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第18回

時代の交差点(前編)

[ 更新 ] 2021.10.22
 夜遅くにテレビをつけたら、学ラン姿の仲野太賀が教室に飛びこんできて、
 「コントやろうぜ」
 と、満面の笑顔で叫んでいた。
 「コントなんか書いたことねえよ」
 怪訝な表情で答える菅田将暉に、
 「おまえなら書けるよ」
 見覚えのある景色が画面に映りこんだときみたいに、思わず手を止めて見入ってしまったのは、その昔、自分も似たような経験をしたからだ。
 それは1997年で、私は高校一年生だった。夏休みが近づいた一学期の終わりのことだ。
 クラスメイトのA君にたのまれて、生まれて初めて、演劇の台本を書いた。
 当時は、いわゆる「第四世代」と呼ばれる小劇場ブームの時代だ。東京サンシャインボーイズや、キャラメルボックスのような学生演劇出身の劇団がテレビや映画でも活躍し、その人気ぶりは地方の高校生にさえ伝わっていた。
 演劇をやりたい。
 でも私たちの学校には演劇部がない。文化祭もない。
 だから有志で「演劇同好会」をつくろう。校内で旗揚げ公演をやろう、とA君は満面の笑顔で言った。
 彼とは中学からずっと同じクラスで、ふたりとも本が好きだという共通点をのぞけば、それまで特に親しい間柄というわけではなかった。今にして思うと、ドラマの中の設定と同じように、他の誰かに声をかけて断られたあとだったのかもしれない。
 「台本なんか書いたことないよ」
 そう言いながら、私は俄然、その気になった。
 というのも、ちょうどこの頃、父の買った初めてのパソコンが我が家に来たばかりで、パソコンを使って何かを書いてみたいと思ったのである。
 それに、実は台本の書き方をまったく知らないわけではなかった。学校の図書室にあったシナリオ全集――倉本聰の『北の国から』とか、向田邦子の『寺内貫太郎一家』とか――を読むのが好きで、「ト書き」や「セリフ」がどういうものかは何となくわかっているつもりでいた。
 しかし本物の舞台は一度も観たことがない。
 そこで選んだ演目が『古畑任三郎』のパロディである。
 大人気のテレビドラマを題材にするというアイデアは、もちろん、脚本の三谷幸喜が東京サンシャインボーイズの主宰だったことと無関係ではない。でも、まずは劇団の士気を高めるための作戦であった。なにしろ、座長兼プロデューサーのA君がスカウトしてきたメンバーは全員、演劇の未経験者で、お笑いとプロレス好きの男子ばかりだったからだ。『古畑任三郎』ならば、彼らにも面白そうだと思ってもらえるのではないか。
 
 その夏、私は慣れないパソコンと格闘して台本を書いた。忘れもしない、人生で初めて、Wordのマージン設定を発見したのは、できあがった台本をホッチキスで綴じるためである。
 自分の名前と配役が活字で(実際はパソコンのフォントだけれど)書かれた台本を受けとった役者たちの、嬉しそうな顔を見たときは何かをやり遂げたような気持ちになったが、本当のスタートはここからだった。
 私たちは毎日、放課後になると視聴覚教室にあつまって演劇の練習をした。運動部とかけもちのメンバーはユニフォーム姿である。
 「ホン読み」の段階では一発ギャグのようにセリフを発し、私の演出を半ば無視してふざけあっていた彼らだが、ようやく始まった立ち稽古で『古畑任三郎』オリジナルサウンドトラックのCDを流すと、にわかに顔つきが変わった。
 みんなの頭のなかに、同じ一つの絵が見えたのは、このときだったと思う。


『警部補 古畑任三郎(第1シリーズ)』(フジテレビジョン)
 
 『古畑任三郎』は、田村正和演じる警部補が名推理で殺人犯を追いつめ、犯罪のトリックを見破る、国民的大ヒットドラマだ。
 1994年にスタートし、2006年までに連続ドラマとして3つのシリーズと数本の特別番組が放送された。
 今さら説明不要かと思うが、このドラマの大きな特徴は、物語の最初から視聴者には犯人が誰かわかっているという点にある。「倒叙型」と呼ばれる形式は、『刑事コロンボ』へのオマージュだという。
 豪華なゲスト俳優と繰り広げられる会話劇はスリリングで、忘れられない名場面がいくつもあるが、同じくらい印象的だったのが、本編の前に流れるタイトルバックだ。
 黒い背景に、画面の上下、そして横から、幾本もの白い直線がのびて交差してゆく。
 画面いっぱいに格子模様が完成した瞬間の、ぴんとはりつめたピアノ線のような緊張感。
 そこに突如、不穏な赤い線が出現する。それは壁を伝う血のように、あるいは事件解決の糸口であるかのようにも見える。
 視聴者の視線を巧みに誘導しながら、背景の幾何学模様は刻一刻と変化する。黒白赤の単純な配色は同じだけれど、分割線と色の配分によって見え方が違う。碁盤の目、チェス盤、迷路、知育パズルのような図形――。
 そのあとに続く、正方形のマス目に並んだ白ヌキのタイトル、キャスト、スタッフの名前は、いやおうなしにクロスワードを連想させる。文字は太いゴシック体で、一部だけが赤で強調されている。


