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第五章 愛──永遠に波をつながれて(後篇)

[ 更新 ] 2021.11.01
 十一月の第四木曜日の午後だった。
 枯れ葉の舞い散るセントラルパークをひとりで散歩したあと、アッパー・イースト・サイドにある、アンドリューとソフィアのアパートメントへ向かった。
 行こうか行くまいか、直前まで迷っていた。重い腰を上げて、結局、行くことにしたのは、このところ原稿に、千尋の世界にのめり込み過ぎていて、脳みそがこんがらがった糸の塊のようになっていたから。現実の世界で世俗的な時間を過ごすことによって、ほんの少しでもいいから、迷路の出口のようなものを見つけたかった。
 ──カリン、久しぶりね。あなたが来てくれて、私はとてもうれしいわ。
 そのまま十一階の部屋に通じているエレベーターのドアが左右に開くのと同時に、ソフィアの笑顔に出迎えられた。
 ──私もよ。お邪魔します。
 日本で編集者の本多さんにこの話をしたときにも驚かれたものだったけれど、私は、元夫のアンドリューの再婚相手であるソフィアを好もしく思っている。尊敬している、と言った方が近いかもしれない。ふたりに浮気をされた挙句に、一方的に離婚を言い渡された、にもかかわらず。ソフィアは早くに両親を亡くしたものの、受け継いだ財産をもとにして画廊経営を始め、成功して富を築いた。財産管理に欠かせない顧問弁護士として、雇われたのがアンドリューだった。
 案内されたリビングルームの窓からは、今し方、歩いてきたばかりの公園を見下ろすことができた。思い思いの秋色に染まっている樹木、いち早く裸になった樹木、いかにも忍耐強そうな針葉樹が大都会のまんなかで、パッチワークを創り上げている。
 ダイニングテーブルの上には、感謝祭のディナーの定番料理が並んでいた。おそらく朝からふたりでせっせと作ったのだろう。スタッフィング、色とりどりのサラダ、クランベリーのドレッシング、コーンブレッド、キャセロール。きのことマッシュドポテトのグラタンは、オーブンから出されたばかり。私は、事前にリクエストされていたパンプキンパイを持ってきた。近所のお店で買ったものだけれど。
 ゲストは私のほかに男性が三人。うちふたりはカップルのようだ。アメリカの感謝祭は、日本のお正月と同じように、故郷や実家、普段は離れて暮らしている家族の元へ戻って過ごす人が多い。私のように、帰るべき故郷も実家も家族も持たない人を、アンドリューとソフィアは招待した、ということだろう。根無し草。そんな日本語が浮かんでくる。
 合計六人でテーブルを囲んだ。
 ──さあ、いただきましょう。遠慮しないで、好きなだけ食べて。
 ソフィアがすすめると、アンドリューは横から彼女の肩に手をのせて言った。
 ──ただし、生き物たちの生命に感謝しながら、ね。うちはサンクスギビングじゃなくて、サンクスリビングだから。
 だから、この家では、感謝祭の主役であるはずのローストターキーは出さない。ベジタリアンの私にとっては、とても有り難いことだ。テーブルの中央に据えられた、七面鳥の首なし死体を見ないで済む。あんなに肉料理の好きだったアンドリューは、動物保護運動家でもあるソフィアの影響で、と言うよりも、ソフィアに気に入られたい一心で菜食主義者になった。私と結婚していたときには、どんなに私が言い聞かせても、肉中心の食事を変えようとしなかったのに。
 ──あなたは作家だと聞いている。どんな作品を書いているの?
 私の隣に座っている、ノアという名の男性から話しかけられた。職業は劇作家だと紹介されている。
 手にしていた白ワインのグラスをテーブルに置いて、私はノアに答えを返した。
 ──今、自分が書いている作品はどんな作品なのか、ひとことで説明するのは、非常に難しいの。口頭で簡単に説明できるような内容なら、一冊の本に書かなくても済むじゃない? でも、そうね、無理やり説明するとすれば、不幸で残酷なある事件について、それに関わった人物について、独特なアプローチ方法を使って、書こうとしているの。
 ──不幸で残酷な事件って、それはどんな事件?
