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第3回

舞台裏は電線(ケーブル)の宝庫

[ 更新 ] 2021.09.07

公演を終えて、舞台裏でまとめられるケーブルたち。このどっしりとした重量感や、被覆の感じを見れば、つい撫でたくなる気持ちも分かってもらえるのではないだろうか。

 真っ暗な舞台袖では電線やケーブルが静かに働いている。
 俳優たちの台詞を拾い、舞台をライトで照らすのは音響さんや照明さんといった舞台スタッフの重要な仕事であり、それをさらに下支えするのが電線・ケーブルだ。
 演劇賞では「演出部門」や「音響部門」「俳優部門」など色々な部門があるが、どの仕事も電線なしで成し遂げるのは難しい。電線は舞台芸術を支え、部門を超えた活躍をしている。
 誰からも挨拶されることはないがいつも舞台のそばにいて、静かに見守っているところは『オペラ座の怪人』のファントムのようでもある。電線は出演者に話しかけたり、恋心に駆られて勝手にヒロインをさらってしまったりもしないので、善良さと演劇愛だけを純粋培養したファントムと言っても過言ではない。

 人がなんとなく飼い犬を撫でるように、ディズニーランドの長い列で若い恋人たちがいちゃつくように、私は舞台袖のケーブルを撫でる。舞台袖だけでなく、テレビやCMの撮影現場でもそっとケーブルを触っている。
 舞台袖のケーブルはつるつるしたもの、もちっとしたゴムの被覆のもの、すべすべの被覆のものと色々な触り心地のものがいる。それらを緊張したときに撫でていた。誰よりも静かに働いている電線に触れると、少しだけほっとした。
 ここだけの話、以前、舞台袖でこっそりケーブルを撫でているのを衣装さんに見つかってしまい、「何やってんの!」と叱られた。今思い出しても申し訳なさで胸のあたりがギュッとする。もう二度と、本番中は舞台袖の電線やケーブルには触らない。

 テレビに出ていたとき、他の出演者の人との世間話が苦手だったので、CM中はセット裏の電線を眺めていた。出演者の人たちはテレビに出ながら、最近見たテレビ番組の話をしていた。私はテレビを持っていなかったり、家にあっても同じ番組を見ていなかったりしたので、話についていけなかった。

 私は何重にも自意識を重ねているので、テレビ局の明るい局員さんやキラキラしたタレントの同僚たちの輪にすんなりと馴染むことができない。仕事には呼ばれて行ったはずなのに、きらびやかな人たちを前にすると、呼ばれていないのに来てしまったかのようないたたまれなさを感じてしまう。

 何重にも重ねる、で連想するのは海中で使うケーブルの断面だ。
 ケーブルの断面は、海苔巻きに似ている。たとえば、一般的にもよく使われているCVケーブル(架橋ポリエチレン絶縁・ビニールシースケーブル)の場合、ケーブルの中心で電気を通しているのが導体(銅やアルミなどの金属)、海苔巻きでいう具だ。
 それを覆っているのが絶縁体(CVケーブルの場合は架橋ポリエチレンで出来ている)=ご飯。一番外側を覆っているのが被覆(CVケーブルの場合はビニール製のシース)=海苔である。

 海の上に風車を浮かべ、海風で発電する「浮体式洋上風力発電」では、海中で浮く特殊なケーブルが使われているそうだ。
 風車から伸びるケーブルは、大きな波や潮の流れに耐えるために海中で浮き、ピンと張らないための余裕、すなわちたゆみを持って布設される。
 特殊な被覆材を使った浮くケーブルは、水や衝撃に耐えられるよう何層にも重ねた構造で出来ている。海苔も頑丈だし、導体までに10以上の層がある。重さは1メートルあたり42kgから52kgと重い。
 だが、被覆材に工夫がしてあるので水の比重より軽くなり、海中で浮くことができる。海の生き物がちょっとぶつかったくらいでは断線しない。ふわふわ浮くことでさまざまな障害を受け流しているのだ。かっこいい。合気道の達人のような感じだろうか。

