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第11回

恋バナと大人

[ 更新 ] 2022.07.01
 本当は真面目な話をしようとしたのだ。選挙も始まったし。けどちょっと今、心身のコンディションがイマイチで(季節の変わり目ですな)ややこしいことを考えるパワーがぜんぜん湧いてくれない。困った。胃も口の中も荒れてるし爪も割れるしマジでテンションが上がらない。なのでほんとうに申し訳ないけど、今回は気楽なテーマで一席やらせてください。辞書とかCiNiiとかひかなくても書ける話をする。恋バナの話をします。恋の話ではなく、恋バナの話。

 自分がするにしても他人のを聞くにしても、恋バナが身近、日常的というタイプの人生とそうでもない人生がある。私は圧倒的に後者である。友達とか親類とか、個人的な付き合いのある人間の多くが恋愛に対する興味がない~薄い~プライオリティが低い系の人たちで、それこそ丸一日一緒に飲んでても政治の話はしても恋バナは毛先ほども出ないとか、ざらにある。私本人も、性愛に対する興味と実行意欲はそこそこあるけど、人生の中の優先順位はあんまり高くない。仕事やオタクごとが忙しかったらそっちが優先になるくらいのイキフンである。

 そんなやる気のあんまりない恋愛プレイヤーだが、実は他人の恋バナを聞くのはかなり好きだ。恋愛は個々人の持っている「奇習」みたいなものがさりげなく露呈する話題だ。自分の常識、他人の非常識。仕事のやり方とか酒の飲み方は知っている相手でも、恋愛のやり方を聞くと「そういうタイプだったんだ⁉」と驚く話が出てくることが多い。そういう下世話な驚きを求めて、神妙な顔をしてありがたく拝聴している。

 学生時代に部室やマックで聞く恋バナと、成人してから聞く恋バナ、基本的に内容に大きな違いが表れないのも恋バナのおもしろいところかもしれない。子供時代の恋は当人に背伸びをさせるし、大人になってからのそれは当人を幼く(もっというとアホに)する作用があるのかもしれない。話してるほうも聞いてるほうも、恋バナによる解決や発展など望んでいない。先にも書いたとおり私は性愛にそれなりに親しみたいし愛着も持っているが、恋愛はどっちかっつうと人間の「愚行権」カテゴリに入るものなんじゃないかと思っている。なくても死なないもの(例えば文学とか)を必死に追い求め、いらんことをし、いらんものを求めることに人間の人間たるゆえんを感じるのだけれど、恋愛はその中でもとくに、やらんでも死なないけどやり始めるとすごくリソースを持っていく、アホな行為だと思う。「大人の恋」という慣用句があるけど、あるかよ、そんなもんと毎度つっこむ。恋をしている人間はみんなアホだ。アホの話は聞くのもするのも楽しい(まあ大人の恋というフレーズは不倫やエグめのセックスプレイの言い換えとして使われることがほとんどですが)。

 しかし悲しいかな、恋バナというのは自らも恋バナをする人の周りに集まってきがちなので、めったなことでは耳にできない。私も少ないながら話題の提供側になることはあるけど、なんていうか、聞いてて楽しいような起伏に富んだ恋バナをできたためしがない。だいたいうすらボンヤリしている。他人様の恋バナをガンガン聞いておいてなんだが、やっぱり相手のある話なのでその人の許諾を得ていないような話は第三者に漏らせないな……みたいな気もするし。ネタになるようなドラマチックさにもあんまり縁がないし、そういう情熱は仕事や趣味で発散させてしまっている気がする。今まで複数回、お付き合いした相手から「お前はお前の書くものと違ってまったくロマンチックではない。話が違う」とクレームを入れられたことがあるので、これもある意味意外性なのかもしれない。いやしかし、作家が書いたもんと同じテンションで恋愛してたら原稿が落ちますよ。たぶん。以前、SMエロティックアートで有名な画家の方がトークショーで「たまに自分とリアルでSMプレイをしてほしいというファンが来るが、自分は実行派ではない。実際にやってたら描くヒマがなくなる」とおっしゃっていたのを聴いたことがあるのだが、けだし名言だと思う。

 苦手な恋バナもある。職場の恋バナだ。専業作家になる前、派遣社員や日雇いでいろんな業種を転々としていた。短期の仕事ならいいが、同じところに半年以上在籍するとどうしても人間関係というやつが出来てしまう。決まった休憩所以外どこへも行けない職場だと、半強制的に昼休みに会話タスクが発生する。そしてだいたいどこの現場でもアグレッシブな恋バナ好きがいて、片っ端から話を振られる。これが困る。なんとなれ、私はレズビアンで、一年もいないような職場でカミングアウトする気はさらさらなかったからだ(めんどくさいので)。かといって「現在恋人はいません」とか言うと、どこの現場にも一人はいるアグレッシブな合コン好きに飲み会に誘われたり、同じ職場の「余り物」とくっつけようと画策されさらにめんどくさいことになる。しこうして、私は持てるスキルの全てを使って、「架空の彼氏」を作り上げるはめになる。いかにも「私」と付き合っていそうな男性の設定を作り、覚え、会話の中にさりげなく織り交ぜる。飛んできた質問にも対応できるようディテールをつめていく。そのうち「埼京線沿線の印刷屋の社員でちょうど十歳上で飲み屋で隣の席だったことがきっかけでなんとなく付き合いはじめて現在半同棲、結婚の話を出すとはぐらかされるがたぶん向こうはバツイチで靴のサイズは27センチ、茨城県出身だが納豆が嫌いでAKBよりハロプロ派の毛深いおっさん」みたいな「彼氏」のいる「私」の生活が出来上がっていく。

 何人かにはウソだとバレてたかもしれないけど、ほとんどはバレなかったんじゃないかという自負がある。見てきたようなウソをつくのは得意だ。数ヶ月しかいない職場、数ヶ月しか会わない人たち、契約が終わればもう一生顔を見ることも名前を思い出すこともない人間関係。そういう稀薄なコミュニティの中では、私も年齢が成人しているというだけで「大人」とみなされる。大人なのでへらへらと彼氏と私の適当なエピソードを話す。大人なので平気でウソをつく。大人なので、本当はこのあと会って週末を過ごす予定の愛する女性のことは話さない。

 そういう生活をやめて、独立して、カミングアウトして、付き合って別れてを何度かやって、そうして十年くらい経ったけど、私は今もちょこまかとウソをついている。行きつけの飲み屋のカウンターで。美容室で。不動産屋で。「晶ちゃんは結婚しないのお?」という軽口に、ハハハと笑って「できないんですぅ」と返す。どうしてできないのかは詳しく説明しない。大人なので。いや、違うな。これはたぶん社会が悪い。(以下次回)
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