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第9回

混線、しがらみ、わだかまり――電線と震災

[ 更新 ] 2022.04.28
 考えごとがまとまらず、暗い気分も際限なく膨らみ、気持ちが混線しているとき、電線を見るとすっと落ち着く。
 すんすんすんと家々を繋ぐ線は無理なくたるんでじっとしていたり、風に吹かれていたりする。道に沿って並ぶ電柱も、真っ直ぐ立っているようでいて、実は少し傾いている。平常時のたるみや傾きは自然とそうなったように見えて、実際は計算された上で設置されている。
 電線たちは整然として構造上狂いのないベストな状態でありながら、私からすると、やはりのびのびとたるんだり傾いたり、植物のように静かに生きて心地よいポジションを時々に見つけているように思える。
 私にとっては、電線におけるこの実像と幻覚のズレが魅力的だ。そしてそういう「ズレ」が、景色の温度を少しだけ上げる。

 名刺の一番上に「電線愛好家」の肩書きを載せたのはどうしてですか? とよく聞かれる。
 電線愛好家の後に続く「文筆家」や「俳優」と比べると、電線愛好家は電線を好きなだけで成立していて自信が持てるからだと答えており、今もそう思っている。
 実際に電線愛好家の肩書きが入っている名刺を渡して人と話すと、まず初めに電線について聞かれる。だから私は自然な流れで電線の話ができる。
 この「電線愛好家って何ですか?」あるいは「一番上に電線愛好家が来るんですね」システムによって、私はどんな相手にも好きなものの話ができ、こわばる心にもぱちっとスイッチが入って、ちょっと元気に人と接せられるのだ。



 私は仕事相手との世間話が苦手だ。特に立食パーティのように、決まった席のない中でなんとなくその場にいる人たちに挨拶をする場は、楽しむどころか、どうやって過ごせばいいかいまだによく分からない。社会人として大事そうなので一応頑張ってもいる。会が始まった途端に帰りたさが増していくけれど、ここにいた方が何かいいことがあるのではないかという下心に挟まれて帰れない。あと、人の名前も思い出せない。さっき名刺をもらったばかりなのにどの名刺がどの人なのかが分からない。
 そんな余裕のない私にそっと寄り添ってくれる電線(概念)は、優しくて包容力のある理想の恋人だ。

 電線はもはや、私の精神的インフラでもある。
 考えるだけで少しだけ心が安らぐ存在って、すごく助かる。
 できれば誰に対しても、ずっとずっと、電線のいいところばかりを話して生きていきたい。
 そんな思いと共にいつも抱えているモヤモヤがある。それは、 電線に注目しているはずの私が、電線の何を見ていないかということだ。

 私は電線を愛で、電気に頼って暮らしている。
 街の電線をたどると、発電所に行き着く。発電の方法はいくつかある。水力、火力に加えて、風力や太陽光、地熱などのいわゆる「再生可能エネルギー」、そして原子力だ。いくつかの方法で作られた電気は、電線を通じ、長い距離を旅して利用者に届けられる。
 地震や土砂くずれなど、災害や事故のニュースで、電柱が大きく傾いたカットが用いられているのを見たことがある。寡黙な電線が注目を浴びるのは、インフラの先にある暮らしに何かが起こったときの方が多い。

 電線愛好家として電線の魅力を楽しみ、ポジティブな発信をしながらも、電線は単なる身近な鑑賞物ではなく巨大インフラであり、だからこそ社会問題にも結びつくことが、ずっと頭の片隅にあった。
 そして、この大事な点に触れていない私の態度は、どこか歪な偏り方をしているというか、不誠実なのではないかと思い続けてきた。

