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第六章 戦士たち──汝の砂漠にふみまよう者ども(後篇)

[ 更新 ] 2022.02.01
 渡良瀬千尋からの要請を受けて、安元友也、檜木久男、山下暁の三人は日本を出国したあと、まず、イスラエルのテルアビブ空港(現在のベン・グリオン国際空港)へと向かった。この空港の所在地は、テルアビブ市の近郊にあるロッドという都市で、空港の別名は「ロッド国際空港」という。
 千尋たちは「ロッド」を、アラビア語の発音にならって「リッダ」と呼んでおり、一連のゲリラ活動はのちに「リッダ闘争」と呼ばれるようになる。
 ここで言う「闘争」とは、PFLPの言葉を借りれば「世界中の至るところで、貧しい人民を搾取し、迫害している共通の敵、すなわちユダヤ主義者と帝国主義勢力に対する、パレスチナ人民革命勢力の闘い」である。平たく言えば、イスラエルとアメリカに対する、飽くなき闘いである。
 三人の日本人は、この闘争の一環として、イスラエルがパレスチナ人民の祖国を奪って建設した「空港の管制塔」を占拠するために、空港内部の写真を撮影し、歩幅による内部の面積の測定をおこない、空港の見取り図などを完成させた。
 この時点ですでに、テルアビブ空港乱射事件はその輪郭を現し始めていた、と言っていいだろう。千尋の脳内には、青写真も存在していたに違いない。
 その後、三人はギリシャに向かい、在ギリシャ日本大使館でパスポートの再発行を願い出た。イスラエルの入国スタンプの押されたパスポートでは、ベイルートに入ることができなかったからである。
 こうして、ベイルートに着いた三人は、ベカー高原の北部にあるPFLPの軍事訓練所で、戦士となっていた千尋と再会し、以後、三ヶ月あまりの日々を軍事訓練に明け暮れて過ごすことになる。
 その年の十一月、基礎的な訓練を終了した三人に、千尋は、PFLPの国際ゲリラ作戦担当者から持ちかけられていた「作戦」の具体的な内容を明かした。侵略者イスラエルから、パレスチナ人の土地であるリッダ国際空港を奪い返すために、千尋たち四人は、実行部隊として「敵」と交戦する。
 「俺らは、敵の軍事施設や兵士など、明確な『敵』と闘う。空港の管制塔を占拠するのが第一の目的や。占拠いうても、それはもともとパレスチナの領土であり、祖国であるわけやしな」
 安元、檜木は納得したが、山下は異を唱えた。
 「空港内で銃撃戦をやったら、民間人を犠牲にするんと違うか。そんな作戦、俺は容認できへんな」
 「空港の利用者は、パレスチナへの侵略者とみなす。それがPFLPの考え方や」
 「そんなん、間違っとる。おまえ、本気でそう信じてるんか。革命、革命で、頭が変になったん違うか」
 「なにぃ」
 激しい口論の末に、千尋が思わず山下につかみかかり、時には殴り合いの喧嘩になることもあった。
 実は千尋には、彼らに隠していることがあった。PFLPからは「攻撃終了後は投降して、奪還による帰還を待つように」と言い渡されていたが、千尋は「投降などありえない。帰還もない。現場で命を捨てる」と、ひそかに覚悟を決めていた。「これは退路を断った闘いなのだ」と。そこから、世界同時革命が始まっていく。我々の死が世界を変えるのであれば、その死は決して無駄ではない。
 
 思いがけない事故が起こったのは、一九七二年一月二十四日。
 三人が千尋と合流してから、そろそろ四ヶ月が過ぎようとしていた。
 その日、千尋は所用があってベイルートを離れており、安元友也、檜木久男、山下暁の三人は揃って、ラウシュの海へ寒中水泳に出かけた。訓練として、というよりも、息抜きとして、という意識の方が強かった。
