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第14回

リクルートカットのモラトリアム世代
昭和53年(1978年)

[ 更新 ] 2022.02.15
 大学時代の雑多な資料(例のハンプティー・ダンプティーのノートなど)をぶちこんだ手提げ袋のなかに「11階の朝焼け」という8ミリ映画のチラシがあった。これは映画サークルの「8ミリシネクラブ」で、4年生の年にH君と作ったものだ。
 僕がなかばアソビ気分で書いたこのチラシのスタッフ紹介欄には、まず〈企画・原案・総指揮〉としてHの名があり、その次に〈脚色・演出〉の肩書で僕の名が記されているけれど、ほぼ2人でアイデアを出し合いながら構成を練りあげていった作品だった。ちなみに〈企画・原案・総指揮〉という大仰な肩書は、確か前年にヒットした劇場版の「宇宙戦艦ヤマト」からハヤり始めたのだ。
 ストーリーは、8ミリ映画サークルの学生3人組(2人は4年生)が“就職”や“恋愛”に悩みながら映画を作りあげる……という、自分たちのことをベースにした、まぁ青春映画にありがちな話ではあったが、湿り気のない、東宝娯楽調のコメディーに仕上げる、というのが僕らのコンセプトだった。チラシに〈制作者、苦肉の弁解〉と題して、僕はこんなコメントを寄せている。

小学3年生の冬、怪獣大戦争を見に行くと、もう1本がエレキの若大将だった。そのとき、ボクの頭の中で、初めて、大学というものの、イメージが出来上った。「大学ってとこは天国だ」「愛と善意の花園だ」……そんなバラ色の日々がもうすぐ終わる。

 いかにも、ノンポリのアホ学生って感じだが、この年から翌年にかけてベストセラーになった『モラトリアム人間の時代』(小此木啓吾・著)の若者像ともいえるだろう。
 僕はこのチラシの映画タイトルに〈歌謡曲グラフィティー’78〉とキーワードを付けているが、大方のシーンBGMに当時ハヤリの歌謡曲(洋楽、ニューミュージック系もあるけれど)を使う、というのがポイントだった。


「11階の朝焼け」のチラシ

 まずは冒頭、主人公の男が夜更けに聞いているラジオから流れる中原理恵の「東京ららばい」とともに、何棟もの高層ビルが建ち並んだ西新宿の市街風景が紹介される。ディスコ通いをする女優と出演交渉するシーンにはアース・ウィンド&ファイアーの「宇宙のファンタジー」が、撮影後に盛りあがって夜の街へ繰り出すシーンには敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」が流れる。
 チラシに載せた曲目リストには、しっとりした場面に使ったジョン・コルトレーンやアート・ファーマーの曲も見受けられるが、ともかく僕はこういうシーンごとの選曲にこだわった。この辺は前回書いた“つかこうへいの芝居”の影響かもしれない。
 映画は11月下旬の三田祭での上映を目標に作られたものだったが、撮影をしていたのは夏の暑い盛りだった。当時“黒ラベル”とも呼ばれたサッポロのビン生が出たばかり(正確には発売2年目の夏)の頃で、主要舞台でもあるHの兄のマンションの部屋で、冷蔵庫に冷やしてあるビン生を「やっぱコレうめーな」なんて言いながら飲んだことをおぼえている。ここは学芸大学前の駅から環七の野沢の方へ行ったところにあるマンション最上階の13階の部屋で、歯科医を営むHの兄の住まいだったが、彼が職場に出ている日中だけ、僕らが映画作業に使わせてもらっていた。ここから望む朝焼けの景色(実際は屋上からの眺望)が映画の山場になることもあって、語呂のわるい13を11に改めてタイトルに使ったのである。そう、「冷蔵庫のビン生」ともう1つ、Hの兄貴はトレンドに敏感だったのか、当時一般家庭ではまだ珍しかった電子ゲーム機がテレビにセットされていて、「ブロックくずし」や「テニス」のゲームをよくやった(映画のシーンにも使った)。
 13階クラスのマンションは、いまでいうタワマンほどの高層物件の印象が強かった時代、この屋上に“不審な女性”の姿を見掛けたことがあった。何人かで近くの道を歩いていたときにH君が発見したのである。高島平団地の高層階からの飛び降り自殺──がしばしば報道されていた世相も関係していたのかもしれないが、Hに言われて前方を見上げたとき、マンションの屋上のフェンス(低い部分)に張り付く女の姿がちらりと見えたおぼえがある。
 しかし、その後どうしたのだろうか……。すぐに屋上に上っていって、見つけた女を説得したような気もするし、警察に通報したような気もするが、その辺はドラマなんかのシーンが上塗りされた記憶かもしれない。最初の目撃者でもあるHに、マンションでの他の事項も含めてメールで質問したところ、まず管理人に通報、一緒に屋上まで行ったときにはすでに女性はいなかった(もちろん、落下していたわけではない)とのこと。しかし、“姿をくらました”ということは、やはり“飛び降り”を試みようとしていたのだろう。
 不穏な出来事というのはよくおぼえているもので、同じく映画の制作時期に「手首ラーメン」というのが話題になっていた。Hの兄のマンションの部屋で、撮影やアフレコ(声やSEの録音)をして帰ってくるとき、近くの道端によく来る屋台のラーメン屋に寄ることがあった。その頃、ワイドショー(いまほど数は多くなかったが)や週刊誌で“人の手首でダシをとるラーメン屋台が都内に出没している”なんてネタをよく扱っていて、「あのちょっと怪しいオヤジの屋台に違いない」という話で盛りあがっていた。
 「手首ラーメン」の話題をやりとりしたことはHもよくおぼえていたが、この件については僕が30年も前に出した『B級ニュース図鑑』という著書(ヘンテコな事件記事を紹介する本)で取りあげていた。
 〈ダシにしたが売りはせず〉と、見出しを付けた昭和53年10月3日の朝日新聞の記事によると、住吉連合系の暴力団組員が殺した男の遺体を処理する目的で手首を屋台のラーメンのダシに使ったが、実際にそのラーメンが売られることはなかったという。10月10日の追記事(朝日新聞)の描写がリアルなので紹介しておこう。

