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第2回

老いと大人

[ 更新 ] 2022.01.31
 40歳だけど大人になりたい……。改めてこの連載タイトルを口に出して読んでみると、「お前は何を言っているんだ」感が凄い。このフレーズを共感と共に読んでくださる方に向けて書いているつもりだが、逆にぜんぜん共感できないという人たちもいるだろう。

 そう、世の中には、ハタチになったらしゃっきり大人になって、その後も順調にライフステージの駒を進めながら大人道をすいすい進んでいる人もいる。または、自分は大人なのかな? みたいな一銭にもならない話には一切興味がなく、目の前のやるべきことを粛々とこなして生きている人とか。というか、世間の多くの人がそうなのだと思う。30になっても40になっても自分の大人性に自信がもてず、ウダウダぐねぐねと頭の中で休むに似ている考えをこねくりまわしているようなモラトリアム一番星人間は、少数派だ。そんなやくたいもないことを考えている暇があったら、家事をするとか仕事をするとか寝るとかデートに行くとかもっと生産的なことをしなさいと、私の頭の中のエア・世間様が叱ってくる。このエア・世間様は何度追い払おうとしても頭の中から出ていってくれない。リアル・世間様も辛いがこの脳内のエア・世間様も辛い。おそらく私は、自分が大人になれない中年であることが後ろめたくて恥ずかしいのだ。そんな自分がリアル世間から隔絶されて取り残されているような気分に、ついなってしまう。
 だから、大人道をすいすい歩いているように見える人と自分を比べてみて勝手に肩身が狭くなってみたり、Facebookで同級生が家を建ててるのを見て興味ないふりして密かに落ち込んだり、ふと周りの同世代を見たら自分と服装の傾向がぜんぜん違うことに気付いてショックを受けたり、冠婚葬祭の話題にぜんぜんついていけなかったり、同期がどんどん丁寧でヘルシーな生活にシフトしていく中でひとりラーメン二郎に並んだり、そんなことを「私ってどうして……」と毎日のようにやくたいもなく考えてしまう、大人になれないしそのことを開き直ることもできないご同輩の袖を遠慮がちに引っ張るような気持ちで、この連載を書いています。

 さて、私は大人になりたいという気持ちが子供のころからかなり強かったので、歳を取ることにも抵抗がなかった。逆にもっと早く20歳や30歳にならないかとそわそわしてたくらいだし、40歳になった時も「嬉しい」が一番先に来た感情だった。しかし、いざ40の彼岸に立ってみると、やはりそこには二十歳はたちや三十路の時には見えなかった風景が遠くに広がっているのに気付いた。老いである。
 いや、言うてきょうび40程度はまだまだ若い。業種にもよるが仕事の場でもギリ「若手」に入れてもらえる年齢だ。しかし物理的、肉体的なアレが、着実に「お前はもう折り返しを回った」とプレッシャーをかけてくるのだ。精神はがきんちょのままなのに、肉体だけは成熟……を通り越して老いていく。なんという理不尽。
 大島弓子の短編漫画に『夏の夜の獏』という作品がある(白泉社文庫『つるばら つるばら』収録)。相手の外見がその精神年齢で見える少年の話で、周囲より大人びている少年は8歳の子供でありながら20歳の青年の姿で描かれ、お互いに不倫している両親は小学生、人生の終盤に差しかかった祖父は赤ん坊の姿で寝ている。凄いインパクトのある漫画で、もし自分も世の中がそんな風に見えたら……と今でもたまに想像する。朝の通学路にはランドセルを背負った小さい子や青年、なかにはおばちゃんがいるかもしれないし、オフィスフロアではネクタイを締めた幼児や小学生がぎゃんぎゃん喚いている。テレビを見れば大人気アイドルグループに90歳くらいのご老人がいたり、中学生くらいの大臣が偉そうにふんぞりかえっている。そんな世界で、大人というのはどういう概念、どういう位置づけになるのだろう。年だけくってて精神が小学生の人間を大人とは呼びたくないし、かといって精神が大人びていても生まれて8年しか生きていないのなら、まごうことなき子供だ。

 老害という言葉がある。主に若い世代に無体を働いたり各種ハラスメントをかます中高年以上の年齢の人を表現するスラングだ。ちなみにあんまり好きな言葉じゃない。インターネットは比較的若者がハバを効かせている場所なので、SNSはちょくちょくこの「老害」をディスる話がバズったりする。しかしその老害と呼ばれてしまうようなBADなご老人は、お若い時にはNO害だったのか? というと、たぶんそういうわけでもないと思うんですよね。当たり前だけど、どんな年齢層にもうんこ人間とGOOD人間がいる。そして現在の老人人口は今の日本で一番人数が多いので、ヤベー奴の数も単純に下の世代より多いというだけなのだと思う。まあ、なかには若い時には聖人のようだった人が年を経て悪霊みたいになってしまった事案もあるだろうけど。
 老いは誰にも等しくやってくるものだけど、心が成長を止め枯れていくこと、錆びつくこと、ヤバいバイブスに染まることは年齢に関係なく起こるものだ。それを「老害になる」「精神が老いる」とは、表現したくないのだよな。私は大人になりたいし、その先には健やかに老いるという目標も持っている。老いは、ただの時間の経過だ。老いにおかしなマイナスイメージを付加するべきじゃあないと思う。
 それはそれとして、日々積み重なっていき決して戻らない肉体の老化という減少には、折りに触れ新鮮なショックを受けている。松屋の並が食えなくなった(昔は大盛り軽かったのに)、ていうか食べ放題が嬉しい言葉じゃなくなった、酒に弱くなった、枕が油粘土くさいなどなど、心のどこかで自分には関係ないだろうと思っていたものが、現実になっていく。大人になる前に、肉体はもう緩やかに店じまいの準備を始めている。個人的な目標としては、全白髪になる前までには大人になっておきたい(現在、総量のほぼ半分が白髪。残された時間は少ない)。

 ちなみに1981年生まれの40歳というのは、ビヨンセとタメである。自分の大人げなさにくじけそうになった時、私はビヨンセのニュースを探す。そしてビヨンセの住む豪邸や小国の国家予算くらいの規模のチャリティの話を読んでは、「でっけえなあ……」とため息を漏らすのだ。これは「大宇宙に比べれば人間の悩みなどちっぽけ」のスケールをもうちょっと狭めたアレである。私はこの原稿の締め切りも破りに破っているカッスカスのダメ人間だが、そのぶんタメ年のビヨンセが今日も輝いてるから、宇宙全体で見ればトントンだろう。ありがとうビヨンセ。ありがとうデスティニーズチャイルド。そして今日も私は大人になりそこなう。(以下次回)
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