 ラウシュの海岸には、ピジョン・ロックという名で親しまれているツインの岩がある。男たちは、切り立った崖の上から、青く透き通った海をめがけて飛び込んでは、鳩の形をした岩と、馬蹄の形をしたもうひとつの岩の周りをひと泳ぎして、崖の下まで戻ってきた。これまでにも何度も経験している「遊び」である。
 その日も、彼らは嬉々として飛び込んだ。
 そのへんにいたレバノンの若者たちは、盛んに囃し立てた。最初の頃は頭から飛び込んでいたが、レバノンでは「足から飛び込むんだよ」と教わり、それ以降はレバノン式で虚空に身を投げている。
 安元はそのとき、遊泳を終え、岩場をよじ登って、崖の上へ戻ろうとしていた。
 檜木は、崖の下にわずかに残されている砂場に腰を下ろして、休憩していた。
 檜木の眼前に、万歳の格好で、両足を下にして垂直に落下してくる山下の体が見えた。
 波飛沫が上がって、山下は、海に吸い込まれていった。きょう何度目かの飛び込みだ。見慣れた光景だった。不自然さは、どこにもなかった。
 「沈んだぞ、おーい、沈んだぞ! 日本人が沈んだ!」
 崖の上の方で、レバノンの若者たちが叫んでいる。いつもの野次ではなかった。叫び声には明らかに、なんらかの異変、あるいは異常が含まれている。海面を突き破るようにして上がってくるはずの、山下の頭が見えてこない。
 檜木の胸はざわついた。気持ちが乱れ、空も海も乱れている。
 どうしたんや? 何があった?
 見上げると、若者たちが海原のある一点を指さしている。 
 檜木は反射的に立ち上がり、海に飛び込むと、若者たちの示している地点を目指して、泳ぎ進んでいった。目指す地点までたどり着き、深く潜ってみると、自分よりも十メートルくらい下を、斜めになりながら山下が漂っている。今にも手が届きそうに見えるのに、檜木の息は続かなかった。
 次の瞬間、山下の体は、海底から伸びてきた無数の手にぐんぐん引っ張り込まれていくかのような勢いで、沈んでいった。そのかん、体はぴくりとも動かず、開かれた両目は、空を見上げていた。檜木の目には、そのように見えていた。
 誰かの通報によって、警察と救急車が到着した。救い出された山下は、無残な水死体と化していた。
 「心臓麻痺を起こしたのだろう」と、救急隊員は言った。
 しかし、山下の水死には不審な点があるとして、安元と檜木はレバノン警察で取り調べを受けたあと、留置所に入れられた。ベイルートの日本大使館から駆けつけてきた職員によって、ただちに釈放の手続きが取られた。現地の新聞は「観光旅行中、日本人学生水死」と報じた。
 千尋にとって山下暁は、かつて京都で、土木作業や解体作業を共にして、体を鍛え合っていた土方仲間でもあった。同志の突然の死を知って、千尋は、胸を搔きむしらんばかりに悲しんだ。
 一方の檜木は、自分がその場にいながら山下を死なせてしまった、救い出せなかった、という後悔に苛まれ、まともに口もきけないような状態に陥っていた。
 そんな檜木に、千尋は日本帰国をすすめた。日本に送り返されることになった山下の遺体に付き添って、帰ってやれ、と。
 「ついでに日本で、少し骨休めをしてきたらどうや」
 「帰るわけにはいかんよ。まだやりたいことがある」
 檜木は泣きながら拒絶した。
 いったん日本へ帰ってしまえば、そんなに簡単に、こちらには戻ってこられない。なぜなら、山下の水死事件を受けて、日本の警察当局は、三人がなぜレバノンに長期滞在しているのか、その理由をつかんでいるはずだから。檜木をふたたび国外に出すはずはない。
 千尋にも、それはわかっていた。檜木が「闘いを完遂したい。それまでは帰れない」と思っていることも。
