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第12回

湘南カウンティーの夏は過ぎゆく。
昭和52年(1977年)

[ 更新 ] 2022.01.14
 ハンプティー・ダンプティーの表紙のノート(前回登場)をめくっていたら、「ポパイ」の取材を受けたことが記されていた。
 「6月14日 PM3:00
 つゆ明け前の暑い午后 銀座のはずれにあるポパイ 松川氏は旧湘南ルックに身を固め20分遅れてやってきた。近くの公園で撮影」
 これは件のパロディーCMの話ではなく、あのウエストコースト好きのO君が葉山のキャンプストアーのPRでポパイ編集部に持ちかけた話が成立したのである。ともかく、憧れの雑誌の取材だったから当日のことはよくおぼえている。「近くの公園」というのは築地電通前の首都高の上にある築地川祝橋公園(ポパイ編集部も電通と反対側の丸喜ビルという雑居ビルに入っていた)であり、この「松川(哲夫)」という人とは5年後くらいからどっぷり仕事でつきあうことになる。
 ノートには当日の僕のファッション(生協で販売していたKEIOロゴのTシャツ+OPのコーデュロイジーンズ)やサーフボードをルーフに積んだワーゲンのゴルフらしき車やスケボー……といったポパイ気分のイラストがラクガキされているけれど、サーフボードを載せた車の絵はこのちょっと前に出たポパイの第7号(5月25日号)の表紙に触発されたものかもしれない。
 「7号の表紙には、名調子タイトルの達人、片岡義男の“地球の美しさを知るにはサーフィンがいちばん”の文字が、躍っている。(中略)表紙の絵柄は、サーフボードを積んだワーゲン。」
 『POPEYE物語』(椎根和・著)に記述されているが、この号でとりわけ印象的だったのは、小林泰彦真骨頂のカリフォルニア・タッチで描かれた湘南地区の絵地図だった。
 「小林泰彦は気持よさそうに“湘南カウンティー”を地図にまとめていた。」
 “茅ヶ崎から鎌倉へかけてのこの部分は湘南といっても特に独立したひとつの土地柄を形成している。(中略)その人とはサーファーたちなのである。だからこの地域を、あえて《湘南カウンティー(郡)》としてみた。”
 と、椎根氏の本には小林氏が絵地図に添えて記した「湘南カウンティー」の定義が引用されているが、R134(国道134号)ぞいにちらほら点在し始めたサーフショップやカフェなどが表示された泰彦マップは、サーファーでもない葉山のキャンスト広研部員の僕らにも大いに役立った。
 いまここに地図の原物はないのだが、おそらくこれに表示されていた稲村ヶ崎の「MAIN(メイン)」というサーフショップ(レストランも併設していた)は店以上に広い駐車場があったので、キャンストの用事でそちら方面に行くときなんかにふらっと車を停めて立ち寄った。おかサーファーの僕の目当てはサーフボードではなく、その脇の棚に陳列されたバックプリントのTシャツや短パンの類いだったが、鈴木茂が「バンドワゴン」のジャケ写でかけているのと同じ「トロピカルグラス」と呼ばれたベッコウ色のサングラスが日射しのあたる窓際に置かれていたのをおぼえている。
 稲村ヶ崎のあたりから江の島にかけては、右手の山側に江ノ電が並走するようになってくる。いまの僕ならば旧車両をじっとりチェックするところだろうが、あの当時は最もそういう“鉄道熱”に褪めていた頃で、「そういえば江ノ電が走っていた……」ほどの記憶しかない。ただし、時折観ていた青春ドラマ「俺たちの旅」の続作「俺たちの朝」という勝野洋や長谷直美が出てくる番組は、江ノ電沿線のこの辺(その後丹念にチェックすると、極楽寺駅周辺が中心舞台と判明)でロケされていた(江ノ電が写りこんだ番組タイアップの乗車券を後年手に入れた)。


