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第5回

君の名は肉じゃが、そしてポテサラ

[ 更新 ] 2021.12.01
 「鶏じゃが」を久しぶりにつくる。
 フードスタイリストの飯島奈美さんのレシピで。食雑誌『dancyu』2018年2月号に載っていたものだ。
 その年のスケジュール帳を見返してみると、夏に幾度かこしらえていたと分かる。こう、メモしてある。

 シンプルすぎやしないかとおっかなびっくりつくってみたら、あっさり上出来。私は隠し味の呪いにかけられているのかもしれない。

 具は、鶏もも肉、じゃがいも、キャベツ。調味料は、オリーブオイル、塩、黒胡椒。
 手帳の中の私はたしかに呪いにかかっていて、クミンを足したり、生姜を足したりしていた。とはいえ『dancyu』をめくり直してみると、飯島さんも、クミンやにんにくを足すことを勧めていた。白ワインに合うとも記されていたような記憶もあったものの、それは私の思い違いだったらしい。ごはんのおかずにはあまりしっくりこないと感じられたせいか。
 鶏は皮がたっぷりついていたほうが、脂っこさがじゃがいもに合う。
 そういえば、スタンダードな肉じゃがは、しばらくつくっていない。
 鶏じゃがはそのネーミングからして、肉じゃがの延長線上にあるものと漠然とイメージしていた。たしかにつくりかたの手順はよく似ている。しかし、それぞれの材料を列挙してみると、共通して使うものは油を除けばただひとつ、じゃがいものみ。
 折しも『dancyu』は、今年の6月号で「じゃがいも愛」と題した特集を組んでいる。70品のレシピが掲載されており、そのうち4分の1以上はポテトサラダのレシピだ。そういや、このところ、料理専門誌ではない雑誌のレシピ特集でも、お店の人に教わるポテサラ、というページをよく見る。
 『dancyu』のじゃがいも特集には、牛スジとフルーツトマトを使い、煮込みに3時間を要する「トマト肉じゃが」、皮付きの新じゃがを使い八丁味噌やコチュジャンでこってり仕上げる「新・鶏じゃが」も紹介されていたりするけれど、スタンダードな肉じゃがは見当たらない。そこのところ、編集部のIさんに訊いてみたところ、肉とじゃがいもを煮る、というとき、牛肉ではなく鶏肉を使ったり、味つけを塩のみにしたりするレシピのほうが近頃は人気を博している、とのことだった。鶏肉、そして塩といえばまさに、鶏じゃが。
 「ポテサラの誘惑」と題された、植野広生編集長によるこの号の巻頭言には、外食に出た折にポテサラをしばしば注文するとあり、理由はこう綴られる。
 「ポテサラに限らず、肉じゃがやコロッケなどの素朴なじゃがいも料理は、なんとなく郷愁を感じるからかもしれません。じゃがいもの柔らかさは、故郷や家族の思い出と同じ優しさなのかもしれませんね」
 郷愁、優しさ、そういうイメージがつきまといがちなのかもしれない、じゃがいもには。
 垢抜けない女の子を指す、イモねえちゃん、という言葉がかつて流布していたのもそういうところに端を発するのだろうか。イモ欽トリオというユニットが1981年に人気を博したのもそこに端を発するのだろうか。
 しかしその口触りからは素朴さを感じられるかもしれないけれど、肉じゃが、それよりもコロッケは、つくろうとするとそれなりに精緻さを要求される料理ではある。
 野菜一種を軸にした料理でいうと、たとえば、小松菜のおひたし、キャロットラペなどのほうがつくりかた自体は素朴なものである。
 昨夏ツイッター上で、スーパーマーケットの惣菜売り場で、子連れの女の人が、他人と思しき年老いた男性に「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と諭されている様を目にし、彼女を励まそうとポテサラを2パック籠に入れたというツイートが13万リツイートされたという「ポテサラ論争」があった()。たとえば隣に並んでいるマカロニサラダを手にとっていたら、同じように声をかけられていただろうか。じゃがいも料理だからこそのおじいさんの勘違いもあるのではとも思える。
