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第六章 戦士たち──汝の砂漠にふみまよう者ども(中篇)

[ 更新 ] 2022.01.06
 それから一ヶ月も経たない四月のある日。
 日本を出てくるときに手にしていた小ぶりなボストンバッグに、くたびれた衣服と、洗面用具と、辞書や書籍類を詰め込み、千尋は一陣の風のように、ふたりで暮らしていたアパートのドアをあけて出ていった。
 「じゃあな」
 別れの言葉は、それだけだった。
 風里は黙って、うなずいた。
 これからどこへ行くのか。どこで、誰と暮らすのか。そこで、何をするのか。これまで同様、尋ねても「今は言えない」という答えが返ってくるだけだとわかっていたから、もう、尋ねる気もしなかった。
 千尋が静かにドアを閉める音を背中で聞きながら、風里は小走りでベランダに出た。胸に渦巻くこの寂しさを、今なら声に出して、伝えられるかもしれないと思った。
 ベランダから下を見下ろすと、千尋はちょうど、通りへ出たところだった。
 「渡良瀬さん」
 つぶやくように、風里は彼の名を口にした。今生の別れではないと、頭ではわかっているのに、今、この瞬間、大きな別れを済ませてしまった、そんな気がしてならない。
 千尋は振り返って、ベランダを見上げた。
 今のつぶやきが千尋に届いていたとは思えない。風里は手を振った。喉に声が詰まって、言葉は何も出てこない。ただ、やみくもに手を振った。
 その姿は、千尋の目には映らなかった。
 いや、映っていたのかもしれないけれど、彼は見えていないふりをした、あるいは、実際に見えていなかったのかもしれない、と、風里はその日の別れの場面を思い出しながら、何度もそう思った。なぜなら、彼はあのとき、手を挙げることもなく、立ち止まって私を見つめることもなく、足早に去っていったから。
 千尋の向かった先は、バールベックという名の小さな町だった。
 ベイルートから、仲間たちといっしょに車に乗り込んで、ベカー高原を北東へ進むこと、三時間あまり。古代フェニキア時代の神殿跡や遺跡、こんこんと湧く泉などで知られるバールベックは「ユネスコ世界遺産」にも登録されている美しい町である。
 町の背後には、雪を頂く山々が連なっている。
 町を出て、さらに山を目指して走っていくと、あたりには、岩だらけの丘陵地帯が広がっていた。
 丘にはゆるやかな起伏があり、うねうねと、地平線まで続いているように見える。ところどころに、乾燥に強いと思われる草が生えているものの、それ以外には、見るべきものなど何もない、荒涼とした土地である。まさに「不毛」という形容がふさわしい。
 そこに、ゲリラ戦士を養成するための訓練場があった。
 遠目にも、ゲリラとわかるような男たちが見え隠れしている。
 千尋はここで、銃の構造や使い方を学び、イスラエルによる空爆や銃撃に対抗するための訓練──主に射撃訓練と避難訓練を受けることになっている。
 到着するなり、射撃の教官に出迎えられ、
 「おまえはきょうから、モハンデス・スィーニだ」
 と、告げられた。
 モハンデスとはエンジニア、スィーニとは中国人を意味している。
 この地で訓練を受ける初めての日本人コマンド。その情報が外に漏れないようにしなくてはならないというPFLPの配慮により、千尋は以後、中国人になりすますことになったのであった。アラブ名は「シャーディ」。ここでは、パレスチナ人も、レバノン人も、トルコ人も、イラク人も、パレスチナ解放のために闘う仲間同士として、連帯意識を保つために、互いをアラブ名で呼び合っていた。
 
 四月も終わりに近づいていたその日。
 ベイルート市内にあるベイルート・アメリカン大学のランゲージセンターで、フランス語の授業を受けたあと、午後、部屋にもどってきた風里を訪ねてきた人がいた。
