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第6回

電気じかけの炊飯器

[ 更新 ] 2022.01.06
 電鍋こと「大同電気釜」を買い求めた。容量は6合、色は橙色。
 今ある炊飯器の他にもうひとつ買おうということになり、家電量販店に入るも、売り場の色合いの暗さ、重たさ、なによりもお値段が高いことに、選ぶに選べず手ぶらで出てきてしまって。そのとき、なんとなくいいなとぼんやり眺めていた存在を思い出した。それが、電鍋。
 時たまSNS上にその姿が流れ行くのをなんとはなしに目にする中で、台湾製で、煮炊きのための簡素な調理器であるという、輪郭だけは知っていた。
 実物を目にしたことは2度あった。3年程前、東京の、魯肉飯ルーローハン専門店のカウンターに置かれているのと、台湾雑貨の店の飾り棚に置かれているのを。とても好みの見た目ではあった。色があざやかで、簡素であり、もっさりした愛嬌のあるかたちで。台湾のお土産品のひとつで、現地の風景の中にあるものを自身の生活に取り入れようというときめきをのせて買うべき家電に違いないと思った。つまり台湾に行ったことがないし行く予定もなかった私には縁がない道具だと。
 当時はといえば日本からちょいちょい台湾に旅する人はとても多くて、雑誌で台湾特集が組まれることもしばしばだった。それをめくりながら、なぜにこれほどまでにみんな台湾に夢中になっているのかなあと思いを巡らしていたものだった。もちろん、近いからには違いない。日本にないものがある国だけれど、日本に似ている部分も多いせいだろうか、想像の範囲内での冒険がしやすい場所だからということなのか。子供の頃から、同じくらいの年の同性の多くが熱狂している対象には気後れして一歩引いてしまう質でもあり、それ以上掘り下げることはしないでいるうちに、みんな、外国旅行がおいそれとはできなくなってしまい、今に至る。
 そんな私でも、純日本製であると大きく記されて並んでいる今時の炊飯器群にはちっとも食指が動かず、だったらと台湾らしさをまとっているはずの電鍋を選んでしまうのはなぜかしらん。
 そもそも、なぜ炊飯器は、無彩色のものが多いのか。シンプル、というのとはまた違う、暗い色の中に金粉を混ぜてあるような和風の重たい色合い。
 それと、うちでは、配線の都合上、炊飯器の定位置が決まっておらず、ちょいちょい移動させながら使っている。これまで使っていた炊飯器がそこそこ重たいものなのでそれより軽いのを選びたかったがしかし、5kg超えの品が少なくない。内釜を分厚く、蓋を幾層にもしてあるせいだ。それでこそおいしく炊けるのだと大書してあっても、それでないとおいしく炊けないわけではないということを私は知っている。
 こんなに厳しい姿になってしまったわけは、もしかしたらかつての竈の姿を投影しようとしてのこと? 土間のあるような家だったらそれもまた一興かもしれないけれど、うちは中古のマンションだしな。
 炊飯器売り場の棚の前を何往復もしていると、隅っこの棚のいちばん下の段に明るい色がちらっと見えた。かがみこんで覗いてみると、保温ジャーだった。温めるための道具であって、これでお米は炊けない。白地に花柄で、T社製だった。花柄があしらわれている家電の全盛期を少し過ぎた頃に生まれた私にとってはたしかに懐かしさがある、久しぶりだね、と挨拶したくなるようなかたちをしている。ふんわりとした花の絵柄はいかにも時代遅れに見えもするけれど、調理の時間を軽やかに楽しいものにしようとする意気は伝わってくる。
 そう、そういう心意気を自分の台所にも持ち込みたいのだ。
 輪郭を思い出してみれば、電鍋もそういう類の家電なのではという気がしてきた。
 あらためて、買おうという意気込みをもって値段などをたしかめてみると、お安めの炊飯器と変わらなかった。重さも3.2kgなのでよしとする。
 使い勝手については、とりあえずお米が炊ければよくて、その他については見切り発車でということにして、注文をした。


