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第6回

暑すぎる地球。 私はキルジョイを学んだ。

[ 更新 ] 2024.06.28
 2022年7月。私はロンドンの自宅でダラダラと汗を流しながら、猛烈に怒っていました。

 日本と比べるとずいぶん涼しいイギリスの夏。最近は温暖化の影響で年々平均気温が上昇していますが、それでも30度を超えたら真夏日という感覚です。
 そんなロンドンでまさかの40度という気温が叩き出されたのです。

 イギリスではほとんどの家、お店、学校、公共施設に冷房は設置されていないので、多くのお店が「暑すぎてムリ」という理由で臨時休業。病院では手術がキャンセルになったり、息子の通う小学校も子どもたちの安全を確保できないとの理由で2日間臨時休校になりました。

 我が家も扇風機を1日中まわし(熱風が送られてくる感覚であまり効果なかったが!)、気象庁の指示通りカーテンを閉め切って、家族3人でじっとステイホームしていました。
 とにかく暑くて暑くて、頭がボーッとしてちっとも仕事がはかどりませんでした。暑さに比較的強いと思っていた自分ですが、朝も昼も夜も夜中もずっとサウナの中にいるみたいな感覚はなかなかきつくて、「あつい!」と意味なく定期的にシャウトしちゃってました。家族よ、うるさくてすまなかった。
 窓の外はギラギラと太陽の光が照りつける灼熱の世界。その夏は雨も全然降らなかったので、普段は青々としている公園の芝生も茶色く枯れ果てて、映画で観たことのあるようなディストピアがついにやってきたかのような光景でした。
 過度な乾燥と強い日差しによってお庭の生ゴミが発火し大規模な火災になってしまうケースが相次いだり、熱中症で亡くなる人が出るなどのシリアスなニュースもたくさん飛び込んできました。

 よく、「数十年後には気候危機がもたらす被害で大変なことになる」といったような語り口を耳にするけれど、ほんとうは気候変動によってすでに深刻な事態になっている地域はいっぱいあったのだ。けれど圧倒的に多くの温室効果ガスを排出してきた先進国といわれる国々は、温室効果ガスをほとんど排出してこなかった経済的に貧しい国々にばかり被害が偏っているのをいいことに、ずっと見て見ぬふりをしていた。
 だけど、いよいよ自分たちも逃げられなくなってきたんだ。
「私だって、見て見ぬふりをしていた一員だよね」と、申し訳なさや後悔や怖さの気持ちでいっぱいになりました。

 「怒るより、アイスを食べよう?」

 同時に、私は猛烈に怒ってもいたのです。

 蒸し風呂のようなリビングルームで汗を流しながら、頭の中には世界のVIP 政治家たちの顔が次々と浮かんでいました。「私は今まで何度も環境デモに参加したり、気候危機対策に関する署名などをしてきたけれど、政府は全然応えてくれなかった」「どうして気候危機対策に真剣に取り組まないの? 経済が最優先って呪文のように言うけれど、気候変動でまず被害を受けるのは貧しい経済状況だったり社会的に弱い立場にいる人々だよ」「気候危機は完全に人災で、われわれ人間がなんとかするしかないのに」と、脳内でワーワーと抗議をしていたのです。

 「異常な暑さゆえに日常が機能しなくなった。そんな今日みたいな日にこそ、持続可能な社会のあり方について、気候変動が加速させる社会の不正義について、みんなで語り合わなくては!」
 そんな熱い気持ちを胸にやる気満々でSNSを覗いたら、一部の人々は怒りや危機感を表明していたけれど、わりと多くの投稿は「この暑さをどう乗り越えるか、ライフハック!」とか「暑いね、嫌だよね。アイス食べちゃお」といった、ある意味「平穏で前向き」なものだったのです。
 「え? 今、Keep Calm and Carry On しちゃうの⁉」と、なんだか盛大に肩透かしをくらった気になりました。
(Keep Calm and Carry On =第二次世界大戦中に国民の士気を高めるため作られたポスターにあった「平静を保ち、普段の生活を続けよ」という意味のスローガン)

 もちろんSNS はその人のほんの一部でしかない。スクリーン上から見えないところで社会問題にコミットしたり、考えたりしているのかもしれないし、メンタルの調子などで意見を発信することが難しい状態なのかもしれない。事情も知らずにスクリーン上の情報だけで勝手に他者をジャッジしてはいけないことも理解しています。

 でも、「みんなで怒りを共有しようぜ!」というやる気満々の気持ちの置き場所に困ってしまった自分もいました。

 と同時に、キンキンに冷えたジュースの画像に「気温40度も乗り切ろう!」とポジティブなメッセージがそえられた投稿などを眺めていたら、「ひょっとして私が怒りすぎなのかも?」「もう少し冷静になったほうがいいのかもしれない」「うん、私もアイスでも食べよっかな」という気持ちも芽生え、怒り心頭モードがプシューッとトーンダウンしていったのも事実です。