 しばらく前、NHK Eテレのドキュメンタリー番組「10年話せなかったこと」を見た。東日本大震災被災者の若者たちが被災から10年で感じたことや、メディアで作られる「被災者」像への思いなどを、聞き手の尾崎世界観さんに向けて訥々と語る番組だった。
 この番組を作ったのは、大学の後輩だった大浦美蘭さんだ。
 お父さんがACミランが好きで「みらん」という名前になったらしいと聞き、レゲエ好きの親から「蓮華」と名付けられた私は勝手な親近感を抱いていた。
 彼女は福島県の浪江町出身で、東日本大震災と原発事故によって避難を余儀なくされ、家族とともに福島県内で引っ越しをした。
 彼女は「被災者」という役割に抱く違和感を、大学の卒業制作で撮ったドキュメンタリー映画『かえりみち』(2017)で描いている。
 本作では、姉妹の自立をきっかけに起こる家庭の変化、浪江町に残された家をめぐる家族の会話、近しい人にレンズを向ける葛藤などに美蘭さんの目を通して触れることができる。
 家族の会話のシーンは親しみの持てるものばかりでありながら、私が震災の直接的な影響を受けていないからこそ、今のように電線をまなざしているのだろうかと考えてしまった。
 特に印象的だったのは、美蘭さんが官邸前で行われたデモにも、波江町に来たときも「自分がここにいる気がしない」と感じていたこと、そして自身が生まれる前から福島第一原発で働き、震災後も廃炉のために働く父とのどこかぎこちない会話だ。

 生まれた頃から関東で暮らす私は、11年前の3月11日も住んでいる地域から離れた場所で作られた電気を使って暮らし、今もそうやって暮らしている。
 3.11が起こったとき、高校卒業直前だった私は家にいた。
 その日は大学に提出する事前課題レポートの締め切り当日だった。前日の夜からパソコンに向かい、夜通し教科書を読んで要約したり何かを書いたりして朝方に寝た。
 卒業式前日だったけれど、予行練習には行かなかった。課題が全然終わっていなかったからだ。
 その日の午後、大きな揺れを感じて自室のベッドから飛び起き、飼い犬のいるケージを見にいった。白黒の犬は吠えもせず、きょとんとしているのを見て、私はひとまずほっとした。
 テレビをつけ、親に電話をかけ、 両親の無事を確認した。
 それからしばらくして、弟も学校から帰ってきた。ニュースで津波の映像を見ながら、コタツの中に入ってレポートの続きをやった。 PCの液晶とテレビを交互に見ながらなんとか書類を揃えた。自転車を漕ぎ、真っ暗な道を通って郵便局へ向かった。
 夜遅く、両親は東京の職場から歩いて埼玉の自宅に帰宅した。

 次の日、卒業式は何度か起こる余震の中で行われた。
 家に帰ってきて、ニュースで福島第一原子力発電所から水蒸気が昇っている映像を見た。私はぼんやりと、この先、昨日までのようには生きられないのだろうと思った。被災地の人たちの困窮を想像してみても、私は何も想像しきれなかった。
 あの時期、連日放送される津波の映像や爆発の映像を目にしながら、家の中で原発のことや放射能について検索し続けた。タイピングする指先はどんどん冷えていき、分からないことばかりの中で不安が大きくなっていった。

 大学に入ってから、ドキュメンタリー制作のプロジェクトに参加し、宮城県の牡鹿半島や石巻へ行って被災地の取材をした。撮影した映像は短い番組としてまとめて発表する予定だったけれど、私は自分で撮影した映像の素材を見ると酔ってしまって、編集は全く進まなかった。今でも、ドキュメンタリーやPOV(一人称による主観)ショット形式の映像を見ると酔い、ときには吐いてしまう。
 同じプロジェクトの先輩に素材を託して番組にしてもらい、プロジェクトの計画に沿ってケーブルテレビで放送されたが、私自身は被災地の方にインタビューする中で「広めてくれ」「忘れないで」「気にかけ続けてほしい」と話してもらったことを、ずっと自分の中に閉ざしたままでいた。
 それから今まで、旅行やテレビ取材で何度も東北に行ったし、募金に参加したこともある。でも、やっぱり、それが何だというのだろう。もう11年も経っている。

