ウェブ平凡 web heibon




第10回

いつぞやの、つくりおき

[ 更新 ] 2022.05.02
 「いつぞやの」
 料理家の高山なおみさんの日記を読み返していて、その日の献立の記録に「南瓜のポクポク煮(いつぞやの)」とか「切り干し大根煮(いつぞやの)」とあるところで、いつも目がとまる。
 いつこしらえたかが明確に記されていなくて、おそらく前日や前々日よりももうちょっと前のもの、でもまだおいしく食べられたのだろう。その、おおらかというかざっくりした塩梅に、感じ入った。自分でこしらえたものの消費期限はちゃんと自分で見極められているとの自負のように思えて。
 高山さんの日記集は、2002年2月からの6年間が『日々ごはん』と題して12巻まで刊行されており、少々のブランクを経て『帰ってきた日々ごはん』とタイトルを変えて続いている。『帰ってきた』になってからは、毎日の日記というわけではなくなり、1週間ほど間が空くこともしばしばの、とびとびの記録となっている。
 「いつぞやの」南瓜煮、切干大根煮が登場したのは『帰ってきた日々ごはん1』に収録されている2009年8月10日と2012年5月21日の日記である。毎日の記録ではないからそういう表現になったのだろうと解釈していたのだけれど、この度、日記をさかのぼってよくよくたしかめてみると、南瓜煮は5日目、切干大根煮は6日目の作だったと分かった。
 これらの煮付けは保つものというイメージがある。それは裏切られない。とはいえ、南瓜煮は私もよくつくるものの、好物なので3日と保たせたことがない。


 私はつくりおきをあまりしない。というよりむしろ、つくりおきが馴染まない生活をしている。
 仕事場を外には持たず、基本的にはうちの中でこういう書きものをしている。だから、台所にはいつでも立てるし、むしろ、気分転換となるときもある。消費期限に追われるのも気が重い。まあ、食べさせなきゃ、というプレッシャーがない暮らしをしているというのが最大の理由かもしれないけれど、料理以外の局面でも、ある安心感より、ない解放感を選びがちであることは否めない。
 とはいえ、つくりおきレシピ本は何冊か持っていて、読みものとしてめくることはしばしばある。載っているレシピひとつひとつについて、いちばん気になるのは、これはどれくらい保つんだろう、というところ。手元にある4、5冊を参照すると、だいたい、最短3日に設定されている。翌日中には食べ切らないとというと流石に、置ける、とは言いづらいだろうしね。
 しかし、保たせるためには塩気を利かせないといけない。だから、つくりおきでは、家庭料理の利点というか美点でもある、塩気を抑えたおかずづくりは全うできない。お店の味、買う味に近付いていくというジレンマを内包している。
 レシピ本の世界の中では、つくりおきは、保存食とはまた別物として扱われている場合が多い。
 つくりおきは、冷蔵しておけば数日保つおかずで、保存食は、一度には食べ切れない量の材料をなるたけ長い時間食べつなぐために、煮たり干したりして、常温でも保つようなかたちに変えるもの。
 それと、たとえば、引いた出汁をジップロックに詰めるなどして冷凍しておくのも、つくりおきとは呼べないのかなと思う。すぐに食べられるもの、完成品というイメージを私は持っている。


