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第11回

祝! 電線アンバサダー就任――ぜいたくな悩み

[ 更新 ] 2022.08.10
 2022年6月。一般社団法人日本電線工業会公認の「電線アンバサダー」という大役を任された私は、唯一持っている革靴であるドクターマーチンの黒いストラップシューズを履いて、就任式の会場がある銀座へやってきた。

 ふって湧いたような大役の嬉しさと、大きな責任が同時にやってきて、うろたえている。
 電線以外のことで普段よく考えているのは、これまで生きていて悲しかったこと、人間関係や仕事の後悔、将来の不安、物欲なので、自分に起こったいいことは正直さっと受け止め切れない。だから今、こうして書きながら、この気持ちをどこから言葉にすればいいんだろう、と、焼き魚をほぐすように整理している。

 これまでと変わらず、電線との関係性は一方方向の片想いでありながら、私の想いが公に認められ「片想い代表」みたいなお墨つきをもらったのだと思うと、なんだかすごい。
 たとえばこの状況が少女漫画だったら、私の想い人にあたる電線はこちらの気持ちに一切頓着していない(無機物だから)けれど、私が電線を追いかけているのはクラス全員が知っている……みたいな感じだろうか。
 好きなのが人間じゃなくて良かった。電線が電線で、本当に良かった。
 世界広しといえど、電線愛好家と電線アンバサダーという二種類の名刺を持っているのは私一人だけだ。あなたという人間は世界に一人だと言われてもピンとこないけれど、電線アンバサダーはこの世に一人だと言われると、なんか素直に「そうだな」と思える。
 そもそも世界人口における電線好きの人数ってどれくらいだろう。
 私の予想では、今この瞬間、ボーダーの服を着てストライプの靴下を履いている人よりは案外多いくらいじゃないかなと思っている。自分で言っておいてなんだけど、この規模が大きいんだか小さいんだかはちょっとわからない。

 少女漫画のたとえを引っ張ると、電線アンバサダー就任式は、電線との(一方的な)交際宣言の会見と言っても間違いではない。
 工業会の大きな会議の後、そのまま同じ場所で開かれた就任式には「電波新聞」「電線電䌫ニュース」「電気新聞」などの業界紙記者の人や、日本電線工業会会員社の人たちなど、30人くらいの電線業界人たちが集まっていた。
 4年前「電線の日」が制定されたとき、私は自称・電線アンバサダーとして応援していた。それをあたたかな目で見て、認めてくれて、一緒に何かしようと椅子まで差し出してくれた工業会の方々には感謝しかない。


すごくおしゃれ!!! 理研電線株式会社さん制作の平面コイルを、アクセサリー作家の加藤哲也さんがこの形にしてくださったそう。とっておきの日に着けます。

 式の前に、工業会の方が電線アンバサダー就任を記念した特注のアクセサリーを贈ってくれた。もちろん、電線を使ったアクセサリーだ。
 ペンダントとイヤリングには、赤銅色の平面コイル(巻線)を透明の樹脂で飴がけのようにした飾りがついていた。細い銅線がつるりと光を反射して美しい。
 平面コイルは、スマートフォンの非接触充電などに使われている。本来なら、この銅線にも電気が流されるはずだったのに、私のために機能も美しさも樹脂に閉じ込めているなんて贅沢すぎて、ちょっと罪悪感さえおぼえる。それにしても、身近な物の中に隠された電線がきれいだという事実は、何度知っても励まされる。
 アクセサリーは、つるりとした銀色のアクセサリーケースに納められていた。蓋を開けるとオルゴールが鳴る。そういえば、母親が持っていたレトロなアクセサリーケースにはなぜかねじ巻き式のオルゴールの仕掛けがついていて、蓋を開けると長渕剛の『乾杯』が流れるようになっていた。繊細に奏でられるドラマチックなメロディは、聞くたびにちょっと面白かった。きろきろとした懐かしい音色を聴いていると、子どもに戻っていくような気がする。


