第三十五回 羽村市 情熱の玉川ブラザーズ

 青梅線の羽村駅で降りて西口へ出た。大きなバスロータリーや西友、ビジネスホテルやファミレス......が寄り集まった東口と比べて、こちら西口は実に寂しい。西武信用金庫の看板が見える閑散とした商店街を歩いていたら、どこかのラジオから久保田早紀の「異邦人」が流れてきた。シャッターの閉まった観光案内所の軒先に〈はむりん〉とかいう、ゆるいローカルキャラクターのプレートが下がっている。


DSCN5478.JPG 羽村市のゆるキャラ〈はむりん〉。羽村市を象徴する水と桜をモチーフにしている。


 祝日の午前中の商店街は寂しいとはいえ、観光案内所なんてのがあるくらいにこの先の多摩川には東京の歴史上重要な羽村堰、すなわち玉川上水の取水口がある。地図を見ると、こちら側に旧青梅街道や旧鎌倉街道などの表示が見られるから、羽村は多摩川に近い駅の西側から町ができあがっていったのだろう。
 新奥多摩街道の交差点を渡ると、稲荷神社の脇から道は玉石垣の深い切通しになって、教会みたいな建物の東会館の前で左折すると玉川上水の水門のところに出くわす。いまは生活用水としての使命は終えたが、江戸中期以来ここから江戸へと多摩川の水が送りこまれていたのだ。
 すぐ先の公園に上水建設に尽力した玉川兄弟の銅像が建立されている。玉川庄右衛門と清右衛門──銅像のどちらが兄か弟か、はっきりしないが、指差しポーズと跪きポーズの組み合わせが芝居っぽくていい。ともかくこの兄弟、小学校の社会科教科書のスター的存在だった。僕が小4の社会科で使った副読本「わたしたちの東京」には、神田上水を手掛けた大久保忠行に続いて、こう解説されている。
「江戸の町がさかえてくると、この神田上水だけでは水がたりなくなってきました。そこで江戸の町から、とおくはなれている多摩川から、水をひきこむ大きな工事が、はじめられました。このむずかしい工事は、玉川庄右衛門と清右衛門という兄弟の力によって、なしとげられました。
 このころの工事は今とちがって、大きなきかいもなく、土地の高い、低い、ということだけでも、はかるのにたいへんなくろうをしました。幕府からのひようではたりなくなってしまい、じぶんたちのお金までぜんぶだして、二度、三度としっぱいをかさねながら、とうとうしあげたのです。」
 幕府(総奉行・松平信綱、水道奉行・伊奈忠治)の命を受けた仕事なのに、最終的に自腹を切って仕上げたというあたりがすごい。おそらく、多摩川愛に満ちた地元の人間だったのだろうが、この兄弟の出生については対岸にある郷土資料館の解説にも書かれていなかった。
 ちなみに、資料館の解説によれば、玉川上水の取水口・羽村から終点・四谷大木戸までの距離は43キロ、高低差は92メートルで、およそ100メートルに21センチ下る、というかなり緩やかな勾配だったのだ。そして、もちろん玉川上水1本だけではなく、途中から千川上水などの水路がいくつか分岐していったのである。都の人の生活用水ばかりでなく、これによって小平や三鷹あたりの新田開発が進んだことは言うまでもない。


DSCN5483.JPG 現在でもかなりの水量を誇る玉川上水。
DSCN5486.JPG 玉川兄弟の銅像。指差しているのが兄か?


 多摩川対岸の郷土資料館(歩いていくには、南方の羽村大橋を渡って迂回していかなくてはならない)の前の河原に「牛枠」(うしわく)という、昔の水防具が5、6個置かれていた。
 材木を三角錐のような形に組んで、そのたもとに蛇籠と呼ばれる石の重りを置いたもの。当初、ただの保存展示物と思っていたのだが、どうやら多摩川が増水したときに、水の力を制御する装置としていまも機能しているらしい。
「形が牛に似ているので牛枠の名が......」なんて説明が各所に書かれているのだが、どう見ても僕の目には牛に見えない。が、ここでふとひらめいた。前回ふれた福生の牛浜の地名、本物の牛よりもこの"牛枠が置かれた川の浜"みたいなところからきているのかもしれない。
 郷土資料館の裏山には旧下田家住宅という江戸の弘化年間(1845~48年)築の茅葺民家が移築されている。ま、こういう古民家の展示はいまどき珍しくないが、この古民家越しに見下す多摩川の景色はなかなか風情がある。
 資料館の前にやってきたコミュニティーバス「はむらん」(はむりんとか、はむらんとか紛わしい)に乗って駅前に戻り、東口へ出た。