 けれども千尋は、
 「帰れ。これは命令や」
 と、突き放した。
 千尋の心のどこかに「檜木は、作戦には使えないかもしれない」という思いがあった。その思いにはきつく蓋をして「なあ、山下といっしょに戻って、家族に説明をするのも、おまえの任務やろ」と、説得を重ねた。「誰か、代わりの奴をよこしてくれ。それも重要な任務やろ」と。まさに、苦渋の決断だったと言えるだろう。
 「わかった。それならいったん戻るけど、代わりの人間が見つからんかったら、俺が戻ってくる。この条件を呑んでくれ」
 千尋はうなずいた。
 檜木久男は、千尋よりも二歳年下。ふたりが別れたときには、二十五歳と二十七歳だった。以後、生きてふたりが顔を合わせることはなく、檜木は五十四歳まで日本で生きた。二〇〇二年三月三十日、都内の公園で、イスラエルに対する抗議行動として、焼身自殺を遂げている。三十年の長きにわたって、檜木は、異国の地で死なせた同志を悼み続けていたのである。
 
 山下の遺体とともに日本に帰国した檜木は、目ぼしい仲間たちに「アラブへ行かないか」と、声をかけた。無論、空港における決死作戦のことは伏せておいた。
 結果、ふたりの男がそれぞれの思惑を抱いて、ベイルートへ向かうことになった。
 岡部洋三、二十五歳。安元、檜木と同年齢である。
 彼はまだ大学在学中の身の上で、アラブ経由で北朝鮮へ渡って、よど号ハイジャックのメンバーのひとりであった兄に会いたい、という願いを胸に秘めていた。檜木からの勧誘に応じたというよりも、みずから望んで「行きたい」と申し出た。
 丸茂淳、二十二歳。
 彼は千尋の後輩に当たる男で、京大パルチザンのメンバーでもあった。高校時代から学生運動に身を投じてきた筋金入りの革命家で、武装闘争にも積極的な姿勢を持っていた。
 折しも二月十九日、長野県にある浅間山荘で、連合赤軍のメンバー五人が武装し、人質を取って立てこもり、二十八日まで、警察側と激しい攻防戦をくり広げた。全員が逮捕されるまでに、警察官ふたり、民間人ひとりを射殺し、多数の怪我人を出した。このとき、ベイルートにいた千尋たちは「ようやってくれた。俺らもあとに続こう」と、大いに気炎を揚げた。
 しかしながら、三月になって、群馬県の山中にアジトとして築いていた山荘で、連合赤軍の同志たちが仲間内で凄惨なリンチを加え、同志であるはずの十二人を次々に殺害した、いわゆる「山岳ベース事件」が発覚したときには、千尋も風里も驚愕し、青ざめ、号泣し、言葉を失った。十二人の中には、風里の親友の女性も含まれていたし、千尋と風里の共通の仲間も含まれていた。
 千尋は、事件を知った翌日の夜、安元をともなって風里の部屋を訪ね、三人は朝まで一睡もせず泣き続けた。「なんでや、なんでや」と拳で何度も壁を殴ったあと、千尋はふたりに、暗記しているシモーヌ・ヴェーユの詩の一部を語って聞かせた。まるで呪文を唱えるように、くり返し、くり返し。それは、リンチで殺された同志への鎮魂歌でもあった。
 
  広大なる海よ、不幸な死すべき者ともに寛恕なれ、
  汝の岸辺にはせ集い、汝の砂漠にふみまよう者ともに。
  沈みゆく者どもが滅びるまえに語れ。
  われらが姉妹なる海よ、魂のなかへと入りこみ、
  汝の正義の水で洗ってやるがよい。
 
 この「山岳ベース事件」は、微妙な形でテルアビブ空港乱射事件に、大きく影響を及ぼすことになる。
