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第8回

一生の夢、叶う

[ 更新 ] 2022.03.11
 2021年、一生の夢が叶った。ついに、高所作業車に乗れたのだ!
 電柱の建て替え工事を見せてくださった(第6回「一生の夢」参照)関電工さんから、今回は「配電線工事の資材庫を見に来ませんか。高所作業車に乗って研修用の電柱も見られますよ」という最高のお誘いをいただいた。

 私たちが使う電力の流れをさかのぼると、発電所へたどり着く。
 作りたての電気は、鉄塔に架けられた送電線で変電所に送られ、電柱と電柱の間や地中に布設された電線を通って家へ届けられる。こうして家や会社などへ電力が配られることを「配電」と呼ぶ。
 とてもざっくりとした説明だけれど、私が普段愛でている電線はほとんどが「配電線」だ。
だから、電線が布設されている場所というと、私はまず空中を思い浮かべる。

 配電には空中を通る「架空配電」と、地中に埋められた電線を使う「地中配電」の2種類がある。「架空配電」の電線はどこに電線が架線され、どんな道すじで電気が通っているかが見て分かるが、電柱のない道の下にも「地中配電」で埋められた電線が張り巡らされているかもしれない。
 だから、地中配電の目印になる資材さえ見つけられれば、路上にいながら、地中で働く電線の存在を感じられるということだ。雪上に残った小さな足跡を見てウサギやタヌキの姿を思い浮かべるようなものだろう。実際に路上観察界隈では、暗渠あんきょ好きな人たちは暗渠となった路地の細さや曲がり方を見て、以前そこに流れていた川を見ることができる。片方だけ落ちた手袋「片手袋」や、民家の軒先に置かれたアロエや鉢植えなどの「路上園芸」 など、一つのものを熱心に追いかける人たちの目は独自の発達を遂げているのだ。
 地中配電を知れば、電柱が地中化された道でも、地中に埋まった電線であっても愛でられるようになるかもしれない。
 そうなれば、選択肢は一つだ。メモとカメラを持って、関電工へ向かった。

 今回の見学はまず地中配電(地配ちはい)に使う「地上機器」の説明から始まった。
 無電柱化されている都会の道の端には、控えめなくすみグリーンやこげ茶色に塗られた大きな金属製の箱が置いてある。これが地上機器だ。
 誰でも手の届く場所にあるのに、実はほとんどの人が気にしていない秘密の箱は、街に溶け込み、電柱の上よりもさらにひっそりと働いている。
 くすみグリーンに塗装された箱は、街で見かけると経年変化でペンキの色が褪せているものがあったり、粉っぽい質感になっているものがあったりして、アイシャドウのように微妙な違いとバリエーションがある。

 地上機器の箱の色は、電力会社からのオーダーで決められるそうで、ところによっては地図や絵などでラッピングされているという。
 調べてみたら、銀座では実際にラッピングされた地上機器が設置されているそうだ。
 銀座といえば早くから無電柱化を進めている場所であり、箱の表面にデジタルサイネージ(映像を使った広告)のモニターがついているものまであるらしい。電柱広告の最新型と言ってもいいだろう。
 『三丁目の夕日』の世界で、映画『ブレードランナー』(1982年版)の物語が起こったら背景に登場しそうだ。電柱広告を中心にしたレトロ世界とSF世界の渦がある気がする。
 電柱や地上機器に広告がつけられるのは、その姿が街に馴染み、どこにでもあって珍しくないことと、珍しくないものだからこそそこに載せたメッセージが引き立つからだろう。
 私も広告に出る仕事では、私の見た目がよくいる人間の形であり、ある種の目立たなさが商品やメッセージを引き立たせるからこそ採用されているのだろうとよく思う。これに気づいてから、電柱や地上機器にはある種の仲間意識を持っている。

 地上機器には大きく分けて三つの種類がある。
 一つは配電回路のスイッチの役割を持ち、電気の流れを切り替えるための「多回路開閉器」、もう一つは電力6600Vの高圧から、家庭用の200V・100Vの電圧に変える「地上用変圧器」、そしてもう一つが変圧器から配線された低圧配電線を家やビルまで分配するための「低圧分岐装置」だ。