『警部補 古畑任三郎(第1シリーズ)』(フジテレビジョン)

 タイトルバックの制作者によると、直線やグリッドを生かした幾何学的なデザインは、グラフィックデザイナーのソウル・バスが手がけたヒッチコック映画を参考にしたものだという。特に『サイコ』『北北西に進路を取れ』の影響が大きいようだ。
 さらに、市川崑作品との関連も指摘されている。
 映画監督の市川崑はタイトルバックを自ら手がけたことで有名だが、その独特な文字表現を検証した書『市川崑のタイポグラフィ──「犬神家の一族」の明朝体研究』(小谷充)では、『古畑任三郎』について触れ「和文をクロスワードパズルのようにあつかうのは市川崑のお家芸」であり、「大の市川崑ファンを自認する脚本・三谷幸喜の嗜好を考えれば、アートディレクションとして正しい解答だったに違いない」と分析している。


『犬神家の一族』オープニング

 ただし、両者が絶対的に異なるのは、『犬神家の一族』は明朝体であるのに対し、『古畑』ではゴシック体が使われているという点だ。
 この違いは大きい。
 対照的なのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』である。
 『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する毎回のサブタイトルと次回予告は、文字の配置といい、極太の重厚な明朝体(同じ書体ではないが)が使われているところといい、まさに市川崑のスタイルと酷似する。そのことは前述の本でも紹介されており、監督の庵野秀明自身、それが市川崑のオマージュだと公言している。


『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系列)

 『新世紀エヴァンゲリオン』の放送は、1995年、『古畑』の一年後に始まった。そして「後年、この大ヒットアニメを元ネタにした類似の表現が頻出し、二次的、三次的な模倣を生む」(小谷充、前掲書)ことになるのだが、もしも『古畑』のほうが先に明朝体を使っていたら、90年代の映像作品を代表する日本語タイポグラフィとして人々の記憶に刻まれた作品は、まったく別の道をたどっていた可能性がある。
 そんな偶然に思いをめぐらせる一方で、『古畑任三郎』は絶対に「ゴシック体でなければならなかった」とも思う。
 文字が躍動し、様々な図形やモチーフと組み合わせて構成される「ソウル・バス的」デザインを目指すには、アルファベットのサンセリフ体に相当する書体――水平・垂直の要素をそなえたモダンなゴシック体が必要ではなかったか。
 しかし英語のアルファベットと日本語にはどうしても違いがある。
 たとえば『北北西に進路を取れ』(1959年)のオープニングでは、高層ビルの窓が作りだす上下のラインに沿って、キャストやスタッフのクレジットが並べられていくのに対し、『古畑』では漢字や仮名が一つひとつの枠のなかにぴったりとおさまっている。
 それは「仮想ボディ」と呼ばれる正方形を基準にして作られている日本語書体ならではの発想かもしれない。


『警部補 古畑任三郎(第1シリーズ)』(フジテレビジョン)

 『古畑任三郎』の文字使いは、多くのフォロワーを生み、当時は田村正和のものまねと同じくらい様々なところでよく見かけた。
 1997年、ある地方の高校で行われた演劇の宣伝ポスターにも、やはり、どこかで見たような、マス目に白ヌキの太い文字が並んでいた。
 公演の日は、二学期の中間試験が終わって間もない、土曜の放課後だ。
 古畑任三郎が追試で来られないかもしれないという情報に戦慄しながら、私たちは暗幕のカーテンで音楽室の窓をおおい、体育館の倉庫から式典用の照明機材を運びこんで、手作りの舞台を設営した。それらの許可を学校に取りつけたのは全てA君である(彼はプロデューサーの手腕を買われ、のちに生徒会長になった)。
 クラスの女子や、運動部の男子、噂を聞いた先生たちが来てくれて、なんと満員御礼が出るほどの客席は、開演時間になるとやがて静まり返った。
 
 真っ暗な壇上に、スポットライトが当たり、古畑任三郎の姿が浮かびあがる。
 聴衆に向かって発せられる低い声。眉間に指を当てた、おなじみのポーズ。
 オープニング音楽のフェードイン。
 暗転の緊張と興奮。
 私の脳内ではずっと、あのタイトルバックが再生されていた。
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