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第3回

しるものがたり

[ 更新 ] 2021.10.01
 食卓で存在感を放つような汁物づくりに目覚めたのは三十路を過ぎて間もない頃だった。
 岩手は盛岡の「芋の子汁」が呼び水となった。
 そもそも、それまでも、誰かにわざわざ食べさせるため、やさしさというよりも自分自身を売り込むためになにかこしらえるといえば決まって「煮る」料理ではあった。そう、ビーフシチュー、カレー、豚の角煮、おでん、そこそこ時間をかけて、途中で脇道に逸れかけても帳尻を合わせることができるような、煮崩れも味だよねと言い訳できるところがよかった。出来立てを食べてもらわなきゃ、と、相手を急かさないで済むのもいいところ。
 なによりも私は、料理をする上で、すぱっと切った断面のフレッシュさとか、手早く仕上げるその手付きのあざやかさとか、そういった瞬間の魅力みたいなものを現出させるのが不得手であった。それは今でも変わらない。
 だから、芋の子汁を一度食べてから、これつくろう、と、すぐやってみたのも、それが「煮る」料理だったから。
 岩手は盛岡の、今はなき居酒屋「とらや」で、秋の風物詩として用意されていたメニューだった。里芋が主役、根菜が主体の、土着の汁物。
 母方の祖母がかつて秋冬につくった、けんちん汁を思い出した。祖母は生粋の栃木県南の女で、きっとけんちん汁もそれらしい味だったように思われる。土地は違えど、根菜が主役の汁物ってやっぱりその温かみの印象が重なるもので、そう、わかりやすいところでいうと芋の子汁は豚汁にも似ている。そういえば祖母は豚汁はつくらなかった。そもそも祖母の手による豚肉の料理を食べたおぼえがない。土地柄というよりも祖母の好みの問題だったのか、どうだろう、当時はなにも疑問に思わなかった。
 私自身、豚肉を料理するようになったのは20代半ばに豚の角煮づくりに熱中した頃からで、それ以前の豚肉に関する記憶といえば、京都で友達と入ったとんかつ屋にて、ひとりひとつ渡されたすり鉢で白胡麻を擦って、とんかつにかけるごまだれの下地を用意したことくらいしかない、というかそれは豚肉ではなくてごまだれの思い出に属するのではなかろうか。
 「とらや」の芋の子汁を食べてから程なくして、盛岡のスーパーマーケットの精肉売り場に、「芋の子用」とシールが貼られた鶏もも肉のそぎ切りがあるのを目にした。
 味の印象、専用の材料。どちらもはっきり口の中に、目の前にあったことに俄然やる気を喚起された。
 しかし、しばらくしてから、やはりスーパーマーケットにて、豚コマのパックにも、芋の子用、とのシールが貼ってあるのに気付いた。
 どちらのお肉を使うのが、郷土料理としての正しい姿なんだろう。
 盛岡の友達に訊いてみたところ、鶏肉の場合は醤油で味付けをし、豚肉には味噌だと教えてもらった。後になって郷土料理の本を何冊かめくってみるとそのとおりあり、そして、人、家それぞれの味があるとも記されていた。郷土料理という四文字熟語を、それまでは、ただ古ぼけて堅苦しいように、他人事のように見つめていたけれど、存外おおらかで面白いものなのだなあ、芋の子汁は私にそう味わわせてくれた汁物だ。
 芋の子汁を、私は鶏肉でつくっていたけれど、醤油とだけだと鶏皮の脂が前面に出過ぎるのが気にかかり、仕上げに味噌を少し足していた。地元では「ボリ」と呼ばれているきのこ、ナラタケも東京ではレアな存在なので別のきのこで代用する。そうするといくらおおらかとはいってももう芋の子汁とはまた別の汁物になりかけているのかもしれない。
 ファーストインプレッションとしての「とらや」の芋の子汁の、お肉が鶏だったか豚だったかも、もう思い出せない。卓上にS&Bテーブルコショーが出されてそれをかけて食べるのが決め事だったのはおぼえていても。
 盛岡の生まれ育ちで今もそこで暮らしている友達ふたりに訊いてみると、ふたりとも、うちの芋の子は豚、とのことだった。里芋と豚コマに次いで必須の材料はボリ。出汁は入れないで煮るとのことで、たしかに、豚ときのこで汁の味のベースがしっかり構築されるもんね、出汁はいらないね。そう、豚肉には、鰹節と同じうまみであるイノシン酸、きのこには昆布と同じグルタミン酸が沢山含まれているので。


