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第5回

見えなくともそこにある、重力と電線絵画

[ 更新 ] 2021.10.06
「電線絵画展」が開かれるらしいと聞いたのは、昨年の秋頃だった。
 コンビニで思いがけずシナモン味のアイスを見つけたときや、フラッと立ち寄った古着屋で100年前に作られたヴィンテージのブラウスを着てみたら、私の広い肩幅にぴったりだったときなど「これは私のためのものだ!」と思えることがたまにある。
 その結果、ブラウス1着に3万円を払うことになったとしても、時を超えてやってきたものによって私が私のシンデレラになる喜びはひとしおで、よくぞここまでたどり着いたね! とブラウスの袖と握手したいくらい嬉しい。
 遠く離れた点と点が線になるその交差点に自分が立っているのを感じると、おーい、ここに運命を見つけましたよ! と大きな声で言いたくなる。
 電線絵画展の開催を知った日にも「私のための展示だ!」と思った。

 池袋駅から西武池袋線に乗り、中村橋駅にある練馬区立美術館に向かった。
 車窓から電線を見ていると、目の前を線がすーっと滑っていく。
 西武線は、池袋駅から中村橋駅まででも高架から地上の線路へのアップダウンがあり、乗っているだけで電柱の根の方から、一番上に架けられている電力線の高さまでの電線を眺められる。電線絵画展へ行くのにぴったりだ。

 電線や電柱を描いた作品が146点集められた展示室は、どこを見ても電線、電柱、また電線。私が大富豪だったらここを自分のオフィスにしたい、と思いながらじっくりと絵を眺める。
 絵画の中に電線や電柱が描かれていても、タイトルにその言葉が入っていることは稀だ。展覧会のキュレーションをされた学芸員の加藤陽介さん(元々電線がお好きだそう)は展覧会の企画を思いついてから、様々な作家の個展などを訪れ、作品の中に電線や電柱を見つけ、それをメモして、地道にリストを作られた。展覧会の開催まで10年かかったそうだ。

 無電柱化を推し進める人はよく「ヨーロッパやアメリカの都市では無電柱化が進んでいて、都市の景観が美しく守られている」と口にする。欧米の無電柱化は電気の歴史と同じくらい長い。エジソンが白熱電球を発明した黎明期から、欧米では基本的に電線は地中化されていたからだ。
 電線のある景色は、明治初期から繋がる日本特有の景色だ。電線によって汚されてしまった美しい日本の空を取り戻す、とはよく聞かれる言葉だけれど、実際のところ日本の空は100年以上、電線と共にある。これは、練馬に集められた作品たちがはっきりと示した電線と景観の史実だ。

 当たり前だけれど、絵画の解像度は原画が一番だ。ガラス越しであっても、隅々まではっきりと見える。ここのところ、写真やイラストなど、どれも複製を前提としたデジタルデータで、画面越しに見るのが普通になっていたから、展示された絵画一枚一枚がどこまで眺めてもちゃんと見え、手に触れられる(もちろん触っちゃダメだけど)現物がここにある、実在しているのに惚れぼれした。
 これも当たり前なんだけれど、全ての作品が作家の手で、意志を持って引かれた線の集積だ。「電線を愛でる」というと珍しい趣味のように思われがちだけれど、日本で暮らした画家たちは約150年前から自分の手でキャンバスの上に電線を引いて、その姿を写しとっていた。そして現実の電線も地中化されずに残っているからこそ、いま電線愛好家を名乗る私があるのだと、なんだか厳かな気分になった。


樋畑翁輔《ペリー献上電信機実験当時の写生画》嘉永7年(1854) 郵政博物館蔵


 日本最古の電線絵画は、1854年の二度目のペリー来航の際に描かれた《ペリー献上電信機実験当時の写生画》だ。日本で一番初めに架線された電線は、実は電力線ではなく、モールス信号や電報を打つための電信線だった。
 画面奥の海に黒船が浮かび、右手側には警固にあたった松代藩陣営が壁のように並んでいる。そして左手側に細く伸びるのが、日本で初めて架線された900mの電線だ。
 松代藩士の樋畑翁輔(ひばたおうすけ)によって、こっそりスケッチされたという実景図は、8隻の黒船によってもたらされた電線がおおごととして迎えられた様子を描き取っている。
 この絵に描かれた電線は定規で引かれた線のように細く、まっすぐで、街中で見る電線のように重力によるゆるやかなたるみは感じられないが、そのぶん「たしかにここに線が通った」ことがはっきりと宣言された印象を持った。この絵の中に並ぶ江戸時代の人たちは、電信柱に架けられた900mの電信線をどんな思いで見守ったのだろう。

 西武線の中で見かけた人らは皆、手に持ったスマートフォンを静かに眺めていた。
 現代の私たちは、使う端末こそ無線機になったけれど、街に張り巡らされた通信線でいつでもどこでも連絡を取り合っている。
 街の通信線の一本一本が神経として、人の想いを繋げている。どこへ行っても、どこからでも連絡したい、して欲しいという想いは、日本で初めて繋げられた900mの電信線から繋がり、今も電線によって伸び続けている。情の過密さをどこか鬱陶しく思うと同時に、どこにいても見知らぬ誰かの体温を感じるような、安心とも不安とも言えない感覚がある。

