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第1回

フェミニストなんかじゃない、と思っていたよ。

[ 更新 ] 2024.01.30
 はじめまして。クラーク志織と申します。イラストレーターをしています。
 さらにここ数年はフェミニズムや気候危機などに関するエッセイをイラスト付きで雑誌などに書いたりもしています。自分の文章に自分のイラストが組み合わさる瞬間が好きです。

 日々自分のイラストや文章を通してフェミニズムメッセージを発信している私ですが、でも、正直に言うと、本当は長い間フェミニストに対して「うるさくてクレーマーぽくて感情的でダサい人々」のようなずいぶんとひどい印象を抱いていました。例えば、もし10代後半~20代前半の自分に「あなたはフェミニストですか?」と質問をしたら「まさか! 違います」と全力で答えていただろうなと思うほどに……。

 いったいぜんたいあの頃の自分の脳内はどうなっていたのだろう。ちょっと思い出してみることにします。

 そもそもですが、フェミニズムを否定していた時期、私はフェミニズムに関する知識がゼロでした。学校の授業で習った記憶もないし、関連する本を読んだこともない、憧れのスターが口にしているのを聞いたこともなかったし、女性誌やカルチャー誌で特集されているのを見たこともなかった。「男性中心の今の社会ってどう思う?」などの議論が友人の間で起きることもぜんぜんなかった。
 それどころか私が育った1990年代~2000年代初め頃の日本社会は、「女性の権利」みたいな話をした途端、ヒステリックだと馬鹿にされたり笑いものにされるような、物言う女性に対してとても冷笑的な雰囲気があった気がします。
 だから私も「よく知らないけれど、とりあえず口にしないほうが良さそう」と、フェミニズムというワードをまるで禁句のように感じていました。ひとたびその言葉を口にしたらとたんに「ヤバい人」認定されるのでは、なんていう恐れがあったのです。

 今思うと、フェミニストに対するこういった負のイメージは、男性中心社会が作り出した女性蔑視的な価値観からくるものなんだとわかります。
 それはなかなか大きな悪意の塊。

 美大で感じた男性中心の価値観。

 2000年代初期に東京の美大に通っていたのですが、授業で習うようなアーティストも映画監督も文学者も哲学者も革命家も誰もかもほぼみんな男性だった。天才ともてはやされる人のほとんどは男性。女性はその天才のミューズだったりと主体性のない添え物的な立場(しかも若い時限定)であることが多かった。
 男性が作り上げるカルチャーこそが知的でかっこいいのだみたいな雰囲気もあり、私もいつの間にか「男性っぽい」作品を作りたいと思うようになっていました。「女性っぽい」表現方法はクールじゃない気がしていたのです。
 ……こうやってアレコレ書き出してみると、こんなにも男性中心的な偏った世界なのに、当時はそのことになんの疑問も抱いていなかった。
 
 しかし、そもそも男性っぽい表現or女性っぽい表現って考え方はなんだ? ジェンダーステレオタイプの決めつけがすごすぎるし男女二元論すぎる! と当時の自分に問いただしたくなっちゃいます。

 実は「ん?」でいっぱい。

 だけど本当は、女性として生きていく毎日の中で「なんで?」と感じることはたくさんあったのです。
 ティーンの頃から数限りなく痴漢をされたことも嫌だったし、名作と言われる文学作品の中に女性を見下した表現があったりすることも納得いっていなかった(該当の文章をマジックで塗りつぶしたことがあるほど!)、私は料理が得意ではないのですが「女の子なのに料理ができないなんて!」とまるで何かが欠落しているようなリアクションをされることも不思議に思えたし、映画や漫画の中で冒険は男の子のためにあり女の子はその様子を温かく見守っているべきみたいな雰囲気もしっくりこなかった。私も大冒険がしたかった。
 女の子の一人旅や夜道の一人歩きは危ないと言われ行動を制限されるのも可能性を狭められている感じがして、男の子は自由でいいなあと思っていました。
 若い時は本人が望まなくとも社会から常に性的な視線を浴び消費の対象にされるのに、年を重ねたらオバサンと笑われる雰囲気もとても怖いと思っていました。男性が自分よりも年下の女性が一定の年齢を越えた時に「年増」みたいにバカにする態度も「なんてハチャメチャな言いがかり……」と理解不能に感じていました。

