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第20回

本音のカタチ

[ 更新 ] 2022.06.17
 執拗に絡んでくるのは、ひねくれ者の御曹司だけではない。
 文字もしつこく目にまとわりついてくる。
 極端な線の強弱、太い点画。ふつうの会話に使われる明朝体とは明らかにちがう。
 文字の太さと、線のスピードとを両立させる、反作用の回転を加えたような推進力がある。ボクサーが重いパンチを繰りだすとき、一瞬、腰を入れて、体をひねるように。


神尾葉子『花より男子』2巻、集英社マーガレットコミックス、1993年〈大蘭明朝〉


 この書体は〈大蘭明朝〉という写植の文字だ。
 〈ゴナ〉や〈ナール〉のように有名ではないけれど、みんな絶対に知っている。
 写研から〈大蘭明朝〉が発売されたのは、1975年。写植の時代を代表する定番の太ゴシック体〈ゴナU〉と同時期だった。開発に携わった書体設計士の橋本和夫氏は、「ゴナUの太さに対応する、写植文字の明朝体として最大の太さの縦画をもつ超特太明朝体」と述べている(雪朱里『時代をひらく書体をつくる。──書体設計士・橋本和夫に聞く 活字・写植・デジタルフォントデザインの舞台裏』グラフィック社)。

 『花より男子』は、1992年から2004年にかけて「マーガレット」で連載された。以前も何度かふれたように、それはつまり写植の全盛期であり、そしてデジタルフォントへの移行期にあたる。
 裕福な家の子息があつまる「英徳学園」に入学した「一般ピープル」の少女、牧野つくしが、なかでも超大金持ちでモデルのような容姿をもつ「F4」(花の四人組)と出会い、恋と友情を育む物語。累計発行部数は6100万部を超え、今もなお少女マンガの歴代一位であるという。
 たとえ原作を読んだことがなくても、映像を見た、あるいはインパクトのあるタイトルだけなら知っているという方は多いだろう。特に実写ドラマはアジア各国でリメイクされ、海外でも大人気となった。

 最初に「ハナダンがおもしろい」とすすめてくれたのは中学の友達だった。
 当時ほしいマンガを全部買えるだけのおこづかいはなく、もちろん、電子書籍のサブスクリプションサービスなんて影も形もないころの話だ。クラスの中に「ジャンプ」を買う担当や「マガジン」を買う担当が自然といたし、単行本の新刊が出たら男女問わず友達と共有することが当たり前だった。さらには友達の兄弟や姉妹のマンガまで自然と回ってきて、そうして出会った作品がたくさんある。
 なかでも特に仲のよかった彼女が『花より男子』の担当で、高校に上がっても、途中でクラスが別々になっても、通学電車の中でマンガを貸し借りするのが楽しみだった(ちなみに私は吉田秋生の担当で、『BANANA FISH』とか『YASHA─夜叉─』とかを彼女に貸した)。だから今回この原稿を書くために『花より男子』を読み返しているあいだ、高校生のころの彼女の顔が、ずっと頭に浮かんでいた。

 しかし巻数が増えるにつれて、その懐かしい顔は次第にぼやけていく。同時にストーリーの記憶も曖昧になっていく。
 昔、あれほど熱心に読んでいた「ハナダン」なのに、なぜなのだろう。
 ながい連載のあいだに、高校を卒業し、上京し、彼女と離れ離れになってしまったからかもしれない。あるいは、社会人になったばかりで余裕もなく働いていた時期と、物語の終盤が重なっているからかもしれない。
 ともあれ、細部を忘れていたおかげで再読自体はとても楽しめた。
 「つくしと道明寺司が結ばれるのは今度こそ無理かもしれない……」などとハラハラしながら物語に没入し、そして読み進めるほどに、あることを確信した。『花より男子』の〈大蘭明朝〉は「発明」だと。
 登場する頻度からいえば、もっとも多いのは通常のセリフに使われる〈太ゴ+アンチック〉である。それでも〈大蘭明朝〉こそが影の主役とさえ言いきれる、その理由は、ここぞというときに威力を発揮する見事な使い方だ。
 登場人物の怒りが爆発する場面では、渦巻く感情が起こす大きなうねりを想像させ、正面切っての対決となれば、舞台に上がったイキのいい役者の口上を思わせる。
 マンガによく使われる〈ゴナ〉の場合、物理的な力の大きさをあらわしているのに対して、〈大蘭明朝〉でかかれたセリフは、同じ重さのエネルギーでもスピードがともなうために、内面で激しく揺れ動く感情の起伏を伝える効果がより強い。単純な喜怒哀楽の表現や、雰囲気の演出という域を超え、心の奥底から吐きだした言葉のように見える。


神尾葉子『花より男子』9巻、集英社マーガレットコミックス、1995年〈大蘭明朝〉


神尾葉子『花より男子』10巻、集英社マーガレットコミックス、1995年〈大蘭明朝〉


 同じ感情の発露でも、あっと驚く使い方をしているのが次の場面だ。嫌らしい金持ち自慢をするクラスメイトたちの会話。媚びをふくんだしぐさで腰をくねらせ、発情したような嬌声が文字から聞こえてくる。
 声のトーン、話すテンポ、スピード。さらには目標方向と距離を意識しながら喋っている心理状態まで「手にとるように」わかってしまう。


