
第14回
猫のごはん
[ 更新 ] 2022.10.31
とはいえ確かに、そんなことを言われてしまうくらい、猫が家にいる充足感というのは、なかなかのものなのだ。私はオス猫とメス猫をそれぞれ一匹ずつ飼っていて、オス猫の方は夜、テレビなどを見ている私の横をかた時も離れない(昼間はベッドかソファで寝ている)。寄り添ってくれるを通り越して、いつもべったり、という感じ。
実は私は20代の頃にも猫を飼っていた。しかし当時の恋人と別れる時、猫たち(親子二匹)を置いてきてしまった。彼はその後も猫が死ぬまで面倒をみてくれたが、猫たちは年を取るにつれて腎臓が悪くなり、時々、電話がかかってきては、病院に連れていったという報告をもらった。
私はその話を聞きながら、あげていた餌が悪かったかなあと心苦しくなるのだった。私も恋人も貧乏で猫にやるのはいつも一番安いキャットフードだったからだ。後に、猫は腎臓病が多いこと、安価なキャットフードは腎臓に負担をかけることもあることを知ったのだが、後悔先に立たず、である。
ということで、次に猫を飼うことになった時(最初はオス猫が家に来た。近所の保護猫で、生後8か月くらいということだった)、私は自戒を込めて「猫には良い食事をさせよう」と、心に決めたのだった。
では、猫にとって良い食事とは一体、どんなものなのだろうか? 私は猫の食事について、本やネットの記事を手当たり次第に読んだ。ドライのキャットフードは総合栄養食で、猫が健康でいるためのさまざまなビタミンやミネラルも配合されている。扱いも楽だ。しかしドライフードはもともと、犬のために開発されたものらしい。犬は雑食だが、猫は肉食である。犬用と猫用とでは成分はもちろん違うが、猫用にも猫はあまり必要としない穀物がかなり含まれている。
猫の食事に気をつけている人々の意見として、安価なドライフードは安い穀物が多い。缶詰も塩分過多の場合がある。市販の餌は使わず、手づくりするのがいいという意見もあった。手づくり派も、火を通す派と生派に分かれるようだった。
生派、特に肉などの蛋白質は生で与えるのが良い、という人たちは、自力で餌を獲る猫たちは、ねずみなどを獲ったら内臓も含めてそのままバリバリと食べてしまう、だから生食が猫の体にとって一番負担をかけない食べ物なのだ、と主張する。
生のまま丸ごと全部食べるのが、猫にとって自然に最も近い食事である、というのはなるほどと思った。とはいえ、猛禽類や爬虫類の餌のように、生きているネズミをやるわけにもいかない。ということで私はオス猫が来た当初、よくイワシの頭やマグロのあらをそのままやっていた(まだメス猫はいなかった)。若いオス猫はパクパクとよく食べた。
イワシを買ったら、身は人間が食べ、頭は猫が食べる。猫用の小さな皿にイワシの頭をいくつも盛ると、今道子の、イワシで造った帽子を被った種村季弘の写真などをふと、思い出した。
小さなオス猫が何でもパクパク食べるのに気を良くし、私はキャットフードを手づくりすることにした。栄養バランスも気になるので、肉の割合の多いドライフードもやるが、週に一度、つくり置きし、冷凍しておいた食事を毎日やるようになった。
肉や魚を細かく刻み、少しだけ野菜を混ぜる。生魚にはビタミンB1を破壊するチアミターゼが含まれているので、加熱して与えた方が良い、というのを知り、魚は火を通すようにした。「ねずみ丸ごと」に近い食事を目指し、ネズミのレバーの代わりに鶏のレバーを刻んで混ぜた。
野菜を少し混ぜるのは、猫の手づくり料理の本に書いてあっただけでなく、「ねずみのお腹には未消化の草なんかが入っているんだろう」と想像してのことだ。子どもの頃に読んだ、アフリカのライオンなどの食事の話がどこかでオーバーラップした。鶏肉よりももっとワイルドなものをやりたくて、通販でラム肉や馬肉を取り寄せるようになった。その頃、近所で生まれた野良のメス猫がうちの猫となり、子猫はラムや馬肉をパクパク食べた。
