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第9回

コーヒーと、柳宗理の台所道具

[ 更新 ] 2022.04.01
 京都駅で催されていた小さな古本市を覗いたら『柳宗理 エッセイ』が並んでいたのは、一昨年の秋のこと。うちにもある本だけれど、いや、だからこそか、なぜか目がとまった。それからしばらく、宗理のことを考えながら歩いた。通りすがりに入った台所用品の店で、宗理の品を探してみた。棚に並んでいたのはボウルのみ。フランス製の栓抜きを買ったついでに、レジに立っていた人に、柳宗理のデザインしたものでもあえてボウルだけ置いてらっしゃるんですね、そういえば台所用品にも流行り廃りってありますよね? と問いかけたところ、うちはデザイナーの名前にこだわって商品を選んだりしていません、と、冷たく返される。もっと相手の懐に入れるような質問をすべきだったなあ、自分、などと、あとから悔やんでもみたけれど、その店にある品物のラインナップは、宗理のボウルに限らず、世間で既に価値がある程度定まったものが主だったので余計にもやもやした。
 『柳宗理 エッセイ』は分厚い。37歳のときにティーポットの製作工程について書かれたものから、85歳のときのバタフライ・スツールについての聞き書きまでが収められている。中でもぐっとくるのは69歳から72歳にかけて、月刊誌『民藝』に連載されていた「新しい工藝・生きている工藝」。新しい、とあるけれど新商品ではなくて、長いこと世の中に馴染んでいる定番の器物が主に紹介される。宗理自身がデザインしたものではなくて、たとえば亀の子束子、パン、自転車のサドル。大きなものでいうと、橋。もの一点につき1ページに収まる、そう長くないコラムなのだけれど、最後の段落に穏やかでない文言がちりばめられた回は少なくない。
 「民藝愛好者も従来の骨董趣味より一歩前進して、未来に明るく生きてゆきたいものです」
 「さて、用から離れた民藝品は、いずれその生命を失うという避け難い宿命を持っていると思いますが」
 「ニイチェは言いました。『美とは生気なり』と。死んでいる物には美は生まれません」
 「コーヒー入れ」と題してケメックスのコーヒーメーカーを紹介する回にはそういった寸鉄人を刺すような言はなく終始ほのぼのとしている。宗理はティーポットやカップのデザインはしても、コーヒーを淹れる道具を手がけなかったのは、父・柳宗悦が戦後にイームズの家で見知り、気に入って買ってきたというドリッパーとサーバーが一体化したこのケメックスのコーヒー道具がベスト、と、判断してのことなのだろうか。
 ケメックスのコーヒーメーカーを使って淹れたコーヒーを飲ませてもらったことはずいぶん前にあるけれど、自分でも身近に置きたい、という気持ちはあまり喚起されなかった。重たそうで、それゆえに洗いにくそうでもあった。現にそのケメックスにはひびが入っていた。それも厭わずに使い続けたいと思わせる品なのか、と感じ入ったのはおぼえている。