 出汁とは、と、考えはじめるといつもコーヒーがその脇に浮かぶ。乾物と水からできるおいしい液体で、あれこれ蘊蓄を語られがちというところがよく似ているから。私はコーヒーが好きで、うちで手回しのミルで豆を挽いてから淹れるというその行為も好き。出汁を引くのも同じことだなと捉えている。出汁を使った汁物は好物なので、自分なりの簡便なやりかたで引くのだったら別に面倒でもない。世間的に、こっちのほうが楽だよと別の道を示されても、自分が楽しくないのならそちらには行かない。あるいは、その逆も然り。
 出汁は基本的にはいりこでいこうと決めて数年経った頃、一冊のレシピ本が、私のその方向性に自信を与えてくれた。
 『毎日のお味噌汁』。
 神戸の料理研究家、平山由香さんの春夏秋冬の味噌汁写真日記というスタイルの本で、151椀が収録されている。ベースとなるのは昆布水出汁。「1ℓのお茶用ポットに10gの細切り昆布を入れて冷蔵庫で半日からひと晩」とある。その引きかたは1ページまるまる使って解説されている。その対面のページには煮干し水出汁も欠かせないものだと記されており、平山さんの味噌汁の軸となっているのは昆布の水出汁およびいりこの水出汁なのだとわかる。
 それらを土台とした、たとえば表紙にもなっている、ミニトマトとモッツァレラチーズと白味噌でつくり、オリーブオイルを吸い口にする「アヴァンギャルド味噌汁」は色合いがとてもきれいで、茶色い生活にそれなりに自信を持っている私ですら、うっとりした。
 それと、出汁を使わずに幾種類かの乾物と熱湯のみで素早くつくる「マグカップ味噌汁」は繰り返しつくってみていた。
 そうだった、マグカップ味噌汁のために求めた昆布を、普通に味噌汁をこしらえるときにも使おうというところから、私のいりこ+昆布水出汁がはじまり、今まで続いているのだった。


 週刊誌上で、食べもの飲みものを扱った新刊を1冊取り上げる書評コラムの隔週連載をはじめたのは2016年の春だった。2011年末に飲食書評集『もの食う本』を出してからおよそ4年ばかりは、継続的にそういうジャンルの書評を書くことから遠ざかっていたものだから、うれしくてそわそわしながら本棚のあいだをぐるぐる歩きまわった。
 連載初回、1冊目は、スタイリストの伊藤まさこさんの『おべんと帖 百』を取り上げた。喫茶店の写真集、家庭菜園の記録、餃子アンソロジーと続いて、5冊目に取り上げたのが『毎日のお味噌汁』だった。年末に組まれた特集でこの年のベスト1にも選んでいる。
 自分の出汁遍歴を振り返るにあたり、汁物をテーマにした本を棚から取り出してみると、あらためて、その2016年は汁物本の夜明けとなる年だったのだなと感じ入る。
 なぜなら春には、スープ作家である有賀薫さんのはじめての単行本『365日のめざましスープ』が出ており、そして秋には料理研究家の土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』も刊行されていたからだ。
 ついでに汁物の他の事柄についていえば、デヴィッド・ボウイが亡くなり、映画『シン・ゴジラ』が公開され、ドナルド・トランプがアメリカ大統領に決まった年でもある。
 その年の私はというと『毎日のお味噌汁』のレシピに心酔していたというのもあるものの、家庭料理について深く掘り下げて考えてみよう、レシピ本の傾向を分析してみよう、というところまでは思い至ることなく、食の新刊を探していた。なので、その年の汁物的エポックメイキングとなる前述の2冊を手元に置いて読んでみたのは、それからしばらく経ってからだった。


 私が初めて買い求めた有賀さんの本は、4冊目のレシピ本『スープ・レッスン』である。その端正な装丁は有賀さんのそれまでの本の中では最もぐっとくるものだったというのもある。ジャケ買いといわれればそのとおり。