 PFLPのスタッフのひとりで、風里は彼のすすめで三日間、空襲や銃撃を受けたときの、自己防衛のためのスキルを学んだこともあった。
 「きみの同志であるシャーディの、軍事訓練の最初のコースが無事、終わったところだ。次の任務に移る前に少し時間があるので、きみをシャーディに会わせることができる。訓練所まで行ってみる気はあるか?」
 風里はとっさにこう答えた。相手に合わせて、英語を使った。
 「私などが訓練所をうろうろすると、みなさんに迷惑だろうから、辞退します」
 千尋には会いたかったけれど、会うなら、千尋の望む形で会いたかった。彼は、私が訓練所まで出向いていくことを歓迎しないだろう、という確信もあった。
 男はあご髭を撫でながら、にやりと笑った。
 「実はシャーディから頼まれたのだ。きみを連れてきてほしいと。それに、われわれはあくまでも民兵であり、生活者であるから、きみが思い描いているような軍人ではないし、訓練は、かつての日本軍のそれとは、異なるよ。訓練所は決して恐ろしい場所ではない。豊かな景色と食事も提供できる」
 思わず風里も微笑みを返した。
 確かにこの国の景色と食事は、豊かだ。
 地中海沿いの、温暖で肥沃な土地に築かれている果樹園では、バナナ、レモン、オレンジ、りんごが同時にたわわに実っている。ここでは、南国のフルーツと北国のフルーツが隣り合わせで育つ。羊の乳から作ったバターをたっぷり使って焼くオムレット。フライパンに引くバターとは別に、卵を焼いているときにも、上から、溶かしたバターを滝のように流し込む。山羊の乳をしぼって作った、新鮮なヨーグルトの美味しいこと。
 そんな朝食を思い浮かべながら、風里は「シャーディから頼まれた」という言葉を反芻している。胸の底から、喜びが泉のように湧いてくる。
 覚えたてのアラブ語で言った。
 「私はそこへ行きます。あなたの力で私を、そこまで、連れていって、ください」
 翌朝、風里を乗せた車は一路、ベイルートから、南へ向かって走った。
 右手には、地中海が見えている。
 何度、目にしても、胸の空くような海だ、と風里は思う。お腹が空いたら困るけど、胸が空くのは気持ちいい。革命、闘争、戦士、国際根拠地。そのような言葉が一瞬、波のように砕け散り、あとにはただひとりの女だけが残っている。
 三十分ほど走って、港町に着いた。
 ここで運転手の交代をするから少々待ってくれ、と言われ、同乗していた男たちが降りて、風里だけが車に残された。
 たちまち、車は子どもたちに取り囲まれる。
 「マルハバ!」「マルハバ!」「マルハバ!」
 半分だけあけたままの窓越しに、きらきらした瞳で見つめられ、アラブ語で「こんにちは」と声をかけられ、風里も負けずに「マルハバ!」と言いながら、手を振った。
 「スィーニーヤ?」
 と、臆さず訊いてくる子もいる。「ヤバーニーヤ(日本人)」と、答えを返す。
 千尋は中国人、私は日本人。これだけで、ふたりの関係を隠蔽できるとは思えないけれど、それでも何もしないでいるよりはましだろう。
 港町をあとにしてさらに南下し、海岸線を東に向かって進み始めると、あたり一面は麦畑になった。
 風が吹くと、いっせいに麦が揺れる。まぶたを閉じても、光に染まった畑の残像が見える。麦畑が途切れると、果樹園、オリーブの林、果樹園、オリーブの林。あけ放った車の窓から、風に乗って、オレンジの香りがすーっと流れ込んでくる。花は儚げでも、香りはりっぱなオレンジだ。
 やがて、車は鉄の門をくぐって、土木作業中と思われる果樹園の中に入っていった。広い通路の脇には、ポプラ、松、そして、ここにもオレンジの木が植えられている。
 「この果樹園の収穫物は、われわれの活動資金になっている」
 そんな意味のことを、助手席に乗っている男が言った。
 道の先に、石造りの建物が見えてきた。
