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第11回

町に出よ、中華を食べよう

[ 更新 ] 2022.09.12
 昔、家の近所の町中華でアルバイトをしたことがある。10代の頃だ。会計は店の主人がするので、お冷やや料理を運ぶだけの簡単な仕事だった。
 いろんなお客さんが来たけれど、大方は男性のひとり客。皆、黙々と食べたらさっと出ていく。ビールを頼む人もいたが長居する客はいなかった。最初にビール、その後に麺類やチャーハンなんかを頼み、食べると出ていく。
 その中でひとり、印象に残った男の人がいた。その人は毎日、やってきた。そして頼むものはいつも同じ。「中華丼、塩味で」と言う。
 店の中華丼は醤油味だから塩味で、とわざわざひと言、添えて注文する。毎日来て、毎回同じ料理を頼むのだから、その人が暖簾をくぐり、ドアを開けた瞬間、私も主人も「あ、中華丼、塩味だな」と思うのだ。私が客と気さくに話すような性格だったら、彼に水を出しながら「中華丼、塩味ですよね」なんて明るく言ったかも知れない。しかし私はそうせず、彼もまた「もう分かっているだろ?」というような態度は微塵も見せず、毎回「中華丼、塩味で」と静かに言うのだった。
 彼のように、夕方になると毎日来るお客さんはほかにもいた。きっと彼らはひとり暮らしで、料理を作るのは面倒だし、作ってくれる人もいないということで、ここを利用しているのだろう、と思っていた。ひとり客が多いと混雑しても店の中は静かで、厨房から聞こえてくる調理の音以外は、麺を啜る音や新聞をめくる音などが聞こえるくらいだった。
 当時、町中華という言葉はなく、そういう店はラーメン屋と言っていた。いつからか、ラーメン専門店や高級中華料理店と区別するためか、町中華、という言い方がポピュラーになった。町中華は、そこを目指してわざわざ行くものではなく、家(や会社)の近くにあるから行く、たまたま近くに来たから行く、というものだと思う。
 そしてこれは町中華ではなく、ラーメン屋についての話なのだが、久住昌之『近くへいきたい。秘境としての近所──舞台は“江ぐち”というラーメン屋。』(1985)という本がある。久住さんの地元、三鷹にあるラーメン屋「江ぐち」の話である。久住さんは江ぐちのラーメンが大好きで、何かというとそこへ行く。愛着はあるけれど、店の人と話したりはしない。常連という自負はあるがベタベタしない(できない)。彼は幼馴染みや同級生ら「悪友」たちと、お気入りのラーメンとそこで働く人々について一方的に妄想を広げ、江ぐち愛を展開させていく。
 実在する店で実際に働いている人たちに、「アクマ」、「オニガワラ」となどというヒドイあだ名をつけて、それをそのまま書いているのって凄いな……と初めて読んだ時に思ったものだが、これを機に、読み直そうと思って調べると(私はこの本を当時バイトしていた古本屋で、売り物を仕事中に読んでいたので手元にないのです)、驚くべきことにこの本は『小説 中華そば「江ぐち」』(2001)、『孤独の中華そば「江ぐち」』(2010)と次々にタイトルと出版社を替え、その都度、新しい文章を加えながら出版されていたのだ!
 一冊目では妄想だけだった内容も、出版後、江ぐちの人に本の存在を知られることとなり、少しずつご本人たちの談話などが入るようになって、厚さを増している。そして1985年、2001年、2010年と新版が出る度に補足される文章は、三鷹の町の変化にも呼応し、私的な町の定点観測にもなっている。(江ぐちは2010年に閉店し、その後、働いていた若いスタッフが「みたか」という店をオープンした)
 久住さんはテレビの取材で江ぐちへ行った時のことをこう書いている。
 ──江ぐちに、聞きたいことなんて何にもないのだ。
 ただ、この味がいつまでも残ってほしいと、個人的に願うだけなのだ。(『孤独の中華そば「江ぐち」』)
 すごくよく分かる、と思った。私も好きな店に対して、なくならないでほしい、末永く続いてほしいと願うだけで、店の人と話したいとか、仲良くなりたいと思ったことがない。私は自意識過剰なので、取材した店を再訪することすら苦手だ。挨拶すべきなのか悩んでしまうし、緊張してしまう。もともとよく行っていたのに、取材がきっかけで足が遠のくこともしばしばだ(困る……)。
 図書館はどんなヘヴィユーザーであっても常連感が出ない(スタッフは決して、必要以上の言葉を発してこない)ことは、私が図書館Loverである理由のひとつだが、以前、貸出カウンターで「いつもお世話になっています」とスタッフに言われ、青ざめたことがある。
 これはおそらく、スタッフの前職の習慣でつい口に出てしまった(彼女もアッ失敗した! という顔をしていたし)だけだろうし、これ一度きりだったが、私は現実を突きつけられた気がした。図書館の人たちだって、しょっちゅう来る利用者の顔は覚えているはずだ。私の貸出履歴は個人的に読む本と、仕事のために読む本が混在していて、まさにカオスだ。しかし、自分につけられたあだ名を想像する勇気はまだ私にはない。