新橋のいい電線。金属で出来た電線が人力でやわらかく折りたたまれ、血管のように私たちの、というか今日の私を生かしていると思うと何度でもキュルキュルとしたときめきを感じる。電柱一本取ってもときめきのレイヤーがいくつもある。

 電線に興味を持ち始めた小学生の頃は、20年後にこんなことをしているなんて想像もつかなかった。
 小学生の頃、もっと遡れば保育園に通っていた頃から、集団生活における「普通の過ごし方」に馴染めなかった。いつもぼうっとして、名前を呼ばれても反応しない。授業中に思ったことをそのまま口に出しては周囲から「おや?」と思われる。学校で過ごす1日の流れにすぐついていけなくなり、学校には行ったり行かなかったりした。
 マイペースに浮いていた私を受け入れてくれたのは、芸能の仕事で出会った大人たちだった。学校で先生や同級生から「変わっている」と苦笑される私の感覚が、別のところでは「面白い」になる。
 初めてもらったテレビの仕事は、「NHKジュニアスペシャル」という子ども向け教育番組だった。「脳と想像力」や「胃腸」などのテーマで1日かけてロケに行き、研究者や学者から話を聞くのはとても楽しかった。いつも落書きばかりしている教科書の世界の先に、一生をかけて自分のテーマを掘り続ける人がいると知り、何かを分かろうとするには長い時間がかかるのだなあと思った。
 そのまま仕事を続けるうちに若い女になり、テレビの現場で求められることもすこしずつ変わった。学校でK Y(空気読めない)と言われていたのと同じように、仕事の現場では女子力がないと言われるようになり、私は見た目も振る舞いも、できるだけきちんとした若い女に見えるよう努力した。それは仕事だったからだ。
 しかし、生来きちんとした若い女の子だったことがなかったので、必死に粉飾してもしっくり来なかった。頑張れば頑張るほど「あれ?」と思う日が増え、きちんとした女の子になるのではなく、ぼうっとした人のままでやっていきたくなった。
 にっちもさっちもいかねえなあと思っていた20代半ばの頃、結果として私の生命線になったのが電線だった。電線に興味を持ってくれる人のおかげで、私はぼうっとした人のまま話したいことを話せるようになったし、電線のおかげで友達になれた人もいる。
 私は電線を愛でるのが好きだし、電線のことを考えたり話したりしているのは楽しい。楽しいというのは私に合っているということだ。

 しかし、これではあまりにうまくいきすぎている。こんな美談は信じられない。私は、何か大事なことに気づいていないんじゃないか。
 電線アンバサダーの就任が内定してからというもの、電線を見てうっとりするとともに「私はアンバサダー」という私の自意識がふわっと匂って、ちょっとだけ「ゲッ」と思う。もちろん「ゲッ」の矛先は自分に向いている。
 あくまで電線は電線、私は私だ。電線に自己を被せたり、やたらに同一視したりしてはいけない。この先、個人対電線という一線を引いた上で電線を愛でられなくなってしまったら、なんかもう、なにか取り返しがつかない感じがする。

 前々から思っていたけれど、私は何においても気が小さい。そして自意識がこんがらがっている。だからというか、電線を愛でているとバカ強い自意識が一瞬薄まり、静かな気分になれるところも好きだ。
 けれどもう、電線にまでくっついた自意識に気づいた上で見ないことにするのは不自然である。せめて任期の間は、自意識込みで電線を愛でている人間が「電線アンバサダー」なのだと受け入れ、電線と自分の距離感に変化が起こるかどうか見てみるといいのかもしれない。
 電線のことも、電線が好きなことを公言している自分も、そこにくっついている自意識も、もうなにも取り返しがつかない。好きなのは仕方ないし、自分のままでやっていく。
 それでも、電線が好きなのはいいことだねと電線を作る人たちに褒めてもらえたようで誇らしい。