 前述の連載で取り上げようとじっくりめくった。28種のスープと、その一椀から派生するレシピで構成されている。まえがきには「ひとつのスープについて、メインになる野菜はひとつ」とある。材料を絞り込むレシピは、せせこましい台所でのやりくりにもとても親切なのだった。ひとり暮らしをはじめてすぐの台所にこの本があったらよかっただろうなと思わせられる。それでいて、台所に立つ時間のずいぶん長くなった私にもしっくりくる。服にたとえるなら、19、20歳のときも今も着ていて違和感のない、むしろ着ていたいオックスフォード地のボタンダウンのシャツのような。もちろんそのプレーンさだけでスタンダードになり得るわけはなく、理に適っているからである。有賀さんの汁物の、材料や調味料の組み合わせかたや工程には、どうしてこれを選んだんだろう、こうするんだろうと問うてみたくなったとき、必ずや有賀さん自身が熟考した末に導き出したひとつの答えが用意されているように思える。一椀一椀、納得できる。ボタンダウンシャツの襟のボタンはただの見た目のアクセントではなくて、襟の先端を押さえてくれているからシャツの上に重ね着をしても着崩れしにくい。それと同じように。
 ところどころにはさまれるコラムの内容も明解だった。
 「よく『コンソメキューブを使うと、全部同じ味になってしまうんです』と言われる。それは、コンソメキューブというものが、料理の腕がない人でも同じ味に作れるようちゃんと考えられているのだから、当然なのだ」
 おっしゃるとおり。
 コンソメキューブ=固形スープの素は、少し昔の洋風の家庭料理レシピにはたいていついてまわるものだった。21世紀に入って少しずつ、使われる頻度が減ってきている。
 「味噌汁にだしが欠かせないように、スープ作りにはコンソメキューブが欠かせないと多くの人が思っている。習慣のように鍋にポンと放り込んでいるけれど、ほんとうは何のために使うものだろう」
 その習慣というか惰性を打破するためのレシピを有賀さんは数多世に問うている。10冊目となるレシピ本『有賀薫の豚汁レボリューション』には、出汁も固形スープの素も登場しない。
 心ゆくまで豚バラの横綱相撲を堪能することのできる50パターンの豚汁レシピ集である。
 ほとんどは、具の下ごしらえが要らず、煮えばなを食べるのが身上に違いないという、新味のある豚汁。煮返して翌日も食べる楽しみの大きいスタンダードな豚汁のレシピは、本の〆にひとつだけ紹介されている。
 野菜は一椀に一種、との、『スープ・レッスン』のテーマが引き継がれた「一品でも豚汁。」という章の中からあれこれつくってみた。
 「かぶの蒸し豚汁」は、蕪、豚の脂、味噌、各々の甘みが三位一体となっている。大ぶりな蕪の実としゃきっとした茎を齧る、その食べ心地を有賀さんは伝えたいのだなと分かる。自分の手癖でつくるのだったら蕪は四つ割りではなく6つか8つに切り分けるだろうし、蕪の茎ももうちょっと長めに煮がち。
 次につくってみたのは「トマトン汁」で、20代初めの頃にエゴマ葉キムチでごはんを巻いて食べるのにやたらはまっていた私の食卓に置いたらとてもしっくりくるように思った。
 その次に「なすのごま豚汁」をつくった。近くの街のパン屋の産直コーナーに青茄子がかなりお安く出ていたことをきっかけに、毎週つくり続けた。
 そうやって反復していると、豚肉が果たしている役割の大きさにしみじみする。食べ応えがあり、汁にこくを出してくれる、つまり具と出汁の二役を担っている。
 『豚汁レボリューション』のレシピは薄切り肉でつくるものが8割を占めている。主にバラ肉が推奨されている。ひらりと細長くカットされた脂たっぷりのあのお肉。そう、豚薄切り肉のレシピをつくるとなると、安価だからといって豚コマ肉を使いがちなのだけれど、その名のとおり細切れだけに、扱う店によって切りかたや詰めかたはまちまちで、扱いにちょっと手間がかかるのもほんとうだ。たとえば炒めようというとき、その一切れ一切れをフライパンの上に広げていくのがめんどうになりまとめてえいっと放り込んでしまうと、後から焼き加減にむらが出てしまい、出来上がりがぱっとしない一皿になったりする。ならばお値段は数十円高くとも、大きさも厚みも揃えてあって、しかもきれいに畳まれている豚バラ肉のほうが気苦労なく料理ができるというもの。
