ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第12回鴨長明はホームレスか

 わたしは実際いろいろなところへ行き、見聞を書いてきましたが、平生の暮らしぶりはほとんど、地域猫みたいなものです。じつをいうと外国へいってもまあ、たいして変わりません。狭い範囲でうろうろしてます。鴨長明さんも、そんなかんじだったのかな。牛動力のトレーラーハウス住民だものね。

 そういう小規模ノマド暮らしっていいよね。いや大規模でもいいけどね。と考えていて、はたとおもった。鴨長明っていまだったら、ホームレスっていわれたのかもしれない。

 

いまの家のつぎに長く住んでいたのは、といっても半分ぐらいはよそへ行ったり来たりであったので長く借りていたというのが正確だが、やっぱりこの界隈の、家賃月3万円のアパートだった。6畳の板張りに、ちっちゃい流し台とガスコンロ(ひとつ口)があるキッチン。キッチンと部屋の間に結構大きなクローゼット兼押入れがあって、玄関もちゃんと仕切ってあるので、普通の6畳よりは広め。電話とベッドは備えつけ。湯沸かし器はなし。トイレは共同。洗濯機も共同。お風呂なし。表通りへ出て渡ったところに銭湯がある。鉄筋コンクリート造で、しっかりした建物。

 とてもいいアパートだった。

 角部屋で、ベランダは裏の建物の庭に、腰窓は竹藪に面していた。春には竹藪で、ホーホケキョが練習をした。ヤモリがぺたぺたと窓を横切り、ひっそりした裏庭を猫がこっそり歩いて狩りをした。近所ではガマガエル、ヘビ、フクロウさえ見たことがある。杭の上にとまって眠っていた。護国寺の森から飛んできたんじゃないの、と大家さんはいった。大家さんの家の前の柿の木には、カラスのキューちゃんが居ついていた。奥さんが怪我していたところを助けてあげて以来なついて、飛んできてはキューチャン、と鳴く。夏の藪蚊には腹が立ったけれど、こいつらを喰ってガマやヤモリが暮らしているのだとすれば、やむをえない、いなくては困る。そうしてみなさんにごはんが回る。恐れずに眠ることができる。夏は涼しく、冬暖かく。

 孔子というのは相当な変人だったのではないだろうか。衣食足りて礼節を知る。そんな、まったくもって具体的でマテリアルで理念的でない常識を説いた哲学者なんて、そうそういない。ひょっとしたら孔子はおばさんだったんじゃないかしら。こころがね、おばさんっぽい。これは褒めているのです。その実現可能性と具体性、経済効果など度外視して生存を最優先させる、成長戦略だの金融政策だの上から目線の話ではなく、マイナスをゼロにする煩瑣な日常雑務に当事者としてあたり、下から、地べたから暮らしを維持する、その姿勢をおばさんと呼ぶ立場から、褒めているのです。孔子のおばさん哲学に準じて、衣食足りて礼節を知り、家はとりあえず用が足りれば豪華でなくともよしとする。むやみと周囲の雑草だの虫だのを殺しまくらず、お互いまあまあのところでがまんがいくように暮らす。理想的だ。しかも、快適だ。

 車が入ってこられない細い路地を、雨の日は必ずお出ましになる巨大なガマガエルにびびりながら表通りまで出て、夜は交通量もそう多くない春日通りを信号のないところでささっと渡る。そこに大黒湯という銭湯があった。いまもある。くるくる、と着物の細紐を解いてお風呂場に入り、すっぱだかで丁寧なごあいさつを交わしているしわしわのおばあちゃんたちを、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分でわたしは眺めた。いまもたまに大黒湯に行く。江戸時代はまだほんのり、消え残っている。

 あのあたりは以前はスーパーもなくて、お肉屋さんが揚げるコロッケを、それひとつ、と買ったり、お豆腐屋さんでお豆腐を、お米屋さんでお米をと、ちいさな商店をひとまわりする暮らしに、自然となった。お米では大失敗をした。激安の寮を半年で出て3万円もする下宿に住むことにしてしまった贅沢に恐縮し(貧乏が家の枕詞でしたので)、とにかく節約をしなくてはと古古米を買いこんだ。新米という文字が分不相応なものに思えたのだ。モロモロの米粒のまずさに驚いてしまった。坂口安吾の好物だったという護国寺近くの豆大福屋さんは、お昼過ぎにはもう売り切れてしまうのだが、学生で暇だったからときどき並んでひとつずつ買った。いまも暇をみつけては並んでいる。

 これはわたしには異文化だった。これが日本の暮らしというものなのか。わたしが育った北海道はもちろん日本なのだけれど、気候や植生、生活の感覚が、本州以南とは異なる。ちいさなお寺の桜や、お屋敷の梅、竹藪で鳴くウグイスの声に驚いたりしているうちに、しばらくすると、気持ちもこころもしん、と穏やかに潤ってやわらかくなっている自分に気がついた。病気のあとでもあったので、初めての暖かすぎる秋は眠くて眠くて、毎日眠っては近所を散策して回った。

