第三十六回 瑞穂町 ナイアガラの町の富士山

 拝島から八高線で北上していくと、横田基地の景色が途切れた先に箱根ケ崎という駅がある。いまも西多摩郡に所属する瑞穂町唯一の駅だ。駅の東口に出ると、ロータリーの一角に柱から馬の首が突き出したようなオブジェが置かれていた。下に水桶が設置されたこれは、往年の"馬の水飲み場"をイメージしたものらしい。箱根ヶ崎は古くから多摩の交通要所の一つで、人馬継立(人足や荷馬の引き継ぎ)が行われる場所でもあった。
 日光街道と青梅街道の交差点の角に、歴史を感じさせる漢方薬屋が建っているが、この辺が往時の宿場の中心地なのだろう。ひと昔前の時代を思わせるオモチャ屋や洋品店、竹カゴを並べた道具屋なんかが軒を並べる青梅街道から北方の町役場の裏の方へ入っていくと、石畑の住所表示を出した界隈は道が袋状に湾曲していて古集落の風情が感じられる。
 道が合流するような箇所には神社があり、庭に土蔵を置いた農家も多い。一軒、朽ちかけた土蔵を残したうどん屋を発見した。「さしだ家」というこの店、昼どきに入って肉汁うどんを味わった(武蔵野うどんにしては麺がソフトだがウマい)けれど、30年ほど前までは村山紬の機織りをする家だったらしい。


DSCN5694.JPG 馬の水飲み場を模した、箱根ケ崎駅前のオブジェ。首だけの馬がシュールだ。
DSCN5699.JPG 古くからあることをうかがわせる年季の入った建物が印象的な〈漢方の會田〉。1872(明治5)年創業。


DSCN5706.JPG 土蔵があるうどん屋〈さしだ家〉。土蔵自体は店舗ではなく、土蔵の奥に店の建物がある。


 玉石垣が目につく弓なりの道を北の方へ進んでいくと、そのまま狭山丘陵の山へ入ってしまう。もう少し暖かくなってくれば山歩きもいいのだが、まだ3月の10日過ぎ、好みの昆虫を探すには早い。麓の道を西進して、残堀川の水源地とされる狭山池を取り囲む公園に立ち寄った。狭山という広い領域の地名をあてられていることからも察せられるが、もとはいまの数十倍もの規模の大池だったようだ。ここで目にとまるのは、池畔に建立された伝説の人物"蛇喰い次右衛門"の石像だ。大蛇退治をした力持ち自慢の男で、この伝説から下流の川は蛇堀(じゃぼり)川と名づけられ、なまって残堀川になったという。ヘビをソフトクリームのように身体に巻いた男の像はなかなかインパクトがある。


DSCN5714.JPG 蛇喰い次右衛門のモニュメント。蛇に絡みつかれた次右衛門が蛇に噛みつき、流れた血が川になったとの伝承があるという。


 カタクリが群生する狭山池緑地(カタクリの開花は3月終わり頃からと聞いた)の脇を通って、町の郷土資料館「けやき館」を訪ねる。ここで先日知り合った栗原勤さんと待ち合わせているのだ。
 〈大瀧詠一さんを語る会 代表〉と、栗原さんの名刺に記されている。実は2月の初めにこの取材で福生市を訪ねた折、ここで開催されていた「GO!GO!NIAGARA 大瀧詠一の世界 2018」に立ち寄って、氏に声を掛けられた。
「SBモナカカレーを食べる会会長の泉さんですね」
 SB──というのは、大学時代の僕が大瀧詠一のラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」にハガキを書いていたときのラジオネームだったのだ。ヘビーな大瀧マニアの栗原さんはそんなレアなことまで知っていて、しかも生まれたときから60年余りこの町に暮らしている。そんな縁もあって、町内の米軍ハウスにスタジオ付きの自宅を持っていた大瀧氏のイベントを、地元で積極的に開催している。
 そう、前回(羽村市)の最後に訪れた霊園も、栗原さんに教えてもらった大瀧詠一の墓参が目当てだったのだ。
「三ツ矢サイダーが何本も墓前に置かれているっていうのが、オールドファンにはジンと来ましたね......」
 なんて墓参の報告をし、栗原さんと彼の知人の資料館の人の案内で、町内の名所に連れていってもらうことになった。


DSCN5516.JPG 前回羽村市の回で訪れた富士見霊園の大瀧詠一氏の墓。長年大瀧がCMソングを担当した三ツ矢サイダーが多数墓前に供えられていた。墓石には大瀧詠一が運営していたレーベル「ナイアガラ」のロゴも。


 まずは、この資料館の数百メートル先に、「五輪様の柿の木」と称するスポットがある。高さ14メートルに及ぶ柿の巨木で、いくつもの枝が四方八方に伸びている様は、朱色の実がなっていないとちょっと柿の木とは思えない。柿の樹齢は300年余り、五輪様とは樹のたもとにある地主・細淵家の五輪塔型の墓のことで、こちらは天正年間(1500年代後半)くらいに置かれたというから、墓の方が先にあったのだろう。
 柿の木の周辺の農地はほぼ茶畑で、製茶の工場や茶舗も目につく。このあたり、いわゆる狭山茶(都内なので、"東京狭山茶"と銘打っている)の名産地なのだ。さらに、あまり知られていないが、冬場のシクラメン。最近は岩蔵街道に〈シクラメン街道〉の愛称も付けられているようだ。


