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第7回

1981年の白いお皿

[ 更新 ] 2022.02.01
 今年も「ヤマザキ春のパンまつり」がはじまった。
 昨春のパンまつりではお皿を2枚もらった。直径21cm=日本の器の寸法でいうと7寸、深さが3cmの使い勝手がよさそうな品なので、せっせとパンを食べてシールを集めよう、との夫・サキさんの呼びかけのもとに幾枚ものロイヤルブレッドを食べ続けた成果である。一昨年まではシール25点でもらえたのに去年からこっそり28点になってたんだよ、知ってた? と、サキさん。
 「スーパーヤマザキ」という名のスーパーマーケットが近所にある。ただでさえ関東地方は山崎製パンの存在感が大きいのだけれど、そこはひときわ棚が広く、品揃えが充実していて、たとえばお正月には松戸工場製の角餅も売られるなど、もちろん店名からしても、山崎製パンとなにかしら繋がりがあるにちがいなく、公式サイトを覗いてみるとやはりそのとおりだった。時たま、ちょっと気の利いたお魚、神津島のきんめとか茨城産のたこなどが並んでいたりすることもあり、なによりうちの最寄りの「ライフ」とはしごするのにちょうどいい近さなのでちょくちょく足を運んでいるもので、主にロイヤルブレッドと「豆いっぱい大福」を食べて集めた28点ぶんのフューシャピンク色のシールを貼った台紙もここでお皿と交換してもらった。
 「ヤマザキ春のパンまつり」は1981年にはじまり、30点ぶんのシールで白いお皿1枚がもらえたそうだ。2000年代末には20点で小鉢ひとつをという年もあったけれど、25点でお皿1枚と引き換え、というのが定例。
 いつぞやもらった、ゆるやかにお花をかたどった白いお皿も1枚、うちにある。去年もらったお皿の上に重ねてみるとすっぽり入るサイズで、去年のお皿は3点ぶん大きいのだなと思うなど。


 うちの食器棚は狭小だなあと常々思っている。
 とはいえ、一度の食事時にその中の器がみんな出払ってしまうほどに小ぶりなわけではない。棚の隣にある冷蔵庫の半分くらいの容量はある。客観的にみれば、ふたり暮らしなら過不足ないじゃん、というくらいの大きさかもしれない。
 器についてあれやこれや考えを巡らすのが人一倍好きな質なので、もっと大きな棚があったらなと欲が出る。ただ、入手できたとしても、そんな棚を置く余地がうちにあるのかといえば、答えは否。
 余地についてひとついうと、台所家電のひとつひとつは、けっこうな空間を占拠する。コーヒーミルを電化したいという願いも持って久しいのだけれど、置き場所と電源が確保できそうにないここ数年は、手回し式のを使っている。アナログに徹したほうが台所を広く使えるというのはほんとうだ。
 食器棚に入りきらない器は、段ボール箱に詰めて押入れにしまってある。3箱ある。時たま、棚と箱の器を入れ替えて選手交代をする。
 棚に入れてみたものの、使わないまま、再び箱に戻される器もある。
 勇んで買い求めても、いざ手元に置いて使ってみると、生活に馴染まなかった、という器は、存外少なくない。買ったときのシチュエーションにはあまり左右されない。直に手に取り、ずいぶん吟味したつもりでも、しまいこんで久しいものもある。そこは服選びと似ている。
 もらいもの、それも贈りものというわけではなく、なにかしらの景品だったりするもの、また、通りすがりに「ご自由にお持ち下さい」との貼り紙に惹かれて持ち帰った路傍の器、そういう背景の器で、長らく棚に並んでいるものはけっこうあるのに。
 汁椀など木製の器とガラスのコップを除いて、ためらいなく電子レンジに入れることのできる素材の器だけを棚に並べている。電子レンジでの調理はタッパーを使ってやるけれど、料理をあたため返すだけなら、そのまま食卓に並べる器を使っているし、電子レンジにかけていいのか駄目なのか、曖昧なものを手の届くところに置いておくと、磁器と陶器を見分けるのが不得手であるサキさんを惑わすものだから。ちなみに、パンまつりの白いお皿は電子レンジ使用可能な強化ガラス製である。
 そう、磁器および、ほぼ全体が釉薬におおわれている陶器は電子レンジにかけていいことにしている。とはいえ、私が電子レンジと陶器との関係を完璧に理解しているわけじゃない。世の人はどうしているんだろうなと思い、器にまつわる記事などを読むときはそこに注目する。大事な器は決して電子レンジには入れませんという意見は見なかったことにする。
 やや大掛かりな器の入れ替えを2年前にしてみたとき、淡色の器を食器棚に並べ、濃色の器を箱に詰めて押入れにしまい込んでいたのに気付いた。棚の中に、つまり食卓に、明るさを呼び込みたかったのかもしれない。他人事のように思うのは、特に意図せず、そうしていたから。
 淡色で明るい、その筆頭は白色だ。ガラスだったら透明だ。