 最近では電線愛好家として、電線業界からもお仕事をもらうようになった。
 好きでやってきたことが認められてお金になるのは本当に嬉しい。
 けれど、そうやってお金をもらい、生活をしながらも、私は電力が地方から首都圏へ送られる構造の中で、それを意識せずに日々を過ごせる特権を持っている。

 電線が電線として機能するために、発電所は欠かせない。発電所を建てるには場所もいるし、人もいるし、たくさんのお金が必要で、建てた後もずっと多くの人たちがそれぞれの立場で関わり続ける。
 電柱と電線がセットで使われているのと同じく、発電所と電線もセットだし、電気と暮らしもセットだし、インフラと社会問題を切り離して見ることも難しい。
 なのに、電線愛好家の私は、 電線の先にある発電所のことだけ、そっと切り離して考えていた。特権を持っているということを受け入れるのが怖かったからだ。
 気楽に、何も考えず、好きなところだけを見続けたいし、いろいろなことを想像せずとも自分だけで生き延びるのであれば不可能ではないのかもしれない。

 電線愛好家の活動を通じて電線業界の偉い人に会ったとき、帰りの電車に揺られながら、相手も私も、誰の生活のために言葉を交わしているのだろうかと考えることがある。
 私は電線を愛でている個人であり、個人は社会と切り離せない。電線や電気に関わる仕事をする人たちも、その手にある様々な責任や権力をぱっと手放すのは難しいだろうし、責任と権力なしに働くことも考えられないだろう。それは「個人の趣味」として始まった電線愛好家が、仕事になっていることとだって切り離せはしない。
 白黒つけられないことに対して「中立」の立場を取ったとしても、それは完全な50:50にはならない。だからこそ、私は力やお金に困っている人のそばでものを見て、考えることが最低限の誠実さになるのではないかと思っている。
 現実的には誰から見ても誠実ではないとしても(誰から見ても賛同を得られるようなことはほとんどないような気もする)、せめて、前とする方向は自分で決めて進みたい。

 この間も福島県沖で大きな地震があり、首都圏で大規模な停電があった。
 私は電気のない暮らしには戻れないし、電線を愛でるのもやめないけれど、ふとしたときに電線をめぐる現実とどう折り合いをつければいいか分からなくなる。
 再生可能エネルギーでの発電設備であっても、何ひとつ傷付けず、自然に生えてきたものではない。太陽光パネルの設置によって土砂災害が起こる危険性や、風力発電が環境や漁業に与える影響についても指摘されている。
 電線を愛でつつも、どこまでを自分自身の特権の関わるところか、意識すべき範囲なのか、明確なラインを引いてくれる人は誰もいないし、明確なラインなどはないのではないかとも思う。
 私が社会の一員として生きる限り、電線をめぐるわだかまりが消えることはないのだろう。

 無電柱化が進む現在、この電線が全て地中に埋められてしまったら、私たちが電気のことを意識する機会はもっと減るだろう。
 そうなったら、電気についていろいろなことを考えなくて済むという特権は、さらに見えづらいものになるかもしれない。私は、電線地中化を考える上で「電気がどこから来ているかを意識しなくなる」可能性についても、もっと論じられるべきじゃないかと思っている。

 ふと、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出した。
 私が目で捕まえた電線は、手繰っても極楽には繋がっていない。その端から端まで、人間の生活に繋がっている。その一人ひとりに、カンダタのような浅ましさもあるし、お釈迦さまのような優しさもあるはずだ。電線にまつわる何もかもは蜘蛛の糸のように、どこかでぷつりと途切れはしない。
 答えは出ないけれど、私一人が電線を手放したところで、現実は変わらない。
 だからこそ私はこれからも、電線のそばに立ちながら、電線を見ながら、考え続けたい。
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