 ──それは……
 感謝祭のディナーテーブルで出す話題として、まったくふさわしくない事件なの、と、思いながら答えあぐねていると、向かいに座っているアンドリューが助け舟を出してくれた。
 ──彼女が書こうとしているのは、カポーティの『冷血』みたいな作品だよ。
 ──なるほど、血生臭い事件を、乾いた小説的アプローチで描こうとしているのか。
 アンドリューの比喩は「それは言い過ぎ。カポーティに失礼」だと思ったけれど、ノアには納得できる回答だったようだ。会話の妙とは、こういうことなのだろうか。
 ノアとアンドリューが私の知らない劇作家の最新作を話題にして話し始めたので、私は耳を傾けているふりをしながら、別のことを考え始める。
 脈絡もなく、断片的に。
 私とアンドリューの出会いについて。
 私はどこからやってきて、今夜、このテーブルの前に座っているのか、について。
 
 大学卒業後、ジャーナリストを目指して日本の新聞社に就職した私は、同期で入った男性社員たちが次々に記者になっていくのを横目で見ながら、いつまで経っても下っ端の雑用係みたいな仕事に甘んじていた。当時はまだ、どんなに能力とやる気があっても「女は使い物にならない」というガラスの天井が多くの日本人女性たちの頭上に君臨していた。
 会社員に見切りをつけ、三十代になる前に退職し、私は雑誌のフリーライターになった。あるとき「日本で働く外国人」というテーマの企画を任され、何人かの外国人にインタビュー取材をした。
 そのひとりがアンドリューだった。
 別れ際に名刺を渡され、デートに誘われた。初デートのさいちゅうに「きみの行きたい外国はどこ?」と訊かれて「インド」と答えた。その頃、私は沢木耕太郎や藤原新也を読みあさり、インドにあこがれていた。「ひとりで行くのはなかなかハードな国だね。僕といっしょに行くのはどう?」と、アンドリューから提案された。
 私たちは「インド」をきっかけにして意気投合し、とんとん拍子で結婚し、渡米することになった。
 言ってしまえば、私をアメリカまで連れてきてくれたのはインドであり、沢木耕太郎であり、藤原新也だった。そして、インドについて書いた私の作品『インド縦横無尽』が本多さんとの出会いを連れてきてくれた。
 もう恋なんてしない、と、決めていた私がいともたやすくアンドリューを好きになったのは、大学時代に溺れ、求めても得られないものを求めて、もがき苦しんでいた、みっともない恋愛を、母国語の異なるこの人となら、しなくて済むと、直感でわかっていたからだと思う。日本人と、日本語で恋愛をするのは、金輪際ごめんだと思っていた。それほどまでに、私の心は言葉によって、傷ついていたのだと思う。しかし、私を傷つけた人がアンドリューを連れてきてくれたのだし、別れた彼はまた、千尋を連れてきてくれた。
 そういう意味では、何もかもがつながっているのだ。出会いそれ自体は独立したものであっても、ある出会いがある出会いを連れてくるのだし、その出会いがなかったら、そのあとの出会いもない。あるいはこうも言えるだろうか。一度、出会った人との別れはないのだ、と。一度、出会った人とは、人生という名の大海原のなかで、永遠に波をつながれているのだ、と。そう、私たちはみんな、ひとつにつながった波に日々、揉まれながら、海を漂っている藻屑のようなものなのだ──。
 
 いつのまにか、デザートタイムが始まっていた。
 アンドリューがパンプキンパイを切り分け、ソフィアが小皿にのせたものを、ノアが銘々の前に置いていく。キッチンでは、ゲイのカップルが紅茶を淹れている。
 私も何か手伝わなきゃと思っているのだけれど、さっきから、頭の中で、書きかけの原稿の続きがぐるぐる回り始めている。体はここにあるのに、気持ちは京都へ飛んでいく。一週間ほど前に本多さんから届いた、資料の詰まった段ボール箱の蓋があいたり、閉まったりしている。千尋と風里の京都での再会の場面が浮かんでは、消える。消えては、浮かんでくる。消えると浮かぶが同義語になっている。