 コーヒーは自分で淹れるよりも誰かに淹れてもらったほうがおいしい、とはよく聞く。たいてい、コーヒーを淹れる以外の、台所での調理を日常的におこなっている人、しかも女の人の言として。わたしは朝ごはんも昼ごはんも晩ごはんも、そしてコーヒーも誰かに用意してもらいたい、という表明ではなくて、コーヒーだけは特別、という風に。
 他者が淹れたコーヒーのほうがおいしいという言葉の裏には、コーヒーくらいはあなたに淹れてほしいな、との願いというよりもむしろ要求が貼り付いているのだろうか、などと勘繰ってしまう。それというのも、コーヒーを淹れる段取りに、日常的に料理をしている人でも戸惑うような特有の難しさは特段含まれていないはずなので。となると、簡単なんだからあなたがやってよ、という意味なのか。いや、それとも、おにぎりは誰かに握ってもらったほうがおいしい、といわれるのと同じようにあくまでも気持ちの問題にすぎないのか。
 そうやって天邪鬼モード全開になってしまうのは、私は自分で淹れるコーヒーの味が好きだから。
 味が安定した、との手応えを得たのは、これと決めた道具を使い、うちで週に5回以上、3、4年いわゆるハンドドリップ式で淹れ続けた結果だ。豆の種類を替えても、自分の味だ、と感じられるのは不思議なことだ。
 コーヒーについては20代から追っていたものの、当時は、あちこちのお店を巡ってはじめて手にするカップでまだ飲んだことのない味わいにふれる経験を重ねるほうを優先していたし、いろいろな抽出道具を試してみたかった。当時は、同じ人が焙煎した同じ種類の豆でも、淹れる度に味がぶれていた。
 今、急いて淹れると、やっぱりぶれる。焦ったからね、と、落ち着いて、そしてすぐに駄目だった理由を見つけることができる。それも含めて、安定したのだと思う。
 一種類の材料と熱湯というミニマムな要素の飲みものだから、そういう境地に数年で達することができたというふしもある。たとえば、あー、今日の味噌汁いまひとつ、と、がっかりしても、その原因が味噌、材料、出汁のどこにあるのか、ぱっと掴めないことにじりじりしたりする。ひとつひとつの材料が、組み合わせかたによって味わいを変化させる、そのパターンを把握しきれていないせいもある。習熟が足りないともいえる。
 コーヒーを淹れるのに使っている道具は、手回し式のカリタのミル、プラスチック製のコーノのドリッパー、白色のペーパーフィルター。なぜにこれらを選んだのか、そのわけを列挙してみたい。
 ミルは、別のメーカーのものを10年くらい使っていた。あるとき、臼のような役割を受け持つセラミック製のパーツが割れてしまい、でもその日のうちに自分で淹れたコーヒーを飲みたかったので、徒歩圏内にあった輸入食料品店に出向き、店頭に並んでいた数種のミルのうちでいちばんお安いものを、その場しのぎのように買い求めた。それからもう5年経っている。今はかっぱ橋道具街の近くに住んでいるのでもっと選択肢がある中から選べるはずで、たとえば5年前にここにいたとしたらどんなミルを買っただろうか。
 コーノのひとつ穴ドリッパーは、いろいろな道具を試していた時期に買ったもののひとつだった。その中で絶対的にコーノが優れているとの確証を得たわけではなかったけれど、新潟は燕でコーヒー店を営む田中辰幸さんと友達になって、お店で使っているのはコーノと聞いて、じゃあ私もこれ、と、後ろ盾を得たような気持ちでそればかり使うようになって、早7年が経つ。
 ペーパーフィルターは真っ白に漂白してあるもののほうが、コーヒーに紙の味が出る心配がないので。
 ドリップポットは月兎の琺瑯のを15年以上は使っていた。錆が出てきてしまい、新しいものに買い替えようと決めて、不燃ゴミに出してからだいぶ経つ。後継のポットはどれにしようか、ぐずぐずとして決められらずに、とりあえず手持ちのティーポットで代用している。それほど不便は感じないのもほんとうなのだけれど、専用の道具を使うほうが作業に集中できるのではと毎回ちらっと思うのも、ほんとうで。
 同じデザインの月兎のポットは、十数年の時を経ても世の中では定番であり続けている。同じものを買い直そうかと思うくらい使い慣れているし、それこそかっぱ橋でも売られていて、どのお店のどの棚に並んでいるかも記憶しているくらいなのだけれど、コーヒー道具の進化は著しいから、この15年のあいだにかなりの種類のコーヒーのドリップ用ポットが世に出たはずで、もしかしたらその中に、もっと自分にぴったりくるものがあるかもしれないという欲も出る。
 前述の燕の「ツバメコーヒー」の田中辰幸さんに、いいと思うポットはどんなものかと問いを投げかけてみたところ程なくしてこう返答があった。
 「ちなみにポット選びにおいて木村さんが大切にされているものがあるとしたらなんでしょうか。というのもこれ一択なんてものはないですね!」
 適当に見繕って勧めたりはしないところがうれしい。彼が挙げてくれた、選ぶにあたって留意したい幾つかの要点のひとつに「持ち手と注ぎ口の距離」というのがあって、はっとする。言われてみれば、月兎のポットは把手と注ぎ口の距離が近いデザインなので、狭い場所でも淹れやすく、置いておくにも場所をとらない。そういうところが気に入っていた、というポットの美点を、使っていた自分自身は失念している。