 明治2年(1869)12月に東京築地鉄砲洲の東京運上所内に電信局が開局し電信が横浜から東京まで開通したことによって、電信柱、電信線が一般にお目見えする。明治4年にはすでに東京、長崎間の電信線建設が始動している。
(展覧会図録pp.6-7、第Ⅰ章「晴れやか 誇り高き電信柱」の解説より)

 その頃の電線は近代化の象徴として晴れやかに描かれた。明治12年(1879)には、電信線の主要幹線が日本全国へと行き渡る。小林清親は《従箱根山中冨嶽眺望》で富士山と電信柱を描いた。季節は冬、雪を頂いた富士を背景に すっくと立つ電信柱は存在感がある。手前には『水戸黄門』にも出てきそうな蓑笠姿の旅人を置き、まさに時代が移り変わっていることを感じさせる。


小林清親《従箱根山中冨嶽眺望》明治13年(1880) 千葉市美術館蔵


 電線と富士山といえば、2014年に政府・自民党が推進した「~上を向いて歩こう~無電柱化民間プロジェクト」で電柱が景観を損なっていることを訴えるキービジュアルとして発表されたイラストが、無電柱化を進めたい人の意図に反して「かっこいい」と話題になったのを覚えているだろうか。
 葛飾北斎の《冨嶽三十六景》シリーズの一つ《凱風快晴》の手前に電柱や電線が覆い被さるイラストは、赤富士と黒い電線のコントラストがはっきりしていて、たしかにかっこいい。
 正反対の意図で描かれた二枚の「富士と電線」は、電線のイメージがどう変遷しているかを知る手がかりになる。

 その後に登場するのは、岸田劉生や川瀬巴水など、電信柱や電柱をはっきり描き、電線は省略する、もしくはささやかな線として描いた作家が多い。ここで、執拗とも言える熱意で電線を描いた電線愛好家の先輩、「ミスター電線風景」朝井閑右衛門の登場だ。

 1950年頃から制作された《電線風景》シリーズは、現物を見るとギョッとする。
 横須賀市田浦にあった閑右衛門のアトリエからは、湘南電車(現JR横須賀線)と京浜急行の架線が直角に交わる地点に電線が加わった「電線銀座」(by加藤さん)が見えた。
 初期の作品で描かれた電線は太めではあるものの、まだ普通の電線に見える。
 しかし、シリーズが描かれるごとに電線の交差は蜃気楼のように歪み、最終的に線というより重い塊のようになる。こってり重ねられた絵具の厚みは、物理的に殴ってくるような迫力ときらっとした艶がある。描かれた電線も、物としての絵画そのものも、金属でできた電線に似た重い塊に近づいていくのだ。


朝井閑右衛門《電線風景》昭和25年(1950)頃 横須賀美術館蔵


 朝井閑右衛門の描いた電線の魅力は、重い金属の線が伸ばされ、頭の上で浮いたまま固定されている不思議さと寡黙な迫力を写しとったことにあるのではないか。
 実際、架線された電線は一見まっすぐ引かれているように見えるが、実は重力によって「カテナリー曲線」というゆるやかな曲線を描いている。空に伸びる電線を切り取った、阪本トクロウの作品《呼吸(電線)》を観ていても、黒い線が重力によってわずかにたわんでいるだけで、電線に見えると気付いた。

阪本トクロウ《呼吸(電線)》2012年 作家蔵  Courtesy of Art Front Gallery


 電線の柔らかな曲線には、どことない優しさを感じる。だけれど、電線はどこまで行っても鉄の塊であり、本気を出したら私のことなんか一瞬で締め上げられる。電線は優しくて恐ろしい。
 来る日も来る日も同じ窓から電線を見上げ、絵の中に電線の重さを写しとった朝井閑右衛門。熱っぽく重ねられた筆致を見て、電線愛好家の先輩と出会えた気がした。

 電柱をメインに描かれた作品が多い中、どうしてか、私は展覧会の中で見えるはずのないカテナリー曲線に触れていたような気がした。
 もしかすると、100年以上前から至るところに電線が共存する国で暮らし続ける私たちは、たとえ電柱しか描かれていなくても、そこに柔らかくたるんだ電線を見てしまうようになったのかもしれない。これは電線愛好家の思い上がりだろうか。

 私は歴史がてんでダメだ。けれど、私の関心は画家たちが残した作品という点によって、線になって繫がった。黎明期は晴れやかに描かれていた電線、ある作家からは好意的に、ある作家からは意図的に画面から切り取られた電線。
 このモチーフが「景観の悪者」になったのはいつからなのだろう。受け取った電線愛を、次の疑問まで繋げてみたい。

*「電線絵画展 小林清親から山口晃まで」2021年2月28日~4月18日 練馬区立美術館
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