 にもかかわらず、当時私はそういったモヤモヤを誰かに話したことがありませんでした。だって、「これって女性を見下してないかな?」と口走ってしまったら、フェミニストなの? とバカにされるんじゃないかと怖かったし、そのモヤモヤを客観視して整理整頓するための知識も言葉も持ち合わせていなかったので、的確にアウトプットするすべがなかったのだと思います。だから、なんとなく腑に落ちないのだけど「世の中ってこういうものなのかも」と無理やり納得して過ごしていたような気がします。

 「女の子」でいられる時限爆弾、消滅する。

 20代後半くらいからは、自分が「若い女性」でなくなることに焦りを感じ始めていました。「女の子」でいられる時限爆弾のタイマーがチクタクと迫ってきているような焦燥感があったのです。「この国でおばさんと呼ばれる存在になったら、一体どんな扱いを受けるのだろう」と想像してみると、今まで耳にしたたくさんの蔑視的な言葉が頭にあふれてきて、どうしてもキラキラした未来が見えなかったのです。

 そんな頃に、ロンドンに引っ越しをしました。

 なぜロンドンかというと、私は日本とイギリスのミックスなのですが、日本生まれ、日本育ちでイギリスに住んだことがなく、でも、もうひとつのルーツであるイギリスという国がなんだかいつも気になっていたのです。なので28歳の時に思い切って移り住んでみました(そしてまだ住んでいるよ)。

 引っ越して1ヶ月くらい経った頃、ふと「イギリスに来てからの、このなんとも言えない自由な気持ちはなんなんだろう?」と考えた時に、ロンドンでは女性を過度に性的に表現している広告をぜんぜん見ないということに気がつきました。
 今では少なくなったかもしれませんが、その当時(2012年頃)の日本では、週刊誌の中吊り広告で水着姿の女性の写真と卑猥な言葉がセットで並んでいて、女性を性的オブジェクトとして扱うイメージが街に普通にあふれていました。「女性の身体は、男性に消費されるためのいやらしいものなんですよ」というような一方的で理不尽なメッセージを受け取らなくていいロンドン生活の快適さに感動したことを覚えています。
 そのほかにも、例えばニュース番組で若い女性がニコニコと相づちを打ちながら中年男性のアシスタント的役割をしているといった光景も見かけなかった。それどころか中年の女性キャスターが真剣な顔でニュースを読んでいたり必要な場面で真顔でズバッと意見を言ったり、メディアの中に怒っている女性が当たり前のようにいて、「女の人が怒っても変じゃないんだ!」と目からウロコの連続でした。
 (余談ですが、イギリスは2019年に広告基準協議が有害なジェンダー・ステレオタイプが描かれている広告を禁止しました。それによってさらに快適な広告空間になったなと感じています)

 こういった日常の積み重ねの中で、「私は『女の子』である前に、ひとりの人間なんだ」と思えるようになり、爆発寸前だと思っていた女の子でいられる時限爆弾が自分の中から消滅していくのを感じました。
 フリーダムの風!

 長らく禁句のように感じていたフェミニズムという言葉も友人たちの間でごくごく普通に使われていて、私自身もモヤッとした時などに「今のフェミニズムモーメントだったね!」と気軽にジョークにできるようになっていました。
 そうやってフェミニズムという言葉を恐れずに口にできるようになったことは、まるで新しい知識へ導いてくれる扉の鍵を手にしたみたいで、そこから私の中でフェミニズム、ジェンダー、家父長制度などなどについての長い学びの旅が始まった気がします。



 あれから10年以上たち、移り住んだ当初は完璧なジェンダー先進国のように見えていたイギリスにだってまだまだ数多くの課題が存在していて、それに対しフェミニストたちが怒ったり団結したり権利を勝ち取っている光景を何度も目にしました。一方日本でもこの数年間で急激にフェミニズムやジェンダーについての言葉がたくさん聞こえるようになってきて、社会が大きく変わり始めているようなキラっとした予感があります。(と同時に、こういった変化を阻止しようとする大きなバックラッシュも起きている、という現実も見逃してはいけないなと思います)

 それもこれも、私が偏見バリバリだった時代から、「ん?」って感じるような瞬間に、イギリスでも日本でも誰かが勇気を出して声をあげてくれたおかげなのだろうなと思います。その勇気の積み重ねが、多くの人に知識の扉の鍵を手渡してきたんだろうな。
 だから、私はこれからも気軽に言いたいのです。「私はフェミニストだよ」と。
 禁句なんかにしちゃいけない。
 フェミニズムという言葉を恐れない人がもっと増えるように。
 言葉が悪意に塗りつぶされぬように。

*続きは書籍『ロンドンの片隅で、この世界のモヤモヤに日々クエスチョンしているよ。』でお楽しみください。ご購入はこちらから

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