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第10回

電線あるき――沼の自家発電

[ 更新 ] 2022.06.16
 大人になると、急いで移動するよりも、ゆっくり歩く方が案外難しいのではないかと思うことがある。日々行くべき場所やすべきことがあり、目的地から目的地への移動のために街を通り過ぎるように歩くからだ。
 行き当たりばったりに出会う電線と目で握手し、目的地を決めずに歩く時間は、移動とも観光とも違う、ふわふわとした街歩きだ。
 私はこうした街歩きを「電線あるき」と呼んでいる。

 電線あるきはまさにデートだ。
 電線を愛でながら街歩きすると、時間はいくらあっても足りない。
 電線あるきの間は、文字通り「線をたどって」歩くことになる。
 無電柱化が進んでいるとはいえ、日本には現在もおよそ3600万本の電柱があり、無電柱化した大通りでなければ行けども行けども電線をたどれる。
 電線のない大通りを行くときは、キャプテン翼のように人と人の間をスッスとすり抜けながら早歩きできる私も、電線観賞に没頭しているときは、500メートルほどの距離を1時間以上かけてゆっくりゆっくりと歩ける。


墨田区の曳舟駅そばで撮影。空中の電線が、分かれ道の輪郭を引いているように見える。

 電線あるきは、電線をより深く愛でるためのいい練習の場である。
 私たちが「風景の一部」としてものを見ている状態から、何か特定のものを手前に取り出して楽しむためには、ちょっとだけ練習が要る。
 空中をすっと伸びる電線のカーブを眼でたどってみる。電柱よりずっと高い鉄塔から伸びる裸線と、手前の被覆ひふくされた電線は数十メートルの高低差があるけれど、見た目には交差している。一歩進むのに合わせ、交差した線と線の接点の角度が一歩ぶん変化して、目が離せなくなる。
 電柱のボリュームゾーンにぐるぐると束ねられた電線を、下からじっと凝視すれば、ぐちゃぐちゃに見える線の重なりが、やわらかな曲線の1本ずつとして生き生きしているのに気づける。
 細い道をゆっくり歩くほんの5分でも、歩きはじめと歩き終わりの頃では、後者の方が電線の表情をはっきり感じられるようになる。
 なんの変哲もない背景の一部だった電線が、練習を重ねるほどに、自分の世界の重要な登場人物になってこちらに微笑みかけてくるのだ。
 無口な無機物だと思っていたものから、あたたかみを感じるときのときめきやくすぐったさは、人間とのコミュニケーションでは味わえない。
「ポチ、話せたのか!」に似て非なる嬉しさで、電線と心が通う(ような気がする)感覚はいくら経験しても愛おしい。

 電線の表情にはっとしたとき、この空気ごと写真に撮って、かけらでも残せないだろうかとカメラを構える。正直、撮っても撮っても現物の良さには到底かなわない。
 高低差をすっ飛ばして交差する線の美しさは、どんなふうに切り取れば人に伝わるのだろう。目を離した隙にぎゅっとした鉄の塊に変化しそうな曲線は、高倍率のズームで切り取ればこのあたたかさまで伝わるだろうか。
 アングルや切り取り方を試行錯誤していると、歩みはよりゆったりとする。


なぜこんなところに虎柄のロープが巻かれてしまったのだろう。ロープの上のタプタプした電線の感じを見るに、何かしらの作業途中なのか……?

 つぶさに電線を鑑賞し、歩きながらまた新たな表情を発見し、見れば見るほど好きになり、あっという間に電線沼にはまる。
 アイドルや俳優などの「推し」は、まず、ファンが対象となる推しの魅力に気づき、何度も見るうちにどんどん好きになっていくというループがある。電線あるきはまさにこのループを比較的短い期間でギュッと体験できる行為だ。
 人間のアイドルと比べると、電線コンテンツ、もとい供給はまだまだ足りていない。
 推し(電線)の供給を受けるためにはひたすら自分で会いに行き、自給自足するしかない。劇場に足を運ぶ代わりに路上に出る。チケット代は電気代ということになるのかもしれない。
 推しの表情に気づけるかどうかは、その時々のファンの状態によっても変わる。
 練習を重ね、意識できるようになった分だけ供給を受けられるのだ。気を抜いて街を歩きにくくなるという欠点もあるが、常に推しのファンサービスをもらえる可能性があるということでもある。幸せのためならしかたない。


電線沼ループ解説図(筆者作成)

 電線沼にはまっている最中、人間の身体は独特なポーズになる。
 私が電線あるきの身体の独特さに気づいたのは、東京の墨田区を舞台にした街歩きイベント「すみだメタ観光祭」で、恐れ多くもワークショップを率いて、初めて他人と一緒に電線あるきをしたときだった。

 ワークショップは二部構成になっていた。
 まずは電線の写真を紹介したり、私が電線のどこに魅力を感じ、どんなふうに撮っているか説明する「電線の愛で方」の座学が30分あり、後半70分で街歩きの実地調査があった。実地調査で参加者の方々に撮ってもらった電線の写真は、イベントが終わってから、墨田区の新しい観光名所として「すみだメタ観光マップ」に掲載される。

 行き当たりばったりに発見されたいい電線が、いつか誰かの目的地になるのかもしれないと思うと、準備にも気合が入る。
 当日は「宣教師」のつもりで黒いトップスに白いレースのつけ襟姿で臨んだ。
 襟元には大好きな映画『ヘレディタリー/継承』のピンバッジを付けた。この映画では、自分の信じるものを伝える人々が大活躍するので、イベントの趣旨にぴったりだった。