 千尋は、セツルメント運動を通して知り合った玉木こずえさんを好きになり、いっしょに上京しないかと誘ったが断られ、上京中に沢開風里に出会った。これは、千尋の運命を大きく動かす、大きな出会いに違いなかった。けれども、彼の遺稿集には、風里のことはまったく出てこない。名前すら出てこないのは、なぜなのだろう。その一方で、本多さんが集めてくれた風里の手記やエッセイには、実に生き生きと、千尋との出会いから別れまでのいきさつが綴られている。しかも「私の愛した男のひとり」として、彼女の人生に、千尋は登場する。この違いが物語っていることは、なんなのだろう。
 ああ、帰りたい。
 早く仕事部屋に戻って、あの続きを書きたい。
 ひとたびそう思い始めると、もう駄目だ。居ても立ってもいられない気持ちに、私はなっている。今夜はきっと、徹夜をしてでも、書く。昔からちっとも変わらない、この性格。会いたいと思い始めると、会えるまでは地団駄を踏んでいるような状態に陥ってしまう。まるで、買ってもらえない玩具を欲しがって、デパートの床の上を転げ回って泣いている幼子みたいだ。だから恋にも結婚にも失敗したのだろう、きっと。
 さっきから、ノアが私ともっと話をしたがっている、あるいは距離を縮めたいと望んでいる、ということに私は気づいている。もしかしたら、アンドリューとソフィアは、私とノアをくっつけたがっているのかもしれない、ということにも。
 ──カリン、向こうへ行って、少し話さない? 僕はきみに訊きたいことがいろいろあるんだ。
 ノアに耳打ちをされた私は、すっくと立ち上がって、こう言った。
 ──ごめんなさい、ノア。せっかくだけど、私、そろそろ帰らなくちゃ。家で私の帰りを待ってくれている人がいるの。
 そんな言い方をしてみた。ひとり暮らしの侘しい部屋で、千尋が私を待ってくれている。それは真実だと思った。
 アンドリューとソフィアが顔を見合わせて、驚いたような表情になっている。


 一九七〇年(昭和四十五年)の秋だった。
 詩仙堂のもみじは燃え上がるように赤く色づき、気まぐれな秋風に弄ばれて、はらり、ひらり、と、舞い落ちていた。
 詩仙堂からほど近いところにあった渡良瀬千尋の住まいを、数人の仲間たちと共に、沢開風里は訪ねてきた。訪問の目的は、京都に住んでいる学生運動家たちからカンパを集め、関西における人脈を広げるため。彼女は、デモ中に逮捕され、収監されていた留置場から、三ヶ月ほど前に釈放されたばかりで、同時期に保釈されていた赤軍派のリーダーから、組織の立て直しを依頼されていた。
 千尋にとって、それは風里との一年ぶりの再会であった。自分の胸が躍っているのか、いないのか、自分でもよくわからなかった。相手は、仲間内では「雲の上の存在」として崇められている、名だたる革命家、沢開風里である。たとえ胸が躍っていたとしても、所詮、奴隷が女王の顔を指と指のすきまから垣間見て胸を躍らせている、という状態に過ぎない。そういう自覚はあった。自覚はあったが抑え込んでいた、というわけでもない。生来、胸の内側に熱い思いを秘めていたとしても、それを外には出さないのが千尋の習い性のようなものであった。
 だからその日も、特別な用意は何もしないで、風里と仲間たちを部屋に招き入れた。
 「わあ、何もないのね。まるで禅のお坊さんの部屋みたい!」
 壁三面に沿って、本が高く積み上げてあるだけの部屋を見て、風里は、楽しそうな声を上げた。
 その声を、千尋は背中で聞いた。
 流しでコップを洗う手を止めて、ふり返ると、まっすぐに自分を見つめてくる、涼しげな瞳があった。胸を射抜かれた。一年前のあの日もそうだった。「さわやかな笑顔」という月並みな言葉しか浮かんでこないのに、街角のどこにでもいそうな、長い黒髪とブルージーンズの、ごく普通の若い日本人女性のようにしか見えないのに、瞳に宿っている光が決定的に違うのだ、と、千尋は思った。本当に肝が据わっている人、というのはこういう人のことを指して、言うのだろうか。
 千尋の淹れた粗茶を、欠けた湯飲みやコップで飲みながら、四方山よもやま話をしているさいちゅうに、ふいに風里から名前を呼ばれた。
