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第3回

人付き合いと大人

[ 更新 ] 2022.02.14
 自分は、正直言うと、人付き合いが得意なほうではない。喋り下手だし(とっさに言葉が出てこなくて、ごまかすために笑わなくていい場面で笑ってしまうくせがある)、人見知りだし、名前と顔を覚えるのが遅いし、話題が狭いし、元気に遊ぶ体力がない。しかしこの特性に気が付いたのは、30代を半ばも過ぎたあたりからである。じゃあそれまではどうだったのかというと、実は「自分は人付き合いがメッチャ得意だ」と思っていた。軽妙なトークと人懐っこく気さくな態度、豊富な話題で夜通し遊べるパーリィピーポーを自認していたのである。30代以前と以降で私の性格や体調がガラッと変わった、というわけではぜんぜんない。自分は人付き合いが得意でないとある日ハッと気がついたその時まで、心の底から「勘違い」をしていただけなのだ。

 たぶん、これを読んでいる私のリアルな知人友人は「いや、普通にコミュニケーションとれてるよ」と言ってくれる人が大半だと思う。なんなら「並より社交的だろ、お前」と思ってるかもしれない。たぶんそれも間違ってない。誤解のないように強調しておきたいが、人付き合いが「得意でない」のであって、「嫌い」ではないのだ。人と会うのも遊ぶのも好きだ。でも得意じゃない。ぜんぜんうまくやれてない。それに気が付くのに、なぜか30年以上かかってしまった。私はなんでも気付くのが遅い。アルバイト生活時代は接客やテレアポ系の仕事をよくやっていて、いずれも評価や売上がけっこう良かったのも、自分が芯からのコミュニケーション上手だと思いこむ要因になってしまった。生活がかかっていたから無理して頑張ってただけだ。ちなみに「自分は人付き合いが得意だ」と思っていた頃、私は人と会うとき、8割の確率で酒を飲んでいた。つまり、社交に酒の力が必要なくらいそれが不得手だったんだけど、当時は単に酒が好きだからだと思っていた。アホである。

 基本的に人は、年齢を重ねるごとに付き合う相手が増えていく。赤ん坊や幼児の頃は保護者や親戚、それからご近所さん、同級生、教師、友達、先輩後輩なんかが加わっていって、同期とか上司とか取引先とか恋人とか配偶者とか配偶者の親戚とか自分の子供とか自分の子供の友達の親とか趣味のグループとか大家さんとか主治医とか行きつけの店のマスターとか、どんどんどんどん“付き合い”のある人が増えていく。なかには自分から積極的に関わりたい相手もいるし、義理で仕方なく付き合っている相手もいる。自分の理想の大人像は、そういう加速度的に増えていく人付き合いを千本ノックのようにばしばし打ち返し涼しい顔をしている、そういうイメージだった。ゆえに以前の私もそういう大人になりたくて、ほとんど自己暗示に近い思い込みでもって「自分は人付き合いが得意」と思っていたのだろう。

「大人には付き合いってもんがあるんだよ」という陳腐な台詞、一度はどこかで聞いたことがあると思う。そこには「生きていくためには気が乗らない社交でもやらなきゃいけない時がある」というニュアンスが含まれている(言い訳に使う場合でも)。気乗りのしない人間関係でもそつなくこなせるのが大人であり、相手によって態度や距離感を自在に操り、プライベートやオフィシャルの顔を使い分けるのがスマート、となんとなく思っていた。
 しかし自分が今この年齢になって実感しているのは、人付き合いには気遣いという名のメンテナンスが必要で、なおかつ、自分が保全できる人付き合い案件にはキャパシティがあり、それを超える件数を抱え込むと不具合が起きるということだ。誰とでも広く浅くかろやかに付き合えるのが大人だと思っていたし、それが無理なくできる人もいると思うけれど、そうではなくて、大人の人付き合いって、「自分が今どれくらいのキャパを持ってるか」確認しながら社交をすることなんじゃないだろうか。
 私は決して友達が多いと言えるほうではないと思う。しかし今やりとりのある友人みなこの子供中年のスッカスカの社交力に付き合ってくれる得難い存在であり、みんなとってもいいやつなので、人数なんて関係ないと思っている。そして、私の社交のキャパシティは、たぶんこのくらいが限界なのだ。この範囲を大きく超えたらまた酒の力が必要になるし、気遣いもおろそかになってしまうし、それは長い目で見たら、自分のためにも相手のためにも絶対によくない。ちなみに、一番長続きしている仲の良い友人とは、だいたい2ヶ月間に短文のLINEが3~5往復するくらいのテンポで社交しており、これが自分の中で仕事関係と家族を除けば最も“密”な人間関係である。

 ここから急にパーソナルな話になっちゃうけど、実はわたくし長年鬱病を患ってまして、大波小波はあるが基本的に元気がない。それでもここ10年くらいは比較的明るく楽しく暮らしていたのだけれど、2021年あたりから急にガクッと調子が悪くなり、あわてて病院に駆け込んだりして持ち直しを図っている。そういう状態だとふいに「私は誰にも愛されない、優しくされない」みたいな憐憫モードに入ってしまうこともあるのだが、最近はその途中ではっとして「そりゃそうだ、私が誰も愛してないし他人に優しくしてないからじゃん。ていうか友達も仕事相手もいいやつばっかりなんだから、今この瞬間も優しくされてないはずがない。私がちゃんと受け取ってないだけだ」ということに気付いて落ち込みから少し抜け出せるようになった。20代で同じ状態になった時、すぐにこんなふうに自分をちょっと突き放して観察することはできなかった。なんというか、自我と自分がビッチリくっついてしまっていて、客観視がまるでできなかった。その頃を考えると、今は多少は大人になったのかな……と温めた豆乳を飲みながら思う。

 以下は大人になることとはあまり関係ない話ですが、もし今これを読んでくださっているあなたが、心の調子が悪いな~と感じたら、「まだこのくらい平気」と思っているうちに通いやすくて相性がよいクリニックを探し始めるのをおすすめします。「かなりしんどい」になってから探すと、判断力も落ちてるし時間も手間もかかってよりしんどくなるからです。風邪もひきはじめが大事ですし、具合がマイルドなうちに対処したほうがいろいろラクです。心療内科や精神科は担当医と会話をするので、相性のいい悪いがどうしても出てきます。ある人にとっては最高の名医でも、別の人にとっては最悪のヤブとか、普通にありえます。それを多少なりとも元気なうちに見極めるためにも、ゾクッとしたかな? くらいの段階での病院探しを検討してください。人間、生まれてから死ぬまでずーっと明るく元気なんてあるわけないし、辛い時は医学に頼ろう。お医者さんという赤の他人の専門家にお金を出してすがるのは、人付き合いの中ではかなり気が楽なタイプのやつですよ。(以下次回)
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