第三十四回 福生市 熊牛とルート16

 福生は小さな市だがJRの鉄道が3線も通っている。五日市線と青梅線と八高線。当初、南寄りの熊川(五日市線)からアプローチしようか、と思っていたのだが、都心方面から乗ってきた中央線の電車が青梅線直通だったので牛浜から歩き始めることにした。
 今回のハイライトは、牛浜駅から東へ行った横田基地前のアメリカンなストリート散策、ということになるのだが、その前にちょっと西方を回ってみよう。山王橋通りというのを南下すると、青梅線の線路端に熊牛公園というのがある。熊や牛のオブジェが置かれているわけではなく、ブランコの前に〈犬の放し飼い禁止〉なんて警告板がぽつんと立っていた。言いたいこと(愛犬のリードを放すな)はわかるけれど、「放し飼い」ってのはなんだかすごい(犬の放牧を想像させる)言葉だよねぇ。


DSCN5381.JPG 熊牛公園。残雪が一見、熊牛っぽさを感じさせる。


 少し先の新奥多摩街道の交差点の所にも熊牛会館、ってのがある。まぁここまで書けばおわかりだろうが、この熊牛は地名の熊川と牛浜の合名で、動物そのものとの関係はないのだ。熊牛会館のすぐ裏手を流れる玉川上水の橋際にはこんな警告板が出ていた。
「ホタルの赤ちゃんがねむっています。
 空カンなど捨てて起こさないでね。」
 川の流れを見て思い出した。熊川の玉川上水は確か、昭和40年代頃から棲息するホタルの保存に力を入れ始めたのだ。小学5、6年生頃に熱中していた新聞記事のスクラップ帳に、そんなホタル記事の切りぬきがあったはずだ。
 清流と関係した話では、「澤乃井」(青梅の回で通りがかった)とともに多摩銘酒として知られる「多満自慢」の石川酒造がもう少し南方の多摩川べりにあるけれど、前にも書いたとおり"酒蔵見物"はあまり乗り気がしない。
 五日市街道を東進、青梅線、八高線の踏切を越えて国道16号線(東京環状)に出た。
 〈第五ゲート前〉の道路標示板が掲げられているが、向こう側には米軍横田基地が延々と広がっている。通りを北進すると、基地門前らしい店舗がぽつぽつと見えてきた。
 アンティーク、家具、ジーンズやネルシャツを陳列した店、ホットドッグやハンバーガーを看板にしたスナック......しかし、一見してひと頃より街並みが洗練された、というか、横須賀と同じように健全な観光地っぽくなった感がある。ハワイ......いやキューバ風とでもいおうか、コーラルピンクやスカイブルーに塗装した明るいトーンの店が増え、道端の所々に沿道の店の写真をカタログ調にレイアウトした案内板が出ている。


DSCN5393.JPG 巨大なコカコーラの模型と看板が目立つアメリカン・アンティークの店。
DSCN5395.JPG 一方で、昔風のテーラーもまだ残っている。


 ちなみに、横田基地前のアメリカンな店に注目が集まり出したのは70年代の中頃。映画「アメリカン・グラフィティ」の日本公開(74年)が発端といわれているが、当時高3の僕が愛読していた「チェックメイト」というファッション誌(74年12月発売)にアメ横の店などとともに、この辺のルート16ぞいの店が3軒紹介されている。
 「ミッキーシューズ」というウエスタンブーツの店、コンポラスーツの仕立て屋「日米商会」、楽器屋(ライブハウスも)の「スリーシスターズ」。「ミッキーシューズ」は後年立ち寄ったおぼえがあるが、いまは3軒とも見あたらない。
 イタリアの三色旗看板を掲示した、ピザハウスの「ニコラ」は老舗だ。〈六本木で生まれて、横田基地で育った日本初のピッツェリア〉とコピーを付けて、スキンヘッドのイタリア系老人がピザを手にした看板が出ているが、彼こそ、伝説のピッツェリア「ニコラス」を六本木(飯倉)に立ちあげたニコラス・ザペッティ。『東京アンダーワールド』(ロバート・ホワイティング著)という一冊に、ピザの歴史以上にGHQや力道山らプロレスラーが絡んだ、この人物と六本木闇社会の関係が興味深く描かれている。