 建物の周辺で、上半身はアンダーシャツ一枚の、数十人の男たちがスコップを手にして、土を掘り返している。
 その中に、千尋がいた。
 風里を乗せた車に気づいた千尋は「はっ」とした表情になって、作業する手を止め、スコップを地面に突き立てたまま、風里が車から降りてくるのを待っている。
 「来たか?」
 再会の第一声は、そんな風だった。軍手を外して、手を差し出している。
 「よう来たな」
 「来たよ」
 風里も短く言葉を返して、自分に向けられた手を握った。
 まわりの男たちはふたりの事情を知っているのか、なんとはなしに笑いを嚙み殺しているような顔つきになっている。ふたりに気を遣っているかのように、あるいはちょうど昼休みを取ろうとしていたところだったのか、三々五々、現場から離れていった。
 「果樹園に、川から水を引き込むための水路の補強工事や」
 「これも訓練?」
 その質問には答えを返さず、千尋はくすりと笑った。
 「土方は京都でもさんざんやっとったしな、得意やねん。様になっとるやろ、この格好」
 声が弾んでいる。浅黒かった肌がさらに焼けて、黒光りしている。
 「一瞬、アラブ人みたいに見えたよ。優しいアラブのお兄さん」
 風里の胸も弾んでいる。自分のイメージしていた「軍事訓練」「革命戦士」「コマンド」といった言葉が氷解していくのがわかる。
 それでも、訊きたいことはこれだけだ。
 「で、どうだったの? 訓練は」
 千尋はうつむいたまま、
 「まだまだや。やっと、銃の分解と組み立てができるようになった程度かな。何もかもこれから、言うところかな。それよりも、ラジオとか、時計とかの修理でありがたがられとる」
 そう言ったあと、ぱっと顔を上げて風里を見た。こういうときの、相手を見る鋭い目つきは、風里にとって、馴染み深いものだった。あの日、京都のアパートで「行かせてもらいます」と言ったときにも、こんな目をしていたな、と、そんなに昔のことでもないのに、大昔の一場面のように思える記憶がよみがえる。
 白い小さなつぶつぶのような花が満開の、オレンジの木の下に並んで腰を下ろすと、ふたりはぽつりぽつりと言葉を交わした。
 「俺、ここではモハンデス・スィーニやしな」
 「そうか、やってるうちに、本物の中国人エンジニアになっちゃったってわけね」
 そうだった、もともと彼をパレスチナへ行こうと誘ったときには、彼は工学関係のボランティアとして、来ることになっていたのだ。
 「身から出た錆かな」
 「それを言うなら、噓から出たまことでしょ?」
 「あかんわ、俺、日本語、忘れてしまいそうや」
 「あ! 違う。瓢簞から駒だ!」
 指をキュッと鳴らしながら、そう言って笑う、明るい女の声を聞きながら、千尋は胸の中で素早く「瓢簞から駒」の意味に思いを巡らせた。
 意外な場所から意外なものが出てくる。
 冗談で言ったことが事実となる。
 絶対に起こり得ないことが起こる。
 それらはすべて、当たっている。それらはこれから、俺のやろうとしていることに違いない。俺たちじゃなくて、俺だ。
 せっかく会いに来てくれたこの人に、何かを伝えておきたい。何かその片鱗のようなものだけでも。そんな思いを言葉にしたら、こうなった。
 「京都におった頃、つまり日本では、本気で何かをしようとすると、笑い者になってしまうような気がしとったんや。京大パルチザンで戦闘訓練なるものをやったときにも、まわりの奴らからは『アホかこいつら』としか思われてへんかった」
 パルチザンの語源は、イタリアやユーゴスラヴィアなどにおける、主に労働階級や農民で構成された「非正規の軍隊」である。
 「けど、ここでは誰もが本気や。本気で闘おうとしてるし、事実、本気で闘っとる。正義のために、命がけで闘うことが勇気であり、希望であり、民族の歴史であると胸を張って言える。ここはそういう場所やし、ここには俺のやりたかった『仕事』があるとわかった。せやし……」