 「ねえ、渡良瀬さん、ちょっと、ふたりで話さない?」
 彼女の視線は縁側の方へ向けられていた。縁側の向こうには、大家の家の裏庭があり、そこは千尋たち下宿人の通路にもなっている。
 下駄を履いて、千尋は先に裏庭に出た。風里は靴下のまま降りてきたので、あわてて自分の履いていた下駄を脱いで、彼女にすすめた。
 「まあ、優しいのね。私、人から優しくされることに慣れていないの」
 そう言って、ふたたびさわやかな笑顔を見せた風里は、笑顔のまま、穏やかな口調のまま、こんなことを言った。
 「渡良瀬さん、パレスチナ解放問題について、どう思う?」
 いきなり問いかけられて、答えに窮していると、
 「ごめんなさいね、いきなり。これって、私の悪い癖。前置きや能書きが苦手なの。もっと苦手なのは抽象論、理論武装。行動の伴わない議論。それよりも、いきなりが好きなの」
 柔和な声がして、ふんわりと、肩から毛布をかけられたような気がした。
 パレスチナと言えば、つい先ごろ、ヨルダン内戦のあとに強いられた停戦協定によって、多くのパレスチナ人たちがヨルダン政府軍の手で惨殺された、というニュースを耳にしたばかりだ。パレスチナ解放機構(通称PLO)はかねてより、祖国を奪ったイスラエルに対する武装闘争をくり広げていたが、今や、イスラエルだけではなく、アラブ諸国の一国であるヨルダンとも闘わなくてはならなくなっていた。
 千尋は、頭の中でパレスチナ解放問題に関する考えを素早くまとめながら、
 「いきなり単刀直入ってやつ、嫌いやないですよ」
 と、返した。
 「ほんと?」
 風里はうれしそうに訊き返してきた。
 「じゃあ、私たち、似た者同士ね?」
 同士とは、同志のことなのだろうか、と思いながら、千尋は言葉を続けた。
 「パレスチナ問題いうんは、単なるイスラエルの建国問題やのうて、なんて言えばええのかな、ヨーロッパにおけるユダヤ人の疎外排斥問題を、中東のかつての植民地に押しつけた結果、いうことやと思う。イスラエルのパレスチナ占領によって、それまで住んでいた土地を追放された人たちが民族解放の闘いを余儀なくされている。そういう意味では、パレスチナ問題とヴェトナム問題は、同じ地平に存在している、いうことやないかな」
 千尋は必死でしゃべった。書き言葉は得意だが、話し言葉は苦手だ。それでも絞り出すようにして、意見を述べた。風里によく思われたい、という気持ちなどまるでなかった、と言えば、それは嘘になる。
 話が途切れたところで、風里は言った。長い髪の毛を指でかき上げながら、平然と、こう言ってのけた。
 「渡良瀬さん、私といっしょに、パレスチナへ行ってもらえないかしら? パレスチナでね、解放運動の一環として、今、世界的にボランティアを求めているの。医学、工学、土木、広報、いろんなジャンルのボランティアをね。私、赤軍派の立て直しに当たって『国際部』の活動を任されているでしょ。それで、アラブに関して、さまざまなリサーチを重ねているわけなんだけど……」
 風里の説明はまだ続いていた。
 遮るような形で、今度は千尋が言い切った。
 「行かせてもらいます」
 気がついたら、あっさりと、そう言っていた。迷いもなく、気負いもなく、最初からこうなる運命だった、というような不思議な諦観に背中を押されていた。
 「いや、行きたい思うてます。この俺に行けるところがあるなら、そこでできる仕事があるなら」
 「そう、それはよかった。ありがとう」
 風里もいっさいの感情を露わにはしないで、すんなりとそう言った。まるで、市役所の窓口かどこかで、頼んでいた書類を受け取ったときのように。
 赤軍派の国際部では当初「国際根拠地論」という理論に基づいて、日本からアメリカへ派遣部隊を送る予定にしていた。なぜ、アメリカだったのか。それは、三月に日航機よど号をハイジャックして北朝鮮に渡った仲間たちからの連絡も途絶えてしまった今、スターリニスト国家である北朝鮮は、国際根拠地としては成立し得ないと悟ったからだった。