 そのうちに近所の様子がわかってきた。すると散歩がますますおもしろくなった。散歩とデタラメ歌づくりこそ、わたしの天職なのだとわかった! 定食屋「なかや」のおばさんや謄写印刷屋のみどりさんと昔このあたりを走っていた路面電車やお店の話をしたり、『富坂警察署100年史』を図書館で借りて、いまの風景の下に隠れているかつての街と人々の姿を想像した。お風呂は毎日入ると高いので大きめの金盥(かなだらい)を買って、部屋で行水をつかう方法も考案した。最初は面倒だったちいさな商店めぐりも、好きになった。お魚のガラスケースを積んだミニトラックがくる時間も覚えた。歩く距離が次第に延びていった。寝坊の癖はなかなか治らなかったけれど、以前より体は大分楽になり始めていた。

 わたしはこの暮らしがびっくりするほど気に入った。

 おそらくひとりで暮らすのが、とても性に合っているのだとおもう。そういう人間が、いるものなのだ。わたしの連れ合いもそういう人間で、だからいまは近くに安いアパートを一部屋借りて、うちとそこを行き来して暮らしている。「通いのお連れさん」である。この半分一緒暮らしは、ひとり向きの人間ふたりが折り合いをつけて一緒に暮らす方策として、いろいろ考え話し計算して編み出したもの。二十年ほど試行錯誤して、これがわたしたちには合っているとわかった。

 どうしても家族をもたなくてはとか、持ち家を買わなくてはとか、子どもを産まなくてはとか、四六時中一緒にいなくてはとか、そういうことが合わない人間がおもってしまうと、それは大変不幸なことになる。向くならばもちろんいいけれど、向かないことはしないほうがいい。どなたも、よその人間を押したり踏んだりしないかぎり、できるだけご自分に向いた暮らし向きになさるほうがいい。結局のところそうするしかないのだと、わたしはおもうようになった。自分なりの理想の暮らしをするには、暮らしを、住処を、よそさまがなんといおうと自分で、いちからよく考えるほかない。

 

 学生の下宿の平均はもちろん場所によるが58万ぐらいが東京都心の相場、これはバブル期からデフレのいままで、ほぼ変わっていないようにみえる。でも1万円台の部屋だって、探せばあるのだ。

弟が大学に入って最初に入居したのは、わたしと同じ大家さんの所有する別のアパートで、家賃は12千円。二階建て木造長屋式建物の一階で、階段の下だから天井が斜めになった、たしか3畳ほどしかない部屋だったが、ミニキッチンがついていて、網戸のはまった窓もあって、一見なかなか悪くなかった。ただ、二階に漫画家が住んでいて、これが昼夜逆転の大騒ぎ、そのうえ鼠が発生し、アトピー性湿疹だった弟は(いまじゃそんな気配もないが)やむをえず撤退、自分で別の部屋を見つけた。早稲田近辺の、真ん中に構造柱がごーんと立っている変わった間取りで、値段のわりには広かった。たしか2万円台後半。

 院生の頃に本郷で、老夫婦の住む家の屋根裏の、うなぎの寝床みたいな一室を1万円で借りて住んでいた知人もいる。窓のない部屋だったそうだ。オーストラリアで大学教員をしている知り合いのインド人夫婦が、若い講師に貸していた部屋も、そういう部屋だった。一度泊めてもらったのだが、よほどのことがなければ二度目は遠慮したいとおもった。

安い部屋は正直な話、高い部屋よりおもしろい。わたしの連れが借りる安アパートときたら、都心によくこんなものが生き残っていたなと感心するほかない物件ばかり。数年前に取り壊しのため退去した安アパートは、斜めに傾いだ3畳にでっかいタイル張りの流しがついた不思議な部屋で、13千円。その前は崩壊寸前の平屋一戸建てで、二室にキッチン・トイレつき(木箱にチェーンがぶら下がっている日本式水洗)、これもすでに取り壊されたが、1万円台。窓なし物件は明らかに違法だが、こうした、ちょっとと耳打ちされて見つかる激安物件、都会の中には案外ある。空き家が増えていくこれからは、もっと増えるんじゃないかしら。

 空き家にタダで住めば、さらに安い。というか、タダである。これをスクウォッティングと英語で言うとなんとなく耳新しいが、ようするに家のない人が空いているところに勝手に住み着く、不法占拠である。しかしこうした住処の見つけ方を、まあまあと目をつぶったり、積極的に支援したり、権利として認めるようなところも、あるのである。放置された建物が崩壊したり火事になったりして近隣住民に迷惑がかかるより、ずっといいというわけだ。合理的。そもそも空いていて管理できず困っている家に住みたい人がいたら、住んでいいよ、というのって、当たり前のことじゃないかしら。ブダペスト市内の廃墟と化した空き家をカフェやギャラリー、マーケットに転じる文化的スクウォッターの動きは、街の再生運動として評判になった。家賃いらないよ、ってことだったらほんと、素敵でおもしろいことたくさんできるよね、それって街全体にとっていいよね、ってことですね。そうなればもはやスクォッターはホームレスでも不法占拠者でもない、りっぱな住民。