 自分をここへ連れてきてくれたあなたに、仕事を与えてくれたあなたに、俺はいくら感謝してもし足りない、という言葉は、口にはできなかった。そんなことを言えば、その言葉があとで、この人を苦しめることになるだろう、と、千尋はふと思った。そのときは「ふと」に過ぎなかった。
 なんとはなしに、千尋は空を見上げた。釣られて、風里も見上げる。
 ──天よ、我に仕事を与えよ。
 ふと、そんな言葉が浮かんでくる。久々にノートに詩を書きたくなった。日本を出てくるとき、実家に送った段ボール箱の一個に、まとめて詰め込んだ日記帳がわりのノートには、まだ白紙のページがたくさん残されていた。千尋にとって風里とは、自分の書いた詩を捧げたい人なのだ。
 「あとで、ここの人に頼んで、パレスチナを見に行こうか」
 「え? パレスチナ?」
 「イスラエルの空爆で破壊された『中東一美しい砦』いうのが残ってるんや。その城跡に登ると、パレスチナの街が見える。あれは、死ぬ前に一度は見ておくべき眺めや」
 「やめてよ、死ぬなんて、なんでそんなこと言うの?」
 「弾を撃つ人間は、弾に当たって死ぬしかないやろ」
 「やめてよ!」
 危うい方向へ進みそうだった会話を遮ってくれたのは、子どもたちだった。
 わらわらと姿を現すと、ふたりを取り囲んで、
 「みんな待ってるよ。ごはんができた。たくさん持ってきた。みんなで食べる」
 そんな意味のことを言っている。
 子どもたちに手を引かれて、食堂へと向かった。
 近づいてきたPFLPのスタッフが目を細めて、風里に耳打ちをする。
 「シャーディは、村の農夫たちからひどく慕われている。われわれは訓練中、止むを得ず畑を荒らすことがある。しかし、彼は絶対に、荒らさない。畑に踏み込もうとすると、シャーディは怒って、われわれに方向を変えさせる。だから、村人たちは彼を尊敬する。子どもたちはみんな彼が好きだ」
 かつて、京都でセツルメント運動に打ち込んでいた優しい人は、ここでも健在なのだと、風里は思った。
 食堂には、二十人あまりの男たちが集まっていた。
 いんげん豆とトマトのスープ。羊の肉料理。畑から、もいできたばかりだとわかるレタス、トマト、とうがらしなど。そして、新鮮なヨーグルトやチーズ。
 銃を持たせたら戦士になるであろう男たちは、饒舌にしゃべり、陽気に笑い、千尋や風里につぎつぎに質問を浴びせてくる。みな、日本のことを知りたがっている。千尋はここでは中国人のはずなのに。
 素朴だけど、豊かな食事。豊かな自然。豊かな心。心豊かな人々。豊かな笑顔。豊かさとは、満ち足りていること。豊かさとは、欲望を抱かなくても済むこと。ここには、日本にはない「豊かさ」があると、風里は感じている。ただ、豊かな平和だけがないのだと。しかしながら、日本の平和は真の意味での平和ではない。それは、アメリカの軍事力の傘の下の平和であり、幸福なのだ。なぜ日本人の多くは、そこに目を向けようとしないのだろう。テレビから流れてくる洗剤のコマーシャルのような平和に、指をくわえて甘んじているのだろう。
 うるさいほど弾んでいる男たちの会話を、まるで異国の音楽のように聞き流しながら、風里は不思議な安心感に包まれていた。明るくて楽しくて素朴な人たち。ここにいる人たちに「革命戦士としての死」など、似合わない。しかしこの安心感は、甘く儚い綿菓子のようなものに過ぎない、ということも、わかっている。
 
 その日以降、千尋はベイルートに戻ったときには必ず、風里の部屋に姿を現した。
 すぐに去っていくこともあったし、数時間、話し込んでいくこともあった。
 訓練所でどんな訓練を受けているのか、その訓練所はどこにあるのか、など、相変わらず何も教えてくれなかったけれど、会うたびに頰が削げ、目つきはいっそう鋭く、筋肉はたくましくなっているのが見て取れた。