 千尋は、日本で起こった事件を知ったPFLPの幹部たちから「過日の山下の水死は、リンチによる死ではなかったのか?」と、問い詰められた。山下が千尋の決死作戦に反対だったこと、ふたりが殴り合いの口論をしていたことなどは、PFLP内でも知られていた。千尋は強く否定しながら「作戦の決行を急がなくてはならない」と焦り始めた。しかも、作戦は究極の形で完遂されなくてはならない。そうしないと、リンチ事件で殺された同志の魂も浮かばれないだろう。千尋の内面で、作戦に対する使命感は、いっそう揺るぎないものとなっていったのである。
 
 岡部洋三は三月の初めに、丸茂淳は四月に、それぞれベイルート入りした。
 作戦の決行まではあと、二、三ヶ月しか残されていない。
 千尋が率いることになった日本人部隊は、彼が最初に訓練を受けたバールベックという名の村はずれにある一軒の民家を生活の場として提供された。
 広い庭とポーチの付いた平屋で、もともとは羊飼いが住んでいた家をPFLPが借り受けたという。庭には、すももやいちじくの木が植えられており、彼らは木から直接、実をもいで食べた。台所、暖炉付きの居間、武器を所蔵する部屋、体操をするための部屋まであった。
 岡部、安元、千尋の三人は、丸茂の到着を待ちながら、居間の奥のスペースに、三つのマットレスを並べて雑魚寝をした。
 「俺、好きやなぁ、こういう生活」
 誰かがつぶやくと、誰かが答える。
 「砂漠におると、自分が砂つぶになったような気がするな」
 「星空を見上げると、星屑になったような」
 「俺もや、この俺のちっぽけさがたまらなくええわ」
 「革命戦士になれへんかったら、ベドウィンになろうかな」
 ベドウィンというのは、アラブの遊牧民である。定住地を持たず、移動しながらテント生活をしている。
 朝食は交代で作った。羊の油脂と乳で作られたリッチなバターを、ふんだんに使って焼いた卵を薄いパンに、はさんで食べる。近所の農家の人たちがオリーブやジャムや山羊のヨーグルトやチーズ、オレンジやりんごを差し入れてくれることもあった。夕食は、差し入れてもらったものを中心にして、茹でたじゃがいも、キャベツのスープとサラダなど、きわめて質素であったものの、文句を言う者はいなかった。
 彼らは朝食の前に一時間以上かけて、体操部屋で汗を流した。腕立て伏せ、腹筋運動、ロシアン・スクワットと呼ばれている、ジャンプと屈伸を兼ねた運動など、それぞれ百回ずつを課していた。
 朝食のあとは、一時間ほど歩いて、訓練キャンプに通う。そこで、銃の分解と組み立て、拳銃からロケット弾まで、小銃重火器による射撃訓練、塹壕掘りなどをおこなう。
 家に戻って夕食を済ませると、体操部屋で朝と同じ内容の自己訓練をこなす。規則正しい生活が続いた。嵐の前の静けさ、あるいは、凪いだ海のような時間が流れた。
 
 彼らの「地中海」が乱れたのは、五月の初めであった。
 ベイルート入りして、基礎訓練を受けたあと、季節外れの大雪に見舞われたため山越えができず、予定よりも遅れてバールベックにやってきた丸茂淳に、千尋が「リッダ作戦」の概要を伝えると、丸茂は眉根を寄せた。
 「そんな話、聞いてへんで。俺はここで軍事訓練を受けて、日本へ戻って、日本で共産革命を起こすために闘うつもりなんや。なんで、イスラエルの空港で死ななあかんのや」
 「そうか、おまえ、なんも聞いてへんかったんか」
 肩を落としている千尋に、丸茂は言い放った。
 「一年後やったら、なんとかできるかもしれん。いったん日本へ戻って、家族に別れを告げてから出直してくる」
 「一年後か……」
 一刻も早く、目に見える形で結果を出したい千尋にとっては、到底、ありえない話である。あきらめきれない表情で、千尋は言った。
 「おまえは射撃がうまいらしいから、滑走路に伏せて、警備の連中をひとりずつ着実に撃てば、勝ちいくさになるかもしれん思うてな」