 高山さんの本に話を戻すと、その日記およびエッセイ集は綿々と刊行されていたけれど、レシピ本はしばらく出されていなかった。一昨年、5年ぶりに刊行されたレシピ本『自炊。何にしようか』では、久々に、高山さんならではの叙情と実用の溶け合ったページの連なりを味わうことができた。これまでにも高山さんが出していた生活のアルバムらしい雰囲気を取り入れたレシピ本の中でも、生々しさが際立っていた。
 使う油の種類を絞り込み、オリーブオイルは常備しなくてもよいと割り切ったこと、醤油と鰹削り節は以前は常温に置いていたけれど冷蔵庫にしまうようになったこと、ひじきの煮付けに出汁を加えるのをやめたことなど、料理にまつわる習慣も5年前とは変わったと打ち明けられる。そういうところに高山さんの誠実さを見る。
 そして、何日か保つおかずのレシピも載っているのだけれど、それらを束ねるのに、つくりおき、という言葉はあえて使わずに「冷蔵庫にあると助かるおかず」とされている。
 この『自炊。何にしようか』は、第8回「料理レシピ本大賞 in Japan」の料理部門に晴れて入賞した。
 「料理レシピ本大賞」とは、2014年に創設され、年に一度、初秋に発表されるレシピ本の晴れ舞台である。出版社が事前にエントリーしたレシピ本の中から、書店員の投票によって選ばれる。
 第1回の大賞受賞本は、飛田和緒さんの『常備菜 作って冷蔵庫にストックしておけばごはんにお弁当にすぐおいしいおかず109』だった。この第1回のみ、刊行からかなり年月の経っているレシピ本もエントリーされていたようで、1989年に出た『向田邦子の手料理』が入賞しているし、『常備菜』も刊行からは3年が過ぎている。
 第2回からは過去1年間に刊行された本が選考対象となっており、レシピ本の現状を映す賞となった。その年は、瀬尾幸子さんの『ほんとに旨い。ぜったい失敗しない。 ラクうまごはんのコツ』が大賞を獲っている。
 第3回の大賞は、nozomiさんの『つくおき 週末まとめて作り置き』が受賞し、この年は他にもつくりおきを主題にした本が3冊入賞している。その3冊のタイトルを挙げると『決定版! 週末作って毎日簡単!作りおきのラクうまおかず350』と『たっきーママの簡単作りおきと時短おかずで朝すぐ!弁当』と『夫もやせるおかず 作りおき お肉や麺もOKなガッツリ系』と、どれも背表紙で本の中身をつまびらかに説明しようとするスタイルの本である。ラノベのタイトルの付けかたの傾向と重なってもいる。
 つくりおきレシピ本の動向を追ってみると、第4回では『全部レンチン!やせるおかず 作りおき 時短、手間なし、失敗なし』『デリおき 毎日カンタン! 作りおき洋風惣菜』の2冊、第5回は『志麻さんのプレミアムな作りおき』、第6回は『作りおき&帰って10分おかず336』と、1冊ずつ入賞していた。しかしここ2年は、一冊まるごとつくりおきのレシピ本は入賞していない。2010年代の半ばが流行のピークだったといえるかもしれない。だからといってつくりおきレシピ本が廃れたわけではなくて、書店の棚では、つくりおきレシピ本を集めたコーナーは依然として堅調であるように見受けられる。さりながら、2018年の第5回以降は、味噌汁やスープを軸にした汁物レシピ本が必ず1冊は入賞しており、汁物時代が続いている。


 『つくおき』とタイトルを決めるにあたり、つくりおき、から「り」を抜こうということになったのはなぜだろう。それだけでオリジナリティを纏ったものとして受け取れるのは不思議なことではある。とはいえ本文中ではその名称は使われず「作り置き」と表記される。
 この本は、当時多忙な会社員として働いていたnozomiさんの、夫とふたり暮らしの、休日にまとめて10品以上のおかずをつくりおく日々の結晶である。
 「平日の夕食を家できちんと食べる頻度は平均4日。お昼は私も夫もお弁当を持っていきます。メインおかず3〜4品、サブおかず6〜10品の作り置きがあれば、平日の帰宅後に調理をしなくてもOK。作り置きおかずを組み合わせ、生野菜や豆腐、納豆などを足します」
 つくりおきに力を入れるようになったきっかけは、家事に時間を割きづらい生活の打開策だったとある。刊行から6年半が経った今は、つくりおきレシピ本を8冊刊行し、ふたりの子を成し、夫と一緒にレシピサイト「つくおき」の運営をしているそうで、ということは調理の分業も当時からしていたのかなあ、と、1冊目の『つくおき』に目を凝らすと、「みそ豚(豚と玉ねぎのみそ炒め)」のレシピの脇に記された、豚肉を味噌に漬けておくことの便利さを説く小さなコラムの中に「ほとんど料理をしない夫でも、これを炒めるくらいはできます」と、ちらっと記されている。強固に構築されたつくりおきシステムを前に立ち入る隙がないのやも、とも想像してみる。nozomiさんらの事情は分からないけれど、家事を分担しようというとき、洗濯、掃除、料理の順に難易度が上がっていくなというのが、私の持論。
 『つくおき』の表紙は「キャロットラペ」「じゃがいものツナあえ」などのおかずが琺瑯やガラスの四角い保存容器に盛られ、整然と並べられたさまを写した写真が使われている。その表紙から喚起されるイメージは私にとっては、お店っぽさ、だった。味もそうかもしれないけれど、第一には、ごく小規模な飲食店の仕込みの風景と重なった。
 飲食店の世界では、10年と少し前に「バル」という、女ひとりでもぱっと入って2、3杯お酒を飲んでおつまみを食し、すっと帰れるような、開かれていてかつ洒落た雰囲気のある小体で洋風のカウンター酒場が流行っていた。その頃、私自身も、北千住の『ボケロン』という名のバルにしょっちゅう顔を出していた。『ボケロン』は都心から少し離れた決して洗練されていない飲み屋街に果敢にも開かれたバルとして先駆的な存在であった。今はなき食雑誌『料理通信』2011年11月号の「もしや、ビストロを超える!?「バル」レシピ集」特集にも登場している。その号をめくると、『つくおき』とバルは、たとえば先程挙げたキャロットラペや「アスパラとトマトのオープンオムレツ」「鮭とれんこんのアヒージョ風」など、メニューとしてもイメージが重ねられる品がある。もちろんそれだけではなくて、ひとりで小さな台所もしくは厨房で、ぱっと取り出せて、ある程度保つ料理をつくりおく。そのために、仕込みの段取りのよさと効率を追求するという姿勢も、ぴったり重なる。