 ふたりの交わす会話の話題はいつも、遠い祖国、日本のことだった。もっと正確に言うと、日本の同志である、赤軍派のメンバーたちのこと。
 日本を出ることにした、と、風里が赤軍派のリーダーのひとりに話したとき、彼は「行くなら赤軍派として行ってくれ」と、条件を出した。男としても革命家としても「くだらない奴だ」と思い、そのリーダーを嫌っていた風里ではあったが、赤軍派のことは大切に思っていたし、信頼している仲間たちも大勢いた。だから、ここでも「赤軍」を名乗っている。ただし国外で活動していることもあり、英語名の「ジャパニーズ・レッド・アーミー」を日本語に置き換えて「日本赤軍」と、名乗ることにした。自分と千尋は「日本赤軍の設立者である」という意識が風里にはある。
 国内の赤軍派の仲間たち、ひとりひとりに、風里は手紙を書いた。何通も何通も出した。「世界同時革命に向けた国際根拠地づくりのために、ベイルート入りして欲しい」と。
 七月になっても、八月になっても、赤軍派の同志たちからは、いっこうに返事が届かなかった。風里も千尋も、焦燥感に駆られた。
 返事が来なかった背景には、実はこのような経緯があったのである。
 当時、日本共産党と日本社会党、いわゆる左翼の政党が武装闘争路線を放棄したことに反発した者たちが集まって作った「新左翼」すなわち「過激派」と呼ばれるグループがふたつ、あった。
 ひとつは赤軍派。もうひとつは革命左派。
 両グループは、刃物、鉄パイプ爆弾、火炎瓶などを準備し、首相官邸や警視庁に対する襲撃を企てていた大菩薩峠事件や日航機よど号ハイジャック事件などにより、幹部クラスが逮捕されたり、国外逃亡したりするなどして、弱体化していた。そこで、いずれも強盗・襲撃により、資金力のあった赤軍派と、武器を持っていた革命左派は、互いの弱点を補強するために、合体することにした。
 こうして生まれたのが「統一赤軍」のちに改称して「連合赤軍」となる武装集団である。そのトップのひとりとなったのは、風里の嫌っていた人物だった。統一赤軍が誕生したのは一九七一年七月十五日。
 利害だけは一致していたものの、主義主張、思想など、何もかもが異なると言っても過言ではない両グループがうまくまとまるはずはない。メンバーそれぞれには、それぞれの不満があったに違いない。そんなときに、遠いアラブにいる風里と千尋の存在など、眼中になかったことだろう。
 現に千尋は事実上、赤軍派にも革命左派にも属していなかったのであったし、そんな人物からの要請に応える気が湧いてこないのは、当然だったとも言える。
 業を煮やした千尋は、赤軍派に声をかけるのをやめた。
 「俺、京大パルチザンから、呼び寄せることにした」
 八月の終わりのある日、いつものようにふらりと部屋に姿を見せた千尋は、風里にそう告げた。
 「三人、来てくれることになった。頼りになる奴らや」
 風里の知らない人たちだった。いや、名前くらいは、耳にしたことはあったか。
 京大パルチザンは、一九六八年から六九年にかけて勃発した「京大紛争」を背景にして生まれた。「革命のためには、ゲリラ闘争をしなくてはならない」と考えるグループである。千尋はその一員ではなかったものの、そこには数人の親しい友人たちがいた。
 安元友也。
 檜木久男。
 山下暁。
 三人が日本を発ったのは、九月三十日。
 それからちょうど八ヶ月後の、一九七二年五月三十日に、安元友也(当時、二十五歳)は、ピンを抜き壁に向かって投げたあと、床を転がっていく手榴弾に頭から突っ込んでいき、右手で引き寄せた手榴弾の上に顔を伏せた。顔と指紋を消そうとしたのだろうか。彼は、自分が殺した死者たちに取り囲まれて、首から上と右半身のない死体になったのであった。
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