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第4回

荒井由実、シュガー・ベイブ、そしてゴー・ゴー・ナイアガラ
昭和50年(1975年)

[ 更新 ] 2021.09.15
 名画館の「ラピュタ阿佐ヶ谷」で古い日本映画をよく観る。先日行ったとき、これは当日観た映画ではないのだが、近日中に公開される「凍河」という松竹映画のポスターと宣伝チラシ(たっぷり解説文も載せた)がロビーに掲げられていた。僕ら8ミリ映画サークルの連中も大いに影響を受けた斎藤耕一監督の作品(昭和51年4月24日封切)だが、これは観たことがない。五木寛之の小説(朝日新聞連載)を原作に石森史郎の脚本、当時ドラマ「俺たちの旅」をやっていた中村雅俊の主演で相手役は五十嵐淳子(ちょっと前まで「五十嵐じゅん」だった)……つまりこの2人が知り合った映画なのだが、ハイ・ファイ・セットが歌う主題歌(朝陽の中で微笑んで)も含めて音楽を荒井由実が担当した。
 荒井由実名義・・・・・・の仕事としてはもう最後の方になるのだろうが、それよりもおもわず目が点になってスマホのカメラを作動させてしまったのはチラシに書かれた一文だ。
「人気絶頂のシンガー・ソングライター ムーミンこと荒井由実が初の映画音楽を担当」
 ムーミン──というのは別の箇所にも書かれていたから、単なる誤植ではなく、宣材担当者が完全にそう思いこんでいたのだろう。昭和51年(76年)の春にして、まだ「ユーミン」の愛称は定着していなかった、ということなのだろうが、“人気絶頂のシンガー・ソングライター”になっていたことはまちがいない。ちなみに先のチラシの一節には「音楽界の華麗なるジャンヌダルク」という表現もあった。
 僕が荒井由実の存在を知ったのは昭和49年頃、高3くらいの時期から割と聴くようになったTBSラジオの深夜放送「林美雄のパックインミュージック」において(アルバム「ひこうき雲」の曲がよくかかった)なのだが、すぐにレコードを買ったわけではなかった。
 ソウル(ディスコ)系のレコードをいっぱい持っている友人の家に遊びに行ったとき、レコード群のなかに「12月の雨(B面・瞳を閉じて)」のシングル盤(ジャケはアルバム「ミスリム」と同じくユーミンがピアノ前でポーズをとるモノクロ写真)を見つけて聴いたところ、これはやはりリピートして聴かなくては……と思ったのだ。発売は49年10月5日(アルバム「ミスリム」と同日)というが、手に入れたのは「12月の雨」のシチュエーションと同じく、寒くなってきた暮れの頃だった気がする。
 ただ当時まだ彼女は音楽誌で五輪真弓と比較特集(和製キャロル・キング──みたいなテーマ)が組まれるくらいのカルトな存在だった。荒井由実の名が広く知れわたるのは、50年代に入った次のシングル盤「ルージュの伝言(B面・何もきかないで)」から。レコード発売は2月だったようだが、大学に通いはじめた春の頃には業界でいう“スマッシュヒット”(辞書的には爆発的ヒットだが、レコード業界では小中規模のヒット)をしていた。
 テーマも含めて「カラーに口紅」(コニー・フランシス)がモトネタと思しき曲調は、「アメリカン・グラフィティ」以降キテいた・・・・60sポップスのブームに乗ったものだろう。それまでの荒井由実とは質感の違う、いかにも当てに来たような1曲だった。
 テレビで彼女の姿を観たのも、この時期が最初だ。「ぎんざNOW!」的な番組で、髪をポニーテールにしてイントロや間奏でツイストを踊りながら「ルージュの伝言」を歌う荒井の姿がぼんやりと記憶に残っている。
 シングルより少し遅れて3枚目のアルバム「コバルト・アワー」が発売されて、少なくともわが慶応の学生の間では、おそらくLP貸し借り率トップに近い存在になっていたはずだが、さらに秋も深まる頃に発売されたシングル盤「あの日にかえりたい(B面・少しだけ片想い)」は、パチンコ屋の有線でも頻繁に流れる大ヒット曲になった。
 ボサノバ調のスキャットコーラスで始まるこの曲、いまでいうところの“シティポップ”の雰囲気に近い1曲ともいえるが、レコード発売よりも前に「家庭の秘密」というTBSドラマの主題歌として耳になじんでいた。
 ストーリーは、穏やかな家庭で育った養女と実の娘とが知り合って、謎を探るうち人間関係に亀裂が……みたいな感じのもの。木曜9時台の番組ゆえ、夜遊びに浸りはじめた大学1年生の僕は毎回熱心に観ていたわけではないけれど、2人の娘が秋吉久美子(実)と池上季実子(養)という配役は当時の男子学生にとっては魅力だった。すでに秋吉久美子は藤田敏八の映画(「赤ちょうちん」や「バージンブルース」)の“あやうい少女”の役柄で注目されていたが、それ以上にCM──風吹ジュンから引き継いだ三ツ矢サイダーや「クミコ、きみをのせるのだから」の日産チェリーF-Ⅱ──で見せる“瞬殺的な微笑”にやられてしまった。
 風吹ジュン、そして秋吉久美子がモデルに起用されていた三ツ矢サイダーCMの音楽を担当していたのは、ご存知、大滝詠一だ。73年(昭和48年)にスタートした大滝サウンドのシリーズが3年目を迎え(4年目の76年は山下達郎が担当)ていたこの年は、自ら立ちあげた〈ナイアガラ〉レーベルのレコードが発売された。
 その第1弾を飾ったシュガー・ベイブのLP「ソングス」は、ともかくヘビーに聴いた愛聴盤となった。連載の1回目から昭和50年の4月末に世に出たメディアのことを書いているけれど、山下達郎率いるシュガー・ベイブのこのアルバムの発売も4月25日。発売元のエレックレコードが電通や博報堂を使ってマーケ調査したとは思えないが、たぶん僕のような「Made in U.S.A catalog」に飛びついた、学園紛争後のアメカジな若者がズバリの標的だったのだろう。
 古いヨーロッパ映画の老夫婦(実はパリあたりのゲイの写真がベースらしい)を描いたようなジャケットには宣伝の帯を除いて日本語はなく、ディスクユニオンやメロディーハウスで物色する洋楽LPを思わせた。
 好みの曲はいろいろとあったが、A面1曲目の「SHOW」から「DOWN TOWN」へと続くブロードウェイのミュージカルみたいなオープニング(もちろんこの時点で本場ブロードウェイには行っていないが)に圧倒された。あの、レコードを聴いてウキウキした感じは忘れられない。