 つくりおきは「今の家族関係を象徴する料理」。
 500世帯の食卓を20年以上調査し続けている岩村暢子さんは、昨春、新聞記事の中でそう語っていた。「作り手は都合のいい時間に作り、家族も好きな時間に食べる」というところに「今」があるという。つくりおきは「必ずしも簡単な手料理ではない。保存が利いたり、再加熱が可能だったりする必要があるので」「深夜や休日に時間をかけて作ったりしています」。『つくおき』にある「土日に2〜3時間かけて」「10〜15品の作り置き調理を効率よくやります」とのnozomiさんの生活そのままだ。
 そして、つくりおいたおかずを各々が都合のよい時間に食べるスタイルが定着したのは「女性の社会進出でも子供の塾でもなく、部活と交代制勤務」のせいであると岩村さんは結論付ける。
 先に引いた『料理通信』では、33軒のバルの店主に、注文が入ってから一皿目を出すまでに平均何分かかるかから、コンロの火口の数までを取材している。メニューの品数の平均は36。冷蔵庫から取り出してお皿に盛って完成するメニューはそのうちの半分とあるから、十数品をつくりおいていることになる。
 バルの店主たちはこんな言葉を発している。
 「忙しい時でもファーストオーダーは5分以内に出す!」
 「待たせず料理を出す。1人で厨房を回す身には永遠の課題」
 事前に予約をしなくてもいい、ぷらっと入れるのが基調で、そのドアの開けやすさもあって流行ったバルゆえの言である。お客が来るのはいつで何人か、確約されていればそこを目指して支度すればいいのだけれど、いつ来るかわからない、とはいえいつ来てもいいように、あらかじめ仕込みを済ませるメニューを多く用意しないといけない。料理人として、つくりたてを食べてもらいたい、というところに固執するとそういうスタイルのお店は営めない。待たせないことを優先するための、つくりおき。
 『料理通信』の編集長を当時務めていた君島佐和子さんによると、バルブームは2008年のリーマンショックがきっかけだったという。君島さんの本『外食2.0』では、レストランと比べてのバルの特長はこう列挙される。「予約がいらない、普段着でOK、常識さえあれば特別なマナーはいらない、知識もいらない」と。レストランは、つくりおきの対極にある、つくりたての料理が身上であるところも違っている。
 もしや、かつての家庭料理は、食事をはじめる時間と人数を事前に知らせておけば、シェフのおまかせコースが運ばれてくるのに身を任せていられる、レストランと通ずるところがあったのかもしれない、と、ふと思いもし。
 家庭料理を語る上では、目指すべき着地点として「お店の味」が掲げられもし、あるいは家族関係に立脚した料理と商売としての飲食店は別物、と、遠ざけられたりもする。
 とはいえどのみち、飲食店の潮流と、今時の家族の食卓は、全く別物であるはずがない。そこに誰かがこしらえた料理があり、同じ街、同じ時代に存在するならば、互いに影響し合わないはずがない。


 『つくおき』に収録された100品近いレシピの中からひとつ、日保ちは3日とある「小松菜の煮びたし」をつくってみた。小松菜と油揚を煮付けた簡素なおかずは、自分がよくつくっているものなので、どう違うのか分かりやすいかなと思って。
 自分のやりかたは基本的には調味は酒と醤油だけ、小松菜から出る水気だけで煮る。
 nozomiさんが使う調味料は、酒、みりん、醬油、顆粒和風だし。水も入れて煮る。仕上がりは、まろやか。みりんのおかげにちがいない。小松菜はしっとりし、たっぷりの水を吸った油揚もふっくらしている。よそのうちに行ったみたいな味だなあ、と、感心しながら食べる。自分のやりかただと油揚はちりちりと乾き気味の仕上がりになり、小松菜そのものの味の輪郭はよりはっきりする。
 ちなみにこの本には出汁を引く工程は載ってない。顆粒和風だしを使うレシピ自体も少ない。白だしは頻出する。
 もうひとつついでにいうと、南瓜煮のレシピは、日保ち7日、と設定されている。調味料は、酒、みりん、醬油、砂糖。私だったら、いつも南瓜煮に使うのは、醬油と黒砂糖だけだ。煮崩れたりして、ちょっと野暮ったい見た目に仕上がるといい。そのほうがおいしく感じられる。

〈文中に登場する本など〉
『帰ってきた日々ごはん1』高山なおみ アノニマ・スタジオ 2015年
『自炊。何にしようか』高山なおみ 朝日新聞出版 2020年
『つくおき 週末まとめて作り置きレシピ』nozomi 光文社 2015年
『料理通信』2011年11月号 料理通信社
2021年3月28日付読売新聞「あすへの考 日本の家庭 2万枚の写真」大正大学客員教授 岩村暢子
『外食2.0』君島佐和子 朝日出版社 2012年
SHARE