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第7回

そっと一蘭

[ 更新 ] 2022.07.11
 ラーメンは実にソロ・フレンドリー(という言葉はないが、そろそろ使われても良さそうだ。ひとりを指すソロという言葉はずいぶん使われるようになった。世界はすっかりひとりに優しくなった)な食べ物だ。ひとり客が多く、誰もがさっと食べてさっと出ていく。ビールなどのアルコールを頼む人もあまり長居はしなさそう。人によっては、立ち食い蕎麦屋よりも入りやすいと言う。
 カウンターが一席ごとに板で仕切られている「天然とんこつラーメン専門店 一蘭」は、新型コロナウイルス感染症の発生後、あらためて注目されたラーメン店である。飲食店や会社が飛沫感染を防ぐため、アクリル板の仕切り板を導入するようになり、以前から仕切りを設けていた一蘭を、テレビなどが盛んに取り上げるようになったのだ。
 仕切りのおかげで、人に顔を見られたくない芸能人にも愛されているとか。どういう理由であの仕切りが生まれたのか知りたくて、一蘭の広報、佐々木千沙子さんと五十嵐正和さんに話を伺うことにした。
 
 仕切りの名前は正式には「味集中カウンター」という。一蘭は1960年に福岡で創業。1993年に開店した第一号店からすでに、厨房と客席を仕切る暖簾をつけていたというから、開店当初から「仕切りたい」気持ちがあったことがうかがえる。そして97年、博多店のオープン時に初めて、隣席との仕切りを作る。これらのアイデアは代表取締役社長、吉冨学氏のいくつかの経験によるものだったという。
 まずは少年時代。母親が料理の味見をする時に目をつぶるのを見て、しっかり味わうためには、ほかの情報を遮断する必要があるのだと、子ども心に感じたのだそうだ。
 そしてもうひとつは、ラーメン店でアルバイトをしていた頃だ。常連客に、作ったラーメンを、自分が作ったと言って出すと「まだまだ」と言われ、自分が作ったのに店主が作ったと言うと「旨い」と言われたのだという。こうした経験から、作り手の情報に左右されず、集中してラーメンの味そのものを味わってほしいという想いから厨房と客席の仕切りが生まれたのだそうだ。その話を聞き、「味集中カウンター」という、ちょっと不思議なネーミングの謎も解けた。
 ずっと行きたかったレストランへ友だちと行ったら、おしゃべりが楽しくて味の方はあんまり覚えていない……というのは私にも覚えがある。しかし、情報に左右されないで……というところは、なかなか挑戦的な試みだとも思う。
 私たちは食べる時、味に加え、いろいろな情報をスパイスにして味わっているものだ。「ここは老舗なんだよね」、「○○さんが好きな店だから」、「おばあちゃんがよく行っていて」、「食べログで高得点だよ」など、どれも味覚を彩ってくれる情報だ。
 
 一蘭ではまず、入口の券売機で食券を買い、中へ入ると空席案内板がある。そこで空いている席を確認し、好きな席に座る。店側では客がどこの席に座ったか、分かるようになっている。席の両側には仕切り板、前にはすだれが下がっている。備え付けのオーダー用紙(日本語、英語、韓国語、中国語〔簡体字〕の表記のものがある)に味の濃さ、こってり度、にんにくや赤い秘伝のたれの有り無しなど、自分の好みに〇をつける。「もしカロリーが気になるなら、こってり度はなし、にすれば良いですし、味の濃さもうす味からこい味まで選べます。麺は“九州系の細麺はやっぱりかためでしょ”とおっしゃるお客様もいらっしゃいますが“やわめ”は小麦粉の風味がよく分かりますし、疲れている時は喉に通りやすい超やわめもおすすめですよ」と佐々木さん。
 オーダー用紙に記入し、テーブルの呼び出しボタン(ボタンといっても凹凸がない)を押すとスッとすだれが上がりスタッフが現れる。注文表と食券を渡すと再び、すだれがサッと下がる。この時、脳裏にふと「忍者屋敷」という言葉が浮かんでしまう。金沢の妙立寺(通称、忍者寺と呼ばれる寺院。隠し階段や落とし穴階段など、たくさんのからくりがある。楽しい)での思い出が蘇ったりする。
「空席案内板もですが、実用性だけでなく、その体験を楽しんでもらいたいという意図もあります。社長は人を喜ばせることが大好きなので」と五十嵐さんは言う。
 私が一蘭の名前を最初に知ったのは香港に住んでいた頃だと思う。香港人はラーメンが好きで、日本旅行の記事によく一蘭が紹介されていた(今では直営店がある)。香港の人々は日本の情報について、日本人より詳しいぐらいよく知っているが日本語は苦手、という人も多かったから、言葉を交わさなくて済むという点も好感度が高かったのだろう。
 