著者が入手した「俺たちの朝」の一場面が使われた記念乗車券

 キャンストで葉山に常駐していたこの夏、愛車の中古コロナで湘南道路を走っているときに女性2人組にヒッチハイクされたことがあった。あれはすぐ横を江ノ電が走ってくる区間だったはずだから、七里ヶ浜か鎌倉高校前あたり。2人ともレイバン風のナス型のサングラスをかけた、はすなサーファーガールという感じだった。
 僕は店で販売しているグッズの集金か何かを頼まれて、藤沢か茅ヶ崎方面の会社へ向かう途中だったと思う。僕のコロナは1970年代初めのあまりイケてないセダン型(おじさんの会社で長く使っていた営業車)で、後部座席に乗りこんだ彼女たちは「ダサい車でも乗ってけりゃいい」みたいな感じでふんぞり返っていた。
 彼女たちの行き先は茅ヶ崎のサーフショップ「ゴッデス」ではなかったか? この半年くらい前に出たユーミンのアルバム「14番目の月」に収録された「天気雨」という曲のなかでも“サーフボード直しにゴッデスまで”と、八王子から相模線に乗って茅ヶ崎の店へ行く状況が歌われていた有名店である。
 ゴッデスがあるのは中海岸という海岸ぞいだったが、指示に従って駅の方へ行ったような気もするから、ゴッデスという行き先はユーミンの歌の世界を重ねてできあがった“後付けの記憶”かもしれない。
 キャンストの催物係をやっていたこの夏は、8月9日の「松本ちえこデー」(前回参照)が終わった後くらいから曇りがちの日が多くなって、そのうち雨降りの日が続くようになった。僕は当時から“天気図好き”だったのでよくおぼえているが、関東の南方沖に台風とまでいかない熱帯低気圧がしばらく居座っていたのである。やがてそこに向かって冷涼な北東気流が入ってきて肌寒くなった。イーグルスやタカナカの夏のサウンドは似合わないので、僕はDJルームに入って前年の暮れに原宿のメロディーハウスで買ったフィル・スペクターのクリスマスアルバムをかけた。
 キャンストは8月22日に閉店したが、その後1週間ほどかけて店を解体し、後片づけをする。そんな晩夏になって、また暑さがぶり返してきた。キャンストの期間中は原則として外食禁止(合宿所で部員の食事当番が作ったメシを食べる)だったが、後片づけの期間の夜は何台かの車に分乗して、逗子や鎌倉あたりのドライブインレストランに食事に繰り出した。
 とある夜、江の島へ渡る橋の横の駐車場でロケット花火を上げて、不二家とガソリンスタンドのESSOが共同でやっているような「エッソシェフ」というドライブインレストランでメシを食い、僕のコロナを含めて3台の車に分乗して合宿所へ引きあげていくときのことだった。
 江の島からR134を東進していく途中、先頭を走る店長・Sのブルーバードから後続の合宿所長・Yのギャランシグマや僕のコロナを狙ってネズミ花火が投げられた。発火した花火はYの車底を通りぬけて最後尾の僕の車の下でスパークしたり、さらにその後ろでパチパチと火花を散らしているものもあった。
 そんなことをしているうち、あのサングラスのヒッチハイク娘を乗っけた七里ヶ浜のあたりだろう。後方のワゴン車が対向車線に出てスピードをあげると、ちょっと車間の空いた僕のコロナの前にスッと割りこんできた。そして、ノロノロ走行を始めた。前を行く仲間のSやYの車とどんどん離れていく。こいつはおかしいぞ……と思って、前の白いワゴン車を凝視すると、最後部の窓にこちらをにらみつけるコワそうな若者の顔が見えた。
 稲村ヶ崎を過ぎ、由比ヶ浜も通り過ぎて、鎌倉駅の方へ行く道と分かれる滑川の交差点で前のワゴン車が停車した。ここで僕も車を停めるべきだったのかもしれないが、意を決してワゴン車の横を走りぬけて滑川交差点を左折、次の信号を右の路地へ曲がった。撒けたかな? 一瞬思ったが、そう甘くはない。コロナのバックミラーにライトを上向きにした車がぐんぐん大きくなってくる。傍らに消防団倉庫の赤ランプが薄気味悪く灯った、狭い一方通行路の一角で僕は車を停めた。なぜ、わざわざこんな寂しいところへ逃げてきてしまったのだろう。
 コロナの後ろに衝突するように急停車した白いワゴン車(トヨタのハイエースだったか?)から、濃紺のジャージ姿の4人組が降りてきた。意外にも男ばかりではなく、男女2名ずつ。カップルなのかもしれない。見るからに“ツッパリ暴走族”って感じだったが、ジャージの胸だったか、背だったかに記された〈極悪〉というグループの名を見て一段と寒気が走った。
 そう、説明がおくれたが、わがコロナ車の乗員は僕を含めて男子4名。女子部員が乗っていなかったのは幸いだったが、ケンカになれた男は1人もいない。しかも僕以外の3人はメガネをかけており、彼ら極悪の連中が降りてくるのを見て一斉にメガネを外した。
 窓をドンドンと叩かれ、ドアにボスンと蹴りが入り、思わず僕がドアを開けた瞬間、ソリコミ頭のコワモテの男に引っぱり出されてゴツンと眉のあたりにパンチを食らった。うろたえているうちに、スッとコロナのエンジンキーを抜きとられた。
 「ざけんなよ、花火投げやがって」
 花火を投げたのは前走の別の車なのだが、そういう事情説明が通じる状況ではない。彼らは僕らが3台くらいでつるんでいるのを知っていて、つまり最後尾の僕らが生けにえになった、ということなのかもしれない。
 ともかく僕は平謝りして、エンジンキーを返してもらった。カネを脅し取られることはなかったが、案外冷静になった僕はトランクを開けて、キャンストで余った景品のTシャツやフリスビー……なんかを差し出してみたが、お気に召すものはなかったようだ。
 山猫みたいな攻撃的な吊り目の女が男に続いて放った言葉が忘れられない。
 「てめえら、カタギだろ?」
 堅気、じゃなかったら、どうなっていたのだろう。
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