 そう、じゃがいもに限らず、たやすく入手できて安価な材料は、調理も簡単なもの、ととられている節がありやしないか。
 じゃがいもは皮を剥く前にふたつに割ってみたほうがいい、と、十代の頃に教わった、母に。
 皮の外からは、中がいたんでいるかどうかは判別できないので、せっかく剥いたのに使えなかったらがっかりするから、ということだった。大量に買って保存しておくものだったからこその話で、今のふたり暮らしの台所ではちょいちょい買ってはすぐ使うので丸のまま包丁で皮を剥いている。ピーラーは、ひとつは持っているのだけれど、一向に使う習慣が生まれないもので、お蔵入りしている他の調理道具一式と一緒に引き出しのいちばん下の段にあるはず。
 じゃがいもは祖母の台所に常備されており、母がそれを使いたいというときには私に命じて持ってこさせたのをおぼえている。私が小学2年生のときから実家を出るまでだから10年のあいだ、祖母と祖父の家が一軒、父と母の家が一軒、通りを隔てて存在し、私は双方を行き来して、伝言やものを運んでいた。祖母と母は、各々、いつでも自由に使える台所を占有していたのだった。
 週に3度は必ず祖母の料理を食べていた私。じゃがいもを使うもので思い出せるのは、まずはコロッケ、次にカレーライス。皮を剥き、一口大に切ってプレーンに茹でて味付けは塩だけで、粉ふきいもにしてくれるときもあった。その他に、こしらえてもらえるとうれしかったのは、じゃがいもとさつまいもを甘じょっぱく煮転がしたもの。他に具はなにも入れない。これは、ひとり暮らしをはじめてから自分でもたまにつくっていた。
 肉じゃがの思い出はない。母はといえば、和食をつくらなかったので、やはり肉じゃがの思い出はない。
 だから、十代、二十代の頃は、肉じゃがについて「おふくろの味」だと耳にする度に、祖母の時代よりももっと昔にあったメニューなのだろう、と、漠然と捉えていた。
 私の、肉じゃがについての最も古い記憶は、小学校時代にさかのぼる。
 同級生の男子A君が、しきりに口に出していたギャグ。
 「ミック・ジャガーは、肉じゃが~」
 満面の笑みでそう言い終えてから、必ず彼は「どう? 面白い?」と問いかけてくるのだが、私はといえばその人がローリング・ストーンズのボーカリストとは知らず、というよりむしろローリング・ストーンズの存在も知らずに、えー、なにそれ、と、ただ受け流していた。あらためてミック・ジャガーの年譜をみてみると、デヴィット・ボウイとデュエットしていた頃と思われる。A君のうちでは当時、そんな音が日常的に流れていたのかもしれない、うらやましい。当時の私は邦楽にしか耳馴染みがなかった。最古の洋楽体験といえば、上級生の教室が並ぶ階のお手洗いに入ったとき、洗面台の隅に、デュラン・デュランのカセットテープが置かれていたのをふと手に取ってみたことはおぼえている。音は聴いたことがなかったのに、バンド名と、そして洋楽であることはなぜか知っていた。大人っぽいなあ、と、元に戻した。閑話休題。
 当時の給食に肉じゃがが出ていたかどうかはおぼえていない。調理実習でつくったような気もするけれど、よく思い出せない。
 つまり、幼い私にとっての肉じゃがは、食べたかもしれないけれど記憶に残らない味、なのだった。だから、懐かしい、との枕詞つきで紹介されると、違和感をおぼえる。


 という風にこのおかずをたいして気に留めずに長らく過ごしてきたものの、家庭料理の歴史を辿りはじめるや否や、ずいぶんと大きいその存在感にぶち当たることになる。
 なぜに肉じゃがは、おかずの定番になったのだろう。
 みんな大好き、いわゆる「おうちカレー」、つまり箱入りのルウで仕上げるカレーと、基本の材料が重なっているせいもあるだろうか。
