第三十二回 武蔵村山市 鉄道駅はないけれど......

 この連載で訪ねている多摩の市域で、唯一鉄道が通っていないのが武蔵村山市だ。
 アプローチの手段はいくつかあるけれど、バス好きとしては花小金井の駅前(北口)から都バスを使って行くことにした。青梅街道を延々と青梅(車庫)まで行くこの路線は、現行の都バスのなかでも一番長い距離を走る。その昔、僕が子供の頃はもっと都心の新宿や荻窪から出るバスがあったはずだ。
 西武多摩湖線の青梅街道駅横の踏切を渡り、垣根の古屋敷が並ぶ小川上宿の二又を過ぎて東大和市の駅前へ......このあたりはほんの数か月前に歩いたところなのでなつかしい。
 奈良橋のT字交差点を左へ進むと、やがて右手に狭山丘陵の木立ちが迫ってくる。芋窪の先の大橋バス停のあたりからが武蔵村山市。道が急カーブを切る手前の中藤でバスを降りた。これは"なかとう"と湯桶読みする。


DSCN5204.JPG 中藤のバス停で都バスを降りると武蔵村山市の領域だ。


 中藤は市内北東部の古い集落名でもある。道端にまだ小さな田んぼも見えるこのあたり、右方の丘の麓には寺や神社が点在する。ちなみにこの日はまだ新年明けてまもない正月4日、どこかで初詣でもしていこうと考えていた。
 地図を調べていたとき、目にとまったのが中藤1丁目にある「入り天満宮」。"入り"というのは、入り谷戸なんかを表わす周辺の古地名らしいが、下に"天満宮"と付けば、これはいかにも受験(入学)に縁起の良さそうな天神様、という想像がふくらむ。
 合格祈願の絵馬を手にした若者が集う、里の神社の光景を思い浮かべて行ってみたら、人っ子ひとりいない。まぁこういう寂れた小神社の風情もわるくないけれど......。
 青梅街道を西進していくと、時折くねくねっとした脇道が口を開けている。こっちが直線化される前の旧道で、入っていくと道端に素朴な地蔵堂が置かれていたりする。


DSCN5206.JPG まもなく受験を控えた学生で賑わっているかと思いきや......。入り天満宮にはだれもいなかった。
DSCN5212.JPG 青梅街道の旧道沿いの地蔵堂(原山の地蔵尊)。


 表通りにもどってくると、市役所やJAが並ぶ市の中心地に差しかかる。交差点の先に横田というバス停があるが、横田基地でポピュラーになった横田はそもそもこの辺の地名だったようだ。
 その横田バス停のすぐ横に「村山織物協同組合」のモダンな木造洋館が建っている。〈村山大島紬〉と記した看板が門前に掲げられているが、大正時代から昭和の戦前にかけて、村山絣と呼ばれる絣(かすり)の絹織物で知られた土地だったのだ。この先の三ツ木地区に密集していた織物工場はほとんど見られなくなってしまったが、いまも生産は細々と継承されている。この協同組合の館内に製品や歴史資料が展示されているようだが、残念ながら本日は休館。
 そう、この横田交差点(いまは"かたくりの湯入口"と表示)をちょっと北方の丘側に行ったところに奇妙なトンネルがある。
 〈横田トンネル 自転車道〉と表示された小さな円型のトンネル、現在は表示のとおり、自転車(サイクリング)用の隧道に利用されているのだが、もとは軽便鉄道のトンネルだったのだ。大正時代から昭和の初めにかけて、北方に建設された村山、山口貯水池の工事資材、さらに多摩川の砂利を運搬するために羽村から山口貯水池にかけて敷設された軽便鉄道で、ここから丘の下をくぐる4つのトンネルが設けられている。
 ま、常時自転車がびゅんびゅん走りぬけているわけではないから、人も歩くことができる。横田、赤堀、御岳、赤坂、1つ200メートル程度の短いトンネルだが、謎めいた山中基地へアプローチしていくような、ファンタスティックな気分を味わうことができる。


DSCN5221.JPG 村山織物協同組合。瀟洒な雰囲気の建物が往時の繁栄をいまに伝える。
DSCN5257.JPG 横田トンネル。トンネルの上部には公園が広がっている。


