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第4回

趣味と大人

[ 更新 ] 2022.02.25
「ご趣味は……?」という質問をされると、いつも一瞬身構えるというか、答えに躊躇してしまう。それは私の主な趣味が「読書と映画鑑賞」だからだ。市販の履歴書のサンプルに例として書いてあるような、無課金アバターのようなスタンダード過ぎる趣味である。20代のころ一瞬だけ真面目に就職活動をしていたのだが、その際「読書とか映画鑑賞というありふれた趣味はありふれ過ぎてて、こいつ趣味がないんだなと面接官に受け止められます」みたいなことを転職サイトの人に言われてビックリしたことがある。そんな無体な。だってマジでこの二つと、あとはせいぜいオンライン麻雀くらいしか趣味らしいものは持ってないんですけど!? もっと詳細に、例えば「人がいっぱい死ぬ映画が好きです。臓物とか吐瀉物とかが景気よく大写しになると特に嬉しいですね」とか、「BLが大好きです。カップリングの好みは基本は可愛い系わんこ年下攻め×一見クールでシャイな年上受けで、受けはガタイがガッチリムッチリしていると最の高です」とか付け加えると本気の趣味っぽくなるかもしれないが、なんとなく面接等のオフィシャルな場で語るにはふさわしくない内容な気もする。

 私が子供の頃、すなわち80~90年代あたりまで、「大人の趣味」と「子供の趣味」は今よりもくっきり分かれていた印象がある。テレビゲームやマンガは子供の趣味で、ゴルフやカラオケは大人の趣味。音楽や映画も、子供や若者が好きなそれと40代以上の人が好むものは違っていた。だからなんとなく、子供の頃は自分も大人になったら「大人の趣味」を持つのかなと思っていたし、私よりちょっと上の世代の知人も同じような話をしていた。その知人は若い頃、今はロックに夢中な自分もオッサンになったら自然と歌謡曲や演歌を聞くようになるのだろうと漠然と信じていたらしい。しかし趣味ってそういうものじゃない。その知人は現在もロックとかヒップホップが好きだし、今は児童向けの番組に大人が熱狂し、ヒーローコミックが原作の映画にアラサー・アラフォーが大挙して観に行く時代だ。戦後すぐくらいに出版された古いエッセイなんかを読むと昔の大人が「大学生がマンガ本に熱中するとはゆゆしきこと、幼稚でいかん」みたいな怒り方をしているのを見つけて驚いたりする。今は大学生どころかそのちょっと上のアラサーくらいの世代が、一番マンガやゲームを消費している層だろう。

 趣味という話題でいつも思い浮かぶのが、母方の亡き祖父母だ。祖父はミステリ小説とクラシック音楽の二つを主軸に、カメラ、散歩、録画(ビデオデッキが出始めの頃は録画そのものがホビーとなる時代があったらしい)などの趣味を持っていた。手先も器用で、よく昔の洋画とかに出てくるでっかいガラスボトルの中に帆船の模型を作るやつ、あれとかもやっていた。祖母も英会話から日本舞踊にジャズダンスにドライブ(祖母の世代で運転免許を持っている女性はレアだった)に手芸と、数え切れないくらい多趣味な人だった。私の祖父母くらいの世代だと、趣味を複数かけもちしていた人の話をよく聞く。娯楽の種類が限られていたというのと、日本の景気が右肩上がりの時期に壮年期が重なっていて余裕があったんだろうなと思う。今は、いろんな趣味をお金をかけずにやれる時代になっている。映画鑑賞だって、映画館で観る場合もサービスデーやクーポンを駆使すれば一本1200円くらいだし、Netflixを筆頭に数多あるサブスクに加入すれば月1000円ちょいで一生かかっても観きれないほどの音楽や映画やドラマに溺れられる。ソシャゲだって無課金でもじゅうぶん遊べるし、マンガはしょっちゅう全巻無料キャンペーンや電子書籍ポイントバック祭りをやってるし。私たちは貧しくなった。そしてその貧しさの中で出来る趣味を追求していくと、だいたいが企業が提供しているサービスにおんぶにだっこするものに帰結してしまう。趣味の資本主義化だ。それはなんかやだなーと感じつつ、今日もDLsite(一般的な電子書籍やゲームのほか、ちょっとエッチなマンガやだいぶエロいゲームなども販売しているオタク向けサイト)からドカドカ送られてくるクーポンをクリックしてしまう。

 名乗るまでもなく私はオタクなので、趣味と人生そのものを直結させて考えてしまいがちだ。けれど見聞を広げると、「特に趣味らしい趣味は持っていない」という人もこの世界には大勢いるのが分かる。そういう話を聞いたとき、悪いオタクは「熱中する趣味も推しもいないなんて“一般人”の人生はむなしいでヤンスねえ! つまらないでヤンスねえ! 拙者はオタクで良かったでヤンス!」と無根拠な見下しにかかってしまうのだが、私は善のオタクを目指しているので、そういう悪しきオタクはiTunesカードの角に頭をぶつけてドブガチャを引きますようにと祈っている。趣味とはあくまで生活の余録であり、必要な人や余裕のある人が、好きなときに好きなようにやればいいのだ。

 じゃあ大人っぽい趣味、大人としての趣味とはなんだろう。それは、趣味の内容そのものじゃなくて、趣味との距離のとり方にあるのかもしれない。たとえ高級カントリークラブでのゴルフが趣味でもスコアが振るわない腹いせに同行者を5番アイアンで殴ったりしたらクソガキにも劣る(というか犯罪)し、幼児向けきせかえ人形のマニアでも、自分のお財布や時間に無理のない範囲で楽しみ同好の士ともわきあいあいとやれている人は、大人だ。趣味と自分を同一化させ、その趣味が批判されたら自分が批判されたと感じたり、他人が自分の趣味に興味を持たないと自分自身を否定されたように感じたり、そういう癒着した趣味との付き合い方はあまりにナイーヴだ。あくまでも主体である自分が、その外側にある趣味を楽しむというスタンスを保ち続けることが、大人にとっての趣味なんだと思う。

「趣味」はホビーの他にもセンスの意味でも使われることがある。私はそっちのほうはさらに自信がない。正直オシャレやインテリアに興味は大いにあるのだけど、どちらにもコンプレックス由来のひねくれた感情を持ってしまっているので、41年間(言い忘れましたが先日41歳になりました)それをこねくりまわした結果トンチキなセンスで固化してしまった。私のコンプレックスとはどれもすなわち「みんなと同じになりたいけど、みんなと同じにはなりたくない」というテーゼ&アンチテーゼでできている。これがちゃんとアウフヘーベンできればいいんだけど、そこはコンプレックス由来なので、「なら誰からも理解されないくらいのメチャクチャをやってやる」という「やけくその止揚」に走ってしまう。結果、モヒカンピアスに1年のうち9ヶ月を原色のアロハシャツとサンダルで過ごすという、洋ゲーのザコキャラみたいなセンスの中年が爆誕してしまった。フリーランスだし好きな格好をしても誰にも文句は言われないのだが、大人っぽくはぜんぜんない。ほんとはシックでモダンな大人の女に憧れているのに、ぜんぜんそういう風になれない。一念発起して40女向けのファッション雑誌などをめくってみると、大人になりたきゃ家賃の半年分くらいのクツやバッグを買えと迫ってくる。嗚呼、ファッキン・資本主義。そして何もかもを諦めて今夜もDLsiteでBL本を買う。(以下次回)


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