 じゃがいも・玉葱・人参、この3つはしばしばスーパーマーケットの根菜売り場で「カレーセット」として並べられている。参考までに、じゃがいも2つ、玉葱1個、人参1本がセットになって386円だったのは、うちの近所の「ライフ」で。いつぞやの「西友」ではもちょっとお安いお値段が付いていた記憶あり。
 カレーセットは、すなわち日保ちする野菜3点セットでもあるので、買ったその日に使いきらなくとも大丈夫だし、カレールウの代わりに、少なくとも、醤油、日本酒、みりんがあれば、肉じゃががつくれる。
 「シチューと同じ材料を使った牛肉とじゃがいもの煮物が厳然として明治時代から海軍料理の中にあった。もっとも、この料理を海軍が『肉じゃが』とよんでいたわけではなく、海軍時代を通じて終戦まで『甘煮』といっていた。(『うま煮』と読ませたのかもしれない)この料理は兵役を終えた主計兵等によって家庭でも作られるようになる」、『海軍食グルメ物語』にはそうある。
 も少し時代を進めると、1922(大正11)年に「肉ジャガに近いレシピとして」「牛肉とジャガイモニンジン玉ネギの煮込」が読売新聞の家庭面に掲載されたそうで、そのことを伝える『読売新聞家庭面の100年レシピ』の肉じゃがのページにはこうある。
 「NHKの番組『きょうの料理』のテキストでは、64年にこの名称が登場。番組に長年携わるディレクターの河村明子さんは、『当初は新じゃが料理の一つとして地味な紹介だった。だが、日本人好みの甘辛味、材料も安上がり、食べ応えがあり子どもも喜ぶなど、家庭料理の傑作』と話す」とも。「新じゃが料理の一つとして地味な紹介」とあるので、定番化する前だと分かる。
 お肉とじゃがいもの両方をたやすく手元に用意できるようになってからは、そのふたつを一緒に煮た料理は日本のあちらこちらでつくられていた。肉じゃがは、そういった全国のいも料理の総集編的存在であり、肉じゃが、という名を得たことをきっかけに定番化していくことになったのではと思い至った。名が与えられれば、キャラクターの輪郭線が濃くなる。名付けは大切。
 その名の、レシピの上での初出は「きょうの料理」だと、魚柄仁之助さんの『国民食の履歴書』でも確認されている。
 明治から昭和にかけてのレシピ本を数多検証していく本『国民食の履歴書』、そして前述の『海軍食グルメ物語』によると、じゃがいもと肉を煮た料理が「肉じゃが」と広く呼ばれるようになるにはそれから10年待つことになると分かる。「地味な紹介」だったせいなのだろうか。
 魚柄さんは、こう書いている。
 「肉じゃがは、その名前が料理本に登場し始めたのが一九七五年(昭和五〇年)頃だったにもかかわらず、八〇年代にはすでに「おふくろの味」とか「懐かしい家庭の惣菜」とか言われていたのでした。たった五年から十年くらいで急に懐かしの味になるというのもおかしな話です」
 そう、私にとってはそれが最大の謎だった。
 「おふくろの味」なる言葉がよく使われるようになったのは、肉じゃがが世の中に浸透していくのと時を同じくしている。その同時代性ゆえに、肉じゃがというメニューと、「おふくろの味」というイメージがぎゅっと結び付けられることになったのだろうか。それとも誰かが意図して仕掛けたことでもあるのか。それはまだ分からない。
 「日本に古くからあった里芋の『いも煮』と西洋料理として入ってきたビーフシチューのような『肉とじゃが芋の煮物』が混じり合って、今日言うところの肉じゃがになった」、これが魚柄さんの考える、肉じゃがの成り立ち。さらには、魚柄さんの肉じゃが考は、レシピの世界から飛び出し、居酒屋に入っていく。
 「七〇年代の居酒屋にはよく通いましたが、その頃の居酒屋のお品書きに『肉じゃが』という表記はあまり記憶がありません」「一九八〇年代、東京・下町の居酒屋を飲み歩いていると、どこの店に行っても壁に貼ってあるお品書きに『肉じゃが』が見られるようになってきました」