アメリカのいくつかの町ではホームレスのための仮設住居地区が認可され、50㎡以下のちいさな家(わたしんちと同じぐらいってこと)を建築する「タイニーハウス」運動がひろがりを見せているという。トレーラーハウスも並ぶその地区では、数十万円で住居を手に入れることができるそうだ。いいねえ、ちっちゃくてタダの、仮住まい。ところでそれ、ホームレスのホームってこと? ホームレスじゃないよね、ホームあるんだものね。たんに安い家に住んでる人ってことよね。でもなんで、ただ安い家建てるのに許可がいるんだろう。なんかおかしい。周囲の相場と違った家、家賃がいらない家、仮の住まい、だったらなにがいけないんだろう。誰がいけないっていってるんだろう。

土地って売買ができるものじゃないでしょ、とアボリジニならいうだろうね。そこには主義主張や資本主義経済の是非以前の、なにか人間社会、いやたぶん生物に関する、根源的な真理があるよね。だれにだって安んじて存在する権利がある。衣食足りてタイニーハウスに寝る権利がある。それがあって初めて礼節を知るのである。すなわちなければ知らんのである。理由もなく悪事をなすやつはいる。しかし寒くてひもじくて屋根がなければどなたでも悪事をなしかねん。それこそやばいですよと孔子さまもいうだろう。

スクウォッターもタイニーハウス住民も、ホームレス、なんだろうか。わたしは違うとおもう。ホームレスというのは、状態である。固定的な身分ではない、誰でもなりえる。家に住めば、部屋を借りれば、その状態は消える。ところがこれをなにか階級や人種のように、いわば指定カースト、不可触民のようにとらえる発想がはびこっている。

自分でなんとか工面して暮らしている人たちが、河原に家をつくってかろうじて暮らしている、それのどこが悪いのか、ほんとうに説明できる人はいない。戦後そのように家を建て、そのまま住み着いた人は、たくさんいた。どさくさに紛れることができれば、問題ない。これは倫理の問題じゃない、暴力を背負ったつよい人がかれらを追いたてることにやる気をみせている、それだけのことだ。

 長明みたいにちいさい家をトレーラーで引っぱって、気の向いたところで暮らせたら、ほんとにいいよね。気に入った街に半年ぐらいいることにして、公園や図書館をまわり、市営や区営のスポーツセンター、なければスポーツジムに所属してシャワーと運動をして、たいていのものは救世軍のバザー(東京だと中野で毎週土曜日にやってる)みたいなとこでタダ同然で買って、あるいはもらって、晴れていれば河原、雨ならショッピングモールにでも行ってベンチで本を読み、暗くなったら帰って眠る。わずかな現金収入があれば、なにかちょっとした技術で稼げれば(床屋さんとか、翻訳とか、靴直しとか、鍵職人とか)やっていける、ちいさな暮らし。

 そういうノマド暮らしって、ホームレスなんだろうか。トリクル・ダウンどころかスクィーズ・アップ、税金と年金のエヴァポレーションばかりが実現しているかのようにみえる社会の「経済活動」に貢献すること少なしということで、ゴミなんだろうか。

 スクウォッターとタイニーハウスのことは両方とも『ビッグ・イッシュー』を読んで知った(「廃墟で花咲く中・東欧の若者文化 文化的スクウォッター」2012115183号、「米国「タイニーハウス運動」」201671290号)。学生たちに毎年、ホームレスが路上で販売することでかれらの生活を支援するこの雑誌のことを知っているか訊く。ほとんどの学生が知らない、という。町でいつも見かける人、そこに立っている人を見ても、目を合わせない若者。そういう人は見てはいけないと、教わっているのではないかしら。わたしがノマドになったら、かれらはわたしを見て、知らないふりをするのかしら。あれはホームレス、見ちゃいけないと、子どもにいうのかしら。

標津ニコライ亭.jpgのサムネール画像

標津ニコライ亭、廃墟と化したドライヴイン。海沿いのドーム。現在空き家。





今月の大家さん

ナイジェリアの作家ブチ・エメチェタの自伝小説『どぶの中で』(In the Ditch, 1972)の大家さんは、ヨルバ人。黒人でバツイチで5人の子持ちで作家志望のアダにロンドンで部屋を貸してくれたのは、同郷の大家さん。でもこれが高い上にひどい部屋。アダはイボ人。同じナイジェリアでもイボとヨルバは仲がわるい。アダと険悪になった大家はヨルバの呪術を実行。毎晩深夜3時とかに起きて羽根と腰蓑をつけ、部屋の前でうーうー呪い歌を歌う。でもある日ちょっと寝坊して夜が明けちゃって、そんな姿を近所のおばちゃんや牛乳配達さんに見られちゃうの。ぷぷぷ。