著者所有のシュガー・ベイブ「ソングス」

 シュガー・ベイブの「ソングス」とほぼ同時期に発売された愛奴の「二人の夏」という曲もよく聴いた。行きつけの目白のレコード屋で「ソングス」を買ったとき、こちらも目にとまったことをよくおぼえている。
 愛奴と書いてアイドと読むこのグループは、その後ソロで名を成す浜田省吾が率いていた。確かシュガー・ベイブよりも少し遅れて、「二人の夏」が収録されたアルバム(タイトルも愛奴)の方を入手したが、コンブのようにカセットテープをグチャグチャに引き出した様をジャケ写にしたアルバムよりもシングル盤「二人の夏」のイラストのジャケの方が印象に強く残っている。
「二人の夏」という曲は、まさにビーチ・ボーイズ(サーファーガール+サマー・ミーンズ・ニューラブ)って感じのサウンドで、後のソロ時代よりも若干ソフトな浜田の声が心地いい。そしてジャケットは、そういうちょっとオールドなアメリカンリゾート気分に合わせて河村要助が描くリーゼント男とポニーテール娘のビーチシーンだった。河村はちょうど同じ頃、ニッカウヰスキーの広告にこういったセンのイラストを提供していたはずだ。
 これもやっぱり「アメリカン・グラフィティ」のヒットに端を発する潮流だろうが、河村と双璧のテリー湯村(輝彦)、後に大滝の「ロング・バケイション」の絵世界を作りあげる永井博、山下達郎「フォー・ユー」の鈴木英人……と、50s、60sアメリカンテイストのイラストレーションを各所で見掛けるようになった。
 湯村輝彦はこの2、3年後くらいから「ポパイ」の裏表紙に長らく掲載されていた、ヤングアメリカンを茶化したような「オロナミンC」の広告が目に残っているが、それがさらにパンクに爆発した糸井重里との『情熱のペンギンごはん』(ガロ連載)は衝撃的だった。
 さて、「ソングス」よりひと月ほど遅れて、ナイアガラの御大、大滝詠一のアルバムが発売された。ナイアガラの滝のイラストを描いたこのアルバムこそ、「ソングス」以上に洋盤っぽいデザインで、アメリカからの輸入盤LPと同じようにピチッとビニールコーティングされていたことを指先・・で記憶(パッケージの合わせ目に爪を挿入して破く)している。
 ナイアガラ・ムーン、三文ソング、論寒牛男、福生ストラット……収録曲には三ツ矢サイダーのCMソングも3曲(’73、’74、’75)入っていたが、このサイダーの歌とともに何度も針を落としたのが「楽しい夜更し」という曲だった。
 僕の好みの60sポップス調のメロディーではなかった(そもそもこのアルバムにそのタイプの曲は少ない)けれど、軽快なオールドジャズっぽいサウンド(エニー・ケー・ドゥーの「マザー・イン・ロー」って曲がネタモトであることを後に大滝のラジオ番組で知った)のこれは、仲間たちとの徹夜麻雀の光景を歌った詞が楽しい。授業が休講になるたびにメンツを集めて日吉駅西口商店街の雀荘にしけこんでいた、大学1年生の僕のライフスタイルにも合っていた。
 とりわけ耳に残る詞の一節に、こんなのがあった。
「真夜中のディスクジョッキー 特集はクレージーキャッツ……」
 徹マンをやっている部屋に深夜ラジオが流れている、という設定なのだが、真夜中にクレージーキャッツ特集なんかをやるラジオDJとはまさに大滝本人のことであり、僕はその番組「大滝詠一のゴー・ゴー・ナイアガラ」の熱心なリスナーだった。
 当初は月曜日の夜更け、というか火曜に入った午前3時スタートの1時間番組で、「オールディーズ・バット・グッディーズ」をキーワードに大滝の愛する60sを中心にしたポップスやソフトロックが流れる。ニール・セダカ、ロネッツ、レスリー・ゴーア、フォー・シーズンズ……そういったなかにクレージーキャッツや坂本九、弘田三枝子……といった和製モノの特集が組まれることもあった。
 ただし、ラジオ局は横浜の野毛山に電波塔のあったラジオ関東だったこともあり、僕の住む新宿の落合あたりでは「1420」に合わせても、ガーピーと雑音にかき消されるようなことがあった。そして、番組自体は大滝が根城とする福生のスタジオで録られていたため、時折、米軍基地の飛行機の音が入る。SEとして、敢えて消さなかったのかもしれないが、これがなかなかオツだった。
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