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第7回

仕事と大人

[ 更新 ] 2022.04.13
 私は自営業家庭で生まれ育ち、自らも個人事業主をしている。現在に至るまで、アルバイトは飽きるほどしたが正社員として雇用された経験は一度もない。生まれてこのかた定収入というやつにとことん縁がなく、いまだに半年先の自分の財布がどうなってるのかも皆目検討がつかない。それが「ふつうのこと」でずっと来てしまったので、収入が不安定なことに対して良くも悪くも危機感がない。小説家という半分バクチ打ちみたいな仕事をするにあたって、精神的にはわりと向いているタイプだと思う(あくまで精神的に)。

 かようにフラフラとした経済活動をしている身ですが、一応むかしの夢は「東京で会社員になること」だった。今思うと反抗期の一種で、どこまでも自由過ぎる自然派ボヘミアンの両親に反発し、かれらの対極にあるようなアーバンでカタギな勤め人になろうともがいたのだ。しかし不況は終わらないし高卒だし職歴が穴だらけだし、いくつ面接を受けても正社員どころか契約社員雇用も摑むことができなかった。そのうえなんとかバイトや派遣社員として一般企業に勤めても、ほとんどの職場や業務に馴染むことができず、一年以上同じ会社に在籍することもできなかった。落ち込む私に母は「あんた、もうそんな会社員になるなんて夢みたいなこと言ってないで、諦めて地に足つけてコツコツ真面目に芸術をやんなさい」と諭してきたのだった。

 非常に悔しいのだが、結果的にママンの言う通り、都会の会社員という夢を諦めて真面目に芸術をやりはじめてやっと、滞りなく家賃と光熱費が払えるようになった。このテの仕事は「夢を追いかけて努力して摑み取ったんですよね?」とキラキラした文脈で表現されることが多い。確かに夢のひとつではあったしそれなりに努力もしたけど、「自分がやれる中で一番ましな食いぶち」として消去法で選んだ側面もある。そういう人もいる。他の仕事をやり遂げる能力が、私にはほとんどないっぽいのだ。もし今以上に売れなくなったら……と考えるとぞっとするが、とりあえず今日明日の飯が食えてるうちにこの商売で頑張るしかない。

 仕事に対する考え方やスタンスは人それぞれだが、ざっくり分けると「仕事は苦役である」「仕事は権利である」「仕事は義務である」のどれかになると思う。労働に対する姿勢ってイデオロギーにも関わってくるのでどれが正解というものではないんだけど、どのスタンスであれみんな生きるためにそれをしているのは間違いない。仕事というとまず他者から報酬を受け取って行う賃労働が真っ先に頭に浮かぶが、賃金の介在しない家庭内での家事育児事務etc.も立派な仕事だし、ていうか生きるためにやる活動のほとんど全部仕事じゃないすか? と思う。今やっている仕事(賃労働)は権利&義務って感じだが、苦役としか思えない仕事をしていた時期もある。この先また苦役に戻る可能性もある。私が小説で書くのも、苦役や義務として仕事をしている人の話が多い。自分が苦しかった時期や、そこで出会った人たち、起こった物事が忘れられないからだ。

 今、書店に行けば平台には自己啓発系ビジネス書が山と積まれている。YouTubeにもそういう本を動画にしたようなやつがデカ文字サムネイルでどんどんアップされている。仕事が苦しいなんてそんなの考え方ひとつだよ! とか、苦しい仕事からはこうすれば抜けられる、これやらないで苦しいとか言ってる奴はバカ、みたいな言葉が振りまかれている。自分も鬱がひどかった時期は自己啓発書を読み漁って精神の均衡をとっていたのが、最近はとみに自己責任論に基づいたビジネス自己啓発が増えたよなあと思う。単純に、優しくない、そういうのは。苦しんでいる人間を「正解」のふりしていじめる悪しき自己啓発コンテンツは嫌いだ。人は停滞するし間違えるし、わかっちゃいるけどやめられない瞬間が人生には何度も起きる。選択したとも思わないうちに選択していることもあるし、そのことに後から気付くことなんてザラにあるでしょ。私はいっぱいあった。これからもあるはず。そういうままならなさを全部「自己責任」にまとめてしまうの、人間らしさの否定だと感じる。

 大人として仕事、特に賃労働にどう向き合うかという話は、フレッシャーズの季節である四月、五月にあちこちで目にするようになる。まあだいたい、先の自己責任系か、そっすよねーとしか言いようのない、当たり障りのない「まっとう」な言葉に溢れている。そうなんすよ、仰る通りなんすよ、分かるんすよ、と思いながらその「まっとう」に到達できなかった(今もしていない)身として、そういう言葉たちが不器用な若者を苦しめていないといいなあと思う。

 先日他社の担当編集氏と世間話をしていたら(このパターンが多いが日ごろ担当編集者諸氏以外とほとんど会話をしていないので許してほしい)「今の若い子は新卒の時点で積立とか財テクとかすごく勉強している」という話になり、しっかりしてるな……と世知辛いな……という気持ちが両方沸き起こった。何もかも不況が、つまり政治が悪いんですけど、とにかく現代日本は一回間違ってしまうと“詰み”という空気が蔓延している。実際、ドロップアウトからの復帰が難しい、貧しい社会だと思う。

 初手からコースアウトしているような41年を歩んでいる身として、失敗しても大丈夫だよ……と言うのは、簡単だ。私が大丈夫だったのは、ちょっと要領と運が良かったからだ。生存バイアスというやつである。私が若くヤバかったとき、大人にどうしてほしかったか考えたが、少なくとも「オレを見てみろ、大丈夫だって!」なんて無責任な言葉をかけてほしいわけじゃなかったことだけは確かだ。強いて言うなら、この世にはどんな選択肢があるのか、それだけ教えてほしかった。
 仕事は、なくても辛いしあっても辛い。苦役しか選べない、選択肢が極端に少ないときもある。そして自分が選べる選択肢が全て見える場合というのも、稀である。選択肢を教えてくれそうな人、身近に頼る人がいない場合もある。そういうときにはどうすればいいか。行政だ。行政に駆け込むのだ。頼りにならない国だが、それでも行政を使い倒すのはここで暮らす人間全ての権利だ。一人じゃどう駆け込んだらいいか分からないという場合は、サポートしてくれるNPO法人なども各地にあるので検索しよう。そうして今日一日を生き延びよう。

 生きることは仕事だ。と考えると、味気ないと同時に、仕事ならしょうがねえな、やる気ねえけど生きるしかねっかという気持ちにもなる。ここしばらくは自分にそう言い聞かせている。今日もよく働いた。(以下次回)
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