 見た目はほとんど変わらないように見えるけれど、よく見ると地上用変圧器の箱には、小さな窓がついている。これは、変圧の際に発生する熱を逃すための換気口だ。
 電柱の上にある変圧器にもひだ襟のような「放熱板」という名前のプリーツがついているものがある。これはプリーツによって機材の表面積を広げ、変圧の際に出る熱を放出するための仕組みだ。
 こんなところからも、箱に入った地上用変圧器と柱上の変圧器が同じ役割を持つ機材だとわかる。


地上用変圧器。これはちょっと古そう。隙間から覗いてみても、中は見えない。換気口が人通りのある側と、裏側に作られているタイプのものがある。


こちらは柱上変圧器。おしゃれ心をくすぐるプリーツにも、大事な役割がある。プリーツの小さいものや、つるっとした円柱状のものも見られる。

「低圧分岐装置」は、箱の右下の部分に「LS」という表記がある。
 中を見ると、三段にわたってドリンクバーの注ぎ口部分のような金属製の部品が並んでいる。実際に街で使われている機材では、注ぎ口のような部分からケーブルが延び、変圧された電気を家々へ配っている。
 電柱の上にある形でなら見たことがある方も多いだろう。


低圧分岐装置(左)。箱の右下に「LS」の文字が見える。地上用変圧器(右)。(30+80)は電力30+電灯80kVAの変圧器の組み合わせという意味らしい。


電柱上の開閉器(PAS)。開閉器を大まかに説明すると、電気回路のスイッチにあたるもの。工事で一時的に電気を止めたり、停電の際に電気の流れを切り替えて復旧作業をスムーズにする。


 いよいよ、高所作業車に乗せてもらうときが来た。
 高所作業車のゴンドラは、電気工事士さんの手元のコントローラーで、細やかに角度や高さを調整できる。腰に赤い命綱を着けてもらうと、ゴンドラは12メートルまですうっとなめらかに登った。高さはマンションの4階くらいに相当する。気付いたら、いつも首を直角にして見上げている高圧配電線が目の前にあって「おお」と思った。


いつも見上げている電線が目線の高さに……どころではなく、触れる距離にある! 触れる! この風景と高さに平常心でいられる強者たちが、街の電線をつなげている。

 電気工事士さんの操縦はもちろん上手だ。しかし、ゴンドラは資材を載せない状態ではけっこう揺れる。そこから半身を出して作業するのは怖くないのだろうか、と聞いてみたら「怖かったら仕事にならない」と言われた。
 そりゃあそうなのだ。このゴンドラこそが電気工事士さんの仕事場なのだから。


登っていく最中のゴンドラから撮った一枚。下を見ながらだと怖いので片手でゴンドラのふちを掴んでいる。登っていく私を電気新聞のカメラマンさんが撮影している。

 実際に高所作業車に乗っていた時間はどれくらいだったのだろう。
 ゴンドラの上は風も強く吹く。ここから紙飛行機を飛ばしたらどこまでもどこまでも風に乗って飛び続けそうだ。高いところにいる気持ちよさ、下を見てから3秒遅れてやってくるビリビリとした怖さ、そしてなんと言っても、念願の高所作業車に乗れているという状況の嬉しさで気持ちは昂った。
 それに加えて、目の前の電線を撮りたいという欲望、触ってもいい(研修用の電柱なので、電線に電気は流れていない)という興奮。もちろん躊躇なく、ぎゅうぎゅうと電線を触った。
 実際の現場で目の前の電線に電気が流れているときは、首や腕の毛が逆立ち、雨の日はなんだかビリビリとした感覚もあるのだそうだ。

 プロの操縦するゴンドラに乗ってなんてことないように上に登って、私は覚悟や責任感もなく電線に近づき、電線と電線の間に頭を通し、電線に触った。
 人の職場へズカズカと来て「これが日常なんですね」と「素直に」驚いて見せるのは、テレビリポーター時代にインストールしてしまった独自の失礼さであり、よく言えば度胸にも似た態度だという気がする。
 けれど、私は改めてびっくりした。かっこいいと思ってしまった。これが働く電気工事士さんの目線の高さなのだ。