 まずはお米を炊いてみる。
 研いだお米と水の入った内釜を、外釜が電熱で温めて、ごはんを炊く。それは一般的な炊飯器と同じでも、電鍋はあらかじめ外釜に直に水を注いでおかないとはじまらない。スイッチはふたつあって、大きいほうをかちっと押すと外釜に入れた水が沸き、内釜に入れた研いだお米と水が蒸されて炊きあがる、という仕組みになっている。外釜の水が蒸発して空になると、スイッチが切れる。ちなみに、もうひとつのスイッチは保温用。
 煮炊きするか、あたためておくか、ふたつの作業のみを担当するというのは普通の炊飯器と変わらなくとも、加熱の仕組みが目に見えるというだけで、その単純明快さにずいぶん安心させられる。
 スイッチを入れて少しすると、蓋がかた、かたと音を立てはじめる。けっこうな勢いで湯気が上がり、ピューピューと風が吹くような音が鳴る。蓋は上下に揺れながら、かたかた、かたんかたんと小刻みに、打楽器のように音を鳴らす。どこかへ走っていく乗り物が立てるような音。えらく賑やかだ。
 「おどり炊き」と謳われる炊飯器はあるけれど、電鍋は外から見てもたしかに小規模に踊りながらお米を炊いているようだった。
 そのうち打ち鳴らされる蓋の音が徐々に静まって、ぴぃー、ぴぃー、という鳥の鳴き声のような音だけが響く。
 どうも元気がなくなった様子なので、大丈夫かなと傍へ寄ってみると、程なくして、かしっ、と音がしてあっけなくスイッチが切れた。
 ここ5、6年使っていたごく一般的な日本製の炊飯器のどこまでもおとなしい有り様とは違って、存在感を主張する。傍で見ていた夫・サキさんは、人間味があるね、と、感心した様子で、その後で、はじめてひとり暮らしをはじめたときに使っていた炊飯器はこれに似たかたちで、色もそういえばこんなだったなどと、記憶を掘り起こしだした。はじめて聞いた話ではある。
 添付の説明書に従い、スイッチが切れてから15分置いて蒸らしたのち、ぱかっと蓋を開ける。お米はつやつやしてちゃんと炊けているように見えた。蓋の内側にはびっしょり水滴が付いていて、お米の様子に気を取られて手に持った蓋の角度については留意していなかったので、ぽたぽたとお米の上に数滴水が落ちた。「水が!」と、こちらを見ていたサキさんが慌てている。ただ、それは大勢に影響を与えるほどのことはなく、結果的には上手いこと炊けた。
 ひとつ、内釜にあまりにもごはん粒がくっつくのはどうかと思う。まあ、普通のステンレスの鍋で直火で炊くときもそうはなるのだけれど。電鍋愛好家はどうやって対処しているのか検索してみると、専用のフッ素加工内鍋が売られていると知る。それは欲しい。


 『はじめまして電鍋ディエングォレシピ』という本の冒頭には、1960(昭和35)年に、日本の東芝との技術提携によって生まれた炊飯器、とあって「驚くべきは、デザインも機能も当時のまま」と書かれている。台湾では現役の調理器として使われ続け、多くの家には一台以上存在するのだともある。
 長く使っていこうと決め込んだつもりの道具が、先方の都合により頻繁に仕様を変えていって馴染めなくなることが続き、げんなりしていたところだった。たとえばデジタルの話でいうと、一晩寝て起きてみたらInstagramがアップデートされており、投稿を見るのにも投稿するにも戸惑うなど。あるいはアナログな話だと、一年前の同じ季節に買って気に入って着ていて、今年も数枚は買い足そうと楽しみにしていたTシャツが、かたちや素材をすっかり変えてしまっていたとか、なんとか。
 ただ、こちらは選ぶだけの立場なのだから、これは私の定番、と決め込んだとしてもそれがずうっと保たれる保証がないのは当たり前だ。定番としてつくられ続け、こわれたりなくしたりしてもその穴をすぐに埋めることができるものを見出せなかった自分の目が曇っていたとうつむくしかない。
 電鍋の製造元「大同公司」の子会社「大同日本」のサイトにある電鍋年表を見ると、発売当初は白色一色で、1970(昭和45)年に橙色と若草色が加わったそうだ。私が買ったのはその色。年表をずうっと辿っていくと、時折かたちを変えた新商品が登場したり、ハローキティとコラボしたりしていても、はじめからある基本の電鍋のフォルムは変わらないのが分かる。そして日本仕様の電鍋がつくられるようになったのは2015年からのことだそうだ。私が買った電鍋にも、保温スイッチの脇に「オン」「オフ」などと親切に日本語で示されている。でも、もしそんな親切さが添えられていなくとも、使いはじめてみればのみこめる。
 押さないボタンが沢山ある家電が苦手なのだ。まあ、どうして押さないのと訝しがられるのかもしれないし、まずは押してみればいいのかもしれないけれど、たとえば炊飯器の「しゃっきり」とか「極上」とあるボタンを押すよりも、どうしたら「しゃっきり」と表現できるように炊けるのかは自分で考えてみたいし、先方の「しゃっきり」の加減に納得できるかどうかはまた別の話のように思う。軸は家電に委ねた上で、ある程度は自分の裁量の余地があるほうがいい。
 電子レンジだったら、メニュー表のようなボタンがずらっと並んでいるものよりも、出力とタイマーそれぞれを選ぶダイヤルがふたつついているだけのもののほうが使いやすいし、すっと馴染めると感じられる。少なくとも私は。


