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第3回

一合土鍋

[ 更新 ] 2022.05.10
 私が子どもの頃、ご飯は炊飯器で炊くものだった。もっと前は釜で炊いていたのだろうが、昭和40年生まれの私にその記憶はない。母親はよく、味噌おにぎりや焼きおにぎりを作っていたから、保温機能はついていなかったのではないだろうか。
 大人になり、家を出て一人暮らしをするようになった頃には、実家の炊飯器は保温機能つきのものになっており、その保温スイッチが切られることは滅多になかったので、蓋を開けるといつも、温め続けたせいで少し黄色く変色した軟らかいご飯が入っていた。私は硬いご飯が好きで、軟らかいご飯を憎んでいたので、保温しっぱなしのご飯なんて言語道断、と思っていた。
 そんな風に、米は炊飯器で炊くものと思っていたから、私も長い間、炊飯器を使っていた。以前は一合炊きのような小型の炊飯器というものはなかったと思う。香港に住んでいた時も、帰国する友達からもらった、5合炊きくらいで保温機能のないものを使っていた。しかしだんだん、一人分の米を大きな炊飯器で炊くのが嫌になり、煲仔(ぼうじゃい)という小さな素焼きの土鍋を使うようになった。鍋でも白米は簡単に炊けるのが分かると炊飯器という「機械」がなんだか仰々しく思えた。
 日本に戻ってからは母が遺した炊飯器を使っていたが、ほどなくして捨ててしまった。大きな炊飯器は、4人いた「我が家」を連想させ、そしてそれは、そのうちの2人がもうこの世にいないことも同時に思い出させるのが嫌だった。かといって一人用の小型炊飯器を買うのも、どうも炊飯器イコール家族、という思い込みがあるのか、なんとなくはばかれた。
 そして世間では、米を炊く道具はいつの間にか炊飯器一択ではなくなっていた。一時は土鍋がブームになったし、ル・クルーゼやストウブなど鋳物の鍋も流行った。
 結局、捨てた炊飯器代わりに買ったのは、一合炊きの炊飯用土鍋であった。
 この時も、友だちが遊びに来た時、二合炊きの方が便利ではないか、大は小を兼ねるかも知れない……などと、二合炊きか一合炊きか、少し迷った。
 結果的には一合炊きを買って正解だったと思う。まず、形が丸くて可愛い。サッカーボールよりもひと回り小さいくらいのサイズで、底がとても分厚い。その分、内側は狭く、本当に一合しか炊けない。中火で12分、火を止めてから20分おいておけば出来上がるので、炊飯器を使うより早い。
 途中で火加減を変える必要がないので、タイマーをかけておけば、途中の様子を見る必要がないのがいい。おこげを作りたい時は最後、強火にして、焦げた匂いが強くなってから火を止める。
 そして気がつけば、米の銘柄の増えたこと、増えたこと。昔の米の銘柄といえば、コシヒカリとササニシキくらいしか記憶にない。うちではずっとコシヒカリだった。「ご飯がおいしければ、おかずが粗末でもおいしく食べられる。だからお米が一番大事」というのが母の考え(これは多分、昔から米をつくってきた山形出身の祖母の考えだった)だったので、ご飯はいつも甘くて、つやつやとしていて、いい味だった。そして家を出てからは貧乏だったので、長らく標準米という値段の安い米を買っていた。標準米はなんというか、うまくもまずくもない米、という感じだったがお金がないので選択肢はなかった。
 香港ではインディカ米(長粒米)が主流だったが、「インディカ米なら○○産じゃなきゃ」というような、産地や品種にこだわるほどの味の違いはついに分からなかった。私はインディカ米が好きなので、どれもおいしいと思ってしまう。
 日本の米のような中粒米はオーストラリア産がどこでも買え、パッケージに羊の絵が描いてあるので、日本人の間では「羊米(ひつじまい)」と言えば通じた。羊米も標準米同様、うまくもまずくもない米だったが、ここでは銘柄的に選択肢がなかった。
 ある時、ベトナム産のコシヒカリというのが売っていたので喜んで買ってみたことがある。確かに艶やかな炊きあがりはコシヒカリそのものという感じで期待したが、食べてみると甘さが足りない。やっぱり甘い米に育てるには、ある程度の寒さが必要なのだなあ、と思ったものだった。
 今、日本のスーパーへ行っても、もはや標準米は見当たらず、秋田小町、ひとめぼれ、ななつぼし……有名無名を含めて、いろんな米が手に入る。2004年の食糧法改正により米の流通がほぼ自由化されたことによるそうだ。
 私は近年、体重の増加を恐れて米をあまり食べない生活をしているが、それでも、これはご飯を炊かないわけにはいかない、という料理がいくつかある。
 たとえば、春の筍ご飯と夏の鮎ご飯。
 筍ご飯は子どもの頃から食べているので年に一度は必ず作る。味は特に好きというわけではないので、ほとんど儀式に近い。春が来た喜びを祝う儀式である。
 鮎ご飯はここ数年、作るようになった。鮎はバター焼きもいいが、炊き込みご飯もおいしい。研いだ米の上に軽く塩をした鮎を載せ(そのまま入らない時は半分に切る)混ぜご飯の要領で、薄い醤油味に炊く。生姜をちょっと入れてもいい。粗熱がとれたら鮎をほぐし、ご飯に混ぜ込む。鮎の苦みと身の淡泊さが醤油味のご飯と相まって大変おいしい。もみ海苔を載せるともっといいと思うが面倒で、たいていそのまま食べてしまう。
 大きな炊飯器で一合ばかりの米を炊こうとすると、中の大きな空間がなんだかとても虚しいような、淋しいような感じがして嫌だなあと、ずっと感じていた。しかし一合土鍋には、そんな隙間はまったくなく、鮎ご飯などを作ろうものなら、溢れんばかりになってしまう。それを見るとなんだかほっとして、やっぱり買って良かったなと思うのだ。
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