そのせいか、今もオス猫は魚、メス猫は肉が好きだ。台所で魚を切っているとオス猫が、ラム肉を冷蔵庫から取り出すとメス猫がやってきて、そわそわしている。好物をもらえると思い、期待しながらうろうろと歩き回っている猫たちの姿は大変可愛いものだ。猫は踊らないが、その姿はまさに小躍り、という感じ。
しかし現在、猫たちはそんなに良い食事はしていない。ストルバイト結石が出てしまい、それ以後は予防も兼ねて療養食(ドライフード)を主に食べている。かといって文句も言わない(食べ残さない)。腎臓が悪くなるのも、ストルバイトも水分不足(猫はもともとエジプトの砂漠に住んでいたので、水を飲むのが下手なのだそうだ)が原因だというので、手づくりの食事も水分をなるべくとれるようにという配慮だったのだが。
それこそ、嫌いな猫はおそらくこの地球上にはいないのではないか、もしかして何かイケナイもの(猫的に)が入っているのでは? と思われる、猫大好きチュールでさえ、私は水で薄めたものをやっている。ちょっと貧乏くさいなあと思うこともあるが、なるべく水分を摂ってほしいという願いからである。水でかさ増しした一本のチュールを二匹がそれぞれの皿で舐める、という生活なので、この前、試しに一匹一本ずつ、そのままやってみたら、最初は大喜びで舐めていたが、半分くらいで止めてしまった。どうやら、いつもの量で満足してしまったらしい。
猫たちはまだ、特に大きな病気もせず、機嫌良く過ごしている。オス猫は私にベタベタだが、メス猫の方は性格か、ノラの子の魂百までも、ということなのか、とても臆病で、ほとんど触らせてもくれない。頭を撫でるのがやっとで、爪も切れないし、私がいる部屋には入ってこない。二匹は居間で寝るのが習慣になっているが、メス猫は夜は私が居間にいると入ってこず、そろそろ寝ようかな、という時間になると、「早く行ってよ」という感じで、ささっと入ってくる。その様子はまるで、親と長く顔を合わせたくない10代の若者のようである。
では、そんな対応をされて可愛くないかというと、ものすごく可愛い。トイレを掃除してほしい時と餌が欲しい時しか、私を呼ばないが、ものすごく可愛い。犬を飼っている友人が「私だったら、あまり可愛いと思わないかも……」と言っていたが、私と猫たちとの関係はギブアンドテイクではなく、お互いが一方的(オス猫の場合もそういうところがある。私は彼ほど、いつも一緒にいたいとは思っていない。メス猫はメス猫で、オス猫が好きでしょっちゅうまとわりついているが、オス猫はそっけない。ということで私たちは一種の三角関係と言えなくもない)に愛情を注ぎ、平和を維持している。
確かに、私がひとりでいて特に寂しいと思わない理由のひとつは猫がいるからだと思う。そしてもし、猫や、あるいはほかの動物と一緒に暮らすことで、漠然とした寂しさや不安がなくなる、または軽減されるのであれば、誰もが望んだ時に、動物と一緒に暮らせる環境であってほしいとも思う(賃貸では動物不可の物件もまだまだ多い)。
しかし相手は動物、生き物だから、毎日世話をする必要があるし、病気になれば治療費もかかる。猫でも犬でも一度飼ったら、15年前後は共に暮らすことになる。それを考えると、高齢になると、なかなか動物が飼えないという問題もある(私も今の二匹が死んでしまった後、次に飼うのは躊躇するだろう)。飼い主のいなくなった猫を引き取って新しい飼い主を探してくれる団体もあるようだが、高齢者が増えていく世の中でもあり、ペットの意義はもっと考えられていいと思う。
台所で肉や魚を調理しようとしていると、いそいそと猫たちがやってくる。そうしたら、ほんの少しだけ、おすそ分けをする。買い物へ行き、おいしそうなアジやラム肉を見かけると、猫の喜ぶ姿が脳裏に浮かび、自分が食べたいものよりも猫優先で献立を決めることもある。こんな時は、一緒に食べるわけではないのだが、ひとりで食べているのとも、ちょっと違うのかもしれない。