“手首処理班”は手で引いて回る屋台のカマで手首入りスープを煮る間、いつもと違って路地裏を選んで歩いた。客が寄ってくると「売り切れ、売り切れ」だと弁解、においを不審がられるのではないかと場所を次々に変えており、とても客にラーメンを食わせるどころではなかったという。

 この犯人(主犯の2人)の住所は東尾久で、ここはHの実家に近いから、もしや彼の地元での噂から僕らの間に広まった話題だったのかもしれない。
 手首以外の部位・・の行方も気になるところだが、前年あたりからラジオ番組で盛りあがっていた「なんちゃっておじさん」(電車内で唐突に“なんちゃって”とポーズをつけておどける不審な男)とか、翌年にかけてブレイクする「口裂け女」とか、いわゆる都市伝説的な話題が流行する世相だったのだ。
 ところで映画の主人公は、就職活動もせずに好きな映画作りに没頭しているモラトリアム少年……という設定だったが、それは僕も同じだった。
 当時の大学生の就活のスタートは、3年生くらいから本格化するいまよりはのんびりしていたが、4年生の夏にもなると「内定もらったよ」なんていう話題が耳に入ってくるようになる。もっとも、僕もHもO(広研のウエストコースト好きの男とは別人)というもう1人の4年生部員もマスコミ志望で、あの時代の広告、出版、テレビ局などは一般企業より遅れて、11月くらいに本試験が行われた。とはいえ、ほんの何か月か前までラフな格好をしてサーファーみたいな長髪だった男が、きちんとした7・3分けのリクルートカットに紺色のリクルートスーツを着てキャンパスに現われるのを見て、僕は感傷的な気分になった。そう、会社回りのためのユニホームとなるリクルートスーツもリクルートカットも、この当時“就職情報会社”として認知されてきた株式会社リクルート(センター)にちなんで生まれた時代語だったのだ。

 4年生の時期のスケジュールを記録したノートは残っていないので、細かい日時はわからないけれど、あれは暑さがぶり返した晩夏の頃ではなかったか……。紺の上下のリクルートスーツというわけではなかったが、ブレザーを着て白シャツにきちんとネクタイを締めて、経済界の重鎮と呼ばれる人物の家に就職の相談に伺ったことがあった。
 その人は経団連の会長を長く務めていたI氏。慶応の付属高校で数学の教諭をやっていた僕の父親が、以前にI氏の御子息を教えた(かなり可愛がっていたのだろう)とかで、就職の相談に乗ってやろう、という話になったのだ。
 「電通は難しいようだけど、博報堂ならどうにかなるらしい」
 というのが、父親経由の情報だった。その当時、確か博報堂は筆記試験よりも前に面接を何度か行うシステムで、つまり“すべりこませやすかった”のかもしれないが、単に“息子の恩師”というだけの縁で話はうまく運ぶのだろうか。経団連の会長ともなると、そういう口利きの依頼がいくつもあるに違いない。
 若者ならではの正義感もあった僕は、もうひとつ気が進まなかったのだが、行ってみるだけ行ってみよう、という気になったのだろう。場所は渋谷の神山町。山手通りの1本裏手に、絵に描いたようなお屋敷が並んでいた景色が目に焼きついている。久しぶりに散髪して剝き出しになったうなじに、残暑の陽が照りつけてきてヒリヒリとした。
 門からの長い通路を歩いていった、主屋の一角の応接間に通されて待っていると、やがてブルドッグのような顔だちのI氏がずっしりとした足どりでやってきた。目袋が妙に大きかった印象が残っている。出前のウナ重が振る舞われ、それを緊張しながら食べている最中にI氏が電話を掛けた。
 「慶応で広告の研究やってる優秀な若者がいるんだけどね……」
 なんてことを電話口でおっしゃっていたような気もするのだが、僕が回想しながら捏造したセリフかもしれない。電話の相手が誰だったのかも、はっきりしない。
 よくおぼえているのは、「営業部の方は興味ないかね?」と問われて、「いや、クリエーティブでないと」と拒んだことだ。結局その話はまとまらず、僕の後ろ髪もまた伸び始めた。ふらっと入ったパチンコ屋で、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」がやたらと流れていた。
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