こういう記念撮影って緊張する。電線アクセサリーの平面コイルに合わせて、髪もくるくるにセットしました。

 就任式では、司会の人に名前を呼ばれ、壇上で礼をして、クロールをするように右手、左手を順番に差し出し、会長から賞状サイズの立派な任命書を受け取った。小学生の頃、卒業式の練習に出ておいたことがこの歳になって役立った。
 会長は任命スピーチで、電線アンバサダーには多くの人に電線の魅力を感じてもらい、業界の人手不足の解消にも繫がるような発信をしてほしいと話された。
 私としても、任期のうちに電線愛好家人口を増やし、電線をめぐる世界を少し変えられたら思い残すこともそんなにない。

 会場に並んでいるのは、ほとんどが男性だった。以前、電線愛好家の取材をしてくれた新聞記者の女性が見に来てくれて「会場の中が男性ばかりで驚きました!」と話していた。ばかりというか、ここにはスーツを着た男性以外の人がほぼいない。
 日本電線工業会の会員社で働く女性の割合は、大企業で4割、中小企業では2割だそうだ。電線業界で働く少数派の女性たちは、広報や事務などの役割を担う人がほとんどらしく、営業や製造関連など電線により近い役割はほとんどが男性らしい。電線アンバサダーという新しい役割も、広報職のひとつだ。もしも、私が女性でなかったら、電線愛好家はこの場には呼ばれなかったのだろうか。
 会場にいる人たちは、グレーや黒といった、だいたい電線と同じ色の服を着ていた。私はインターネットで買った薄いハイネックのトップスに、白いエプロンドレスを重ね着していた。耳元と胸元にはいただいたばかりの平面コイルが赤銅色に光っていた。コロナ禍ということもあり、式は厳かに進んだ。

 なんだか遠くまで来てしまった。
 と思ったが、電線愛好家と電線アンバサダーは隣り合った電柱の距離くらいしか離れていない。電線あるきと同じように、とてもとても狭い範囲を、一人でじっくり歩いているだけだ。
 なんかこう、電線をめぐる色々なことについて、私はすぐうまいことを言おうとしてしまうし、実際そのまま口に出してしまうことも多い。冷静になって振り返るとちょっと恥ずかしいのだけれど、冷静でないことを買われての大役なので、これでいいのだ。
 ちなみに、電柱と電柱の距離は電力会社ごとに決まっている。東京では、街中の電柱同士は30メートル、その他の地域では40メートル間隔になっているそうだ。

 電線愛好家を名乗り始めてから、人生に「電線」の占める比重が日に日に大きくなっている。
 あらためて私のやっている活動を腑分けすると、電線の観察・写真撮影・言葉で表現することの3つに分けられる。こうしてみると、誰にでもできる。
 であれば、真面目にやってみたら本当に少しかもしれないけれど、世界を変えられるかもしれないし、すぐ変わらないからこそ長い目で楽しみ続けられるかもしれない。


谷中のいい電線。電柱や電線と生きているのは人間だけではなくなってきた。私が鳥になったらまず電線を探してとまりに行く。

 私が始めた電線愛好活動に対して、電線業界の方が「電線アンバサダー」という新しい役割を作ってくれた。これは、もっと大きな視座で電線と世界の繫がりについて考えるきっかけを与えてもらったということだと思う。
 電線を愛でることはきっと属人的な活動だと思われているのだろうけれど、電線アンバサダーの役割は「そうじゃない、みんなが楽しめることなんだよ」と念入りに伝えていくことだろう。
 電線が私をこれまでと違ったところに繫げてくれたように、まだ会ったことのないたくさんの人を電線に繫げたい。私が電線にとっての電線になるのだ。
 電線業界を盛り上げるという使命が完璧に達成された暁には、道ゆく人の誰も彼もが電柱の真下から電線をじっとり見上げ、街のざわめきもきっと今とは違ったものになるはずだ。私はその新しいざわめきを電線と一緒に聞いてみたい。
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