 そして、居酒屋の定番として以前から定着していた「肉豆腐」と肉じゃがの調理と調味の仕方が重なっていることに着目する。居酒屋においては、豆腐をじゃがいもに置き換えたのが、肉じゃがでもあるのではと。
 肉じゃがが居酒屋のお品書きに加わるのと、家庭料理のレシピ本の上での扱いが大きくなっていくのとはほぼ時を同じくしている。1980年代は、まさに肉じゃがの時代。
 そういえば『居酒屋の誕生』という本で、江戸時代後期には、里芋の煮っころがしを看板メニューとする店「いも酒屋」があったと読んだことがある。気さくな居酒屋にはなにかしら、いもの料理が用意されているというのは、ずうっと昔からのことだったのだ。
 1993年に刊行されたガイドブック『精選 東京の居酒屋』に載っている45軒ぶんのお品書きから、肉じゃがと、ついでにポテサラも探してみると、肉じゃがは45軒中8軒の居酒屋の定番メニューとなっていた。意外と少ない。ポテサラは、たったの2軒。
 この本は、居酒屋研究家の太田和彦さんが主に都心の端正な店を案内するというスタイルだから、肉じゃがのあの野暮ったさを欲しないお客が来る店が多いのかな、などと邪推してみる。2001年に刊行された新版では53軒が紹介されており、うち25軒は前作と入れ替えられている。こちらも数えてみたところ、肉じゃがについては変わりないものの、ポテサラは7軒に増えていた。
 余談ながら、酒場のポテサラの盛り付けには、寝そべってるようなのと立ってるのと2種類ある。お皿の上に寝そべってるのは、古めかしいスタイル、たとえば大衆酒場のポテサラで、そそり立っているのがナウなポテサラである。
 ポテサラの日本史は、肉じゃがよりも古くまで遡れる。
 1928(昭和3)年にはすでに読売新聞家庭欄にてポテサラレシピが紹介されていた。加熱したじゃがいもを使うという点が見込まれたのだ。なぜかというと、当時の日本では、生野菜を食べる習慣がほぼなかったから。
 戦中、1941(昭和16)年には、キユーピーが「節米に ポテトサラダ を召上れ」という雑誌広告を出していたことは前述の『国民食の履歴書』で知った。ポテサラはマヨネーズで和えるものという概念はすでにそのとき定着していたのだな。
 とまれ、ポテサラは、日本のサラダ黎明期にデビューし、その後のサラダのイメージを形づくったといえる。しかし、同じじゃがいも料理でも、ポテサラがおふくろの味とは呼ばれなかったのは、サラダは、「おふくろ」とはすんなり結び付かないからか。いや、「ポテサラ論争」の火種となったおじいさんの頭の中ではそうではなかったということなのかなあ。
 さて、私はといえば、お刺身は注文を受けてから切りはじめ、アジフライは冷凍を使わないことがモットーの大衆酒場でも、ポテサラは値段と手間とのバランスを考えれば出来合いのものを仕入れているのだといつぞや聞いてから、よっぽどのこだわりがなければ自家製するものでもないのかもというところで落ち着いているのだけれど、ちょっと高級な瓶入りマヨネーズをもらうなどしたときには、これを最も活かせる料理はポテサラしかないなと揺らいだりしている。

〈文中に登場する本など〉
『dancyu』2018年2月号、2021年6月号 プレジデント社
『海軍食グルメ物語』高森直史 光人社 2003年
『読売新聞家庭面の100年レシピ』読売新聞生活部編 文藝春秋 2015年
『国民食の履歴書』魚柄仁之助 青弓社 2020年
『居酒屋の誕生』飯野亮一 ちくま学芸文庫 2014年
『精選 東京の居酒屋』太田和彦 草思社 1993年
『新 精選 東京の居酒屋』太田和彦 草思社 2001年
※https://www.dailyshincho.jp/article/2020/07131150/?all=1
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