 小回りの効くゴンドラの位置を、3本横並びで配線された高圧線の間まで差し込んでもらった。右を見ても、左を見ても電線だ。
 自分の顔の両側に延びるケーブルは黒々として控えめなつやがある。頬ずりできる距離だけど、ここで乗り出したら落っこちかねない。
 この頃、東京電力管内の地域では、雪に強いヒレ付き電線を用いるのが一般的になっているのだそうだ。雪対策のためにつけられたヒレは本当にささやかで、プラモデルの部品についたバリくらいの、これがそうだと言われなければ気づかないほどだった。
 同乗した方は、説明ついでにカッターでヒレをすいっと削いだ。ケーブル同士をジョイント(接続)するときに、ヒレをつけたままではぴったりくっつかないので、ジョイント部分は削いでしまうのだそうだ。

 楽しかったし、怖かったし、もっと上にいたかった。
 仕事にすればいくらでも登れるよと言われ、本当にそうなんだよなあと思った。
 でも、仕事にしてしまったらこうやって、うっとりした気持ちで電線を愛でるより前に、目の前の作業を進めていかなくてはならなくなる。そうしたら、私は電線愛好家ではなくなってしまうのではないだろうか。
 どこかに、趣味の人が気ままに高所作業車に乗れる場所があったらいいのに。もし私が莫大な資産を持ったら、家の敷地に研修用の電柱を立てて、気ままに高所作業車に乗り込み、電線と気ままにランデブーしたい。

 あっという間に下へ降りてしまうのが嫌で、何度か「あっちの方も見ていいですか」「今度は低圧線も近くで見せていただけませんか」とお願いして、電線のそばにいる時間をちょっとだけ引き延ばさせてもらった。そのあいだも、関電工の方々と電気新聞記者の方は地上で待っていてくれた。
 お昼過ぎに着いて、帰る頃にはすっかり日が暮れていた。
 人の時間をたくさんもらってしまったなあ、と思いながら、せめて電線のどんなところが面白いかはしっかり伝えないと、せっかく語ってもらった説明の一つ一つが泡になって消えてしまうようで怖い。感じた楽しさが大きいほど、伝えられないのが怖いのだ。

 今日教わった知識は、配電工事に携わる方なら当たり前のことばかりだ。
 資材庫での私は、事前情報ゼロで地球へやってきて、かろうじて言葉の話せる生き物くらい何も知らず、何でもかんでも細かく、基礎的なところから質問する。椅子を指差して「これは何に使うものですか?」、椅子のカバーをめくっては「これはどうしてここについているのですか?」と聞いて写真を撮り、メモをとるようなものだ。
 せめてもう少し基本的なことを頭に詰め込んでから行くべきなのだが、つい、資材を前にするとプロにあれこれ一から聞いてみたくなってしまう。できることなら、贅沢にプロから聞いた言葉で私のメモリを満たしたいという乱暴な甘えでもある。おかげで、帰り道では電線の見え方がよりクリアになり、一つひとつの資材への焦点がきゅっと合う感じがする。

 取材時の私はとても元気なのだけれど、終わった後は「みんながすごく親切だった」ことが、急に申し訳なくなり、がっくりとうなだれる時間がある。
 私はただの電線好きなのに、電線のプロが時間を割き、ごく基本的なことを、懇切丁寧に教えてくれるのだ。仕事で電線を扱う人たちは、配電について日々の業務の中で少しずつ学んでいけるし、現場に出る前に勉強もされている。一方で私はまだまだ知らないことばかりで、こんなに沢山の時間をかけてもらって、やっと少し分かるようになる。
 まあでも、趣味ってそういうものだよな、と思い直して、引き続きマイペースにやっている。ここまでが一連の根暗マッチポンプだ。
 電線周りの資材のことは、知りたいと思わなければ、知らなかったであろうことばかりだ。仕事ではなく趣味で電線を見ている私は、知りたいことを見つけたときにしか知識の枝を伸ばせない。
 電線に限らずどんなことだって、ちゃんと知りたいと思ったときにしか知れないのだ。

 犬の散歩がてら近所を歩いていたら、送電線と配電線と、通信線がそれぞれのレイヤーごとに間隔を保ちつつ重なっていた。
 なかなか登れない高いところと、いつも歩いている低いところ、どちらもこの目で見たことで、電線と人の生活は、別の高さと間隔で繋がり合っているのだな、と納得した。私が触れられない電線に触れる人がいるおかげで、今日もなんとか生きているのだ。
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