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第268回

地球が許してくれる。

[ 更新 ] 2023.08.10
六月某日 曇
 久しぶりの外国へ、数日後に発つ予定。
 成田から午前中に発つ便なので、空港バスの切符を買おうと調べるが、コロナ以来、最寄の駅から成田空港までのバスは、ずっと運休している由。
 しかたなく、成田エクスプレスの切符をとる。朝の混んだ時間なのに、大きなスーツケースを持って新宿まで中央線に乗らなければならず、通勤のひとたちにすでに申し訳ない気分に。
 気を取り直し、持っていく荷物をつくったり、おみやげを確認したり、行先のデンマークの文学祭で喋るべきことを考えたりする。最後に、もう一度念のため、電子切符を見直す。
 出発の空港が、HNDと書いてある。
 NRTではなく、たしかにHNDである。
 えっ、成田じゃなく、羽田なのか! と、あわてて成田エクスプレスの切符を払いもどしに、駅まで走る。
 もしも念のための確認をしなければ、成田空港で、永遠に来ないコペンハーゲン行きのスカンジナビア航空を待っていたのかと思うと、恐怖に身が震える。
 ぞっとしながら家に戻り、お手洗いと風呂の掃除を念入りにおこなう。厄落としのためである。

六月某日 晴
 デンマークに着いて、四日め。
 ロシアのウクライナ侵攻のため、飛行機はロシア上空を飛べず、そのために飛行機に乗っている時間が以前より長くなっている、若い者でも疲れきってしまう、ましてや若くないカワカミさんはもっと疲れるはずだから、気をつけられたし。という注意を、ロンドンに住んでいる若い友人から受けていたので、デンマークでの仕事が始まるよりも数日早くデンマークに来ている。
 一日の大半は静かにホテルの部屋で仕事などして過ごし、合間に市内の博物館か美術館などに行ったのち、帰りに市場かスーパーマーケットに寄って総菜と野菜と果物とビールを買い、夜になってからホテルの部屋でひっそり飲み食いする。という四日間を過ごしていたので、時差もすっかりとれ、快適。
 今日は、近くのセブンイレブンでソーセージとサラダとビールを買い、夕飯に。
 レストランに行くよりもずっと安上がりなうえに、持ってきたおりたたみコップ、プラスチックの皿や箸、子ども用安全包丁などによって、キャンプ的な楽しさも。
と書けば、いかにもステキな感じだが、ようするに、若いころの倹約旅行とまったく変わらないタイプの旅をしているにすぎないことは、自分でもよくわかっています……。

六月某日 晴
 日本に帰る日が近づいている。
 デンマークでいちばんの高級スーパーに行き、みやげのチョコレートなどを買う。
 いちばんの高級スーパーだが、デパートや空港などにくらべ、格段に安価で気楽。
 ようするに、若いころの倹約旅行とまったく変わらない……以下同文。

六月某日 曇のち雨
 日本に帰ってきて、一週間。
 久しぶりにジムに行き、踊る。
 旅行のおみやげにと、レッスン仲間に、チョコをひと粒ずつ配る。
 家に帰ってきてから、個別包装されたチョコの入っていた空き袋をぼんやり眺めると、「イタリア製」と書いてある。
 デンマークみやげですのよ、おほほほほ、と言いながら配ったのに……。
 そういえば、デンマークのスーパーマーケットでみやげを探した時に、このチョコ以外に個別包装のチョコレートはなく、他のデンマーク製のチョコは、すべて個別包装などはされないまま、昔の日本の大袋のせんべいのように、大袋にどさっとはだかで入っていたのだった。
 さすがSDGsの国である。
 でも、レッスン仲間には「デンマークのチョコですのよ、おほほほほ」と断言しながら、渡してしまった。
 しばらく、くよくよ悩むが、SDGsだから地球が許してくれるよきっと、という、意味不明の言葉が脳裏にうかび、悩み消失。
 夜中、三時ごろ、ぱっちりと目が覚める。まだ時差が残っているのかしらん、あるいは、地球は許してくれなかったのかしらん、と、ぼんやり思いながら、二度寝。
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