 と、話がそれてしまったが今、私にはよく行く町中華がない。ということで今回、周りの人にアンケートを取ってみたのだ。その中で気になったのが、中目黒の高伸(こうしん)というお店だった。チャーハンと餃子がおいしい、とある。洒落た店の多い中目黒にある町中華というのも面白いと思い、早速ランチに行ってみた。店は中目黒の駅から5、6分ほどの、商店街から外れた裏通りにあった。ランチタイムが終わる頃に行ったのだが、中はお客さんでいっぱい。それもひとり客ばかりだった。
 中に入ると、椅子の座面が赤いのが町中華らしい。しかしメニューを壁に貼ってはおらず、町中華というより中華料理店のような雰囲気もあるなあと思いつつ、テーブルのメニューを見る、とラーメンや餃子、レバニラ炒めといった、お馴染みの名前が並んでいた。餃子とチャーハンがセットになった餃子セットを頼んでみると、どちらもおいしい。チャーハンにピンク色の刻んだナルトが入っているのがなんだか懐かしい。嬉しい。餃子も熱々のカリカリ、軽い食感であっという間にお腹の中へ。ということで、店主の高木マツイさんにお話をうかがうことにした。
 高伸が開店したのは1984年、38年前のこと。当初は、タイプライター工場を経営していた高木さんのご主人が借りていた、中目黒駅の高架線下で開業したのだそうだ。ご主人が病を得た時、自分がいなくなってもできる商売を、と夫婦で話し合って考えたのがラーメン店だったのだという。高木さんが他のラーメン店で修業している時にご主人は亡くなった。「パートじゃ子ども3人を食べさせることは出来ないからね。料理人を新聞の求人で募集して店を始めた。家が料理屋なら、商売のことも小さい頃から見ながら覚えるだろうけど、私はそうじゃないでしょ。初めてのことばかりで、大変なこともいろいろあったわよ」。ちょっと眉間にしわを寄せ、真面目な顔で話す高木さんは現在、御年81歳。若々しくて、とてもそんなお年には見えない。「疲れるけど、お客さんにおいしいって言われるとやっぱり嬉しい。家にいてもつまんないしね」。
 その後、高架線下の耐震工事のため、13年前に今の場所に移った。現在、厨房で料理を作るのは高木さん、息子さんとコックさんの3人だ。ホールは3人のアルバイトで切り盛りしている。先代のコックさんは開店から亡くなるまでこの店で働き、現在のコックさんは開店当時にアルバイトとして働き始め、見よう見まねで料理を覚えたのだそうだ。ホールの人たちも長年働いているベテランだ。
 人気メニューはやっぱり餃子とチャーハン。餃子の餡は機械を使わず、キャベツとニラを毎日、手作業でみじん切りにする。同じように作っていても、野菜の味は季節によって微妙に変わるそうだ。「味覚の鋭い常連さんは味の変化を指摘してくるから怖いわよ」。チャーハンの具はチャーシューとナルトと葱、そして卵。「チャーハンは今のコックになってから人気が出て、頼む人が増えたんじゃないかな」。
 餃子の皮や麺、野菜などの業者は先方が止めない限り、変えずにつきあいを続けてきた。「みんな、私たちが店へ行く前に届けてくれる。鍵を預けているから早朝、材料を置いていってくれるからね。飲食店はどこもみな、そうだと思うわよ」。そうなのか。ならば本当に、お店と業者との信頼関係は大事だろう。
 お客さんも地元の常連さんが主で、週に3日は来るという人も珍しくない。今では三代にわたるお客さんもいる。「引っ越しても、餃子を食べに来たよ、とか、チャーハンの味が忘れられなくて、と言って食べに来てくれる」。男女比は7対3くらい、夜のひとり客も多いそうだ。
 そして、常連が注文するのはやっぱりいつも同じ料理だという。変える人でも3種類くらいの中からどれかを選ぶ程度。だからその人の顔を見たら、「名前は知らないから、あ、味噌ラーメンの人だ、あ、チャーハンセットの人ねって。顔を見たとたん、鍋をかけたりするわよ」と笑う。
 でも、私は薄情なところもあるからね、と高木さんは言う。「営業時間が終わる時間にお客さんがいても、終わりですから、って言うわよ」。夜、飲んでいてなかなか帰ろうとしない客を帰らせるのも高木さんの役目だ。怖い小母さんだと思われることもあるね、と言うが、客のために我慢しすぎないのも、店を長く続けていく秘訣かも知れない。
 話を聞きながら、やはり主人のお人柄というものが、その店の雰囲気をつくっているのではないだろうか、と思った。なぜなら先のアンケートにはこう書かれていたのだ。「お店の人も気さくで、さっぱりしていて好きです」。それはスタッフのことよ、私はホールに出ないからね、と言うが、高木さんから感じるのは薄情さではなく、気さくでさっぱりとしたお人柄なのだった。
 町中華はやはりひとりご飯の心強い味方である。いつ食べても、ああ、これこれ、と思う、ほっとする味。ボリュームもあり、しっかりお腹を満たしてくれる。しかしあの味は家庭ではなかなかできない。やはりプロの味なのだ。
 私は東京の北の方に住んでいるので、なかなか中目黒へ来ないんですが、来た時はまた食べに来ますね、と言うと、高木さんは「その時は分かんないかも知れないから。前の方に座ってくれたら分かるかも知れないけど、私、人の顔とか、すぐ忘れちゃうから」とおっしゃる。自意識過剰の私は心の中で「覚えていらっしゃらないなら、なおさら来たいです!」と激しく思った。
 常連ではないが、こう願わずにはいられなかった。この店がいつまでも変わらず、ここにあってくれますように。
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