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第27回

香港弾丸旅行と「愛のコリーダ」の夏
昭和56年(1981年)

[ 更新 ] 2022.09.01
 TVガイドの1年上の先輩社員・Aさんとはウマが合って、ときどき小旅行に出掛けた。以前ふれた関西旅行も一緒だったが、2人でグアム島と香港に行ったことを思い出す。どちらもこの年の前後の夏だったはずだが、日程の細かい記録は残っていない。が、先日久しぶりにAさんとお会いして、昔の旅行の話題を切り出したら、後日、旅行日程の記録がメール送信されてきた。

 グアム 55年6月18日~22日
 香港 56年8月7日~10日

 そう、グアム島のときはホテルのプールサイドでアメリカンな気分でデッキチェアーに寝そべるや否や、向こう側の日本人観光客のラジカセからもんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」が大音量で聴こえてきて、ガックリきたことをおぼえている(Aさんにいわれて、リップス・インクの「ファンキータウン」がグアムの空港でやたらと流れていたことも思い出した)。
 曜日を確認してみると、55年のグアム島は水曜から日曜までだから何日か有休を取った(よく取れたな……とも思う)のだろうが、56年の香港は金曜の仕事後の夜更けの便に乗って、月曜の朝イチ便で帰国してそのまま出社、という弾丸旅行だった。
 香港はこの年あたりからキテいた・・・・……という印象がある。YMO人気に端を発する東洋トレンド、みたいな巷の空気感もあったのだろう(飯倉片町の「大中」や渋谷ファイアー通りの「文化屋雑貨店」もよく覗くようになった)が、そろそろアメリカのウエストコースト一辺倒に飽きてきた、というのもある。しかし、だからといって中国軍の軍服やカンフー・スーツのようなのを着ていたわけではなく、アバディーンの水上レストラン(先日、船曳き移動中に沈没。存在説もあるが)の前で現地カメラマンに写真を撮られて買うはめになった観光記念のポートレート皿……に写りこんでいるのはプレッピー気分のピンク・ストライプの半袖BDシャツ。これは、まだ狭かった頃の原宿ビームスFに1人店番のような感じでいた栗野(宏文)さんから買ったものだった。
 羽田を発った機が降りたったのは九龍の下町の啓徳カイタック空港。もっとも、到着が夜中ということもあって、ビルの狭間を危なっかしく降下していく光景の記憶はない。印象が濃いのは、湾仔(ワンチャイ)あたりの繁華街のどぎついネオン看板の色彩と看板群のなかをぞろぞろと走る2階建ての市電。中環セントラルの山側のビルの合い間の階段道に露店がずらずらと出ていて、ばあさんが胡散臭い感じの薬や化粧品を並べ売りしていた。赤い電灯の下で肉をたたく精肉店とか、店頭でぐるぐる回転し続ける焼鴨、身体の部位や病名を漢字で書きつらねた古い医者……町景色が悪夢のように記憶されている。
 「赤柱」と方向幕を掲げた小型バスが走る、香港島中心街とは山を挟んで反対側のスタンレーという小さな町へ行った。イギリス軍基地のある港町だったが、そこへ行く途中に映画の「慕情」で知られたレパルスベイ・ホテルが建っていた。海を見渡すレストランの天井でコロニアルなシーリング・ファンが回っていた光景が目に残っているが、翌年あたりからハヤり始めた西麻布や南青山のカフェバーで、この装置をいやというほど見せられることになる。
 赤柱(スタンレー)の町の入り口のような一角に出た露店で、赤の発色感が香港っぽい短パンと航空会社(どこかよくわからないが漢字名が入っていた)のショルダーバッグ(乗客に配布するようなやつ)を買ったが、そのエアバッグに描かれた飛行機の片一方の翼がレイアウトの関係で、ぶつっと乱暴にちょん切れていたのがおかしかった。
 というのが自分用のミヤゲだったが、香港ミヤゲというとこの時代、「タイガーバームを買ってきて」とよく頼まれた。いまも通販商品などに見られるが、シンガポールに本拠をもつ“強いメンタム”的な軟膏だ。効能書きを読むかぎり、打ち身、捻挫、肩こり……といったジャンルの症例しか出てこない。みんなどうしてそんなにタイガーバームを欲しがったのか……。そういえば、打ち身や肩こりに留らず、ノド元や胸に塗るとスーッとして風邪が一発で治る……なんていう魔法じみた伝説も出回っていたような気がする。