 国際根拠地論とは、日本で社会主義革命を起こして、日本を共産主義国家にし、さらには世界を社会主義化する、曰く「世界同時革命」を起こすための、風里の言葉を借りるならば「理論武装」であった。言いかえると、当時の赤軍派には、理論以外には、何もなかった。政治的にも組織的にも、具体的にはなんの実行力もない状態にあった。アメリカへの部隊の派遣は、きたるべき世界同時革命に向けて、日米同時蜂起を目指すためであったが、風里は「それよりも、今現在、武装闘争を実践している現場との連帯が重要なのではないか」と考えた。つまり、赤軍派の国際根拠地として、パレスチナこそが世界同時革命の拠点となるのではないかと。
 「今の私たちには、なんの力もない。正直なところ私は、今のリーダーにも満足できていないの。でも、パレスチナの闘いに加わり、加わるだけに留まらず、その主戦力として闘うことによって、日本の革命を世界の革命にまで、広げていくことができるのではないかと期待しているの。傲慢かもしれないけど、でも、やってみなくちゃ、わからないでしょう? このままだと、そのうち、アラブ全体がアメリカに滅茶苦茶にされちゃう」
 「闘いの観客でいる限り、連帯はできへん。いっしょに血を流して闘ってこそ、ほんまもんの連帯やいうことかな」
 「わかった、チェ・ゲバラでしょ?」
 「ばれましたか?」
 ふたりは微笑みを交わし合った。千尋は薄く、風里は柔らかく。
 その日ふたりのあいだに、それ以上長く、込み入った会話があったわけではない。
 風里も千尋も、互いの志を熱く語り合ったりは、しなかった。それなのにその日、ごく短く交わされた会話の中で、ふたりはしっかりと結び合わされてしまった。あるいは、こんな言い方が許されるならば、こうなる前にふたりはすでに結ばれていた、ということかもしれない。
 風里は後年、千尋との出会いに関して、獄中でこんな文章を書き残している。

 渡良瀬さんには、初対面のときから、心を強く惹かれていました。私なりの定義で申すなら、私は彼を愛していました。彼の魂、彼の自己犠牲の姿勢を、愛したのです。自分に欠けているもの、欠けているがゆえに枯渇しているものへのあこがれとして、そこには初めから愛があったのです。彼は京都九条におけるセツルメント運動(子どもたちに同情する自分を許せないのだと彼は語っていました)においてもそうでしたが、この世の中のもっとも困難な問題、解決不能に見える問題、そして、もっとも虐げられた人々によって、もっとも望まれている「希望」を与えることに、自分の人生を投げ出す覚悟のできた人でした。投げ出すだけでは物足りず、投げ出すことで人生を完遂しようとしていたのです。彼は努力家で、彼は私と違って、自らを厳しく律することができる人でした。彼は寡黙ではありましたが、常に思想と行為が一致しており、そのせいで、仲間たちの尊敬を一身に集めていました。彼がのちに、パレスチナ解放闘争の現場で主力戦士を務めることになったのも、自然な成り行きだったと思います。

 始まりは、愛だったのかもしれない。
 その後の成り行きも、自然なものだったのかもしれない。すべては、避けることのできない運命であった、と、書くのは簡単である。
 しかしながら、虐げられた人々に「希望」を与えるために、無辜むこの民を犠牲にしていいはずはない。私はこの章を、千尋の敬愛してやまなかったシモーヌ・ヴェーユの次のような言葉で締めくくりたいと思う。一九三六年夏、ヴェーユは一義勇兵として志願し、スペイン市民戦争に参加するために教壇を去っている。千尋がパレスチナ行きを決めたとき、このヴェーユの参戦を意識していたかどうか、また、敬愛してきたヴェーユがパレスチナの怨敵であるユダヤ系であることを、どうとらえていたのか。それらは筆者の知るところではないし、推測による記述も避けたい。

 人びとは犠牲的精神にうながされ、志願兵として出兵します。それなのに傭兵戦争にも似た戦争の渦中に落ちこむのです。そこには多くの残虐行為が加わる一方で、敵にたいして示すべき敬意といった感覚は失われていきます。
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