 真っ白な地の器の利点は、どんなメニューにも対応可能、たいていはそれなりに格好がつくところである。たとえば白米とかぎょうざとか、同じく白色が基調の食べものは濃色の器を使ったほうが盛ったものが映えるという面もある。ただし、汎用性があるのは、クリーム色、白色、淡い色の器のほうである。これ専用、という器を使うのは食卓にけじめがついていいなとは思うけれど、ここでも棚の容量がそうはさせてくれない。
 汎用、といえば、ここしばらくお魚を積極的に料理し続けていて、煮魚や焼き魚がちょうどよくおさまる長方形の器が3つ4つあればもっとお魚の調理にやる気が出る、と、探しまわっていたのだけれど、結局のところ棚に余地はないし、円形の皿のほうが汎用性が高いのだからと自分に言い聞かせている。雑誌『BRUTUS』のお魚の特集号の、東京の和食店で出される魚定食を紹介するページで8軒中5軒は円形の皿にお魚を盛り付けていたのもおぼえているし。
 平皿に余白を残しておかずを盛り付ける場合、真っ白ではなく、少し黄みがかっているもの、クリーム色のものを手に取る。生成りから、コーンスープみたいな薄黄色までは、たいていの料理とうまいこと調和してくれる。
 あまりポジティブな理由ではないのだけれど、料理の姿を端正に見せるのをじゃまする、炒めたもの、焼いたものを皿に盛り付けた後からじわっと滲み出てくる汁気は得てして無色透明ではないから、白色の器だと目に付きやすく、鷹揚な気持ちでないときには汚げに感じられてしまうのが、黄みがかった器だと、比較的、気にならない。一滴も汁気を出すことなく料理を仕上げようと神経を使うよりも、器の色に頼りたい私。どこまでもつるりとした磁器よりも、おもてにざらつきのある陶器ならなおよし。
 とはいえ、クリーム色の器を手元に置きはじめたときはそんなことは念頭になかった。それは二十歳を過ぎてからで、最初のひとつはベトナム製の小ぶりの丼だった。ソンベ焼、と呼ばれる大衆的な焼きもので、丼の胴には、花が一輪、大きくえがかれており、見込みには釉薬が溜まってごく小さな池のような景色をつくっていた。当時気に入ってよく行っていたベトナム料理の店、その名も「333バーバーバー」で使われていて、その店の一部を自分の部屋にも持ち込みたくて探したような記憶あり。きっかけはもう曖昧だけれど、買い求めたのは京都、河原町のBALビルにあったベトナム雑貨の店だったことはたしかだ。千円札でお釣りがくる値段だった。
 それまで好んで使っていた、全体に柄が散らされた磁器の食器よりは渋めの佇まいで、とはいえその色合いと花の絵によって可愛げも醸し出されていた。その丼選びを皮切りに、器に限らず、渋さと可愛らしさが両立したものに惹かれるようになっていったような気もする。今、棚に入っている器でいうと、京都は祇園の「都をどり」を観に行くともらえる京焼の団子皿に肌合いが似ている。
 愛用し続けて縁を欠いたりひびが入ってしまったり、やや痛々しい姿になってしまったソンベ焼の丼は、10年近く箱にしまってある。あらためて調べてみると、ベトナムではもうほとんどつくられていない焼きものらしく、骨董としてずいぶん高い値段で売られている。当時なら6つも7つも買えるくらい、となると今更買い直すのもなと躊躇してしまう。
 料理研究家の上野万梨子さんの半生記『パリのしあわせスープ 私のフランス物語』にも、そういう色合いの器は重宝するものだとある。
 「純白ではない、ほんの少し蜂蜜色が混ざったような白をブランカッセという。カッセは“壊れた”という意味だから、純白が壊れた色。英語ではオフホワイトで、純白ではない白」
 フランスでは大衆的な立ち位置にあった白色の器が、まだ日本の日常にはなかった半世紀前のエピソードも、この本には記されている。十代の終わりに料理研究家の草分けである飯田深雪さんの料理教室に通いはじめたのをきっかけに、銀座の洋書店「イエナ」に足を運び、フランスの雑誌『ELLE』の巻末のおまけ、切り取ることのできるレシピカードの写真を見つめていた上野万梨子さん。
 「驚きだったのは、飯田先生の著書や料理撮影のお手伝いのたびに目にしていた、ヨーロッパ各国の上等な食器ではなく、見るからに普通の、というか安物そうに見える、絵柄が何もない白い器に、それは美味しそうな料理が、お菓子が、盛り付けられていたことだった」
 「上等な食器」の例として「草花やエレガントなモチーフが美しいウェッジウッドやミントン、リモージュやセーヴル」が挙げられる。
 「その頃、日本の冷蔵庫や炊飯器などの家電製品にも花柄があしらわれていたのだ。ただ白いだけでは売れない、絵柄がなければ。そんな時代に、ただの白い丼のようなカフェ・オ・レ・ボウルはどれほど新鮮だったことか」