DSCN5400.JPG きれいなスカイブルーに塗り直された米軍ハウス。
DSCN5405.JPG ルート16沿いでも特に立派な店構えの「ニコラ」。


 80年代の中頃、この辺の米軍ハウスに住む人に案内されて、古いイタリアンの店でランチを食べた記憶があるが、「ニコラ」だっただろうか......ちょっと建物が立派すぎる、と思いつつ歩いていくと、もう少し先に「UN QUINTO」と細いネオン管で屋号を掲げた、素朴な平屋のレストランがあった。
 〈名物 イタリアンライス〉なる看板が出ていて、鶏肉、シーフード、野菜などをトマトソースで煮込み、たっぷりのチーズとともにバターライスにかけた......ウンヌンと解説されているが、うーん、こんな感じのものを食べたような気がする。
 この店も米軍ハウスを改造したような佇まいだが、〈FUSSA American HOUSE〉とプレートを掲げて、屋内見学できる米軍ハウスが1軒ある。
 6畳か8畳ほどの間取りの部屋が2つ3つと小さな芝生の庭、といったスペース。ほんの数年前まで一般の人が生活していたらしいが、いまは往年のルート16周辺の写真や米軍払い下げ品などを展示して、小さなミュージュアムの仕立てになっている。


DSCN5412.JPG ルート66ならぬルート16の標識をあしらったベンチが、国道16号沿いには置かれている。
DSCN5419.JPG ニコラに比べるとかなり質素な店構えの「UN QUINTO」。


 昭文社あたりの詳しい地図を開くと、東福生駅の北方に〈米軍ハウス〉の表示があるけれど、これは現在の米軍人家族が暮らす集合住宅で、日本人が入ることはできない。ここでいう米軍ハウスとは、昭和20年代後半の朝鮮戦争時、どっと送りこまれてきた米兵たちのために基地外の農地に増設された簡素な住宅のことで、ベトナム戦争の鎮静化とともに米兵が続々と帰国していった後、物好きの日本人が暮らすようになった。そう、僕が「福生」の地名になじむ発端ともなった人物・大瀧詠一氏も、この周辺の米軍ハウス(正確には瑞穂町の領域)に自宅兼スタジオを持ち、愛聴していたラジオ関東の深夜番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」も、そのスタジオから放送されていたのだ。ラジ関ならではの雑音とともに、時折横田に離着陸する米軍機の音が紛れこんできたのが懐しい。
 東福生駅の先の踏切の所までくると、フェンスの向こうに大瀧氏も大いなる影響を受けた米軍向けラジオ局・AFN(当時のFEN)の建物と米軍の住宅棟が見える。こちら真の米軍ハウスは10階レベルのマンションに建て替えられて、古き良きドゥーワップやロックンロールが似合うような趣きはない。
 ルート16を歩いていて、ランチはニコラ、あるいはUN QUINTO、といった駐留米軍系イタリアンもいいかな? と思ったりもしたのだが、福生には「大多摩ハム」という地場のハムメーカーがあって、レストランもやっている。やはり、こっちに魅かれる。
 ルート16の第二ゲート前の信号の所を曲がって、福生駅の方へとずんずん行くと、やがてドイツの山小屋を思わせるレストラン「シュトゥーベン・オータマ」が見えてくる。背後にハム工場があって、見学もできるようだが、今回はランチを堪能したい。


DSCN5424.JPG ドイツ風の建物が目をひく「シュトゥーベン・オータマ」。「オレンジ色の壁と三角屋根の、 お洒落なローテンブルク調建築」(ホームページより)とのこと。


 とはいえ、食べる前に大多摩ハムの沿革をざらっと紹介しておこう。創業者・小林榮次氏は、わが国にドイツ式ハムを伝えたアウグスト・ローマイヤの一番弟子。ローマイヤのハムは昔、父あてのお歳暮品などでいただいたが、子供の僕を含めて皆"ローマイ屋"みたいな屋号っぽいイントネーションで呼んでいた。
 それはともかく、技術を習得した小林氏は昭和7年、小林ハム商会の名で品川・荏原にハム屋を創業。戦後まもない昭和21年、福生に工場を移して大多摩ハムの看板で再生する。GHQの目にとまったのが成功のきっかけ、というから、ここも横田基地と密接に関係したメーカーなのだ。
 天井の高い、広々とした2階のレストランで、〈TOKYO-X ランチ〉というのを注文、これは自慢の銘柄豚TOKYO-Xを使ったカツ、ハム、ソーセージ、ベーコンなどがセットになったもので、スープにサラダ、パン、コーヒーが付いて¥1400、というのは値頃だ。そして、このハムやソーセージのランチメニューとともに、ビールのメニューを見せられると、さすがにガマンできない。ドイツビールも揃っていたが、福生の地ビール「多摩の恵」のピルスナーをオーダーしたら、きりっと冷えたこいつはハムやソーセージにぴったり。後で知ったことだが、このビールも「多満自慢」の石川酒造でやっているのだ。
 食後、東口の飲み屋街に迷いこんだ。エデン、エアポート、ブロードウェイ、マドンナ......ちょっとあやしいヨコモジ看板の小店がずらっと並んだ横丁、横須賀や三沢の裏町にも似た、基地の街独特のエキゾチックな空気が漂っていた。


DSCN5426.JPG 思わずビールが進む、シュトゥーベン・オータマのランチセット。
DSCN5429.JPG 福生駅東口の飲み屋街は、どこか懐かしい猥雑な雰囲気。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人