香港でのツアー集合写真の一コマ。左から5人目、顔を反り気味に上げているのが著者。

 自分のミヤゲというともう1つ、中環セントラルあたりのショッピングモールのワゴンでブラザーズ・ジョンソンのカセットテープを買った。前年のグアムではビーチボーイズの「ENDLESS SUMMER」のやはりカセットをゲットしたはずだが、ウォークマンを愛用していた頃だから、まずカセットだったのである。
 ブラザーズ・ジョンソンのカセットテープは「Stomp!」が初っ端の曲だったから、たぶん前年に売れたアルバム「Light Up The Night」だろう。帰路、羽田へ向かう早朝の機内で繰り返し聴いていた「Stomp!」のゴキゲンなイントロが耳にこびりついている。
 ブラザーズ・ジョンソンをはじめ、こういう洗練されてきたディスコ・サウンドのプロデューサーとして君臨していたのがクインシー・ジョーンズだ。日本ではなんといっても「愛のコリーダ」がこの夏大流行した。
 愛のコリーダ──といえば、これまでは大島渚の映画作品(昭和51年)であり、さらに遡れば戦前の阿部定事件をモチーフにした話である。主演の藤竜也と松田英子の性愛場面(前張りがない、モロ見えしてる……)が物議を醸した作品として記憶されるが、5年後にディスコのダンスフロアーで流れる曲になるとは思ってもいなかった。
 ちなみに、この曲まではクインシー・ジョーンズの名は一般的にあまり知られていなかったから、ファルセットなボイスで歌っているのがクインシー本人……と思っていた奴が僕のまわりにはけっこういた(ボーカルはパティ・オースチンとチャールズ・メイ)。
 ところで「愛のコリーダ」の曲名は、日本の洋楽担当が映画から拝借して付けたわけではなく、クインシーの曲名も「Ai No Corrida」とクレジットされている。当初僕は、クインシー・ジョーンズが大島渚映画のタイトルを気に入ってネーミングしたのかな……と思っていたが、曲そのものを作詞作曲したUKファンクのチャズ・ジャンケルという人が1年先行してレコードも出しており、そのオリジナルの時点で「Ai No Corrida」と命名されていたのだ。
 オリコンの洋楽チャートで7月から12週連続1位だったというこの曲は、筒美京平が作ったようなメロディーラインも日本人ウケしたのかもしれない。ハヤり始めの頃だったと思うが、よく出入りしていたTBSラジオで当時「パックインミュージック」を担当していた近田春夫さんと久しぶりにお会いしたとき、何かのきっかけで「愛のコリーダ」の話になった。
「コレさ、川崎麻世が日本語で出すべきだよね」
 音源がスタジオで流れていたときに、指摘された鋭い一言が忘れられない。そんな一件が頭に残っていて、「愛のコリーダ 曲 日本語」などとユーチューブで検索をかけてみたところ、川崎麻世の歌は出てこなかったけれど、この年末の紅白の“瞠目するパフォーマンスシーン”がアップされていた。
 80年代あたりから増えてきた、男女混合の演目の1つのようだが、「愛のコリーダ」に日本語詞を付けてアイドルたちが歌い踊っている。メンバーは紅組が岩崎宏美、桜田淳子、榊原郁恵、石川ひとみ、松田聖子……白組が郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹、田原俊彦、近藤真彦。という、当時のほぼ・・トップアイドルによる豪華なユニット。
 画面左手に女子、右手に男子が配置されて、「ウエストサイド・ストーリー」風のダンスパフォーマンスを織りこみながら、ソロとコーラスのパートで構成される。うーん、この感じはまさにレッツゴーヤング。あの小口ディレクター(第24回参照)の演出ではないだろうか。この曲が抜群にハマッているのは西城秀樹だが、元ネタが阿部定事件……と思うと、ひたむきに歌い踊っているアイドルたちが奇妙に見える。
 実は、紅組メンバーの松田聖子の後を「……」と表記したのは、もう1人、画面からすぐに判別できないメンバーがいたからだ。いくつかのデータを当たって、「ロス・インディオス&シルヴィア」として出場していたシルヴィア嬢、とわかった。とはいえ、ムード歌謡畑の彼女はレッツヤン的アイドルとしては違和感がある。そして何より、この年の紅白はトップバッターで初出場の河合奈保子が「スマイル・フォー・ミー」を歌っているではないか。
 どう見ても、もう1人は河合奈保子だろう……首を傾げつつ、さらにアイドル関係のデータを眺めていたら、そうか! と思いあたった。彼女、10月の初めの「レッツゴーヤング」のリハーサル中、NHKホールの舞台セリから転落して腰椎骨折を負ったのだ。腰にコルセットを装着して紅白に出場した……なんて話題がワイドショーや芸能誌で取りあげられていたことを思い出した。自曲はともかく、グループで踊る「愛のコリーダ」は身体的にムリだったのかもしれない。
 ところで、あれほど取材で通っていたNHKの「レッツゴーヤング」なのに、この河合奈保子の事故の頃の印象は薄い。朝ドラも4月スタートの「まんさくの花」は、ヒロインの中村明美ってコに例の聞き書きインタビューを試みていた記憶があるのだが、10月スタートの「本日も晴天なり」(ヒロインは原日出子)の方はTVガイドの番組表にタイトルや出演者を記したおぼえがない。
 そうだ、僕はこの年の秋口あたりの“人事”で編集部の番組担当班から整理班に異動になったのだ。整理──というのは、取材に出ることはなく、集まった原稿を校正して、大日本印刷の出張校正室でゲラの最終チェックをする裏方の部署。花形の特集班入りを期待していた僕は落胆した。
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