 1974年に渡仏した上野万梨子さんは、サンジェルマン・デ・プレの、今も同じ場所にあるスーパー「モノプリ」にて、白色のカフェ・オ・レ・ボウルを見つける。純白ではなく、黒い点々が目立つ。磁土を精製する過程で鉄粉が取り除かれきっていない証拠だ。形が不揃いできっちりスタッキングできない。でも、絵も他の色も付けられていないその器は、たしかにそこに暮らす人たちの生活の器だった。
 2年後に帰国しても、白色の器は東京の日常にはまだ馴染むものにはなっていなかった。あっても、業務用だったという。
 業務用といえば、と、合羽橋道具街を見に行ってみると、今は、当たり前のように、白色の器はそこかしこに置かれている。とはいえ、およそ20年前には合羽橋は名実ともにプロ仕様の商店街で、一般のお客はおことわり、扉にそう明示されているお店がほとんどだった。ここ10年のあいだにそのハードルが徐々に取り払われ、すっかり普通の商店街のような様相となっている。
 かつてたしかにあった、ものの買いにくさ。ああいうものが欲しい、買えるなら買おう、そう心に決めてから、手にするまでの道がいかに長かったことか。あくまでも、価格は別として。その買い物道をかつては歩いたことのある私も、あのもどかしさを忘れかけている。
 上野万梨子さんが『ELLE』のレシピカードで見た白色の器に惹かれてから10年以上経ち、それはようやく日本でも、店に行きさえすればすっと買えるものになった。
 「私の憧れだった白いカフェ・オ・レ・ボウルが渋谷パルコパートⅢにオープンした『アフタヌーンティー』で発売され、待ってました! と大いに話題になったのは1981年のことだ」
 1981年といえば、ヤマザキ春のパンまつりがはじまった年だから、日本の家庭における白色の器元年である、と宣言してみたくなる。
 そういえば、春のパンまつりの「白いお皿」がフランス製なのは偶然なのかしらん。昨年までの累計交換枚数は5億枚をこえており、キャンペーンの時期は春というところを守るため、北海道ではひと月後ろにずれているというのはこないだ知った。
 ちなみに、1981年には、広尾に「F.O.B.COOP」1号店がオープンし、雑誌『オリーブ』が『ポパイ』の増刊号として世に出た。どちらも今はないのが寂しい。
 ついでにいうと「無印良品」は前年の1980年に、西友のPBプライベートブランドとしてデビューしている。当時の40点の商品ラインアップに食器の姿はまだない。今はたとえば百均にも、真っ白な食器が並ぶ一角がある。白色の器は広く求められているし、それゆえにか、やすやすと手に入るようになった。
 「今でこそ白い陶器というのは一般的ですが、当時、特に戦後はそういうものが受け入れられにくい時代でした」
 プロダクトデザイナーの柳宗理は、およそ20年前にこう述懐している。1948(昭和23)年に、白色のティーポットをつくろうとするも、素材となる陶土はあっても、焼くための燃料がなくて「戦争で東京湾に沈んだ商船や軍艦から石炭を取り出して」使ったとのエピソードを語る。そうまでしてこしらえた白色のティーポットなのに、販路の開拓も容易でない。
 「あるデパートにおいてもらえるよう頼みに行くと、ここでも白い絵柄のないティーポットは半製品として受け入れられず断わられました」
 色柄を載せないと、完成品としては認められない。
 ただ、特に戦後は、というのは分かる気もする。ただただ広がる白色の面は明るさではなく空白に、もの寂しいものとして目に映ったのではないか。少なくとも、プレーンなものっていいよね、そういう余裕を持てる時代ではなかったはず。
 前述のティーポットにはじまり、1952(昭和27)年までに、カップや平皿など、いろいろな白色の器を宗理は世に出した。入れ子になる鉢、縁が少し立ち上がったリムなしのオーバル皿、ボウルなど、展覧会の図録の、細部までくっきりはっきり分からない写真を見ると、これはいつぞやの春のパンまつりのお皿だよと言われても、なるほどねと納得してしまいそう。それくらい、まろやかさと軽やかさの含まれた、なんてことないものとして見えてしまうかたち。人はそれをシンプルと呼ぶ。
 同じく宗理がデザインした品であるボウルやミルクパンなどの台所道具にももちろんシンプルという言葉は当てはまるのだけれど、たとえばお店の棚に他のものと一緒に並んでいるのをぱっと見て、あっ柳宗理、と分かる、輪郭の主張がある。それは私が20年以上台所で使っていて輪郭が目に焼き付き、手がおぼえているから、というだけのことではないように思う。

〈文中に登場する本など〉
『dancyu』2018年4月号
『BRUTUS』2018年4月15日号
『パリのしあわせスープ 私のフランス物語』上野万梨子 世界文化社 2020年
『柳宗理 エッセイ』柳宗理 平凡社 2003年
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