みんな聞いてくれなかったらどうしようかと思ったものの、ちゃんと聞いてもらえて嬉しかった。手前に座っていた中年女性二人組のリアクションが良かったので、きっとこの人たちは電線を見に来たのだろうと思ったが、違った。


アリ・アスター監督『ヘレディタリー/継承』のヒロインが叫ぶ顔をピンバッジにした公式グッズ。ぜひ観て欲しい名作映画。 ※怖いしグロくもあるので苦手な方はご注意ください。


 偶然にも、墨田区は国産電線発祥の地だった。
 明治17年(1884年)に古河市兵衛という実業家が、本所区柳原町(現在の墨田区江東橋5丁目)に鎔銅所を開設し、「電気精銅法」によって高純度の「電気銅」の製造に成功する。1896年には、本所鎔銅所に製線の新工場を増やし、銅線の製造も始めた。これが国産電線を発展させるための大きな第一歩になったそうだ。
 この事業は、電線御三家の一社である古河電気工業の前身にもなっている。
 そんな電線と縁の深い墨田区にも無電柱化の流れはやってきていて、平成30年6月に策定した「墨田区無電柱化基本方針」によって、令和元年度から7年度(2025年)までの期間で無電柱化が推進されている。
 だからこそ、ここで電線のある景色を撮影しておくのは意義深い。

 実地調査に参加してくれたのは初対面の男性10名ほど、それも私より年上の方がほとんどだった。ラジオを聴いて電線に興味を持った人、本を読んでくれた人、イベントをきっかけに参加してくれた人などきっかけは様々で、みんなどちらかというと地味な感じの、優しそうな中年男性たちだった。
 私は正直なところ、この面々に、ちょっとビビった。
 普段から人に何かを教えることはないし、ましてや年上の人たちを教える立場になったのは初めてだ。しかも私の持つ電線の知識は初心者レベルなので「電線の技術的なことを知りたい」と思って来た人がいたらどうしよう……と思ったら、なんと、電線の設計を仕事にしている方が参加されていた。
 私が電線の愛で方や基礎知識について話し、よりプロフェッショナルな知識は、ありがたいことにその人が教えてくれた。

 傘を差そうか迷うくらいの小雨の中、10人ほどのおじさんが、ぞろぞろと路地に入っていき、電線をあがめるように手を伸ばす。
 住宅街の中なので、あまり大きな声では話せない。「あれは南国系(※)ですね」とか「私はこうやって身体に角度をつけ、表情を探します」などとピンマイクとイヤホンを使い、声を張ることなく説明をした。
(※第4回「電線分類考――南国系・ツタ系・屋根系etc.」参照)

 参加者たちは、カメラやスマートフォンの位置や角度を変えたり、膝を曲げ伸ばししたり、電柱の真下に張り付いたりしていた。時々控えめに感嘆の声をあげ、すっかり楽しんでいる。
 電線観賞に夢中になってくると、みんなは電線と二人きりの世界に行ってしまうので、私はどんどん透明になっていく。
 私は電線あるきするおじさんたちの身体を媒介にして、自分以外の人が電線を愛でる姿を初めてまじまじと見たのだ。

 電線あるきをしているとき、人は夢を見ているような姿になる。
 電線を見上げ、時折上に向かってカメラを構えたり下ろしたりしながら、ゆらゆらと進んだり戻ったりする姿はとても無防備だ。
 特に足取りがふわふわになるのがかわいい。
 普段の足は身体を先導し、意志を持っているような感じだけれど、電線観賞中には、自転車や、道に落ちた危険物などのあらゆる脅威にぶつかりかねない。
 他の様々な日常動作と比べてみても、これに似ているものは浮かばない。
 しいて言えば、集中して絵を鑑賞する人や、UFOを呼ぶ人に似ている部分がある。現代舞踏のパフォーマンスなんですよ、と言われたら「そんなものだろうか」と思うかもしれない。
 以前、演劇の稽古場で「舞台上で月を見る演技をしている俳優は、どんな月を見ているか身体で伝えなくてはいけない。俳優自身が観客にとっての月になるということだ」という意味の言葉を聞いた。
 電線あるきをしているとき、ある意味で人は電線になっているのかもしれない。


引き込み線のかわいさについて説明する様子。興味を持ってもらえてありがたかった。人生のハイライト。

 実地調査が終わり、電線と仲良くなった私たちは、小声で興奮していた。
「いい写真が撮れた」「電線がこんなに面白いものだとは知らなかった」「電線が気になって仕方ない」などの感想をもらった。そう、電線も、電線あるきも本当に面白いのだ。
 歩幅に合わせて電線の接点が動いていくのも、頭上で交差する幾何学模様がほどけたりまた生まれたりするのも、電線あるきでしか見られない。
 小さな歩幅で遠くまで行け、しかもこんなに手軽なことを私は他に知らない。電線観賞は他のことでは替えがきかない稀有な時間なのである。
 準備いらずで、いつでもどこでも楽しめて、お金だって1円もいらないし、知識や言葉も特にいらない、一人でも大人数でも楽しい。
 きっと電線のことをあまり知らない子どもとも、他の言葉を使う人とも楽しめるだろう。
 電線あるきは知識がまったくない人も楽しめるけれど、知識はあればあるだけ観賞のポイントも増え、電線愛は深まっていく。普通に眺めるだけでは物足りなくなってきたら、そこからがさらなる沼のはじまり、電線愛好沼のほとりなのだ。
 参加者の人たちは、きっと今もそれぞれのペースで電線あるきをされていることだろう。
 電線あるきは、まだあまり流行っていないものの、必ず流行ると思っている。世界中の人が電線あるきをする日まで、地道に継承したい。
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