 夏場ならこのまま山の方へ足を運ぶのもおもしろいだろうが、寒いので横田トンネルをくぐりぬけたところで引き返す。いや、寒さよりも腹が減ってきた。
 そろそろお昼どき。このあたりも武蔵野うどんの名店地帯ゆえ、いくつか目当てにしてきた店があったのだが、正月の4日ということもあるのか、ことごとく閉まっている。街道ぞいに〈うどん〉の幟は立っていても、店らしきもんは見あたらない。十二所神社、という、2、3組の参拝客の姿が見える三ツ木地区の神社で一応初詣でをすませて、バスで移動することにしよう。


DSCN5231.JPG 十二所神社で初詣で。「天神七代、地神五代からなる十二代の大神が祀られている」ことからその名があるという。周囲には寺院や神社が多い。
DSCN5236.JPG 養蚕をやっていたと思しき農家を発見。織物が盛んだったころを彷彿とさせる。


 市の南方にイオンモールがある。あそこに行けば、どうにか昼めしにありつくことはできるだろう。
 乗車した立川駅北口行のバスは三ツ藤の方へ行って、もうちょっと先へ進めばイオンモールというあたりで来た方角へ引き返し、市役所の先をまた南下して立川方面へ向かっていった。運転手に指示された医療センター入口でバスを降りて、数百メートル先に見えるイオンモールをめざす。その前方に〈BIG〉の大看板を掲示した、中古車買取販売のビッグモーターも最近の郊外のおなじみ物件といえる(ここは2017年の暮れに閉店したらしい)。


DSCN5240.JPG ビッグモーターの看板(BIG)の向こうに巨大なイオンモールが見えてきた


 イオンモールには、東久留米市の散策の折に立ち寄ったが、歩いていくと、どこから入れば良いのか......ちょっと迷う。マイカーで立ち寄る人が大方なので、駐車場へのアプローチはわかりやすいが、街路からの歩行ルートがはっきりしない。
 ユニクロにZARA、H&M、GAP、スタバに成城石井......と、都心のちょっとした店はだいたい入っている。原宿のキデイランドとか、ひと頃渋谷のシンボルだったシュークリームのビアードパパ(この店は花小金井駅でも見掛けた)なんかもここでがんばっている。
 当日は福引か何かのコーナーに長蛇の列が生じていたが、ともかくレストラン街へと足を向けて、小店が軒を並べたフードコーナーの韓国スナック系のブースでチーズタッカルビのセットを注文、学食風のテーブルの空き席を見つけて早食いした。
 イオンモールに収容された店舗に大した興味があるわけではないけれど、この〈イオンモールむさし村山〉が存在する場所は歴史上重要だ。2000年代の初頭まで、ここから南方にかけて日産自動車のテストコース場と工場が広がっていた一帯で、イオンモールが置かれた場所はテストコースの北端にあたる。地図を見ると、周囲の道がサーキット状の楕円を描いているのがわかる。
 日産というより、正確にはその前身のプリンス自動車が日産との合併以前に立地決定した場所で、建設工事が始まる1960年代以前の一帯は牧畜農家が1軒あるだけの広大な荒地だったという。多摩川段丘の砂利層で農地に適さなかったらしい。尤も、プリンス自動車の源流は軍機を生産していた立川飛行機(いまも"立飛"の名は残る)だから、そもそも土地の縁はあったのだ(「たま」号なんて車を造っていた時期もあった)。
 イオンモールの斜向い側にある武蔵村山病院(医療センター)の南側に「プリンスの丘公園」というのがある。事情を知らない人は、どこかの皇太子でも訪れたのか......とイメージするかもしれないが、このプリンスは自動車のプリンス。一見、どーってことない公園だが、入り口に〈スカイラインGT-R 発祥の地〉と刻んだ、ハコスカ(CMキャッチフレーズは"愛のスカイライン")と呼ばれた69年型GT-Rの絵柄入りレリーフが飾られている。


DSCN5250.JPG スカイラインGT-R発祥の地の碑。碑には、車の横に、テストコースもかたどられている。


 村山工場の開業が62年、テストコースの完成は日産との合併が決まった65年。そうか、あの伝説の名車・ハコスカGT-Rは、ここでテスト走行を繰り返して世に送り出された、村山工場を象徴する車なのだ。
 プリンスの丘公園の南隣には〈真如苑 芝生ひろば〉なんてのがあり、さらにフェンス張りされた工場跡地が南西方に広がって、彼方に高尾や丹沢の山稜がよく見える。
「この土地は公共・公益の用に供するため武蔵村山市が管理している土地です」
 と、立て看板に記されていたが、いったいどんな公共・公益の用に供されていくのだろう。


DSCN5252.JPG プリンスの丘公園の南方に広がる真如苑芝生ひろば。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人