DSCN5729.JPG 現在では周囲が「富士山公園」として整備されている五輪様の柿の木。
DSCN5720.JPG 狭山丘陵の西端にある瑞穂町では、いたるところで製茶場や茶葉を販売する店が目につく。


 「それと、"多摩だるま"ですかね」
 箱根ケ崎駅のショーケースにも展示されていたが、瑞穂町は農閑期にだるま作りをする家が多かった。正月や祝い事のときの縁起物として知られているが、もう一つ、こういう昔の養蚕地帯では蚕を狙うネズミ除けの意味もあるらしく、まねき猫と合体した変わりだるまもあったりする。
 車で連れていってもらった家は、町の東端部の殿ヶ谷地区にあって、庭の奥の倉庫に大きなだるまがいくつも積みあげられていた。多摩のだるまの特徴は鼻がいわゆるワシっ鼻のように高い、ということ。そして、明治の頃から百年ほど続くこの家(内野屋)では、目尻や口元から長い毛が生えた「ひげだるま」という変種が作られている。
「毛は人毛、女性の髪を使うんですよ。いまは大阪の方の業者が1社だけ、中国から人毛を輸入してまして、それを使ってます」
 へぇーっ。立ちあってくれた御夫人は細かい価格などを知らない様子だったが、本物の人毛使用となると安くはないだろう。横田の米軍人が珍しがって買っていくという。いまは倉庫にしまわれているが、仕上げをする晩秋の11月頃には天日干しする赤いだるまが弁慶と呼ばれる長い棹に掛けられて、庭にずらりと並ぶ。


DSCN5724.JPG 強烈なインパクトの、人毛を使った多摩だるま。毛にばかり眼が奪われがちだが、顔が白いのも特徴だという(普通のだるまは肌色)。


 朝方ひとりで歩いた石畑の丘陵の入り口には町立の図書館があって、2階通路の一角に大瀧詠一のCDや関連書物が陳列されている。栗原さんら地元のファンのものばかりではなく、情報を聞きつけた遠方のマニアから寄せられたお宝も少なくない。
「これをお見せしたかったんですよ」
 栗原さんがうれしそうに説明する。ちなみに大瀧氏のスタジオは「福生45」と名づけられ、「福生ストラット」なんて曲もあったから、福生市民のイメージが強いけれど、ぎりぎりの所で瑞穂町の領域だったため、こちらに資料などが所蔵されることになったのだ。
 しかしこの町、だるまからシクラメン、お茶に大瀧詠一......と、名産品や見所が実にバラエティーに富んでいる。


DSCN5725.JPG 瑞穂町図書館の大瀧詠一コーナー。貴重な写真や雑誌の切り抜きもある。


 そして、僕が当初から気になっていたのが箱根ヶ崎の先にある富士山という地名。フジサンではなくフジヤマと読むらしい(それもどことなくエキゾチックだ)が、東京環状道路に続くバイパスには、富士山入口、富士山といった西武バスの停留所(本数は1日に1、2便)が続く。
 地図を眺めると、富士山バス停の傍らの山上に浅間神社の表示があるから、ここがおそらく富士山の源だろう。バイパス側の山斜面に数年前に設置されたという、ウッディーな階段を上っていくことにしよう。


DSCN5719.JPG 富士山のバス停。隣のバス停名「富士山入口」はもちろんのこと、「高根」も富士山由来の地名だろうか。


 上り始めた僕の後ろで地元の2人の足どりが鈍いので、なにか......と思ったら、この階段、思ったよりも長くて計237段もあった。
 階段上の頂きに見えた浅間神社の社殿は、拍子抜けするほど素朴なものだった。地味な板張りの平屋がぽつんと1戸あるだけで、付属物件は見あたらない。地元の人の話では、参道を青梅街道側に下った所にある八雲神社の方がにぎわっているらしい。
 しかし、この浅間神社のある山頂、丘陵の西端にあたる所だから、いまは繁った樹木に遮られているものの、昔は富士山そのものを眺望する絶景地だったのではなかろうか。すぐ近くの狭山神社には箱根権現が祀られているらしいから、まさに箱根の先の富士山に見立てられた聖地といっていいだろう。
 そうか、瑞穂なんて町の名も富士山ありきのネーミングなのかもしれない。


DSCN5736.JPG 浅間神社にて、〈大瀧詠一さんを語る会 代表〉の栗原勤さん(右)と。大瀧詠一についての楽しい話は尽きなかった。


 


※泉麻人さんの「東京23区外さんぽ」は今回で最終回です。近日中に単行本化の予定です。どうぞ楽しみにお待ちください。ご愛読ありがとうございました。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人