 『豚汁レボリューション』には、出汁を引く工程も、固形スープの素も登場しない。
 ここでまた、『スープ・レッスン』のコラムにあった有賀さんの、出汁についての言葉がよみがえる。
 鰹節や煮干しよりも、豚肉を買うほうがたやすいのはたしかだ。
 都市型のごく小体なスーパーマーケット、たとえば「まいばすけっと」だったら、削り節と煮干しは一種類ずつ用意されている。あるにはある、けれど選択肢はない。豚肉のほうが確実に売り場も広く、種類もそれなりに揃っていて選ぶ甲斐もあるというもの。そうでなくとも、食べものそのものとして、煮干しよりも、豚肉のほうに馴染みを持っている人のほうが多いだろうと思われる。
 コンビニエンスストアで精肉を扱っているところもあるはずと思い出して近所のセブン‐イレブン、ファミリーマート、ローソンを1軒ずつ覗いてみたのだけれど残念ながらどこにも置かれておらず、その代わり、意外にもローソンには個包装の削り節パックと出汁入り味噌があって、味噌汁フレンドリーなお店なのだなという感想を持つ。ただ、プレーンな味噌は置かれていなかった。閑話休題。
 有賀さんの1冊目『365日のめざましスープ』をあらためてめくってみると、冒頭で、出汁も固形スープの素も使わずにつくるスープが提案されている。
 「だしは使わず、十分なうまみを出すための簡単な方法があります。それが、トマト、きのこ、ねぎ(たまねぎ、長ねぎ)、3種類の野菜のどれかを使うこと」
 たしかに、野菜の中では最も多くグルタミン酸が含まれているトマトを筆頭に、それらには「うま味」が多く含まれているのだった。
 『365日のめざましスープ』には、そうやって具が汁の味を一からつくってくれるレシピと共に、出汁の引きかたも、出汁を使うレシピも載っているのだけれど、その後の有賀さんの本ではその味わいを必要とするレシピでは顆粒出汁が登場している。
 少し前のレシピ本をめくっていると、前述の固形スープの素の登場回数が減ってきていても、出汁は当たり前のような顔をして盛んに登場している。
 しかし『一汁一菜でよいという提案』には「味噌汁はだし汁が大事などとは言いません」とあり、やはり2016年あたりを境に世間の出汁観が変わりはじめるきっかけを、これらの本がつくったのかもしれないと私はにらんでいる。
 また、別のところでいうと、2007年に連載のはじまったよしながふみさんの漫画『きのう何食べた?』のシロさんのやりかたが、漫画の人気ぶりに鑑みれば、それなりにじわじわと浸透していったのではとも想像している。主人公であるシロさんはほぼ毎話、工程をつまびらかにしつつ主に和風の料理をこしらえる中で、あえて出汁は引かず、小袋入りの顆粒出汁、めんつゆ、白だしを調味の基本としているから。
 こないだ『暮しの手帖』の別冊に、よしながさんに取材した記事が載っていた。よしながさんは作中の出汁についてこう話していた。
 「シロさんは働いているので、そこは合理性を優先していいんじゃないかな、と。私自身、料理本を読んでいて『ダシ』と出てくると『とらずに何とかできないかな』と思うタイプだったので」
 ひとつ、出汁を引く利点として、うま味が引き出せるか、なんとかできるかどうかなどについてあまり考えずに具を組み合わせて汁物をつくっても、それなりに仕上がるということがある。考えるな感じろ派だと自認している人だったら、出汁を柱にする汁物のほうが向いているのかもとも思う私。

〈文中に登場する本など〉
『毎日のお味噌汁』平山由香 アノニマ・スタジオ 2016年
『365日のめざましスープ』有賀薫 SBクリエイティブ 2016年
『一汁一菜でよいという提案』土井善晴 グラフィック社 2016年
『スープ・レッスン』有賀薫 プレジデント社 2018年
『有賀薫の豚汁レボリューション』有賀薫 家の光協会 2021年
『きのう何食べた?』よしながふみ 講談社 2007年~
『暮しの手帖別冊 気分を大事に続ける料理』暮しの手帖社 2021年
『味・香り「こつ」の科学』川崎寛也 柴田書店 2021年
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