の真実に向かう近道で、私がやっている分類はどこまでもマイペースな迂回路だ。知識が後から追いかけてきても間に合うのが自由研究の楽しみなのである。
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