 「東芝未来科学館」のサイトには「1号機ものがたり」というページがあって、そこにある「日本初の自動式電気釜」の写真は、電鍋と瓜二つだった。
 炊飯の仕組みについて「水の蒸発をタイマー代わりに応用したもので、日本人らしいシンプルで合理的なアイデアである」とある。この、目に見える単純明快さが台湾らしさなのだ、と私は受け取っていたけれど、そもそもは日本らしさであったのだ。
 「1955(昭和30)年12月10日、完成した700台の販売を始めたが、家電販売店は半信半疑でなかなか乗ってこなかった。そこで既存ルート以外の電力会社の販売網などを開拓し、山田自らが全国の農村で実演販売をしてからは、爆発的に売れるようになった。その後、最高月産20万台を販売し、4年後には日本の全家庭の約半数にまで普及し、総生産台数も1,235万台を記録した」
 ここに登場する山田さんという人は、社内で炊飯器の開発を牽引した家電営業部門の担当者だそうだ。
 のち、ガスを熱源とする自動炊飯器も発売されて販売台数を伸ばし、1970年代半ばには電気式とガス式はほぼ半々となったという。しかし1985年以降は電気式が優勢となる。
 ちなみに『暮しの手帖』には、1958(昭和33)年の1世紀44号に「電気釜をテストする」と題した記事が載っている。1970(昭和45)年には「12年目の雪辱 電気ガマをテストする」として再び俎上に載せられている。
 家電話ついでに、その『暮しの手帖』が黎明期に酷評したせいですぐには広まらなかったという説もある、電子レンジの普及率が5割を超えたのは、1987年のことだそうだ。
 電鍋で、たとえば2合半の白米を炊くとき、時間を測ってみたら25分かかった。そこから15分蒸らして40分。添付の説明書によれば15分から25分、とある。外鍋にどれくらい水を入れるとちょうどいいのか、試しつつやっていきたい。


 このコラム「家庭料理の窓」第1回に登場した、これまで使っていた炊飯器はといえば最短45分で、もっと早く炊けたらいいのにと願うこともしばしばだと、私は書いていた。電鍋で炊けば5分ばかり早まるも、電車でいうと鈍行から快速に乗り換えたくらいで、劇的な短縮は叶っていない。でも電鍋は、炊いているあいだじゅう鳴り響く音からして、ちゃんとやってるよ! と主張をしているようで、こちらは、ならばよし、と、納得してしまう。あまりしいんとしていると、なんでこんなに時間がかかるの、さぼっているの? との疑念に繋がる、ように思う。
 余談ながら、とにかく早く炊ける電気式炊飯器「おひとりさま用超高速弁当箱炊飯器」という品が2019年に発売されていたのを思い出した。炊けるのは1合までで、19分半、半合だと14分。長方形の、山岳調理道具のメスティンみたいなかたちをしている。そういや、同じ頃にメスティンも流行って、たいていのところで売り切れており、そのかたちを模したずいぶんチープな容れ物を百均などで見かけたのも思い出す。


 前述の、もの静かな炊飯器は、米どころである秋田に運ばれていった。そのわけはまたあらためてここで書きたい。
 その、いわゆる一般的な日本製の炊飯器がうちの中に置かれなくなって気付くのは、私は、たとえごはんを炊いていなくとも、炊飯器の前を通りがかるときはそちらをちらりと見やる癖がついていたということ。なぜかというと、炊飯器には、炊き上がりまでの時間などを示す液晶画面がついていたから。稼働していないあいだ、炊飯器はその画面に時刻を示してくれていた。私にとって炊飯器は時計でもあったのだ。
 なので、電鍋にも、用もないのにちらちら視線を送りがちだ。ふたつのスイッチがある以外はつるりとして液晶画面などついてない電鍋は、今何時かを教えてくれはしない。でも、その姿には愛嬌があって、可愛いなあ、と、にっこりしてしまう。

〈文中に登場する本など〉
『はじめまして電鍋レシピ 台湾からきた万能電気釜でつくるおいしい料理と旅の話。』口尾麻美 グラフィック社 2017年
東芝未来科学館 1号機ものがたり「日本初の自動式電気釜」https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/ichigoki/1955cooker/
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