 台所道具の使い心地のよさというものをはじめて意識したのは、20、21歳の頃、私のひとり暮らしの部屋に何人かが集まってごはんをこしらえたときに誰かが置き忘れていったステンレス製のお玉を手にしてのこと。掬うところと持ち手が一体成形されていて、繋ぎ目がなく、つるりと洗える。見た目にも、なんてかっこいいのだろう。今思えばそのかっこよさは宗理のパンチングストレーナーに通ずるものだった。熱々の汁物などを鍋から掬うときに持ち手が熱くならないかと懸念はしたけれど、調理中の鍋の中に長いこと突っ込んでおくような真似をしなければ大丈夫のようだった。
 ただ、それはお玉の周りの他の台所道具を見直すきっかけとはならなくて、漫然と、ひとり暮らしをはじめたときに買ったか、もしくは実家から拝借してきたものでよしとしていた。
 道具への興味の入口は、家の中ではなくて喫茶店にて開いた。
 お冷や用のコップが積まれている、飲食店ではお馴染みの風景がある。重ねる=スタッキングすることができて場所をとらないという便利さと、見た目のかっこよさが両立している、その素晴らしさにはっとしたとき、それまで中身の、注がれた水のほうにばかり注意が向いていたのが、容れもののとりこになった。
 そこが喫茶店だったものだから、コーヒーを淹れる道具にも興味が広がり、宗理の台所道具もその延長線上で知ることになった。家の中で使うものだけど、家の中にいるだけでは見つからなかった。そういうこともあるから、やっぱり、家庭料理の窓はいつでも開けられるようにしておきたい。


 昨秋、「LIFE」という名のイタリア料理店を東京で営む相場正一郎さんの写真とエッセイとレシピから成る本『道具と料理』が刊行された。紹介されている40種の道具のうち、パスタパン、ボウル、トング、と、宗理のものが3つ選ばれていた。
 ボウルについてはこうある。「使いやすさ、美しさ、品質、その全てにおいて僕が理想とするボウルだ。軽いものは使いやすいがすぐゆがんでしまう。厚いものは丈夫だが重くて料理がしにくい。これは抜群のバランスで作られてい」る。
 パスタパンとトングは使ったことはなくて、手に取るとどんな風に感じられるんだろうなと考えつつ本をめくり、トングの写真を見てみて、あれっ、これうちにあるじゃん、と、驚いた。宗理、宗理と言いながら、ちっとも意識せずにいたことに、自分のぼんやりさ加減にさらに驚く。私は日常でトングを使うことはほぼなく、手にするのは常にサキさんだからとはいえ、いつからうちにあるのかもとんと思い出せないのだった。
 さて、相場さんは、トングについては、他の調理道具と比べると使いやすいものを見つけにくいというように書いている。
 「柳宗理のトングは柔らかい曲線をしていて、一見すると料理を落としてしまいそうな形をしているが、力を入れずともすべりやすい食材を上手に掴むことができる」
 そう、たしかに見た目には頼りなさそうなのだ。もしかしたら宗理がデザインしたものの中でも最も、見た目と使い心地のあいだに開きがあるかもしれない。
 『道具と料理』の目次には「〇〇のフライパン」「〇〇のホットサンドメーカー」など数々の品が並ぶ。「〇〇」にはメーカー名、あるは産地が入ることがほとんど。宗理の他に「〇〇」に人名が入るものは「マーガレット・ハウエルのエプロン」と「アルヴァ・アアルトの椅子」の2点のみ。
 そう考えると、後にも先にも、台所用品のつくり手としてここまで個人の名が広まり刻まれるということはあるのだろうか。思い浮かぶのは、平野レミの「レミパン」、辰巳芳子の「蒸気調理鍋MIMOZA」があるけれど、鍋の他の道具あれこれまで、彼女たちの刻印が押されたもので揃えることは叶わない。栗原はるみの店「ゆとりの空間」の台所用品は、宗理のものほど広く売られてはいないし、どちらかというとファングッズに分類されるようにも思う。


 2011年12月26日、今よりもTwitterに真面目に向き合っていた私はこう呟いていた。

昨日。夜遅く、電車中で柳宗理の訃報を知る。とてもさびしい。台所にあるボウルも、今生きている人が作ったものと思うのと、もう居ない人の手によるものだと思うのでは、使う気持ちが違ってくる。しかしそのうちそんなことを忘れて無心に使えるものが「ロングライフデザイン」なのだろう。

 宗理が没してから昨年末で10年が経った。
 10年前、デザインした人の名前がもし忘れられても、果たしてこれらの品々は世の中に残るのだろうかと私は勝手に気を揉んでいた。それは杞憂だった。少なくとも、10年という時間にじゅうぶん耐え得る器物ではなかった。よかった。
 ただ、かつて宗理がえがいた「民藝館の隣に現代生活館なるものを建て、現代の機械製品の良い物を並べて、民藝館との繋がりをしっかり明示したい」という夢は未だ叶えられていないのがもどかしい。

〈文中に登場する本など〉
『柳宗理 エッセイ』平凡社 2003年/平凡社ライブラリー 2011年
『道具と料理』相場正一郎 ミルブックス 2021年
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