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第5回

インターネットと大人

[ 更新 ] 2022.03.18
 初めてインターネットに触れた日のことを覚えている。あれは通っていた高校の近くにあったバブルの余韻みたいな奇抜なデザインの市民センターに、唐突にパソコンコーナーが出来たときだ。Windows95を搭載した分厚くでっかいモニターのベージュ色っぽいコンピューターが並び、ふとっぱらなことに市民は無料で使い放題、ネットつなぎ放題。当時検索エンジンといえば天にも地にもYahoo!一強だった。というか他に何があるのかも知らなかった。ググれなかったから。セーラー服を着た私はどきどきしながら文豪mini(ワープロ)で鍛えたタイピングで検索窓に入力し、初めて回線の向こう、ここではないどこかへと接続した。最初にアクセスしたのは、米国のロックバンド、スマッシング・パンプキンズのファンサイトだった。

 そこから二十数年が経ち、現在の私は型落ちのDELL機でWordとTeraPadとChromeと付箋とカレンダーとLINEとAppleMusicを同時に立ち上げながら3分仕事をしては1時間TwitterをやりつつNetflixを観る生活をしている。かように堕落した、ソドムとゴモラにPentiumプロセッサを搭載したような日常を過ごしておるわけですが、いつの間にか人生の半分以上をどっぷりとネットに浸かって過ごしてきている。このどっぷりはマジのどっぷりで、特にフリーランスになったこの10年は起きている間のほとんどをネットに接続して生きている。今でこそ動画や画像が華のネット界だが、原初、そこはテキストの世界だった。文字情報が天下をとっていた。すなわち、人生が冴えなくて文章だけうまいやつが勝負に勝てる場所だった。あたしだ。冴えないオブ冴えない青春を過ごしていた私も、インターネットの中、テキストの世界でならイカした大人のナオンになれた。ネットのおかげで出会った友達、繋がった仕事、人脈、よかったことはたくさんある。やべえことや辛いことも経験した。気が付くと人生の思い出のほとんどがインターネット由来になっている。


 いまさらの自己紹介になってしまうが、私の職業は作家である。それも、自分でも立ち位置はよく分かんないんだけど、やや純文学寄りのエンタメ作家みたいな、直木賞も芥川賞もどっちも獲れなさそうな中途半端なゾーンにぼんやり立っている。いちおうメジャーデビューしてから10年くらい経ってるのだが、SNSはそれ以前からやっていた。やりまくっていた。今もやっている。以前はブログもやってたしその前はテキストサイトっていうやつ(ググろう)も持っていた。で、まあ、たまに聞こえてくるわけですよ。小説を書くこと、作家業っていうのは孤独な生業で、その孤独を友にしてこそ傑作が書けるんだから、小説家はチャラチャラSNSとかやって俗っぽく読者や編集と馴れ合ってちゃイカンよと。インスタントに時事問題に口を挟んだりご高説を垂れ流していると作家としての“格”が落ちるよと。Twitterなんかいくらやってても直木賞は獲れんぞと。そういう感じの「たしなめ」が、どこからともなく流れてくることがある。正しい。それはもう一点の曇りもなく正しいんでヤンスよ。私だってSNSは一切やらずに、ミステリアスでストイックなイメージでもって渋い表情であらぬ方向を見つめているモノクロの著者近影一枚だけ出してるクールな作家になってみたかった。世俗から超越した、大人の純芸術家。社会問題はもとよりネットの炎上みたいなくそ下らない話は耳にも入れたことのないような、森に住むエルフのような小説家。なれるもんならなってみたかった。

 けれどそれをやりきるには、私はあまりにもさびしんぼで俗物で孤独だ。もう10年以上、佐川とヤマトとゆうパックとネットスーパーとファミマの人以外とはほとんど喋らず、一人で起きて一人で飯を食い一人で仕事して一人で寝ている。別に誰かと同居して四六時中他人の存在を感じコミュニケーションしていたいわけじゃない。でも、あまりにも孤独で、寂しくて、そんなとき側に居てくれたインターネットにむしゃぶりついてしまった。インターネットはどこまでもテキストの力で闘える場で、私よりも年上のいい大人たちが思いつくかぎりのバカバカしいことを競うように発信していて、ゆえに大人にならないことを責めてもこない。何より、回線の向こうに人がいる。クソリプとか誹謗中傷とかを食らうこともたまにあるけど、それでも人の気配を感じることに安心せずにはいられなかった。確かに、それらを全部切り捨てて、本当に一人きりでストイックにひたすら原稿に向かっていたら、今頃は三島賞あたりはいけてたかもしれない(言うのは自由コーナー)。しかしもし孤独に負けてしまったら。今こんな連載もしていないかもしれない。私は孤高な人ではなく、ただただ人付き合いの苦手な文章のうまいさびしいやつなだけだから。

『あの頃ペニー・レインと』という映画がある。10代で『ローリング・ストーン』誌のライターに抜擢されたウィリアム少年が、70年代の狂乱のロックと恋とジャーナリズムに翻弄されていく姿を描く青春映画だ。ウィリアムはレスターという伝説のロック評論家の導きにより音楽ジャーナリズムの世界に入り、あるバンドのツアーに同行し記事を書くという大仕事を受ける。厳しい親に過干渉されていた地元から離れてきらびやかなセックスドラッグロックンロールの世界に触れ舞い上がるが、やがてロックスターの虚飾と自分の冴えなさに絶望しかける。そこでウィリアムは深夜、レスターの家に電話をかけるのだ。字幕だとだいぶ細かいところがはしょられてしまっているのだが、レスターは「クール(かっこいい)な連中とつるんだからって、君がクールになれるわけじゃない。でも俺たちには頭脳がある」と励ましてくれる。最後に主人公はレスターに「あなたが家に居てくれてよかった」(※携帯電話登場以前の話だからね!)と言う。それに対してレスターは「俺はいつだって家にいるよ。クールなやつじゃないからさ」と答える。このシーンが好きだ。レスターはドラッグもやるしまっとうな大人じゃないかもしれないけど、大人が子供に言ってあげられる最も優しいセリフのひとつだと思う。いつだってここにいる。自分はきみと同じだから。
 私もいつか誰かが深夜に電話をかけてきてくれるくらいには頼られる存在になったら、レスターのように答えたいと思う。私もいつだってインターネットにいる。週末の夜だってどこにも出かけずに一人でインターネットに居る。だって私もクールじゃないから。だから寂しくなったら、きみもいつだってインターネットに居ていいんだよ。(以下次回)

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