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第8回

小名木川の古鉄橋と天然果汁の店

[ 更新 ] 2026.09.01



 清澄白河の交差点から清洲通りを東進すると、右側に黄色っぽい4階建てのコンクリートビルが見えてくる。「清洲寮」と名づけられているが、どこかの会社の寮ではなく一般の住居アパート。「東京市営店舗向住宅」と同じく関東大震災後の復興事業として昭和8年にできあがった。数年前にちょこっとなかを覗き見したときは、どことなく裏ぶれた廃屋風の雰囲気が漂っていたけれど、カフェブームの昨今はオシャレ系のテナントが空き待ちをしている、と聞く。70年代の頃からは一般民家よりもブティックなどの方が目についた原宿の同潤会アパート(正確には同潤会青山アパートというらしい)のような物件になっていくのかもしれない。
 その先の信号を左折すると、やがて西深川橋という青い鉄橋が見えてくる。小名木川には隅田川との合流部近くの萬年橋をはじめ、これも震災復興事業の一幹で設けられた、昭和初期のトラス形や半円形の鉄橋がペンキを塗りかえられながらいくつか残っている。隅田川の立派な橋(清洲橋など)もいいけれど、こういう小型の鉄橋もそれなりに味がある。
 橋詰にシーラカンス風の怪魚像(GOMBESSAという作品名)が置かれた西深川橋の脇から川際の緑道に下りて、しばらく小名木川ぞいを東進していくと、そのうち大横川との川の交差点に差しかかる。北側の猿江橋の方を迂回して新扇橋までやってきた。
 灰青に塗装された半円形のこの橋も昭和6年の竣工だ。曲線部は扇のようにも見えるけれど、「新」と付くくらいにただの「扇橋」ってのがかつて大横川の方に架かっていたらしい。橋の東方に川の水位を調整する扇橋こうもんというのが設置されているが、この閘門は1976年に造られた、割と新しいタイプのウォーターゲートだ。
 新扇橋の橋詰には、南に「民営機械製粉業発祥の地」、北に「猿江船改番所跡」という歴史プレートがある。民営機械製粉業発祥──というのは、明治12年に設立された泰靖社って会社で、蒸気機関を使って製粉をしていたらしいが、小名木川の水も重要な要素だったに違いない。猿江というのは北側一帯の地名だが、水運利用の2つの川が交差するこの辺には“船の関所”が設けられていたというわけだ。
 そんな新扇橋の上の大門通りには、錦糸町と晴海のあたりを結ぶ都バスが走っている。程よい道幅のクラシック橋をバスが渡るショットというのはなかなかいいもので、今回はこの橋のバス景色を描いてもらうことにした。
 扇橋閘門の東側には小松橋というのがあって、こちらも昭和5年建築のヴィンテージものだが、形は角張った台形のトラス鉄橋だ。新扇橋のようにバスは走っていないけれど、北方に東京スカイツリーが新扇橋以上にくっきりと望める。
 小名木川の南側は町名も扇橋と付いている。扇橋のメシ屋というと、最近は先の大門通りの扇橋1丁目交差点近くの「肉の田じま」(焼肉やスキヤキ)が人気のようだが、小松橋から南下してきて清洲橋通りの交差点を左(東)に曲がった先の「みどりや」という喫茶店はこの辺に来るといつも立ち寄る店だ。白い幌看板が軒に突き出していて、店頭のオレンジ色の立て看板には「ホットドック 天然果汁」と記されている。いかにも“昭和の町喫茶”の風情だが、清洲橋通りを走るバスの車窓から発見して初めて訪ねたのは、およそ15年前のこと。その当時は店の並びに「大正堂」という3階建ての洋館センスの洋服屋があって、こちらの看板に出ていた「おしゃれ洋装品」なんてキャッチフレーズも僕の心に刺さった。
 「みどりや」は昭和33年に創業した店で、以前訪ねた頃は、おばあちゃんとその娘さんとで店をやっていたけれど、いまは娘さんひとりになっていた。僕のエッセーの1つに記録されているが、常連のオッチャンと店のおばあちゃんとで、包丁やノコギリのてをする職人の話をやりとりしていたのがなつかしい。
 看板にホットドックとあるが、ここのはコッペパンのソーセージの脇にキュウリやキャベツの入った独特のサラダをあしらって、開店当初からの年代物のトースターで焼く。ほのかな焦げかげんがなんともいえない。天然果汁とは、ミキサーで作る昔ながらの生ジュース。当日(6月)は、近所の家で採れたというビワにミカンをミックスしたジュースを作ってもらった。
 「ビワはタネ取りがめんどくさいから、ごひいきのお客さんにしか出さないのよ」
 先代おばあちゃんの下町調の軽口が娘さんにも引きつがれたようだ。
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