 多くのラーメン店がそうであるように、一蘭のメイン客も食欲旺盛な男性客と思っていたが、実際は4割が女性と聞き、驚いた。しかしよく考えてみると、一蘭のラーメンはとんこつながらボリュームが多すぎず(もっと食べたい人は替玉を頼めばいい)、ざる蕎麦的な軽さがあるから、がっつり系好みでない人にも合っている。
 ここでは替玉を注文する時、替玉プレートという、小さなプレートを呼び出しボタンの上に置く。「替玉が欲しい時は大声で注文しないといけない店も多いですが、一蘭ではその必要はありません。これは女性にも評判が良いです」と佐々木さんは言う。彼女も学生時代、一蘭で食事をする客のひとりだったそうだ。
 どんな時に行っていましたか、と尋ねると、「お腹が空いたけれど、あまり時間のない時、友だちとの待ち合わせの前にちょっと食べたいな、と思った時などに利用していましたね。人と一緒なら、どんな店でも入れます。でもひとりだとやはり入れる店は限られていて。なかでも一蘭は入りやすかったですね」。
 一蘭はひとり客だけでなく、女性にもフレンドリー。そしてキッズ・フレンドリーでもある。一蘭は外国人観光客に人気なことでも知られているが、コロナで観光客が来られなくなったにもかかわらず、売り上げはあまり影響を受けなかったという。郊外店では「仕切りがあり、安心して食事できる」と家族連れの客が増えたからだ。「お子様連れの方には、椅子に背もたれもおつけすることも出来ますし、お子様用の椅子も用意があります。アプリを入れていただくと、大人ひとりにつき、小学6年生以下の子ども5人まで、半分の量のお子様ラーメンを無料で提供しているんですよ」と佐々木さん。それはお得なサービスじゃないですか! 
 このお子様ラーメンのサービスも、親子連れは子どもの分を取り分けている間に、スープが冷めたり麺が伸びたりしてしまうことや、辛い「赤い秘伝のたれ」抜きで注文することが多いことに着眼し、自分のラーメンは自分の好きな味で、最も美味しい状態で食べてほしい、と始めたサービスなのだそうだ。
 現在、全国に78店舗、海外に7店舗。どの店でも同じ味を提供するため、一蘭では自社のセントラルキッチン(一蘭の森)で麺やスープなどの製造を行っている。各店舗では材料を運んだり、大きな鍋で煮込むといった力仕事がないので、スタッフの男女比もほぼ5対5だという。これも驚きだった。最終的な調理は各店舗で行うが、「注文から5分以内に出す」「ラーメンが出来たら15秒以内に出す」など、おいしく提供できるルールが設けられているそうだ。もちろん料理場は清潔で、衛生には徹底して気をつけているという。
 
 話を聞いていてひとつ気になったのは、スタッフの方々のモチベーションである。
 店というのはどんな形態であれ、大なり小なり、店の人間と客とのかかわりが不可欠な要素だ。良いところも悪いところもあるだろうが、それが刺激となり、人や店を動かしているものだと思う。記憶には残らないような一瞬の、その時だけの人の顔や表情、声や仕草などもそこには含まれる。しかしここではそのかかわりを限界まで抑えている。「ですから一蘭ではお客様の声・ご要望カードを用意しています。そこから、お褒めの言葉など、印象的なものは全店舗で共有しています。やっぱりお客様の声はモチベーションに繋がりますね」と五十嵐さんは笑顔になる。そうですよね。客の顔も見えず、感想もまったくなかったら、スタッフ側は気楽かも知れないが、それはそれで物足りないと思う。
 一蘭でラーメンを食べようと前かがみになると、仕切りによって隣がまったく見えなくなる。身体を起こすと周辺の様子が目の端に入ってくる。「味集中カウンター」とはよく名付けたものだと思う。これなら、食べている間は、ほかの情報がほとんど入らず、食べることだけに集中できる。そして身体を起こすと、あ、隣の人たちは大学生かな、とか、カップルだけど女の子の方が常連みたい、などと、いろんな、ふわふわとした思いが脳裏に浮かぶ。ここでは「ひとりが基本」だから、ひとりで外食する気恥ずかしさ、などというものがカケラも存在しないよう、細やかな工夫がなされている。一蘭では人と一緒に来ても、食べている間は「ひとり」になれる。
 
 ここには「食べる」ことは実は共有できないという、食べることの本質があるようにも思える。一緒に食べる、とは同じ場を共有する、ということに過ぎないのだから。あなたの味覚はあなただけのもの。一蘭の仕切り、なんだか深いなあ……。
 というわけで、ひとりでラーメン店に入ってみたいけれど、まだ果たせていない、という人に、入門編として一蘭は本当におすすめだ。ひと言も発することなく、恥ずかしさも後ろめたさも、そして寂しさも感じることなく、ひとりでのびのびとラーメンを味わうことができます。
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