 「そこまでして、なんで、アラブ人の大義のために、俺らが命を落とさなあかんのや」
 黙って聞いていた安元が言った。安元友也は、千尋よりも早く、おそらく千尋以上に潔く腹をくくっていた。それは空港の現場で取った行動にも表れていた。
 「非戦闘員を巻き込んだ闘いになるんやし、俺らが死ぬのは当然やないか。俺らが死ぬことで、民間人の死を償うしかないやろ。俺は、敵と撃ち合ったあとは、手榴弾で自爆するつもりやで」
 作戦会議の中で、千尋たちは当初、管制塔破壊、空港ビルの外での警備員との戦闘を主張してきたが、PFLPの作戦指揮部長たちは、空港ロビーでの戦闘開始を命じた。屋内でイスラエルの保安部隊と撃ち合う、ということは、畢竟その場で「全員死ね」ということに他ならない。
 いつのまにか、岡部が姿を消していた。決死の作戦であるということには薄々気づいていたものの、まさか、現場で自爆死しなくてはならないとは、思ってもみなかったのだろう。丸茂は深いため息だけを残して、岡部を探しに行った。岡部は、庭に植わっているすももの木の陰に隠れて、すすり泣いていた。
 丸茂淳は、千尋の率いる決死部隊からは離脱したものの、自分の名前が当局に公になっていることを知り帰国を断念、アラブに残り続けた。その後、八七年十一月に帰国を試み、成田空港で逮捕され、二〇〇〇年に無期懲役が確定している。
 
 こうして、渡良瀬千尋、安元友也、岡部洋三の三人は、リッダ闘争の決死部隊として先陣を切ることになった。彼らは、日本赤軍でもなく、アラブ赤軍でもなく、PFLPのボランティア義勇兵として、闘うことにした。日本国内の赤軍派への決別状は、前年の秋に、風里を通して送りつけていた。山岳ベース事件を起こした連合赤軍と混同されないためにも、彼らは無名の兵士であることを選んだのである。
 作戦決行の日は五月三十日、と、決まった夜。
 赤みがかったオレンジ色の満月が煌々と、もと羊飼いの家の庭を照らしていた。
 四つ並べていたマットレスは、丸茂が抜けて、ふたたび三つになっている。
 「月見でもするか?」
 千尋の誘いに応じて、安元と岡部は庭に出た。
 岡部は、台所に置きっ放しにしてあった薬缶を手にしている。中には、冷たくなった紅茶が入っている。
 満開のすももの木の下に、三人並んで腰を下ろすと、代わる代わる、薬缶から直接、紅茶をラッパ飲みした。
 すももは、桜の花によく似た花を咲かせている。
 千尋は、ひとりの女のことを想っていた。たとえば彼女が俺の子を産んでくれたとしたら、たとえ俺は死んでも、俺の志だけは、生き続けてくれるのだろうか。
 澄んだ夜空には、無数の星が煌めいている。
 岡部は、地上と天上の両方をかわるがわる眺めた。闘争さえなかったら、これ以上、美しく平和な世界はどこにもないだろう。そんなことを思いながら、黙っている千尋と安元の気配を身近に、いや、身の内に感じている。このふたりは昔からの仲間同士であり、言葉を交わさずとも気持ちが通い合っている。岡部の目には、そのように映っている。羨ましいが、ふたりのあいだに、自分は入っていくことはできない。
 岡部は空の彼方を指さして、ふたりにこう言った。
 「オリオンの三つ星が見えますね。僕たち、死んだら、あの三つ星になりましょう」
 死を決意した者たちは、それぞれの物語を必要としている。
 オリオンの三つ星。それは岡部洋三がその夜、必要としていた物語であった。
 よくできた物語は限りなく現実に似ているが、しかし、それゆえに、現実とは似て非なるものである。そのことを岡部が知るのは、皮肉なことに、事件当日であった。
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