神尾葉子『花より男子』3巻、集英社マーガレットコミックス、1993年〈大蘭明朝〉


 それはセリフを「読む」というより、心の中で文字の筆脈を「なぞる」行為に近い。
 「筆脈」とは書道用語のひとつで、「書の文字間・点画間における気持ちのつながり・流れ」を指し、「気脈」ともいう。〈大蘭明朝〉の仮名は、筆脈に手書きのような熱量があり、有機的で生々しい。私たちは無意識のうちに、文字に響く心臓の鼓動を感じとっている。
 だから、つくしが道明寺との交際をあきらめて別れを告げる場面では、書体の違いが胸に迫った。
 住む世界が違っても、いつも本音で道明寺にぶつかっていたつくしとは別人のような声だったから。
 その言葉が本音ではないことを、ひょっとしたら、彼女自身も気づいていない。
 読み手である自分だけが知っているような気がした。


神尾葉子『花より男子』15巻、集英社マーガレットコミックス、1996年〈石井太明朝 BM-A-NKL〉


 『花より男子』をリアルタイムで読んでいたころ、その理由を深く考えてみようとはしなかった。お気に入りのキャラクターについて、あるいは実写化されたキャストの配役について、友達と語り合うことはあっても、ふきだしの中の文字をどんなふうに感じているかなんて訊ねる機会もなかった。私たちは、ずっと、ずっと同じものを読んでいたのに。書体の名前は知らなくても、その文字に間違いなく心を動かされていたのに。

 今にして思えば、十年以上にわたる原作の連載が時代の大きな変化と重なりながら、写植書体で貫くことができたのは幸運だったのだろう。あのころ、途中でデジタルフォントに切り替わったマンガはいくつもあった。

 『花より男子』の連載終了から月日が流れたころ。
 2015年に『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』の連載がはじまると聞いて、胸がおどった。なんと『花より男子』の続編だという。
 読みはじめてすぐに私はがっかりした。
 おなじみの「あの書体」、〈大蘭明朝〉がどこにも出てこなかったからである。
 おそらく『花より男子』なら〈大蘭明朝〉の出番であったろうという場面で、別の書体が使われている。代替のメインは〈マティス〉で、他にも〈ぶらっしゅ〉や〈ハッピー〉、〈新ゴ〉など、写研書体と似たフォントが選ばれているのだが、似ているがゆえに違いが気になって、せっかくの続編なのに懐かしさがよみがえってこない。


神尾葉子『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』1巻、集英社ジャンプコミックス、2015年〈ぶらっしゅ・ハッピー〉


神尾葉子『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』1巻、集英社ジャンプコミックス、2015年〈マティス〉


神尾葉子『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』1巻、集英社ジャンプコミックス、2015年〈新ゴ〉


 ところが、その居心地悪さは、やがて不思議な感慨へと変わっていった。
 『花のち晴れ』の舞台は、F4が卒業して二年後の英徳学園である。しかし、どうやら読者が知る学園とは様子がちがっている。かつて君臨していたF4のリーダー、道明寺司にあこがれて新たなグループを結成するが、実際はメンタルが弱い「ヘタレ男子」の御曹司と、お嬢様のふりをしている「隠れ庶民」のヒロインが出会い、新しい物語が始まる。
 またしても貧富の差を超えた恋。そこに描かれているのは同じキャンパス、同じ制服を着た生徒たちであるにもかかわらず、文字が違うだけで、決定的な不在が伝わってくる。ライバル校の急成長によって変わってしまった学園の空気も、F4がいないという事実も。
 だから、二年後の設定でも、まったく違和感がない。
 むしろ〈大蘭明朝〉と比べて理性的な印象の〈マティス〉は、以前よりも本音でぶつかりあうことを避けるようになった若者たち――ネット通販やSNSを使いこなすデジタルネイティブのキャラクターたちのためにあつらえたようだと感じる。
 では、作り手は、あえて〈大蘭明朝〉を選ばなかったのか。
 おそらくそうではないだろう。『花のち晴れ』は「少年ジャンプ+」というWebメディアで連載された。紙媒体からデジタルフォーマットへ、少女マンガ誌から少年マンガへ。二重の移籍に加え、物語は二年後だが、実際には十年以上の空白期間を置いた制作現場で、パソコン用のフォントではない〈大蘭明朝〉を使うことが選択肢にあったとは思えない。


神尾葉子『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』12巻、集英社ジャンプコミックス、2019年〈マティス〉


神尾葉子『花より男子』26巻、集英社マーガレットコミックス、2000年〈大蘭明朝〉


 物語最大の見せ場は、ついに伝説のF4全員が集結するシーンだ。
 叶わなかった願いではあるけれど、想像してしまう。
 もしも、彼らのセリフに〈大蘭明朝〉を使うことができたなら、その融合は、今までに味わったことのないカタルシスをもたらしたのではないか。
 2024年、ついに写研書体がパソコン用フォントとして発売されることが決定したという。そのニュースを聞いて、今から期待せずにはいられない。
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