 そして、こんなに怒っている自分のことを、ちょっと恥ずかしいとも思ったのです。

 No more トキシックポジティビティ。

 なんというか、怒るよりも、冷静だったり前向きな態度のほうが「格上」のように感じることってありませんか? 怒ったり感情的になったりしていない人のほうが物事を的確にとらえられている、どんな時にも前向きで淡々とした態度でいることが大事、のような風潮。

 私の中にもそういう感覚があります。

 もちろん、そういった態度は時と場合によっては問題を解決するための有効な向き合い方になりえると思います。でも、「怒り」というものを否定的にとらえすぎることによって、リアルな感情を押し殺しちゃうこともあると思うのです。

 「いつも怒っている難しい人と思われたくない」「感情をコントロールできない恥ずかしい人って思われそう」とか「場の雰囲気を乱したくない」など、もし、こういった気持ちが原因で怒りの感情をないものにして、ポジティブな態度だけを表に出しているならば、それって、現実にある危機や不正義などの問題をスルーすることにつながるような、トキシック(有害)なポジティビティになりえるのでは? と感じます。

 だから、40度の猛暑の日にすごく怒りを感じた自分のことを「恥ずかしい」と思わないようにしたいのです。「このままじゃいけない!」と大きな怒りを感じた、その自分の気持ちを無視せずにリスペクトしたい。そして、「じゃあ、怒りを感じた問題にたいして、どんな前向きなアクションができるか」とポジティブな行動にうつすことにつなげたいのです。

 暑さ対策を個人の責任だけにしたくない。

 ところで、このあいだ約10 年ぶりに夏の日本というものを体験しました。(この数年はいつも春や冬に滞在していたのです)なんだか自分が記憶していた暑さとはかなり次元の違うものになっていて、びっくりしました。

 高温すぎて外出をためらうとか、相次ぐ熱中症の被害とか、例年にないような大型台風とか洪水とか、イギリスよりもさらに気候変動が日常生活を難しくしていっているように感じました。
 なのに、ニュースなどで「気候危機」という言葉が発されていることをほとんど見かけなかった。
 人との会話の中でも「暑いね」とは言い合うけれど、じゃあどうしたら気候危機を止められるか、化石燃料依存社会から脱することができるのか、といった話はあまりされていなかった気がする。

 いろいろなところで「暑さ対策が大事」としきりに言われていたけれど、「そもそも地球はなぜこんなに暑くなっているのか」「どういった国や企業が、二酸化炭素を大量に排出してきたのか」「温暖化がこのまま進んでいったときに、一番困るのはだれか、比較的大丈夫な人はだれか」といった議論がなされないまま、個々の暑さ対策の重要性にだけ落とし込んでしまうと、それはともすれば社会構造のツケを個人に押しつける、自己責任論的なスタンスにつながってしまうのでは? と感じました。

 気候変動は自然災害で仕方のない現象なのではなく、人為的な原因で発生しているもの。
 だからちゃんと「怒るべき相手」がいるのでは? と最近よく思います。

 たとえば、気候変動の影響による災害から被害をうけたなら、今まで二酸化炭素を多く排出し莫大な利益を得てきた企業や対策を怠ってきた政府に、市民が補償を求めてもいいのでは?
 実際にアメリカのモンタナ州では若者や子どもたちが州を相手取り、州の化石燃料開発が原因で自分たちの未来が侵害されていると訴え、勝訴したという例を見かけたことがあります。

 どんなに気まずくなっても何気ない会話の中に登場させるチャレンジ。

 気候危機って、スケールが地球規模だし、自分が途方もなく小さく無力に感じたりします。
 考え出すと、「この先いったいどうなっちゃうんだろう」と怖いし落ち込むし、けっこう心が疲れます。可能ならばできるだけ考えたくない、と思っちゃう時もあります。
 ニュースから目をそむけて今この瞬間を楽しみたい、大好きな人たちとドーナッツなんかをもぐもぐ食べて「幸せ」って感じる平穏な空間の中だけで生きていたい、そんな風に思う時もあります。

 もちろん、ずっと落ち込んだり怖がった気持ちでいるのってなかなかつらいし、自分のメンタルを守るためにもピースフルなひとときも絶対に必要だと思います。

 でも、「怒ってない。怖くない。大丈夫。いつもの日常を送ろう」と、やみくもに見て見ぬふりをしている間に、取り返しのつかないことになってしまう。

 ひたすら暑かった夏の日本からロンドンに帰ってきたとき、みんなから「日本どうだった? 楽しかった?」と聞かれるたび、私は「楽しかったけど、今までにないくらい驚くほど暑かった! 気候危機って怖いよね」と答えるようにしていました。

 こうやって、空気が気まずくなるのを覚悟で大事な話をすることをキルジョイと言うそうです。フェミニズム的観点からキルジョイが語られた『フェミニスト・キルジョイ』という書籍からこのコンセプトを知りました。

 一瞬会話のテンションは盛り下がるし、ホリデーのワクワクなお土産話のジョイはキルしちゃうかもしれないけれど、こうした小さなアクションも巡り巡って前向きな未来を作り上げることに繫がる、そう思うのです。
 だからこれって実はとってもポジティブな態度なのではないだろうか?

 会話の節々に、前向きな怒りとキルジョイを!
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