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第10回

格好と大人

[ 更新 ] 2022.06.14
「当店のご予約の際には顔写真付きの身分証明証のご提出をお願いしております。何卒ご了承のほどお願いいたします」という丁寧なメールを見ながら、まいったなーと溜息をついてしまった。何のご予約をしようとしたかというと、タトゥースタジオである。私の腕には20代のころ若気の至りで自分で入れたへなちょこなタトゥーが入っているのだが、これをいいかげんプロの手できれいにリニューアルしたいとずっと思っていたのだ。いろいろ考えて入れたい柄も決まったし、近場にいい感じのスタジオも見つけたしサクッと入れちゃうかと思ってメールフォームでお問い合わせしたら上記の通りになっちゃったのだった。健康保険証しかないんすよね、身分証。仕方ないので近日中に原付免許を取りに行く予定です(マイナンバーカードなんか絶対作らねえぞ)。

 外観、アウトフィットというのは、他人に「大人げ」を判断されるビビッドなポイントだと思う。その観点でみると、自分はそうとう大人げがない。普段はだいたいラーメンマンみたいな髪型(色は赤紫)に10個以上のピアス、タトゥー、服はアロハやスカジャンにサンダル履きかvansの派手なスリッポンがメインという大学に行かない大学生みたいなスタイルをしているのだが、かといってべつに若く見えるタイプなわけでもなく、「なんかよくわからないひと」として都市生活に溶け込んでいる。溶け込めてるのか? とにかくずっと終わらない夏休みみたいな格好で生活している。自分で選んだ好きなファッションだけど、たまに「いつまでもこんなカッコしてていいんかな……?」という疑問が浮かんでこないこともない。あまりにうさんくささ丸出しスタイルなので、引っ越し物件を探すときは通販で買った地味スーツと阿佐ヶ谷姉妹みたいなカツラでカタギに「変装」して不動産屋を回ったくらいだ。

 シックで大人っぽいファッションスタイルを身に着けたいという気持ちと、服装に「年甲斐」なんてちゃんちゃらおかしいぜという気持ちが両方ある。さすがに葬式と結婚式くらいはソレっぽい格好を心がけているが、心のままに服を選ぶとどうしても「大人げ」から遠ざかってしまう。かててくわえて、自分はオタクである。オタクというのは、そのときそのときハマっているものに関係したファッションアイテムを取り入れたがってしまう生き物だ。ゴシックっぽい要素のある作品にハマっていればGOTHになるし、サイバーパンク系にハマればあらゆる持ち物が七色に光りだすし、公式から出るキャラクターグッズやアパレル商品を買って身につけたくてしょうがなくなる。可処分所得があるオタクはその欲望に歯止めをかけることができない。

 あと作品によっては推しキャラにイメージカラーがあることがあり、そうなると爪を推しカラーに塗ったりとか、今までひとつも持ってなかったような色のカバンとか小物がどんどん増えていき、それを人生の中で幾度も繰り返していくうちに手持ちのワードローブやアクセサリーや小物のテイスト・色がバラッバラになって収拾がつかなくなっていくのだ。今の私は主に2つの作品の2組のカップリングにハマっているので、紫と赤、蛍光グリーンとイエローの組み合わせがインテリアや小物類を侵食している。もちろん昔ハマった作品のそういうグッズもとっといてあるので、どんどん統一感が失われていく。たぶん全部集めたら色相環が作れる。

 昔(20~30年くらい前の昔を指しています)はオタク・グッズはわりとこそこそ、もしくは開き直って使う雰囲気だったが、今はみんなフツーにアクキーとかぬいとか缶バッヂをバッグにくっつけてそのへんを歩いている。オタク趣味は確実にカジュアル化したし、オタク人口も割合として増えたと思う。オタと非オタの境界線もだいぶ曖昧になった。つまり、オタク・グッズを身に着けて外に出るとそれが「わかる」人が増えたということでもある。オタクを取り巻く文化、空気が変わったことは上記の通り認識しているのだが、それでもいにしえの記憶が若干の「恥ずかしさ」を喚起してしまって堂々とオタグッズを持ち歩けない。キーホルダーくらいならなんとか……。でも最近のグッズ類ほんとおしゃれになったよね……ジャンルにもよるけど。

 大の大人がぬいぐるみやキャラクターグッズを身に着けて歩いても後ろ指さされなくなったのは、ほんとにいい時代になったと思う。大人ならこれこれこういうスタイルのあのブランドのこれを持ってないと、みたいな、知らないうちに決まってたらしい“ルール”を常識のように掲げるファッション記事も以前ほどは目にしなくなった(今でも『東京カレンダー』界隈にその文化は残ってるのかもしれないが)(あと日本が全体的にビンボーになってそんなこと言ってられなくなったという哀しい事情もあろう)。私のファッションも大人げはないけど、大都会メガロポリスTOKYOで暮らしてるぶんにはとくに非難されたりはしない。自由だ。自由なのはいいことだ。分かってる。しかしこの自由さに、実は私の心の一部は、不安を感じてもいる。

 この連載のタイトルにもあるように、私は40過ぎだが大人になりたい。自分が大人になったと納得したい。誰かから大人だねと言われたい。いま、大人のゴールは蜃気楼のように揺らいでいて、ほんとうにそんなものがあるのかどうかも分からないし、摑んだと思えば逃げられてしまう。だから惑っている。惑うのは、楽しいときもあるけど疲れるときもある。いや、だいたい疲れる。「大人はこういうものですよ」というモデルがあったら、誰かが何かを指し示してくれたら、具体的な目標があったら気が楽なのになと思う。こともある。正直なところ。「何をしても自由ですよ」というのはつまり、何もかも自分で選択して決めなきゃいけないということだ。めんどくさいし、やってらんねえと思うときもある。

 だが。だがしかし。なぜかは分からないが、それじゃダメだと私のソウル~魂~が叫んでいる。それじゃダメなんだ。めんどくさくてやってらんねえし正解がいつまで経っても見えないけど、どういう大人になるのかだけは、自分で探して選んで決めなきゃいけないんだ。ファッションセンスも含めて。魂の叫びなので根拠および参考文献やエビデンスはない。そして今日も私は宇宙空間に子猫が何十匹も浮かんでいる柄の上着をひっかけて深夜のコンビニに行き、煙草とガリガリ君を買って帰る。(以下次回)
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