 ちなみに、一般的な海底ケーブルは通信用の線がほとんどであり、海底に沿って設置されるので浮いていない。海の深いところに行くほど太い線を使っていそうなイメージがあるが、実は浅いところに使われる線の方が岩や海の生物とぶつかりやすいので、太く頑丈に作ってある。


残念ながら海中ケーブルはまだ実物を見たことがない。こちらは港に設置された風車の内部。ここでも電線が活躍している。

 電線のことならこうやって話したいことがたくさんあるのだけれど、誰でも電線の話に興味を持ってくれるわけではない。興味のない相手に電線の話を押し売りするのは、ともすると電線のイメージダウンに繋がりかねない。
 だからなにを話したらいいか分からなかったし、いまだに仕事相手との世間話の仕方がよく分からない。私はあのときテレビの世界で浮いていたのだと、あらためて気付いた。

 早押しクイズの「ピンポーン」を鳴らす装置や、セットの電飾を支えているのも、もちろん電線とケーブルだ。
 華やかなセットの裏で複雑に絡み合う線を見ると、なぜだか「ここに仲間がいる」と思えてほっとした。

 あるとき、海外の有名なアーティストを取材したら、恋人らしき人がロケに同行していた。
 強い風が吹くたびにアーティストの髪型は崩れた。風が吹き、髪が乱れ、メイクさんが飛んでくる。たびたびの撮影中断ですこしナーバスになっていたアーティストを、恋人が慰めていた。おかげで取材はいい感じで終わった。
 恋人連れで取材応対できるようになるってすごい、さすが外タレだと思ったけれど、よく考えてみれば電線の恋人はいつだって、どの現場だって、海外セレブ対応である。

 コロナ禍の影響もあるし、実力でもあるが、2020年は一度もリアルな舞台に立てなかった。
 受けたかったオーディションが延期になってしまったり、出演するはずだった舞台がひっそりと白紙になってしまったり、少ない仕事がさらになくなっていくのはなかなか厳しい。
 私は観劇が大好きで、舞台に立つのも稽古するのも好きで、本番に袖から他の人のお芝居を観るのも大好きだ。しかし、俳優業は人に求められないと永遠に仕事のない職業だ。

 コロナ禍以降は観客を入れずオンラインで演劇を配信する「リモート演劇」も話題になったが、いまひとつピンときていなかった。もともと私は演劇に関してどちらかというと保守的で、演劇は生身の俳優と観客が、空間を共有することが大切だと思っていた。

 しかし、リモート演劇は通信線越しに稽古をして、通信線越しにお客さんの前に立つ演劇だ。これは電線愛好家としても演劇好きとしても、飛び込まないといけない気がして、リモート演劇のオーディションを受け、役をもらい、劇団ノーミーツの『それでも笑えれば』という公演に参加させてもらった。

 生身の身体を持ったまま、ネット上に作られた劇場で演劇をするなんて、SFのような時代を生きている。
 電柱を下から見上げて一番手前に架かっているのが通信線だ。地面からおよそ5メートルの位置に配線してある。通信線には電気だけでなく、光も通っている。石英ガラスやプラスチックを導体にした光ケーブルは電気を使う通信線と比べてロスが少なく、長距離の通信に向いている。
 画面越しでしか触れられない世界で暮らす人間たちを繋ぎ、心を照らすのが光の線だというのは、なんだかあまりに美しい話だ。

 2020年の年末は向かい風の中を歩くような毎日で、ああでもないこうでもないと試行錯誤をしていたら、あっという間に千秋楽が来ていた。本当に楽しかった。
 稽古の段階から完全リモートで、本番の公演も自宅からの配信で、もちろん打ち上げもリモートだった。誰とも一度も会っていない。
 全6公演が終わり、自宅にセットしていた機材や美術を元に戻して、劇場になっていた部屋は、私の部屋に戻った。舞台は一瞬でバラされて、記憶以外なにも残らないところも好きだった。たしかに、これも演劇なのだ、と思った。

 この公演のために引いた通信線はそのまま使い続けている。
 あっという間に開通した有線、マジ信頼&安定。有線はいい。打ち上げでテクニカルチームと「有線いいよね」という話でひと盛り上がりした。電線さまさま、テクニカルの人たちには特に愛される自慢の恋人だ。
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