DSCN5491.JPG 牛として見るには相当な想像力が要求される「牛枠」。
DSCN5496.JPG 旧下田家住宅からの多摩川の眺めはなかなかすばらしい。


DSCN5497.JPG 羽村市コミュニティーバス「はむらん」。「羽村」と「ラン(走る)」をかけた名称とか。


 くねくねした西側の道に比べて、こちらは一直線の大通りを真ん中にマス目上の区画が広がっている。郊外の新開地らしい並木道をしばらく歩いていくと、左手に〈FUKUSHIMAYA〉とヨコモジの看板を掲げたスーパーマーケットがあった。
 ロゴのセンスなんかがなんとなく青山の紀ノ国屋に似ている。もしや紀ノ国屋の系列かと思ったら、70年代に羽村で立ちあがった地場のスーパーらしい。ホームページを眺めると、近頃は都心の六本木や秋葉原にも進出しているようだ。この福島屋がやるレストラン・ゾナヴォーチェってのが斜向いにある。


DSCN5499.JPG ぱっと見、紀ノ国屋のロゴと見まごうばかりのFUKUSHIMAYA。


 トスカーナのワイン工房の蔵を改造したレストラン......みたいなイメージだろうか。レンガ(あるいはレンガ調のタイル)の壁、天井は高く、広々とした厨房にピザ焼きの窯が設えられて、5、6人の若い女性がラフなスタイルで立ち働いている。ピザがメインのようだが、僕はカキとブロッコリーのパスタのセットを注文した。バイキング式で、サラダやパンやコーヒーを自由に取れる。味もまずまずなので、若い夫婦でほぼ満席だった。
 以前、小平あたりで入った珈琲店と同じくBGMにビートルズが延々流れていたけれど、この感じの店なら60~70年代のビートルズほどポピュラーでない、せいぜいスマッシュヒットレベルのソフトロックなんかの方がハマるだろう。
 休日のこういうランチ風景も、どことなくアメリカンナイズされた、横田から近い町の風土を感じる。
 その先の産業道路を左へ行くと、前方に日野自動車の工場が見えてきた。もちろん、日野が本拠の自動車メーカーだが、ここ羽村の工場もテストコースを併設した広い敷地だ。僕が子供の頃、日野は小型タクシーによく使われたルノーとか、コンテッサなんて特徴的な車も生産していたが、いまはトラックとバスが主力だ。バス好きとしては、昔のバスの展示場でもあれば見学していきたいところだが、ここにそういう一般見学施設はない(確か、八王子のみなみ野の方にボンネットバスを置いた展示場があった)。


DSCN5502.JPG 日野自動車羽村工場。奥にはバスらしき車が見えた。


 日野自動車の東方には、羽村市動物公園というのがある。フェンス越しにゾウやライオンのオブジェが覗き見えたので、ああいう動物の遊具なんかを配置して、ちょっとした鳥小屋とカメの水槽くらいを揃えた公園......と予測していたら、案外本格的な動物園なのだった。
 300円の料金を支払って園内へ入ると、入り口に近いアーケードの小屋にレッサーパンダがいた。ニックネームが付けられて、キャラクターグッズが売店に並んでいたから、こいつが第一のスターなのだろう。
 さらにニホンザルのサル山があり、フンボルトペンギンの群れがいて、シマウマやキリンのいるサバンナ園のコーナーがある。歩いていたら、ヒューヒュー、と奇怪な声が聞こえてきたが、これはテナガザルの鳴き声だった。アルマジロ、コモンリスザル、シベリアオオヤマネコ、サーバル......けっこうマニアックな動物もいる。チラシの絵地図に描かれていたのをザラッと数えたところ、およそ50種くらいの動物が飼育されているようだ。
 この動物公園の隣りに富士見霊園という墓地がある。散歩の最後、ここに眠るとある人の墓をお参りしたのだが、その話は次回、連載の最終回にもなる瑞穂町の文中で語ることにしたい。


DSCN5509.JPG 羽村市動物公園のフンボルトペンギンたち。
DSCN5513.JPG 羽村市動物公園で、動物よりも目につく人のオブジェ。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人